回想録 その15 「濃密な時間」

僕は、宗十郎との時間をとても有意義で貴重なものだったと思ってる。正直、父と母を除けば、彼が一番、僕に影響を与えたかもしれない。そう。セルゲイ以上にね。


彼との出逢いがあったからこそ、僕は日本を訪れようと考えたんだ。


何しろ、曾祖母が日本人と言っても、生きていたのは千年以上前の話。当然、僕とは一面識もない。母の<日本語>は、その後も何度か出会ったことのある日本人から学び取ったものだ。


それでも、最後に日本人と会ったのは数十年前だったそうだけど。


だから母は、宗十郎の言葉から改めて学び取ったんだ。彼が意識を取り戻す前に何度かうわごとを口にしたからね。それを基に組み立てたものだということ。


最初のうちは、『少しずつ思い出しながら』的に話しているのを装ってもいた。


母が知ってる日本語のままで喋っていると、さすがに宗十郎にとっては古めかしいものになってただろうね。その点、曾祖母が日本人だった事実は、もし、今は使わないような言葉遣いが出たとしても『そういうものか』と思ってもらえるだろうし。


実は何度か、母と会話している時に、宗十郎が『ん?』という感じの表情になったこともある。それはたぶん、彼にとっては違和感を覚える言い方だったんだろう。


だけど、彼は、それについても特に何か言うこともなかった。本当にお互いの難しい部分には踏み込まないという暗黙の了解が成立している関係だった。


なのに、<生きる>ということは残酷だ。一緒に暮らし始めてから二十年余り。


彼の体に異変が……


朝、いつものように体を起こそうとした彼が、よろめいたんだ。


脳腫瘍だった。それがはっきりしたのはもっと症状が進んでからだったけど、今で言う<悪性新生物>であることは、彼の体から発せられる<臭い>で察することができた。


「宗十郎。病院に行く?」


彼にそう尋ねても、


「いや……俺が医者に掛かると二人に迷惑が掛かる。それに、俺はもう十分に生きた。本当ならあの時に死んでいたはずの俺がここまで生きられたことが望外の幸せだったんだ。これも寿命だよ」


すごく穏やかで、さっぱりとした表情で彼は言った。この時の彼の年齢はまだ六十になるかどうかというものだったと思う。現代の水準から言えばまだ早いと言えるものだとしても、彼自身は、


「本当に、笑ってしまうくらいに濃い人生だった。特に、二人との暮らしに俺は、自分が生まれてきたことを『よかった』と思えるようになったよ。


ありがとう……」


余計なことは一切口にしなかった宗十郎だけど、おそらく彼の半生は波乱万丈なものだったんだろうな。


それだけ、単純な年数では測れない、濃密な時間を過ごしてきたんだと思う。


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