目の焦点が合わない姉妹。
「じゃあ、声に出して数えてみて?」
「はい……」
……前からは、神沢さんに、抱きしめられ。
耳元に、碧先輩の口がある。
「一……。二……」
「ふぅ~」
「っ!?」
碧先輩が、いきなり耳に息を吹きかけてきた。
そのせいで、カウントがストップしてしまったのだ。
「は~い。野並くんやり直し。罰ゲームね?」
「ば、罰ゲーム?そんなの聞いてなっ」
俺の言葉を遮るようにして、神沢さんの胸に、無理矢理顔を押し付けられててしまった。
息がうまくできない。抵抗しないといけないのに、悪魔的な抱擁力のせいで、俺は全然体に力が入らなかった。
「大丈夫?野並くん」
ようやく解放してくれた神沢さんだが……。明らかに、目の焦点があっていない。危険な状態だ。
「せ、先輩。やっぱりこれマズいですって。神沢さん、明らかに様子が」
「だから、トランスモードって言った」
「それはわかってますよ!その上で、危ないからやめましょうって言ったんです!」
「じゃあ百秒数えたら?」
「……十秒に、なりませんか?」
「じゃあ、亜優奈ママ、大好きって言ってくれたら、十秒にしてあげる」
なんてことを言うんだ。神沢さん。
……そんでもって、描こうとしている漫画のジャンルも、気になってしまう。
「ママは恥ずかしいですよ……」
「じゃあ、百秒ね?」
「わ、わかりました。言いますから」
「うんうん」
「野並。ちゃんと、お姉ちゃんの目を見て言ってね」
「……はい。言いますよ?」
俺は、覚悟を決めた。
「……亜優奈ママ、大好き」
「……ぬへ」
空気がそのまま漏れるような笑い方をした神沢さん。どうやら満足してくれたご様子で。
「いいよ。十秒で許してあげる」
「ありがとうございます。では、一……。二……」
「ふぅ~」
「……さぁっん」
碧先輩の攻撃をなんとか耐えきり、カウントを続ける。
「四……。五……」
「ふぅ~」
「ひぁっ!」
「はい、残念でした~」
卑怯だ。
神沢さんが、碧先輩とは反対の方向の耳に、息を吹きかけてきたのだ。
「ふふっ。ごめんね?お留守だったから」
いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべている。
……耐えるこっちの身にもなってほしいところだ。
「あの……。もう本当に勘弁してください。これ、本当に絵の参考になってます?」
「絵の参考?」
「目的見失ってるじゃないですか!」
「野並、男があーだこーだ言うのは情けない。十数えればいい話」
「……」
――なぜだ。
だいたいいつも、このくらいのタイミングで、誰か風呂にやってきて、流れが止まるのに。
まりあさんが、二人に耳打ちしていた内容が気になる。だから助けに来ないのか?
「どうしたの?野並くん」
「っ……」
神沢さんは、まだ俺の耳元の近くにいて、囁いてくる。逆側では、碧先輩が、ずっと耳に、弱く息を吹きかけてきていた。
「こ、こんなんじゃ……。っ、か、数なんて、数えれられません」
「よわよわくんだねぇ~野並くん」
なんか、同人誌とかで出てきそうなフレーズだな……。いや、何を考えてるんだ俺は。数を数えなければ。
「一……。二……。三……」
「……ふにゅう」
「よっっっ……!?」
四。
そう数えようとしたとき。
神沢さんが、俺の体にのしかかってきた。
完全に体重を預けてくる。当然、二つの大きな物体が、まるで押しつぶされるかのように、俺の体に襲いかかってくるのだった。
「か、神沢さん!何考えて……」
そこまで言って、気が付いた。
……のぼせてるな、この人。
「……はぁ。ちょっと興奮させすぎちゃったかな」
「本当ですよ……。明らかに、様子がおかしかったですし」
「でも、家で漫画を描いてる時のお姉ちゃんは、こんな感じだから」
目を閉じて、幸せそうな表情をしている神沢さんの頬を、碧先輩が突いた。
でも、よかった。これでようやく解放される。
「野並、動けそう?」
「……あっ」
どうしよう。
動けないんですけど。
のしかかってきた神沢さんを支える形で、風呂の端っこに追いやられた俺は、完全に神沢さんに挟まれるように、身動きが取れなくなっていた。
「お姉ちゃん、結構重たいでしょ」
「それは何とも、俺の口からは……」
「当たり前だよ。そんな大きなものぶらさげてるんだから」
そして、そのそんな大きなものが、俺に対して、存在の大きさ、強さを示している。
重たくて、柔らかい。苦しいはずなのに、どこか包まれているような気持ちになる……。非常に危険な状態だ。
「そうかそうか。やっぱり動けないか」
先輩が、不敵な笑みを浮かべた。
「……動けないってことは、いたずらしてもいいってことだから」
「な、何言ってるんですか。先輩」
「きっと、これで解放されると思ったでしょ?」
「当然です。だって、この混浴の目的は、神沢さんの絵の参考にするためですから」
「でも、動けないんだよね」
「あ、え、ちょっと。碧先輩?」
碧先輩の小さな手が、俺の頭を撫でている。
「……何がしたいんですか?」
「内緒」
「……」
無言で、だけど目は見つめられたまま、髪の毛を撫でられている。
一体先輩は、どういうつもりなんだろう。
「ずっと学校に来なくて、会えなかった分、ここでたくさん遊んであげるから」
「……え」
「覚悟してよ」
「先輩。神沢さん、のぼせてるんですよ?このまま風呂に入れておくつもりですか?」
「お姉ちゃんはのぼせたわけじゃない。興奮して、頭の血管が飛んだだけ」
「余計ヤバイじゃないですか!」
「細かいことは気にしないで」
碧先輩が、俺の頬を、両手で挟んできた。
「……面白い顔」
ぐにゅぐにゅと、左右に揺らし遊び始める。
「へぇんはぁい……。はめへふははひ」
「なにぃ?聞こえないけど」
一瞬、心臓がドキッとした。
……なんだこの、ドSな雰囲気は。
「野並、虐められるの好きだもんね~」
そう言って、今度は、俺の上に乗っている神沢さんの背中を、ギュッと押した。
当然、俺と神沢さんの密着度が、より強まってしまう。
「ちょっと先輩、様子が」
……あれ。
先輩の目から、光が消えてるぞ?
「……まさか」
先輩も、トランスモードに?
いや、なんだその展開は。
【次回がラストです】
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