第86話 女領主の私室に呼び出されて情熱的に迫られよう!

「二人きりですね、先生❤」


 半ば拉致されるような形で、颯太そうたはカレンの私室に案内されてしまった。執務室から隠し扉一つで移動できる便利な構造のお陰で、困ったことに、有無を言う暇が存在しなかった。


「……そう、だな」


 ――そうだな、じゃねえんだよな。

 ふかふかの天蓋付きベッド、窓の外に広がる町並み、遠くには颯太の遊技場カジノも見える。テーブルの上にはお菓子、そして魔法で温度を維持しているらしきお湯、茶葉のようなものが入ったツボもある。本棚にはこの世界では高級品の本がずらりと並んでいる。

 ――めちゃくちゃ居心地良さそうなんだよな。


「ここに住んでくださっても良いんですよ先生?」

「こんな状況じゃなきゃあ嬉しい誘いなんだがな」

「嬉しいんですね先生!? やったー!」


 ――おかしいぞ。今は竜が攻めてくる。人類の危機の筈だ。

 ――なんでこいつは呑気に俺をベッドルームに連れ込んでいるんだ。

 ――っていうか、断った筈なのにまだ諦めてないのかよ。カレン、烏丸カレン、お前はもうちょっと男を見る目を養った方が良い……! 冗談じゃねえよなんだよこの女ァ!

 とはいえ、目の前の相手はもう彼の教え子でも、女子高生でもない。この世界の宗教的権威、聖女である。その上、颯太そうたが住むこの地域の領主様でもある。しかも、颯太そうたは彼女の親戚を殺した負い目がある。相手が気にしていなくても、なんなら喜んでいても、流石に気が引けてしまう。

 ――けど俺は、この頭のおかしい女に、強く出られない……!


「あ、先生……今もしかして『竜が来ているのに色ボケかましている場合か?』って冷静に考えてらっしゃる?」

「よく分かったな」


 カレンは整った顔立ちをニマニマとした笑顔で崩しながら、両手を背中の後ろで組んで颯太そうたに顔を近づけた。


「先生のことなら何でもわかるんです。何故だと思いますか?」


 ――俺は絶対に知りたくないがこいつは今すぐにでも語って聞かせたいと思っているし、それをまともに聞いていたら話が全く進まないな。

 颯太そうたは諦めてカレンの肩に腕を回した。


「まあ立ち話もなんだ。少し座れ」


 そう言って颯太そうたはカレンとベッドに腰掛けた。


「ひゃっ! い、いきなり、近いですよ……先生……」

「もう先生じゃないっての」

「え、えへへぇ……そ、そうでしたねぇ~!」


 ――なんだかんだ言ってかわいい反応するじゃないか。

 ――かわいい?

 ――まあ、かわいいだろう。こういう欲望を繕えない女は。

 ――アスギさんを口説いているときには味わえない反応だよこれは。楽しい~!

 勝手に舞い上がって勝手に行動を始める上に権力暴力知力に秀でたカレンを相手に、このボディタッチは本来愚策である。

 だが颯太そうたはあえてそれを選んだ。


「竜退治について、アイディアはあるのか?」


 興奮してるカレンからとりあえず話の主導権を取り戻しさえすれば、後はどうとでもなるという見込みがあったのだ。


「え、ええ? まあ別に軍を動かせば解決自体はしますし、私が魔剣をブーンって振り回せば……竜の軍団が来たとしても基本的に全滅しますし……」

「そうか、どうもピンとこないんだが竜ってのはその程度の脅威なんだな」


 カレンがスンッと真顔になる。


「いえ、私と私の配下である聖騎士たちが強いだけです。放置すれば竜の一匹で王都は灰燼と化しますし、冒険者や普通の騎士では手も足も出ないことでしょう」

「そうか。お前の実力があって初めて防衛は成立するわけだ。この世界における竜の脅威はなんだと思っている?」


 颯太そうたは肩から二の腕に手を滑らせながら、話を続ける。


「わ、わたしも、直接戦ったことは数えるほどしか……先生!」

「なんだ? もう先生なんて呼ぶなよ」


 ――そっちの方が興奮するのか?

 とは思ったが、言わないことにした。


「ま、真面目に話してください……い、いやらしいです! 触り方とか! 夫婦でもないのにそのようなことをするのはどうかと思いますが!?」

「悪かったよ。そうだな、真面目な話を続けようか」


 颯太そうたはそう言ってベッドから立ち上がると椅子に座り直す。


「あ、いえ、隣には座っててくださいね。これは命令です。領主なので、私」


 そう言ってカレンは背筋を伸ばして胸を張る。軍服の下からパツッという音が聞こえそうな程、胸元が膨らんだ。

 ――わ、ワガママな女だなあ……かわいいじゃん。


「可愛いな……いや、ごめん。綺麗だ。美人になったよ、お前は。仕事もしっかりやってるみたいだしな」

「え!? 急になんですか……」


 カレンは自慢げな表情から一転、顔を赤らめる。

 ――不味いな。竜の弱点についてある程度聞いて傾向と対策練るつもりだったのに。

 ――つい、うっかり。褒めてしまった。

 ――職業病だな。

 無論、職業病などではない。颯太そうたが女性に弱いだけだ。


「……悪いな。こりゃ私情だ。まったく、こんなところに居ると仕事と関係ないことばかり話してしまう」

「先生ったら……ずっと居てくれれば話は早いのに」

「俺のことをちゃんと名前で呼べるようになったらな」


 颯太そうたはカラカラと笑って、カレンの頭を撫でる。

 撫でて、しまった。つい、勢いで。

 ――うわ~やべ~可愛くてついやっちまったよ~!

 ――これ向こうが好き好きオーラ全開なのが分かってるからできるけど、いきなりやったらただの変質者だよ俺~!

 カレンは顔を赤くしたまま俯いていた。

 ――まあそうでなくとも、今の俺は元生徒の気持ちを弄ぶ悪い男だからただの変質者と大差ねえわ~!


「で、今日はお前が先生だ。竜について知っていることはないか?」

「き、き、基本的には単独で行動してますが、とにかく鱗が固くて、一定水準以上の攻撃力が無ければ何をしても無駄になります。あととにかく素早くて鍛え上げた軍馬に乗りながら戦わないとあっという間に翻弄されます。当然、めったに逃げませんが逃げ足も早いです。攻撃力も幻獣モンスターの中では最高水準。聖騎士たちが陣形を組んで、私のような神官プリーストが祝福して防御力を上げて、それでやっと攻撃を抑え込めます。私が戦った時はそうやって倒しました」

「成程な……厄介じゃないか」


 ――ということは、適切な乗り手が存在すれば単騎で竜と戦えるホムカーってめちゃくちゃ優秀だった……?

 ――いや、でも、あいつら戦わせたくないしな……。

 颯太そうたは物憂げにため息を吐いた。


「最高水準まで鍛えた人族がチームを組んでしっかり戦えば倒せますが、逆にそれ以外の者に対しては無敵であり、破壊行為や略奪を何より好む知性体です。群れで行動しないとは言っても、脅威なんですよ。文明社会にとっての、無辜の民にとっての、脅威です。私は、私の聖女領は、ここに住む民の安らかな暮らしのためにこれを見逃す訳にはいきません。良いですね?」

「ああ、よく分かった。だが……」

「だが? なんです?」


 颯太そうたはフッと笑みを浮かべた。


「民の安らかな暮らしか」

「当たり前です。それを守る家に生まれ、それを守る仕事に就いているのですから。私はそれを誠実に為すべきです。私は、私が正しいと思うことをする。それだけです」


 あくまで真剣な表情で答えるカレン。

 先程までのニマニマした表情や真っ赤にした表情、それに聖女としての澄ました表情よりも、今の彼女の情熱を帯びた真っ直ぐな瞳が好ましかった。

 ――良い女になったもんだよなあ。


「分かった。じゃあちょっくら待ってろ。先生が良い感じに解決する方法を探ってくるからさ」

「はい、是非にお願いします。竜の出没増加という大事件を、適切な解決にお導きください。まずは明朝より、ウンガヨ様と共に未踏地の調査を」


 ――こんな立派になるのだったら。

 ――俺はお前に自殺して転生なんてしてほしくなかったよ。

 颯太そうたは部屋の床に片膝をつけると、カレンの手をとった。


「ええ、万事、聖女様の仰せのままに――」


 そして、手の甲に唇を寄せようとした、その時。

 ぐい、とその手に顎を掴まれ、引き寄せられた。

 目の前にはカレンの顔、鼻と鼻が触れそうな距離。


「……本当に、仰せのままにしてくださったらいいのにね」

「それは……そうだな。試してみたらどうだ?」


 カレンは返事の代わりに、にぃ、と仄暗い笑みを浮かべた。桜色の唇から漏れた吐息が颯太そうたの耳元をすり抜けた。


、やめておきます」


 顔を離し、フイと背を向けてから。


「依存しちゃいそうですもの」


 悪いお薬みたいに、と続けて笑う。

 ――それなら諦めてほしいものだけどな。

 颯太そうたは肩をすくめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る