第28話 暗殺者の精神を巧みに操って自らに忠実な埋伏の毒にしよう!

「助けて、やだ、私が私じゃなくなっていく……!」


 ヌイの悲鳴が、颯太そうたの鼓膜を震わせる。

 ――不味い。

 ――不味いぞ、実に。


「嫌……助けて……怖いよぉ……!」


 ――人を殺しに来た以上、どんな目に遭ってもそいつの責任だ。

 若くして卓越した教師として頭角を現していた彼だからこそ、理解はできた。自分の致命的なミスと少女の心の傷について理解してしまった。

 ――そいつの責任だ、けど。俺はこいつを傷つけたい訳じゃない……!


「お前、生まれた時から傭兵団で育ってきたのか」


 颯太そうたの質問に対して、ヌイは自白剤の作用で反射的に答えてしまう。


「はい……物心ついた時から親に教え込まれてきました」


 それを利用して、颯太そうたは次々質問を畳み掛け、彼女の注意を逸らす。


「両親は元気か?」

「母は私を産んだ時に死にました。父は仕事を続けています。傭兵団の幹部です」

「その仕事、好きか?」

「誰がなんと言おうと、誇りを持っていました。才能もあると思ってました。これは私の言葉ですか? ごめんなさい。ごめんなさい。私、こんなこと、喋りたく……」

「分かった。もう良い。喋らなくて良い。ただ少し待て、それは薬の効果だ。お前が殺しに来ると思って仕掛けていた罠だ。お前の頭は正常だ」

「薬? 嘘です、こんな短時間で仕込める訳も、私がこんなに早く倒れる訳もない……嘘だ。あなたは騙そうとしています。魔法じゃない。薬でもない。分からない。なんで、何が起きてるんですか。こんなの私ではありません……私では……」


 ――ヌイは俺と違って自分の仕事に矜持を持っていた。そして自分の意志と無関係にその矜持を捨てさせられた、と思っている。

 颯太そうたは苦々しげな表情を浮かべていた。もう、彼には彼女が他人とは思えなかった。


「おい、落ち着いて話を……!」

「私じゃ……私じゃない!」


 ヌイは隠し持っていたダガーナイフを取り出し、震える手で自らに突き刺そうと振り下ろす。当然、颯太そうたの反応速度では対応できない。


「やめ――」


 パシ、と鳴った。いつの間にかヌイの背後に立っていた女神が、ヌイの手を止めていた。

 安堵のため息をつく颯太そうた。女神はウインクを飛ばし、唇を自らの人差し指に当てる。

 ――恩に着るぞ。

 颯太そうたは黙っておけのサインだと気がついて、すぐに視線をヌイへ戻す。


「な、なんで!? 死にたいのに! 腕が動かない!」


 悲鳴を上げるヌイを見て、颯太そうたは思い出す。自分の仕事を。

 ――俺の仕事は説得だな。いつもどおりだ。変わらねえ。


「ヌイ、これから君に俺の昔の話をさせてくれ。君にもうこれ以上ひどいことはしないと約束する。だから、今後のことはそれが終わってから考えてくれ。頼む」


 怯えた目。逃げ場などないと観念した目。何もかも失った目。

 武術でも、魔術でも、そもそも厳密には颯太そうたの言う化学ですら無い。理不尽そのものをぶつけられた少女はあっさり折れた。


「……わ、わかりまし……わかりました。聞きます……武器も捨てます……もうこれ以上私の頭をいじらないでください……」


 ヌイは腕の力を脱いて持っていたナイフを捨てた。


「傭兵団にもあるかもしれないけど、俺の居た学校……大学院の博士課程にも卒業試験みたいなものがあったんだ。博士論文って言うんだけどな」

「ダイガクイン、ハクシカテイ、ハカセロンブン……」

「俺と同じように学者になりたい連中の溜まり場だ。俺、そこで教官にその論文を邪魔されてな。殴った」

「殺さなかったのですか……それだけの力があって……?」

「いや、俺の育ってきたところは平和だったんだ。ヌイの居る世界と違って人を殺すとすぐに捕まって牢屋に入れられるような、ここと違って傭兵の不要な社会だ。けど、一歩間違えたら……殺してたかも知れないけどな、人生がかかってたし」

「そんなに治安が良いなんて、やっぱりどこかの貴族の……」


 颯太そうたは答えずに話を進める。


「まあその結果、事件を表沙汰にしないという条件で俺は退学することになった。その後は故郷でやりたくもない学校の教師を続けて、病気で死んだ。まあこうして生きているが、少なくとも故郷じゃ俺は死んだことになっている」

「……ヌイも、これが、試験でした。一人前になるための……」

「奇遇だな、似た者同士だ。全く予想もしない理不尽で人生が終わった気分だろ」


 分かる分かる、と呟いてため息をつく。

 その頃にはヌイもいくらか落ち着き始める。元々暗殺者として訓練されていたことが幸いした。毒も抜け、状況への理解も追いついてきた。ただし逃げる勇気はもうない。心が折れていた。


「死にたい……です。いくら嫌いでも、雇い主を裏切ってしまいました……どの面下げて団に帰れば良いんですか……。傭兵が一番やってはいけないこと……なのに」

「親を頼るわけにはいかないのか」

「ヌイはめかけの子ですので……成果を出さなきゃ厄介者です。居場所とかありません。試験に失敗した今、私は……どうなるんでしょう」

「きついなあ……この村に来るか?」

「それこそ殺されます……素直に失敗したと、言うしか……。こうやってなんでも話してしまったのが、バレたら、死ぬより怖い目に……!」


 ポン、と颯太そうたは手を打つ。わざとらしく、さも、今しがた名案を思いついたように。


「分かった。じゃあヌイが傭兵として食っていける道を探そう。成果を出さなければ厄介者、じゃあ逆にヌイを指名してこの村からデカい仕事が入ったら、この失敗をカバーできるか?」

「え!?」

「できないのか? “水晶の夜”は大口の仕事を一件取ってきた若手のエースに冷や飯を食わせるのか? そんな愚かな組織なら手を組む価値も無いかな……?」


 この懐柔が本来の颯太そうたの狙いだ。思わぬ展開も入ったが、概ね彼が最初に想定した理想的な展開に戻りつつある。


「で、できます! 我々は公正な取引を重んじています!」

「じゃあ他所で動いている仲間と早く逃げろ。それで“水晶の夜”の中ではじすすぐ機会を待て。武器を持て、立て、逃げろ。分かってると思うが村のエルフに捕まったら死ぬぞ。殺しに来たんだ、殺されもする。分かるな?」


 ヌイはすぐに落とした武器を拾い、鞘に収める。それからゆっくりと立ち上がり、扉の向こうの颯太そうたの目を見つめる。怯えた瞳で。


「な……何故、ここまでしてくれるんですか。子供だからですか」

「そう思っていたら、とっくにお前に駆け寄って抱えあげて、お前に刺されている。恩を売っただけだ。さっさと逃げろ」

「命令ですか」

「命令だ。お前は俺に負けた。誇りも、情報も、全て奪われた。そして、今から俺が奪った全部をお前に返してやる」

「そんな、そんなことができるなら……きっと、あなたは神様です」

「見てろ。そして見たら来い」


 ヌイは自分の身長の数倍はある家の屋根に飛びあがり、他の家の屋根から屋根へと音も無く飛び移る。彼女の姿はあっという間に見えなくなった。


「やっぱ……薬なんて頼るもんじゃないな。話し合いが一番だ」


 自分に向けて皮肉を言って颯太そうたは床に座り込む。虚しい。ただ虚しい。

 ――感傷はあとだ。次はあの子の命と尊厳を繋ぐ為の手段を練るとして。

 現実を思い出して虚無を振り払う。村はまだ燃えている。


「レン、村の様子はどうだ」


 嫌な汗と微熱に颯太そうたは顔をしかめる。病院で苦しんでいた頃を思い出した。


「食料庫は村長が守って無事、押し入ってきた他所のエルフは生け捕り、畑の火事も落ち着いてきているし、それ以外にもいくつか火が出てるけど皆で水の精霊エレメントを呼んで消してるわ。すごい光景よ? エルフたちが手をつないで水の巨人を操ってるわ。ワーム踊りってあれの練習だったのね。見る?」

「見たいけれども、今日は……疲れた。この状況で俺がうろついたらかえって迷惑をかける」

「あらそう……じゃあおやすみなさい。誰かが来たら起こしてあげるわ。部屋の中に散布したガスは消しておきなさいよ」


 道具小屋なので窓はない。『耐毒』のスキルで周囲のジエチルエーテルを吸い込んで消していく。

 颯太そうたは村人から贈られた簡易ベッドに横たわり、タオルで額の汗を拭う。病院のベッドで死にかけた時のことが頭の中に浮かぶ。全身の痛み、熱、隣室の患者があげていた不気味な雄叫び。


「なにが……神様だ」


 ――俺はこんなに無力だと言うのに。

 女神から順調な消火の経過を聞かされても、帰ってきたアスギとアヤヒの無事を確認しても、恐ろしくて胸が痛くて眠れなかった。


《メッセージ:『耐毒』の発動により、『耐毒』スキルが成長します。ランクAからランクSに上昇しました》

《メッセージ:『放毒』の発動により、『放毒』スキルが成長します。ランクAからランクSに上昇しました》

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