第27話 村の消火について遠隔地から指揮しつつ、単騎で暗殺者を凌ぎ、逆転の機会を生み出そう!

「居た! 居たわよソータ!」


 空に舞い上がってからすぐに、颯太そうたの耳元で声が響く。


「畑に火を点けて逃げている途中のエルフが二人、村の食料庫の周りで何かしている人間が一人、村の外れにある子沢山の家に押し入ったエルフが二人、それに……あの暗殺者の小娘が森の中から真っ直ぐにこっち向かってる! 速いわ!」

「くそったれ、ビンゴじゃねえか! そのまま見張っててくれ」


 それは平和な世界で生きてきた颯太には殆ど想像できない作戦だった。

 とはいえ、現状を把握した上でそこに理屈をつけることはできる。

 ――食い詰めたエルフが自分の村から売り飛ばす為の子供を確保、その陽動と嫌がらせの為に火を点けたエルフ&本職プロの工作員による拠点破壊の時間差放火、その上で俺自身まで狙われてる。

 ――これを仕掛けたのは誰だ? “水晶の夜”は関与が発覚した際に昔の仲間に手を出して信用を落とすリスクを抱えている。食い詰めエルフは出身地の村ごと報復を受けかねない決死の賭けだ。積極的に仕掛けるには問題が多すぎる。じゃあ誰だ? こいつらにこんな無茶をさせられる奴は!

 颯太そうたの思索は中断を余儀なくさせられる。


「ソウタ! ちょっと母さんと消火手伝ってくる! 母さんがそこで待ってるようにって! 絶対に出るなって!」


 アヤヒの声だ。

 ――俺はここを動けない。

 今分かっていることを伝えるタイミングは、この瞬間を置いて他に無い。

 颯太そうたは叫んだ。


「アスギさんとアッサムさんに伝えろ! 村外れのお子さんが生まれたばかりの家! それと食料庫! これが最優先だ! 畑は恐らく陽動だ! 収穫は俺がカバーできる、カバーできないものを守れ!」

「は? いや、でも……信じる。上手く伝えとくから外に出るなよ!」

「ああ!」


 ――なんだって良い。まず俺はここでヌイを引きつける。相手が火を点けて陽動をやっているなら、本命である俺の居る家に火は使わない筈だ。

 家を飛び出すアヤヒとアスギの足音よりも、次第に心臓の早鐘の方が耳に入るようになってきた。

 ――可燃性なのが気になるが、今はこれしか手が無い。

 颯太は全身から気化したジエチルエーテルを発散させて小屋の中に充満させる。扉の鍵は閉めない。扉を開けてもらわないと困るからだ。


「ソータ? あなた何するつもり? あたし、そっちに戻ってあなたを守る!」

「レン、お前はそのまま村の様子を見てろ。とにかく人死と食料庫への破壊だけは避けてくれ。それでエルフたちが間に合わないならお前のできる範囲で手伝ってくれ。あのガキはここで引きつける」

「一人で!? なんで……ああもう後で聞く! 来るわよ! 庭に入ってくる!」


 その声と同時に音もなく扉が開いた。

 扉の向こうに立つ少女は、ビクリと身体を震わせて咄嗟に後ろに下がる。

 颯太そうたの眼に彼女の姿が映ったのは、彼女が扉から離れてからだ。

 それまでは来ると分かっていた颯太にすら見えなかった。


「勘が良いな」


 颯太は怯える心を押し隠して、余裕ありげな声を出す。

 少女は答えない。


「小屋の中は既にジエチルエーテルで充満している。ジエチルエーテルは全身麻酔にも使われる薬で、まともに吸入すれば意識は持っていかれる。しかも、致死率は低い。現在この部屋の内部は陽圧。僅かな隙間からもジエチルエーテルは漏れている。そんな中で扉を開けばどうなるかと言うと、まあその麻酔薬をまともに吸い込むことになる。すると気絶するが死ねない。運良く気絶しなくても追跡から逃げ切れないくらい身体が弱る。捕まえて、目覚めてくれれば話も聞き放題だ」


 少女は扉の外でククリナイフを構えたまま動かない。


「君が誰か聞くつもりはない。この家には俺の他には誰も居ない」


 少女は一歩、二歩と後ろに下がり始める。

 颯太そうたは膝をついて、ドアの隙間から見える頭巾姿の少女に声をかける。

 目線が合った。


「君がここに来たことは誰も言わないと約束する。君たちは俺たちの村の人間を害しに来た。俺は怒っているが、同時にこういったことがもう二度と起こらなければそれでいい。そのために君と情報の交換をしたい。取引だ」

「……これも錬金術とやらの力ですか?」

「正確には化学だ」


 少女は少しだけ頭巾を上げる。颯太そうたにだけ顔が見えるくらいだ。

 少女はククリナイフを収める。


「化学。じゃあ今の私はその化学のことについて質問に来た子供です。特に先生に害を与えるつもりはございません。以前お誘いいただいていたのでお言葉に甘えようかと」


 ヌイは前回と同じ礼儀正しさでそう答えた。


「ふふっ……じゃあその質問には先生としてお相手しましょう。代わりにいくつか質問をしても?」


 颯太そうたは心の持ちようを教師としての自分に切り替える。


「先に言っておきますと、今の私の仕事のことについてはお答えできません」


 ヌイの声は緊張で張り詰めていた。

 何を話すのか、に彼女の意識は誘導されている。


「……まあそうですよね。先生としては大人しく帰ってくれればそれで構わないのですが」


 ――かかった。

 颯太そうたから仕掛けてくることを、ヌイは想像できなかった。


「俺としては今逃げられると困る」


 颯太そうたはヌイを見つめ、『放毒』のスキルで正確にエタノールを血管に注ぎ込む。血中のアルコール濃度の上昇は、運動機能や判断力の低下を齎す。彼女は自らの異変に一瞬驚いた表情をした後、すぐさま逃げようとするが足がもつれて地面に激突する。

 颯太そうたは人に向けて自らの能力を使うことにためらいがあった。それが結果的に、彼女の意識を奪わずに身動きだけを封じる結果に繋がった。


「な、何を……?」

「命まではとらない。これから質問をする。知っていることを洗いざらい吐いてくれ」

「失礼ですが、そんなことをするわけがありません。金銭の伴う契約を結んだ以上、どんな相手でも――」


 そう言って、颯太そうたは村で初めて飲まされた自白剤を、ヌイの身体の中に流し込む。

 その為にどうするか。そもそも子供相手でどれほど布石になるのか。颯太そうた自身も分かっていない。だが、やるしかない。

『流通させる側に回れば良いのよ。ここの辺境伯とかやっつけて』

 と、言った女神の言葉を颯太そうたは思い出す。

 ――村は燃えている。燃え続けている。奴らは何度だって火を放つ。ここで根から断たねば、何度だって積み上げたものを横合いから蹴り飛ばされる。


「俺を殺すつもりで来た?」 

「こ、ころ……」


 ヌイはうめき声を上げて口を閉じようとするが、閉じられない。

 彼女自身の意思に反して、彼女の舌が勝手に動き出す。


「殺すつもりは……ありません。あくまで身柄の確保です。我々の利益の為に……辺境伯よりも早く……村への火付けの仕事に乗じて……」

「素直になってくれて結構。けど、目撃者は殺すつもりだったろう」

「人殺しが……私たちの仕事です。恨んでいただいて結構、厭っていただいて結構です。ですが……それでも……うっうぅ……!」


 颯太そうたは警戒して決してヌイには近づかない。小屋の扉の隙間から、低い声で語りかけ続ける。表情に気づくには、少し遠い。


「辺境伯はこの村のことをどうとらえている?」

「金の成る木、まだ溜め込んでいるから生かさず殺さずで絞り上げる……って。まだあなたの技術については知りません。この村の徴税に来た役人は頭が悪くてあなたの説明をほとんど理解できていませんでした。“水晶の夜”では先んじて貴方を確保する為に情報を抱え込んでいます」

「辺境伯の狙いは村の備蓄を削ってこの村を永遠に搾取すること、“水晶の夜”は辺境伯が目をつける前に俺を誘拐すること、食い詰めたエルフどもは目障りな他所の村から少しでも略奪して自分の村を守ろうとしている。お前はこれは正しいと思うか?」

「……はい」


 ――辺境伯を消さない限り、似たようなことは何度でも起きる。

 颯太そうたはため息をつく。この時、彼にヌイの表情は見えていなかった。


「あ、あの……」


 ヌイは涙混じりに弱々しく声をあげる。


「な……? なんだ?」


 よく見れば、ヌイは涙目になっていた。颯太そうたはそれに気づき、困惑して思考が止まる。声が震えていた。


「哀れに思って命をとらないなら……私を殺してください……すぐに殺してくださるなら……私の知ってること、なんでも言います……お願いします……」


 颯太そうたの頭の中が疑問で埋め尽くされる。何故死にたいのか、何故泣いているのか、そして何故彼女が傭兵団の一員としてはあまりに幼いのに単独行動が許可されていたのか。


「あっ」


 ――やりすぎた。

 ――この子、多分、使い捨ての手駒とかじゃない。

 ――大事に育成されて、教育されて、それを誇りに思っている子だ。

 ――だとすれば。

 次の瞬間。


「助けて、やだ、私が私じゃなくなっていく……!」


 ヌイはか細い悲鳴をあげた。

 颯太そうたは、自分の何気なくやった行為が、ヌイの幼い自尊心を破壊するには充分な行為だったことに気がついた。

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