第21話 こちらは精霊の加護で抽出精製したモルヒネになります

 無事にジエチルエーテルを生成した後から、颯太そうたはアヤヒに簡単な高校化学の理論を教えるようになった。幸い、女神の力でこの世界の文字は理解できたので、紙とペンでノートを作りながらの授業をすることができた。


「……と言うわけで今日の授業は終わりです。原子、それに固体・液体・気体という概念についてはしっかり覚えておくように。これさえ覚えてれば、貴方もすぐに今やっている薬品の合成について理解できるようになります」

「はい先生!」

「じゃあ本当にここまでだ。復習したらゆっくり寝てくれ」

「はーい! じゃあおやすみソウタ!」

「おう、おやすみ」


 アヤヒは嬉しそうに自分の部屋へと帰っていく。今日もまた母親に勉強の成果を自慢してから眠ることだろう。颯太そうたは授業の前にほとんど独力で抽出・生成したモルヒネを口に含んでみる。食塩と硫酸を使って合成した塩酸で処理することで、粉状にしたモルヒネだ。

《メッセージ:スキル『耐毒』が発動しました。モルヒネが50%を占める粉末です。全ての効果を遮断します》

 ここ数日の実験と幻獣狩りで、既にランクAまで成長した耐毒スキルが作動する。この粉が限りなく颯太そうたが求めたものに近い。


「ほぼ完璧だな」

「なになに? 良い感じなの?」


 声が聞こえて振り返ると、女神が腕を組んで壁にもたれ掛かっていた。


「ああ、阿片あへん量産の目処が立った。原始的な工場も作れるだろう。技術レベルで言えば他の村を数百年単位で突き放したぞ」

「うわ~、すごいわね化学教師。私もポケットマネー切り崩した甲斐があったわ。そういえば副村長になったのよね。なにか欲しい物ある?」

「音楽プレイヤーかな」

「それだけでいいの? イヤフォンくらいならつけてあげられるわよ?」


 女神は普段より機嫌良さそうにニマニマ笑い出す。


「ああ、それも頼むよ。ところで相談したいことがあるんだけどいいか?」

「頼って頼って~! 頼られると私も嬉しぃ~!」


 女神は笑みを浮かべてくにゃりと身をよじった。

 ――随分気に入られてしまったな。

 颯太そうたは嬉しいような戸惑うような気持ちを処理しきれず頭をかいた。


「正直言って阿片あへんが取れすぎている。全部村に出して国に収めたり売ったりすると値崩れを起こす。しかも、恐らくだが、俺の作っている阿片あへんもモルヒネも飛び切り品質が良い。最悪、うちの村の商品を奪い合う展開も考えられる」

「流通させる側に回れば良いのよ。ここの辺境伯とかやっつけて」

「却下だ。俺はもう異邦人エイリアンでも侵略者インベーダーでもない、人間だ。やっつけた後のことだって面倒くさいぞ。流通とか慣れた奴が居ないと……それにあれだ。在庫の保管」

「あんたのスキルがあるじゃないのよ? 『耐毒』で身体の中に阿片あへんを溜め込む。あんたの体の中で蓄積していれば劣化とも無縁ですもの」

「それは……考えてはいたが」


 ――それ、そのやり方は俺の能力に依存しすぎている。それは科学じゃない。万人に共有できる科学でこの村を栄えさせなければ、危機の度に英雄を期待するだけになってしまう。

 という思考をどう伝えるべきか考え込む間に、女神は続けた。


「精製だってこんな手間かけ無くていいでしょ。『放毒』のスキルで不純物0にして体外に排出すれば良いんですもの」

「それは、駄目だ。エルフに作らせる必要がある」

「そうなの?」

「アヤヒに色々実験を手伝わせて分かった。エルフは風の精霊魔法で簡単に減圧蒸留もできるし、温度の調節も簡単にやる。精霊魔法を扱うエルフが主導して薬品工場を作ることができれば、エルフという種族をもう誰も軽視できなくなる」


 女神は首を傾げた。女神には人間の社会が分からぬ。


「どゆこと?」

「再現性だよ。本当に世界を変えるなら、科学は俺一人の魔法で終わらせちゃ駄目なんだ。エルフを救うのはエルフであるべきなんだ。俺はそうなるように教育をやる。でなければ同じことの繰り返しだ」

「けど、あなたが叡智を独占しても、あなたの叡智を共有しても、起きるのはきっと争いよ? 叡智を与えて、その先で皆を豊かにする為に皆を争わせるの? だったら最初からあなたという勝者が決まっている方が簡単だと思わない?」


 ――たしかに、それはそうだ。

 科学知識を万人が共有したところで争いが続くのは世の習い。

 もっと酷いことになる可能性も当然ある。

 ――世界を守るためならば一部の人間が優れた知識と技術を独占すべき……というのも理屈だ。


「簡単だと思うぜ。これは高校生物の話なんだけど、簡単な、単純な仕組みって、環境の変化であっさり崩れるんだ」

「管理が大変になるってこと?」

「そうだ。それに俺の好みの問題として、何も知らない相手を何時までも良いように利用するのは気に食わない」

「けど面倒くさいわね……やらなきゃだめ?」

「主な作業は俺がやる。お前が永遠に同じ作業を繰り返す日々で満足か?」

「永遠に繰り返す羽目になったらあんたも道連れにしてやろうかしら? 少なくとも退屈はしなさそうだし~」


 颯太そうたは大きくため息をつく。

 ――この歳で死ぬのは絶対嫌だが、かといって不老不死なんぞ御免こうむる。


「じゃあなおのこと勘弁だ。少なくとも俺は同じことなんて繰り返したくない。アホみたいにスッとろい歩みでも、少しずつ、似たような事を繰り返しながらちょっとはマシになる世界が良い」

「それはあんたの理想?」

「俺の世界に居た知の巨人が夢見た理想だ。俺はそれに乗っかる小人。お前も乗っていけよ。せっかく別世界から人間を呼んだんだしさ」


 それを聞くと女神はくすくすと笑った。


「前に召喚した子はね。『ふぇえ、神なんて信じられませぇん!』って、私の本体オリジナルを埋めてその上に人間の王国作ったの。女神わたしの肩の上には乗らずに、土の中に埋めたわ」

「ああ、なんかそんなこと言ってたな」

「他に召喚した奴は、そうね。肩の上に乗るっていうの? まあ確かにあたしから色々勉強してそれなりに尊重してくれたわ。それだけ」

「案外色々居たんだな」

「一緒に歩こうとしてくれるのはあんただけね」


 女神はいつになく優しい微笑みを浮かべた。

 ――そういえばこいつの本体って、詳しく聞いてなかったな。


「まあ、良いだろ。そういう変わり者が居ても」

「ええ、退屈はしないわ」


 颯太そうたは道具小屋の壁によりかかって腕を組む女神の方を見つめた。

 ――俺、もしかしてまだ何か見落としてる?


「そういえばお前の本体オリジナルって……何?」

惑星開発用複合型空中元素固定装置すっっっごいおおきくてなんでもつくれるきかい。普段は人間社会に合わせてこうやって端末ヒトノカタチを使ってるの。エネルギーが不足しているから本体オリジナルは全然使えないんだけどね」

「えっ」


 颯太そうたは凍りつく。

 ――なんでも作れる機械? 工場併設の超巨大汎用化学プラントって感じか。成程、神、確かにそれは神だ。

 ――いや、待て、つまりだぞ。待てよ、嘘だろ、まさか。

 颯太そうたは最悪の可能性に気づきしばらく言葉を失った。


「どうしたのソータ?」

「……そんなもの封印させたのか!? その結果がこれ!? 馬鹿じゃねえのかこの世界の奴ら!」


 その叫びは半ば悲鳴だった。


「どゆことどゆこと?」


 女神は首をかしげた。


「これは推測だけどさ。人間の王国はお前を危険だとして全力で封印した。だがお前を封印したせいでこの世界は貧しくなった。貧困に対する不満のはけ口を人間が異種族差別に求め、差別の正当化をする過程で今に至った」

「なによそれぇ!? 折角あの時『人類にはちょっと早いから』ってお願いを聞いてしばらく完全に休止してたのにぃ!」


 女神は颯太そうたの肩を掴んで揺さぶった。


「どっかでお前の存在自体を伝達しそこねたんだろ」

「ただの馬鹿でしょそれ」

「世界史でよくあるぞ。人類の馬鹿さ加減を甘く見るな」

「化学教師でしょ!?」

「歴史ぐらい学ぶ。生徒の学んでいる内容を把握してない教師とかクソだろ」

「んも~~~~~~! 」


 ――だが勝ち筋は見えたな。

 颯太そうたがぼんやりと考えていた村の掌握とそれに続く他村や行政との交渉、その先の開拓計画の展望が一気に広がっていた。女神の力を握れば、なんだってできる。


「まずはお前の封印を解こう。お前の開放の為に、王都での発掘作業を進める目的で、少しずつ今の計画を修正していく。勿論お前の力が必要だ。手を貸してくれ」

「ええ! あったりまえよ!」


 ――思ったよりも話は早く進むかもしれない。女神の本格的な起動さえできるなら、そもそも開拓すら不要になる可能性も。

 この時、いつか、星を滅ぼす火が灯った。

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