第21話 ギブアンドテイクはテイク多めに(3)

 風邪が治った週の休日。


 和樹は左手に抱えた紙袋の中身を確認してから、楓華の家のインターホンを鳴らした。


 急に訪ねては悪いだろうと、前日に和樹が来る時刻を伝えていたので、楓華は誰かと確認することもなく表に出てきた。


 白色のロングTシャツに藍色のデニムパンツといったボーイッシュな姿の楓華は和樹を見るなり、安堵したように口許を緩める。


「この前はありがとな。これ、返しに来た」

「いえいえ。体調は良さそうですね」

「おかげさまでな。あ、よかったらなんだけど、これも受け取ってくれるか」

「えっと……これは?」


 タッパーを確認している楓華に和樹が紙袋を差し出すと、きょとんとした眼差しを返される。


「この前のお礼。駅前で有名らしい和菓子なんだけど、甘いもの苦手だったりするか?」

「そんなことはないです。むしろ好んでよく食べるぐらいですが……でもどうして」

「どうしても何も、天野さんが看病してくれたから、そのお礼にと思って」

「そんな、ここまでしてもらうわけには。私は人として当然のことをしただけで」


 和樹が差し出した紙袋を、楓華は優しく両手で押し返し「お気持ちだけで十分です」と小さく呟いた。


(……当然、ね)


 その言葉がどこか素っ気なく突き放すような声に聞こえたのは、間違いではないだろう。


 先程までは艶やかなルビー色を宿していた瞳が、僅かに黒ずんでいる。


 当然という言葉に縛られているように思えてしまうほど、冷えた声音だった。


 和樹は押し返された紙袋を、華奢な腕を取って半ば強引に受け取らせた。


「前も言ったけど、当然だとしても、俺はそれに助けられたんだ。だから感謝してる。別に後ろめたさとかは感じなくていい。俺が勝手に恩を感じて、勝手に渡すだけだから」


 あの時楓華が看病してくれていなければ、間違いなく和樹の体調は悪化していただろう。


 真治も来てくれてはいたが、楓華が居なければあのまま家の前で2、3時間ほど突っ伏さなければならなかったのだ。


 もしそうなってしまっていたのならば、体調が更に悪化する可能性があったのは火を見るより明らかである。


 以前「別に恩なんて気にしなくていい」的なことを言っておきながら自分が一番意識しているのではないかと一瞬考えたが、それでもこの恩は返しておきたかった。


 和樹の言葉に楓華は混乱していたようだが、どうしてもこれだけは受け取ってほしいという思いが伝わったのか、困ったように苦笑しながら紙袋を受け取る。


 楓華はおずおずとその中身を覗くと、目を丸くして、それから僅かに瞳を伏せた。


「……これ、私の好きな和菓子です」

「そりゃよかった」


 楓華が頬を緩ませているのを見て、和樹はゆっくりと方から力を抜いた。


 こういった場合のお礼に何を渡せばいいのか分からず、悩みに悩んだ結果として駅前の和菓子という全くひねりがないものを買ってしまっていたので、どういった反応をされるかが不安だったのだ。


 もし「それあまり好きではないので……」などと言われたらしばらく顔を合わせられなかったかもしれない。


(まぁ、少し強引に渡したけどな……)


 和樹がイメージしていた渡し方より少し異なっていたが、今こうして喜んでもらえたのだから結果オーライだろう。


 楓華は紙袋に入っていた和菓子の箱を手に取ると、うっすらと笑みを浮かべる。


 そのルビー色の瞳は、いつも通りの輝きを取り戻していた。


「でもこれ、結構高いと思いますけど?」

「まぁ、少しだけ奮発したな」

「……なら代金はお返しします」

「いや待て待て。それじゃあお礼の意味が無くなるだろ」


 なんの躊躇いもなく代金を家の中へ取りに向かおうとした楓華を、和樹は慌てて宥める。


「隣人が明日からもやし生活になるかもしれないのに、黙って指をくわえて見ていろと言うのですか」

「別にそこまで金欠じゃねぇよ! ……ある程度は余裕を持って生活してるし、そんなに大袈裟に考えなくても大丈夫だから」

「……ならいいのですけど」

「おう」


 気にするな、と視線を送れば、楓華はこくりと小さく首を縦に振った。


 気分を害した様子がないのは幸いだった。


「……やっぱり、嘘はよくないですよね」

「ん?」

「……な、なんでもないです」


 吐息混じりのか細い声で呟かれた一言は、和樹の耳に届いてしまっていた。


(……嘘ってなんだ?)


 しかし、本人は聞こえてないつもりらしく、表情を固めたまま、こちらを見上げている。


 目が合うと、言葉を上書きするように楓華が浮かべた笑顔がどこかぎこちなく感じてしまい、ただ目の前にいるだけで不安を煽られているような気分になってしまった。


 その弱々しい姿を放っておけなくて、和樹はたまらず楓華の頭に掌を載せて、そっとくように撫でた。


 楓華は驚いてはいたが、嫌がっているわけではないらしく、黙々と和樹の掌を受け入れていた。


「な、なんですか」

「……なんとなく、寂しそうだったから」

「べ、別に私はそんなことは」

「だったらそんな苦しそうな顔するなよ」

「……そんな顔してません」

「してた」

「し、してません」

「してたんだよ」

「……触るなら、予め言ってください」

「そしたら駄目って言うだろ」

「言いませんよ。九条さんにもそういう欲求があるんですね、と思うだけです」

「どういう類の欲求だ、それ」

「フェチ、と呼ばれるものでは?」


 そんな趣味はないな、と言おうとしたが飲み込み、急に頭を撫でてしまったことを素直に詫びると楓華は小さくため息をついた。


 少し照れた様子で、和樹を見上げてくる。


「……私以外の人にも、こういうことをしているのですか」

「言われてみればしたことなかったな」

「あまり軽々しく女の子の頭を触るのはやめたほうがいいですよ。髪がボサボサになることを嫌っている人も多いのですから」

「いや、天野さんにしかするつもりないし」

「ふぇ?」

「……すまん、今の発言は撤回させてくれ」


 軽はずみに誤解が生まれるようなことを言ってしまったな、と和樹は反省した。


 和樹にとって楓華はただの隣人とは呼べない程度には親しい分類に入ると思っているので先程は触れてしまったが、他の人にはしようとは思わない。


 よこしまな思いで楓華に触りたいってわけじゃないんだ、と付け足せば、楓華は和樹の掌を振り払う事なく大人しくなる。


「なんて言えばいいかな。俺としては、寂しそうにしてたから見ていられなかったというか。あ、見るにえないっていう意味じゃないんだ。放っておけなかった、みたいな。……その、すまん」


 セクハラだと訴えられても文句の言えない状況だったので、これでは嫌われたとしても仕方がないなと頭を下げると、楓華は頬を紅潮させ、きゅっと眉をよせた。


「……九条さんって、ズルいですよね」

「何がだよ」

「存在がズルいです」

「ええ……」


 存在が、ズルい。


 そんなことを言われては、言い返す言葉も見当たらない。


 和樹は楓華の額から掌を離してから、半歩後ろに下がる。


「……それじゃ、俺はそろそろ帰るよ」

「……そ、そうですか。残念です」

「なんだ、もう少し話したかったか?」


 その声がどこか気落ちしたように聞こえたので興味本位で訊いてみれば、楓華はうっすらと頬を赤らめて「か、からかわないでください」と反論されてしまった。


 機嫌を損ねてしまったらしく、楓華は不服そうな顔を隠すことなく和菓子の入った紙袋を抱えて自宅の中へと身を滑らせていく。


 調子に乗りすぎたな、と反省したのもつかの間、楓華はドアの隙間から半分ほど顔を出してこちらを覗いてくる。


「……九条さんの、ばか」

「え」

「……ばかばかばーか」

「どうしたんだ?」

「知りません。……それでは、また」


 拗ねたような、それでいてほんの僅かに甘えるような言葉を囁くと同時に、楓華は扉を勢いよく閉めた。


(……今のは心臓に悪い)


 たとえ他意がないと分かっていても、その一言は和樹の心臓を強く揺さぶった。


 静かに嘆息すれば、それは外気によって冷やされて白い膜を纏って空気に溶けていく。


 気温は低いはずなのに、和樹の体は確かな熱を宿していた。風邪による発熱とは異なる、内側からじんわりと広がっていくような心地よい熱量。


「……ばかはどっちだよ」


 そう呟いて、和樹はその場を後にした。


 その後しばらくしてから『頂いた和菓子、すごく美味しかったです。ありがとうございました』というお礼の連絡と共にお餅を満面の笑みで頬張る可愛らしい子猫のスタンプが送られてきたことに、和樹はそっと苦笑するのだった。



〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 今回も読んで頂いてありがとうございます。


 もうすぐ入試が終わる(受かっていればの話)ので、そろそろ更新ペースを上げていけたらいいなと思っております。


 毎日投稿してランキング上位に載れるような作品になりてぇ……というのが本音です。


 一応週間40位までは言ったことあるんですよ。(過去の栄光に浸る一般男子高校生)


 土日投稿なのでPV伸びるのが投稿して数日間で、木金のPV数だけ分かりやすく落ちてるんですよね。ここを伸ばしたい。


 もしよろしければ、感想や星レビュー、指摘や応援など、お願いします。


 次回はまた来週。


 それでは、また。

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