第78話 神楽坂小夜は結びたい
体育祭当日。
競技種目も半分以上消化された頃。
俺は次の次に出番を控えている、2年生男子による百メートルリレーの準備をしていた。
準備と言っても、高鳴る心臓の鼓動を落ち着かせることを指すのだが。
去年とは心持ちが全く違う。
今回は勝つ気でいるのだ。それも自分のためではない。
好きな女の子のために。
わーわー、と盛り上がっている運動場を横目に流し、俺は靴紐を固く結び直す。
「気合入っていますね」
そう言って、ザッザッと足音を鳴らしたのは神楽坂だ。
「まあな。今日のために特訓してきたからな」
「みたいですね。暗根から聞きましたよ」
「……ちなみにどこまで聞いた?」
「え?」
「暗根は何て言ってたんだ?『死ぬ気で』とか『生き地獄』とか言ってなかったか?」
「……いえ?特には。普通に頑張ってたと聞いていますが」
「暗根にとってはあれが普通なのか……」
「何かあったんですか?」
「いいや、なんでもない!神楽坂は気にするな。あと今のは愚痴とか弱音じゃないからな!暗根には俺たち4人共々もれなく感謝の涙で溢れていると伝えておいてくれ!」
「え、ええ……それはいいのですが、あの、もしかして暗根が何かしでかしましたか?もしそうなら私から――」
「ああぁぁあぁぁあぁ!大丈夫!大丈夫だから!神楽坂はただ俺のことを見てくれるだけでいいからさ!な?」
っぶねー。うっかり数年分の寿命を落としてしまうところだったわー。
特訓の日々を愚痴ってたとか弱音吐いてたとかが暗根の耳に入ったら、文字通りいろんなものが終わってしまう。
もうほんと闇が深すぎて、逆に拷問についてちょっと詳しくなったまである。
特訓では速く走る方法と脚力、そして人を人扱いする優しさをうっかり学んでしまった。ここはしっかりが適切か。
よくぞ耐え抜いた梓よ、と目尻を拭う仕草をしていると、なぜか神楽坂が恥ずかしげに目を泳がせていた。
「うん?どうした、神楽坂?」
「あの、えと……俺のことを見とけだなんて大胆な……」
「ッッッ!?!!?!?!」
「梓くんって時々そういうことを平気で言いますよね?ま、まあそこもいいんですが……」
「あ、いや。さっきは必死で!そんなつもりで言ったわけじゃ――」
「そ、そうですよね……やっぱり他意はないです……よね……」
枯れたひまわりみたいにしぼんでいく神楽坂。
くそっ。そんな顔されたら軽はずみに発言した罪悪感が――。
俺は頭を雑に掻いて言った。
「他意は…………ある」
「……え?」
「神楽坂に、神楽坂だけには見てほしいってのは……本音だ」
「…………おたんちんっ」
「…………うるせぇ」
その場しのぎで誤魔化すこともできないのかと言ってから後悔する俺。
我ながらバカだ。
いや、神楽坂風に言うならおたんちんか。
本人に直接聞いたわけではないが、何度も言われてりゃさすがに察しはつく。
唇を尖らせて照れる神楽坂が拝めるなら、俺のおたんちん加減も晒した甲斐があったってものだ。
このこそばゆい雰囲気から脱したくて、俺はわざとらしく辺りを見回した。
そして目に入った目立つ人物を話題にする。
「うおっ。あれすげえな。リアルハーレムじゃねえか」
「Sランクの
髪をオールバックにした彼、龍我は5人の女子と一緒に、というより侍らせて放送席前を闊歩していた。
あれじゃ両手に花どころか、全身に花だろ。棺の中か。
って今のは不謹慎なネタ扱いにされそうだな。最近は何かと規制が厳しいし自重します。
「ちょい悪がモテるのは中学生までじゃなかったのか?」
「暗根も似たようなことを言ってましたが、人を好きになる理由は人それぞれあるのでしょう。そうは思いませんか?」
「お、おう……」
言外に『ちょうど私たちみたいに』というニュアンスが紛れていそうだと思うと、最短で肯定する言葉しか紡げなかった。
マジで神楽坂の攻撃力がこの頃高くなっている気がする。
「おっと」
視界の上半分が突如真っ暗になった。
額に巻いていた鉢巻がずれたのだ。
汗とか掻いていると結構緩んだりするよなー。
自分で直そうかと鉢巻に手をかけたそのとき。
「待ってください。私が直してあげます」
神楽坂がニコッと破顔した。
「いや、これくらい自分で巻きなおせるから」
「ダメです。走ってる最中、今みたいにずれたら困りますよ?」
「まあそうだけど」
「なら私に任せてください」
ふんす、と鼻を鳴らした神楽坂は正面から俺の後頭部に手を回して鉢巻を結ぶつもりらしい。
てかこの体勢はまずいって!身長差も相まってなんだか俺の首に両手を引っかけてキスしようとしてるみたいになってるから!
俺の背後に移動してから結ぶっていう発想に至らなかったのか!?
あと意味深に目を細めるのやめろって!キス待ち顔みたくなってるんだって!
「んっ……と。意外と結びづらいですね。梓くん、少しかがんでもらえますか?」
「わ、わかった」
もうなるようになれと、無鉄砲に腰を下げた。
それに伴い神楽坂がさらに俺との距離を詰めた。
――その結果。
ムニュッ。
神楽坂の胸が当たった、いや、押し付けられたと言った方が正しい感想かもしれない。
「うわっ!そ、そのすまんっ!!」
「はあぅ!?」
俺は不可侵の結界に触れてしまったかのように素早く離れようとするが――
「い、いけませんよ。離れてしまっては、鉢巻が上手く結べません……」
こんなことがあっていいのだろうか……。
今度こそ正真正銘、神楽坂の方から胸を押し付けるほど体を寄せてきたのだ。
密着している胸の感触は柔らかいよりも先に彼女の下着の存在を感知させられたあたり、生々しかった。制服よりも生地が薄い体操服だったからなおのことだろう。
鉢巻を結ぶのに一生懸命になりすぎて顔も近い。
まつ毛長いなとか汗で髪の毛が肌に張り付いている所があるとかがどうしても目に入るし。
第一、彼女の汗の匂いで脳がクラクラする。
どうして女の子の汗の匂いがこれほど甘美なのか永遠の謎だ。変態だと思われそうだから絶対口外しないけど。
「ふっ…………んっ……しょっ、と。これで結べましたよ」
「あ、あ、あがりとう……」
「噛みまくってますよ」
「……誰のせいだ誰の」
「さて?誰のせいでしょうか?」
クスクスと微笑んだ神楽坂を見て、「余裕すぎだろ」と俺は悪態をつく。
しかし、神楽坂の微笑は強がりだったらしく、頬を桜色に染めながらぽろっと言い訳を零した。
「私だって……ここまでするつもりはありませんでしたのに……」
「やめてくれ……可愛すぎるから……」
「はわぁっ!?も、もう!!鉢巻結べたんですから早くどっか行ってください!」
「ちょちょ。急に押すなって!」
神楽坂にグイグイと背中を押され、俺は一足先に入場門へ向かった。
自分にはもったいなすぎる、必勝祈願のお守りを貰ったかのような気分だった。
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