第50話 神楽坂と梓は沈黙する

「やっぱ図書室の雰囲気は落ち着くよな、梓」


「俺は普段はあんまりここに来ないから何とも……。まだ入ったばっかりだし」


「つれない返事だなー。そういうときは適当に相槌打っときゃいいの」


「風見がそれ言う?」


 放課後、俺たちは昼休みの際の約束通りに図書室に来ていた。右を見ても左を見ても所狭しに本が並んでいる。


 図書室の利用者は少ないとは聞いていたが、思っていたよりかは少なくないな。難しそうな分厚い本を読んでいる人もいれば、ノートを広げておそらく勉強をしている人もいる。


 確かにここは本のページをめくる音が聞こえるほど静かで、集中を要する作業をするにはうってつけだろう。


 目的は決まっているので、すいすいと足を進めた。


 1分もしないうちにお目当ての場所、ラノベコーナーに辿り着いた。


「おーホントにあった」


 俺は軽く感嘆して一通り眺めたのだが。


「やっぱりだいたい読んだことのあるやつばっかりだな」


 不安視していた通り、入荷されたのは俺がすでに読了済みのラノベしかなかった。


 まあS○Oとかと○るシリーズって結構巻数あるから意外と読んでない人もいるんだが、残念ながら俺は読んでいるんだよなー。


 とはいえせっかく見つけたんだし、気が向いたら読み返してみようかな。


「なあ風見――」


 そう風見に話を促そうと振り返るが。


「あれ、風見?」


 さっきまで一緒にいたと思われる風見はどこかへ消えていた。


 あいつ俺を誘っておいてどこに行きやがったんだ。


 でも風見は気が変わりやすいところがあるから、フラッと突然どこかに消えてもそれほど違和感はないな。あいつならやりかねないって感覚だ。


 俺はそのままその場に留まっていても仕方がなかったので、風見は諦めて図書室を後にしようと一歩踏み出したそのときだった。


 目線の先に、彼女がいた。


 踏み台に乗って一番上の段にある本を一生懸命背伸びをして取ろうとしている神楽坂が。


 あともう5センチほどで届きそうなのだが、彼女の指は何度も虚しく空を切る。


 プライドの高い神楽坂のことだ。どうせ俺が手を貸しても「余計なお世話です」とか言ってきそうだよな。てか絶対言ってくる。


 そう考え、俺は気にせず素通りしようとしたのだが。


「んっ!ふっ!」と幾度も聞こえてきたらどうしてもほっとけなくなった。


 俺はUターンして神楽坂の下へ向かった。


「ちょっと踏み台借りるぞ」


「あ、え、あなたは……」


 神楽坂の反応を待つことなく俺は踏み台に乗り、軽々とその本を取ってあげた。


 普段ラノベしか読まない俺からすれば、この本が小説なのか、はたまた別の何かなのか、表紙だけでは区別がつかなかった。


「ほら。これが欲しかったんだろ?」


 そう言って少し分厚い本を神楽坂に差し出す。


 それを彼女は黙って受け取ったかと思うと、次の瞬間こう言った。


「……余計なお世話です」


「ほんとに言いやがった」


「何か?」


「いーや。こっちの話だ気にするな」


「そうですか」とだけ言って彼女はお目当ての本と数秒の間睨めっこしていた。


 これで会話は終わったと思った。さっさと帰ろうとした矢先。


「ありがとう……ございます……」


「ん?」


「あ、いえ。助けていただいたのは事実ですしお礼を申し上げるのが筋かと思いまして」


「律儀だな、わざわざ言い直すなんて」


「失礼な人間にはなりたくありませんので」


「あ、そう……」


 なら、なぜ初っ端「余計なお世話です」なんて攻撃力高めな発言したんだ、と思わなくもなかったが、彼女は少々素直になれない部分があるのだろうという見解で一旦落ち着いた。


 数秒、会話に間が空いて俺はなんと言葉を交わせばいいかわからなかったので、とりあえず頭を雑に掻く。


 すると、神楽坂は俺の目を真っ直ぐ見て、ある提案をしてきた。


「あの……あなたに少し訊きたいことがあるのですが、少しお時間よろしいですか?」


「俺に訊きたいこと?別に構わんが……」


「ではこちらへ」と神楽坂が図書室で本を読んだり勉強したりするためのやや広めのテーブルに俺を誘導し、そこに互いが隣り合うように腰かけた。


 計8人が座れるそのテーブルに、今は俺と神楽坂だけがいる。


 窓際から柔らかな風がそよいで、神楽坂の方からふわりと甘い匂いが漂ったためか、緊張で俺の唇が乾く。


 固唾を呑み彼女の言葉を待った。


 静寂に包まれる空気の中。まるで数学の問題の答えを先生に訊くかのような気軽さで彼女は言葉を紡いだ。



「あなたは私のことが好きなのですか?」



 俺はその言葉の意味を正常にくみ取ることが出来ず、目や口を間抜けに開いたまま固まった。


 何か返事をしなくては。固まったままだと誤解されてしまう。


 急なエラーから再起動を成功したロボットみたいに動きを再開する俺。


「ち、ちげえよ。なんでそういう話になるんだよ!」


「図書室では静かにしてください」


「え、ああ。すまん……取り乱した」


 困惑を紛らわそうと、またも頭を掻くが、彼女のさっきの言葉が頭からこびりついて離れない。


 神楽坂はふうと短く息を吐き、その真意を説明した。


「よく告白されるんですよ。急に私に優しくする人はもれなく全員好意を抱いているんです。なので、あなたも体育祭のときといい先ほどの本の件といい、例に漏れない方かと……」


「俺があんたを助けたのは好かれたいからとかじゃなくて、単にほっとけないんだよ。なんかこう……最初は見て見ぬふりしようって頭をよぎるんだが、気づけば体が動いているというかなんというか……」


「面倒くさそうな性格ですね」


「自分でも思うよ……」


 ため息交じりに言葉を吐き出す俺。


 同じく嘆息しながら神楽坂も言葉を続ける。


「告白されるたびに断るのはかなり良心が痛むので。でしたら私にそのつもりがないと先に伝えようと……」


「だから俺にあんなこと訊いたのか……」


 先手を打っても打たなくてもどのみち相手の好意を拒絶しているのに変わりないが、わざわざ告白してきてくれたというアクションがなくなるだけでも、彼女の心の負担が少しは軽くなるのだろう。


 告白されるのは誰だって心を揺さぶられるものだもんな。


 俺は何となく彼女の方を見るのが気まずかったので、虚空を見つめることにした。


 すると、彼女はまだ言葉を連ねた。


「それに、嘘みたいな話ですがラブレターも結構来るんですよ」


「え?このご時世で!?」


 突拍子もないセリフで驚いた俺は不覚にも神楽坂の方へ顔を向けた。


 彼女は不満というか呆れを思わせるような表情をしていた。


「ええ、それはもう。普通の告白を文章にしたものもあれば、詩の形式を成しているものもあっていつも返事に悩まされます……」


「詩って……。ていうか返事ってそんな凝る必要ある?普通に『あなたとは付き合えません』とだけ言えばいいんじゃ?」


「それでは不誠実ではありませんか。相手方にとってはどういった形であれ嘘偽りのない本気の気持ちなんです。同じ熱量で返さないと気が済みません」


「ほんと律儀だなぁ」


「別にこれくらい普通です……」


 告白は嘘偽りのない本気の気持ち。


 それを理由に、真剣に行動に移せる彼女はシンプルに人として魅力的に映った。


 つんけんしているところはあるが、つくづく良い人なんだなと感じる。


「私にも異性に恋愛感情を抱く日が来るのでしょうか……」


 遠い目をしながら神楽坂は言った。


「来るんじゃねえの?知らんけど」


 言の葉に重さを加えることなくさらっと俺は返した。


「けれど」


 彼女は借りてきた本を開きながら、説明書を読み上げるかのごとく言った。



「あなたからのラブレターなら、他の男子よりかは告白が成功する確率は高いでしょうね……」



「は?……それってどういう……」


「勘違いしないでください。0%から0.1%に変動する程度のものですから」


「な、なんだそれ。ちょ、ちょっと期待しちゃったじゃねえか」


 心揺さぶられた俺は半ば強引に冗談っぽく演出するしかできなかった。


 真面目な神楽坂はそんな俺のリアクションを本音だと捉えたのか、ジト目で睨んできた。


「当たり前です。あなた、脳に花でも湧いているのですか?」


「急に毒強めだな」


「屋敷の庭に使っている、特注の除草剤を頭に撒いて差し上げましょうか?」


「この年で禿げるのは勘弁してくれ」


「では知り合いのお坊様に話を通しておきましょう」


「出家させようとするな」


「ふふっ」


「なんだよ……」


 急に笑い出した神楽坂は口元に華奢な手を当てた。


「変な人……」


 クスクスと目を細めた彼女に不覚にも可愛いという感想を心中で抱いてしまった。


「変って、それは俺のセリフだよ……」


 彼女は開いた本に目を通し始め、俺はカバンからノートや筆記用具を取り出し、明日の宿題をこなすことにした。


 宿題くらい家でやってもよかったんだが。


 特に理由は思いつかないが、もう少しここに居座りたいと思っただけなんだよな。


 それからしばらく二人の間には沈黙が続いたが、不思議と居心地の悪さを感じることはなかった。

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