7/18 「反重力力学少女と女装少年の詩-26」

 休日を惰眠に費やしていた草薙は、スマホへの着信によってその眠りを妨げられる。


「ぁん、だよ……」


 カーテンを閉じた暗い部屋で、草薙はスマホを手探りでつかみ取り顔にあてた。


「はいもしもし」

『ごめんナギ、今大丈夫かしら? というか、大丈夫じゃなくても聞いて』

「なんだロゼか……ふぁあ、普通の電話なんて初めてじゃないか?」


 寝そべったまま、草薙はなんとなくで話を聞く。


『それはどうでもいいわ。とりあえずあなたに聞いて欲しい知らせがあるの』

「んだよいったい……良いやつ? 悪いやつ?」

『……心して聞いてほしい』

「んじゃ、悪いやつか。まぁ言うだけ言ってくれ」


 あくび混じりでそう答えた草薙。

 しかしその心は、ロゼの言葉により一気に夢うつつから引っ張り上げられた。あまりの驚きにスマホを手から落とし、草薙は焦点の合わない目で天井を見上げる。


「ジェイが……死んだ……?」


 枕に落としたスマホから聞こえてくるロゼの言葉は、もう耳に入らない。

 それは草薙にとってあまりに急で、あまりにショックの大きいことだった。


  *  *  *


 それはロゼにとっても青天の霹靂だった。

 イロハ奪還について既に打った対策はないのかと鬼ヶ島に聞いたときに、一人の殺し屋に依頼して失敗に終わったと答えられたのが事を知るきっかけだった。腕の立つ殺し屋、稀代のスナイパー……そのような肩書きに不安を覚えて連絡を取ってみたら、全く反応がなかった。ロゼはジェイの仕事仲間にアメリカ政府の暗部を通じて確認し、ジェイが確かに少女――つまりイロハの奪還の仕事を請け負っていたことを突き止めた。さらにアジア某国の山深い廃工場付近で、ジェイの亡骸が見つかったことも知らされた。

 ロゼにとってジェイは、草薙と同様に、仕事と関係無く友人として接することのできる数少ない地球人だった。たしかにジェイは殺し屋であり、職業柄こういうことは考えられた。それでもロゼにとって――そして草薙にとって、共に高め合ってきた大切な仲間を失って傷付かないでいろというのは無理な話だった。


「……それは、仕事でヘマしてって話か」


 長い間隙を挟んで、草薙が必死に絞り出せた言葉がそれだった。


『信じがたいけど、そうみたいね』

「んだよ、『俺はゲームでしか負けねぇ』って言ってたくせに……」


 まだ受け入れ切れていない結果、草薙の声はかえって落ちついている。


『それでナギ、今回のジェイの死が絡む大きな渦には私も関わっているわ。いや、オクトパ人でも殺し屋でなくとも、地球に生きる者なら全員が関係者だわ……』

「どういうことだよ」


 どうせ三日後には全世界が知ること。そう思って、ロゼは草薙に世界に迫る危機について説明した。最初は疑って聞いていた草薙も、ドッペルゲンガーの話を出すと一気に態度を変えた。


「もしかして、あれがそういうことか……!」

『ともかく、三日後にこの世界の存亡を賭けた戦いが始まるわ。ナギもできる限りのことで、自分達の身を守るための行動をしてちょうだい』

「お前らはどうするんだよ」

『もちろん戦うわ。この世界を守りたい気持ちは、地球人と一緒ですもの』

「――なら、アタシにできることはないか」

『ナギならそう言うと思ったわ。けれど、今回ばかりは自分の安全だけ気に掛けてちょうだい。重々知ってるだろうけど、ゲームじゃない世界でやり直しはきかないの』

「それは、確かにそうだけど」

『そーゆーことなの。分かったらジェイの分まで必死に生きてちょうだい』


 終始いつものちゃらけた口調でないまま、ロゼとの会話が終わる。草薙はゆっくりとベッドから起き上がり、カーテンを開く。すでに高く登った太陽が、燦々と差し込む。

 ガタン、と大きな音がした。

 驚いた草薙がその方向に目を向けると、陽光の照らす床に机から落ちたらしい双眼鏡があった。それは前回ショタを漁りに行った時にジェイから貸してもらい、返し損ねていた品だった。

 ベッドから抜け出し、草薙はそれを手に取る。その時になってやっと、心に「ジェイが死んだ」という言葉が染みこんできた。

 草薙の頬を涙が伝う。

 それでも、草薙が悔やむことはなかった。


「ロゼの言う通りだ。あの変態のぶんまで生きてやらないと――アタシ達の関係に、上半身の涙は必要ねぇ」


 そして自分にできることを一つでも多くこなすべく、草薙は涙を拭って部屋から飛び出した。

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