第171話


 ホールに残ったフュンフは、杖で床を突きながら視線の先の二人に声を掛けた。


「エイラス、ミシェサー。残念だよ、優秀なお前達をこのような所で失うことになろうとは」


 その二人こそ、『花』と『月』の現副隊長だ。二人は和やかな話し合いに付き合う気も無いようで、その手に武器を持っていた。

 エイラスと呼ばれた者の手には宝石の埋め込まれた槍。

 ミシェサーと呼ばれた者の手には巨石を思わせる鉄球の付いた鎖。腰に下げてある鞘からは刀身の姿が消えているので、オルキデの背中に刺さっていたものはこの二人の物かもしれない。


「隊長、僕も残念です。貴方ともあろう方が、あのような者の甘言に惑わされて反乱軍に回るなんて。冷徹で思慮深き貴方にあるまじき事です、どうか思い直していただけませんか」

「うふふふ、エイラス。もう無駄だわ、ソルビット様も行ってしまった。せめてこの場で、苦しくないよう殺めてあげましょう?」


 ―――毒婦の声がする。

 フュンフは顔を顰めた。エイラス・エラファウスはフュンフの知っている限り、融通の利かない神官騎士だ。皺ひとつない神父服を纏い、赤茶けた短髪を持つ、自分が決めた副隊長。仕事ぶりにそつは無かった。それで良かった。

 しかしその隣で場に似合わぬ笑い方をする女を、フュンフはアルギン以上に嫌っていた。

 『花』副隊長、ミシェサー・ミシャミック。目に痛い程の鮮やかな桃色をした肩で切り揃えた髪、人を惑わす金色の垂れ目。笑う口元は下品に歪んでいた。

 ……毒婦、という言葉が相応しい。美しい、というよりも可憐と言った方が似合うその顔だ。これまで行っていたことの凶悪さは計り知れないが。

 これまでソルビットが手を広げていた『外交』の相手を、ソルビットの顔の傷を理由に根こそぎ奪った。それどころか城内外の男なら誰でもいいとばかりに爛れた生活をしている。それを、王家は黙認していた。


「私を殺せるとでも思っているのか? ……お前達のような、腑抜けと阿婆擦れがか」


 憮然としたのはどちらともだ。


「売国の徒に首輪をつけられた男と、男達に股を開くしかない尻軽が、私を殺せるのかと聞いている。私直々の葬儀は安くないぞ、その代金は何処に請求すればいい? 今なら野晒しが破格だが……お前たちの命と引き換えだ」

「隊長、決してお若くない貴方が僕たちに勝てるとお思いですか」

「咥え込まれてくれなかったフュンフ様なんてこっちから願い下げですぅ! べーだ!!」


 そのやり取りの間に、オルキデの咳交じりの吐息が聞こえた。


「……そろそろ……すすめても、いいか……?」


 アルギンと話をしている間は気丈に振舞っていた彼女も、もうあの瞳が見ていないと分かってか声が弱々しい。「これは失敬」とフュンフが口に謝罪を上らせ、オルキデの隣に並ぶ。


「簡単に死なれては困りますな、オルキデ様。同じ泥船に乗った誼で、貴女の葬儀は特別価格で執り行わせていただきますが」

「……そうぎ、など。いらん。ただ、……あのひとの、そばで……ねむれるなら、それで」

「そう、ですか」


 フュンフはそれ以上を聞かなかった。聞いては野暮になる。

 杖の飾りがぶつかり合って音を立てる。


「詠唱を。時間を稼いで頂けますかな」

「承知」


 密やかな二人の声が、開戦を告げる。




「王女様!?」


 城の中を駆け抜ける七人の中で、一番最初に足を止めたのは王女であるアールリトだった。スカイがその人を呼ぶが、王女は肩を揺らして息をしているだけ。アルギンが舌打ちして、その場で足を止める。


「……りに、もどらなくちゃ」

「リト様、もうオルキデの事は忘れてください! 今は」

「取りに戻らなきゃいけないの!! 私の部屋まで、尖塔、まで、誰か付いてきていただけますか!?」


 その願いに、全員が足を止めた。そして王女を振り返る。

 アルギンの中で試算が始まる。今二手に分かれるのは危険だった。それでなくても、どこで何が待ち構えているのか全く分からない。城の中はアルギンの知っている作りそのままだったけれど、配置まではアルギンの知り及ぶところではないからだ。けれど、王女の言葉は今ぽっと出の提案でもなさそうで。


「リト様、どうして」

「……私の『種』を、取りに行きたいんです。叔母様が命を賭したというのに、同族と戦うと決めた私が何もしない訳に行きませんから……!」


 その瞳には涙が浮かんでいる。アルギンが言葉を選びあぐねていると、カリオンが王女の元へ寄った。アルギンからは視線を逸らしているが、その意志は固いようだ。忠義の行く先を見失いかけていた彼だが、それでも心に残ったただ一人に捧げる気持ちもあるのだろう。

 アルギンが再びの溜息。それから頭を掻いて。


「ソルビット」

「はい」

「付いて行ってやれ。道を切り開くものと、王女を守るもの。二人は必要だろう」

「だ、だけどあたしは、アルギンを守ると」

「お前さん、まだ騎士だろう。忠誠を優先しろ、アタシ達の王女の願いだ」


 ソルビットは不満そうにしていたが、その指示は心に重くのしかかる。誰よりも守りたいと思った人の、何よりも重い命令。ソルビットは畏まったように頭を下げて、王女の元へ歩み寄る。カリオンとソルビットが、同時に王女に膝をついた。

 その三人に仰々しく淑女の礼を取ったアルギンが、他の面々を引き連れて廊下の先を進む。一度だけでも名残惜しそうに振り返ったのはスカイだけだ。


「行かせて、良かったんですか」


 そう問いかけてくるスカイの声はアルギンの耳に届いた。


「あの二人がいるなら、そこらの騎士じゃ勝てねぇよ。……それに、女の決意が無にされるのは、アタシは嫌だから。最悪、アタシらがやられてもあいつらは『王女の身を守ってた』ってことで咎めが軽くなればいい」

「アルギン、貴女それを考えて……」

「さぁてな? ほら行くぞ、お前さんたちにはアイツらの代わりにバンバン働いて貰わなきゃなんねぇんだから」


 残ったのは、アルギンとミュゼ、アクエリア、スカイ。結局城に向かう前とほぼ同じ面子だ。増えて、増えて、それから減って、減った。戦力に不安がない訳では無い。アルギンは動き出す前に、アクエリアに向かって腰に下げている剣を引き抜き、柄を突き付ける。


「……何ですか」

「さっきフュンフにやってた奴、これにも頼めねぇ? あの人も、宝石に魔力入れてたみたいだったんだ。それがアタシにも出来ればって思ってさ」

「はー……。本当にどいつもこいつも。俺は貯金箱でもなんでもないですよ……っと」


 その柄に手を触れたアクエリア。フュンフの時とはまた違う短い詠唱が聞こえた。瞬間、形見の剣の宝石が輝きを増した。おお、とアルギンの声が漏れる。この輝きは、いつも彼の腰に下げられていた時の艶やかさそのままだ。

 その剣を両手で大事に鞘に仕舞い込み、柄を撫でる。最愛の人との記憶が、またひとつ戻ってきたような気がしていた。


「ありがとう、アクエリア」

「……いえ」


 その顔が、女の表情をしていた。『花』と呼ばれた隊に属した、美しいハーフエルフの顔だ。

 ミュゼはどんどんその顔が曇っていく。女としての面は、このマスターの弱くて柔らかい部分だ。弱いものは、そんなに急に強くはなれない。そして、その弱点が齎す未来を、ミュゼは『知っている』。

 道の先を見る。この先の地図はアルギンの頭の中にしか入っていないから、動けない。


「アルギン、そろそろ」

「ああ」


 ミュゼが急かす形になって、アルギンが歩を進める。その足は先程のような走りではなく、早歩きだ。その手からは剣の柄が離れない。

 スカイの顔からは不安の色が取れない。けれどそれでも明るく振舞おうとする。笑顔でアクエリアの隣に居る。

 四人は通路を渡り、階段を上がる。しかしその階段を上った先で、アルギンの悲鳴交じりの声が漏れた。


「なっ……んだ、これ………!?」


 上階が見えるようになって、階段を駆け上がるアルギン。その眼前に広がっていた世界は緑色をしていた。

 壁も天井も、床さえも緑色だった。まるで森林。蔦と葉が茂り、冬だというのに緑で包まれている。記憶にある道が無い。まるで誘導でもされているかのように、道が塞がれている。階段を上り切った所に最初の左右の別れ道があった筈なのに、左の道が植物で閉ざされていた。

 葉に恐々触れてみた。これはいつぞやの二番街や三番街で見たような吸血植物では無いようで、触れても揺れるだけで何の反応もしない。

 後から追い付いてきたアクエリアも、その異様さには気付いたようで。


「燃やしますか」


 そう言いながら、右の手から炎を一瞬で出す。


「やめろ、下手したらアタシ達まで巻き込まれて焼肉だ」

「そうですか」


 その炎は一瞬で掻き消える。煙草への着火剤にするにはあまりに強すぎる炎だ。無理矢理道を作るのは出来ない訳じゃない。けれど、それで損失する体力に見合う結果に行きつけるかどうかは疑問しか残らない。

 誘ってる。

 それに気づいた時、アルギンの選択肢は一つしかなくなって。


「いいじゃねぇか、……乗ってやろうぜ。殿下のお誘いを受けられるなんて、どっちが勝つにしろもう最期の名誉だからなぁ?」


 閉ざされた道を、脳内の地図に書き加えていく。蔦や葉で覆われた歩きづらい廊下は、それぞれが気を張りながら歩いた。この蔦が何なのかは、ジャスミンかユイルアルトを連れてきたら分かるのだろうか。

 道はまた一方が塞がれている。そうしてアルギンが感じた予感を、確信に変える。……謁見の間に通じる廊下が、悉く閉じられているのだ。

 運良く、兵や騎士と擦れ違う事は無かった。もう既に、女王側の者は城下に出てしまっているのだろうか。それならそれで良かったけれど。


「……ん?」


 そうして進む道の途中、塞がれていない分かれ道を見つけた。片方は行き止まりになっているが、その先にはひとつだけ部屋があった筈だ。普段使われない客室。

 その部屋の周りだけ、植物が白く色を変えていた。その違和に、アルギンが足を止める。


「スカイ」


 違和感を拭い去れないアルギンが、スカイの名を呼んで。


「お前は、アクエリアとここにいろ」


 それだけ伝えると、ミュゼを連れてその部屋に向かった。



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