第170話


 静寂が轟音に変わる。


 先陣を切ったのはミュゼだ。相手はそれなりの手練れだというのに、自慢の槍捌きで片っ端から薙ぎ倒していく。足を絡め取り、武器を弾き、足技も組手も駆使しながらの先鋒。その動きは型よりも実戦で鍛えられたように思う。その細い体のどこに、と言わしめるまでの戦闘力は若い頃のアルギンを見ているよう。

 その後ろで、アクエリアとフュンフが兵達を片付けていく。アクエリアは雷を、フュンフは光球を操り飛ばし、各個撃破を狙っていた。全体的に吹き飛ばしても良かったのだが、それではミュゼも巻き込まれてしまう。それに、広範囲魔法は精神力と魔力の消費が激しい。

 今はソルビットとカリオンがプロフェス・ヒュムネ二人の身を守っている。とはいえ後方になるその場所まで来れる者はいなかったが、ミュゼの体力が尽きれば交代する手筈になっている。アルギンは文字通りの血道を空けられた上を、悠然と歩いていた。

 服をまさぐり、木箱を出す。その中の煙草を、歩きながら火を点け吸った。


「殺してやるなよ、無力化だけでいい。後々面倒だからな」


 無慈悲を気取った言葉も、もう慣れてしまった。

 けれどこの場にいる者達は皆知っている。それは、アルギンの強がりなのだと。本当はお人好しで、一途で、馬鹿で、それを。

 それを、その女を、これまで良いように使ってきたのはこの城に居る者達だ。

 アルギンは歩き続ける。その背中側から光球が飛んできた。それはアルギンに当たることも無く、その前方にある扉に向かって叩きつけられる。

 一撃。

 二撃。

 そうして破壊された扉に、最初にミュゼが入っていった。アルギンはそれに続いて、走りこむように残りの面々が追って来た。

 扉の先はホールだった。そこから廊下と階段で行く先が枝分かれしている。そのまま正面に突っ切った先が謁見の間や王家居住区への近道だったのだが。


「お待ちしていました」


 落ち着いた女性の声が聞こえる。

 アルギンがその声の聞き覚えに目を閉じて紫煙を吸い込んだ。苛立ちと失望を感じ取られない為に。

 視線の先、正面には女がいた。春の若芽のような明るい緑色のドレスを纏っている。結っていない髪は真っ直ぐ伸びていて、その立ち姿は王族と言っても差し支えない程に美しく、可憐で。

 その背後には騎士が控えている。全員が全員列を成して鎧を纏い、武器を持つ者達だ。


「マスター・アルギン。……お久し振りです」


 オルキデ。

 少し前まで、アルギンの側で働いていてくれたプロフェス・ヒュムネ。

 王妃殿下の妹にして、―――アルギンの育ての親、エイスを殺した者。

 憎悪が蘇るのが分かる。紫煙を吸い込む息が震える。そうして吐き出した紫煙には、心からの失望が混ざっている。

 オルキデは体の前で手を組んでいた。上に乗せられた右手が震えているようにも見える。アルギンがそれに視線を向けると、彼女は手を強く握って震えを押し殺した。


「随分な……無作法をやってくれたじゃないか」


 彼女に向けるアルギンの視線が、冷たい。それを分かっているのかいないのか、オルキデは瞳を逸らさなかった。

 まるで人が変わったようなマゼンタとは違い、オルキデはアルギンの知っている姿のまま、のようにも思う。しかしその姿に最早愛着などは無い。

 アルギンがその場に煙草を投げ捨てる。絨毯が焦げる臭いがした。


「……無作法を承知で、離れました。怒っていますか」

「怒る? なんでだ。アタシはお前さんたちの姉でも妹でも、主人でもない。アタシにとってお前さんは、愛を語る恋人でも、アタシが首の帰りを待ちわびているあの人でもない」

「主人、でした。いえ、主人、です。今でも」

「それ、本気で言ってるならブチ殺すぞ」


 苛立ちを込めて、アルギンが吸殻を踏み潰す。その後ろでも、アクエリアが冷たい瞳をしている。


「アタシが主人なら、兄さんだって主人だった筈だ。主人の命を奪った狂犬は殺処分って相場が決まってんだろ」

「あれは、っ……!」

「もー、いい。話してると吐き気する。今すぐ黙るか死ぬかしてくれよ」


 それを聞いたオルキデが言葉を詰まらせた。しかしその表情は、酒場でいつも見ていたような凛とした顔で。

 一歩。二歩。オルキデがアルギンに近寄ってくる。そして―――アルギンの目の前で、両膝をついた。


「え、」


 頭を垂れるオルキデ。理解できないアルギン。

 そしてしばらくの沈黙が流れた後に口を開くのは、オルキデだった。


「この命で宜しければ、お召しください」

「な、んで」

「本当はもっと早くにこうするべきでした。けれど、私がいなくなった後、妹が何をするか分かりませんでした。あの方を殺したこと、本意ではなかったと言っても信じて貰えないでしょう。でしたら、私に出来る最大の償いはこの命を捧げる事だけ」

「本意、じゃ、なかった?」

「さあ、どうぞ」


 まるでケーキに乗っている苺のようだ。どうぞ、と言われて遠慮なく、と言葉を返せるようなものではない。

 償い、と言ったか。傲慢な筈のプロフェス・ヒュムネが。いや、それよりも。


「ちょっと待てよ。何でだ。お前さんたちは、兄さんを何で殺したんだ」

「……さあ、どうぞ」

「聞かせろよ!!」

「早くっ!!」


 二人の絶叫は響く。響いて、溶ける。

 怒りにアルギンが、形見の剣とは別の短剣を引き抜いた。それを勢い良く、オルキデの肩に突き刺す。


「っ、ぐ、………っ!!!」

「言えよ。言えないのか。じゃあ言いたくなるまで切り刻んでやろうか!! 手からがいいか! 足からがいいか!?」


 突き刺さった短剣の傷口からは、血は出ない。それがプロフェス・ヒュムネなのだ。

 血の代わりに透明な液体が出て、それはオルキデのドレスを濡らしていく。顔は苦痛に歪み、額に汗が浮かんで、同じ姿勢でいられなくなって床に手を付く。その身の危機なのに、アルギンに手を出そうとはしない。それはオルキデの背後に整列する騎士も同様だ。


「ころして、ください」

「アタシが尋問で殺すことってあった? アタシが殺してくれって請われてその通りにしたことがあった? アタシの無慈悲の慈悲を、お前さんは近くで見てたんじゃなかったのか!?」

「ころし、て、ください」

「まだ殺さねぇよ!!」

「ころし、て、く、だ、さい」

「殺さねぇよ馬鹿!!」

「ころ、し、て」


 アルギンがオルキデの髪を掴んだ。どんどん沈み行くその顔を引っ張り上げて、咆哮する。


「殺さねぇって言ってんだろこの大馬鹿野郎!!!」

「―――こ、ろ、し」

「言えって言ってるだろ!! なんで兄さんを殺したんだよ!! どうしてだっ!!!」


 美しいプロフェス・ヒュムネの女が、顔を苦痛に歪ませながら途切れ途切れに懇願する。

 その懇願を、アルギンは聞き届けない。

 短剣の柄を握り、それを更に深くに押し込む。瞬間、オルキデの体が痛みに跳ねた。


「っぎ、あああああああああああああああああああああああっ!!!」

「痛いか。痛いだろうな。そうだろうな。でも多分、兄さんの方がもっと痛かったろうな。死んだほどだもんな」

「っあ、あ……、あ、ぐ、あっ」

「死ぬ程の痛みなんてアタシ死んだ事ないから分からないけど。でも、どのくらいまでだったら死なないってのは多分、分かるから。分かるだろ、お前さんだって。なぁ」


 アルギンの背後に居る面々は、それぞれ違う顔をしている。

 スカイは顔を青くし、アールリト王女もまた体を震わせて。ミュゼは二人を痛ましい顔で見ているが、アクエリアとソルビットはオルキデに紙屑でも見ているような視線を送っている。カリオンとフュンフは、アルギンのこの様子に目を逸らして。

 

「アタシらの周りには、いつでも物言わぬ死体が積まれてる。お前さんも、黙ったままその仲間入りしたいってのか。愛情も憎悪も、言わないと分からない。アタシは、最後の最後になってやっと重い口を開いた人を知ってる」

「………ある、ぎ、ん、」

「アタシの周りの馬鹿者共は、いっつもアタシに大事な話を聞かせない。なぁ、本意じゃなかったって何だよ。だったら、お前さんたちの本意って何だったんだ。アタシは何に振り回されてるんだ。こんなアタシを振り回して、お前さんは楽しかったか」

「そん、な。そんなことは」


 髪を引かれて顔を隠せないオルキデの瞳に、涙が浮かんでいる。それは痛みによるものだろうか。その涙は流れることなく、瞳を揺らがせていた。


「…………おゆるし、ください」


 その懇願の意図を掴めず、アルギンが舌打ちをした。その背後で一歩、踏み出したものがいる。


「アルギン、もういいっす。望むんなら殺してあげましょ。なんなら、あたしが」


 その声はソルビットのものだった。しかしその歩みは、アクエリアの手によって阻まれる。肩を掴んで離さない。


「止めてください。兄の仇はアルギンにしか取らせません。邪魔立てはしないでくださいよ」

「アクエリアさん、時間は待ってくれないっす。……そっちこそ邪魔するな」


 剣呑とした二人のやり取りは、形は違えどエイスという人物を二人とも知っていたから。その人物の死が、アルギンにとってどんな傷を齎したかも知っている。知っていて、ソルビットは汚れ役を買って出た。そんな二人の声を聞きながら、アルギンが首を横に振る。


「……アタシは、ただ知りたいだけだ。それだけなんだ」


 聞いたって、知ったって。

 もう兄も―――愛する人も戻ってこないけど。

 それでも救われる心は、存在している筈。だから、アルギンは聞かずにはいられない。

 暫くの無言。それから、オルキデの口が開かれた。


「………あのしにかたは、あのひとが、のぞんだ、すがたでした」

「望ん、だ……?」

「いうな、と、やくそくされました。おゆるしください、えいす。わたしはあなたとの、やくそくを、やぶります」


 アルギンの心臓が跳ねた、気がした。そこに兄の名が出てくるとは思っていなかったからだ。

 約束、なんて、そんな重い言葉と共に。

 オルキデの息が荒い。そうさせたのはアルギンだが、その音にさえ苛立ちを覚えるくらいには静かな空間だった。次に口から出てくる言葉を、今か今かと待つ。


「えいす、の、……っ!!?」


 次の瞬間だった。それは突然で、アルギンも状況把握に失敗する。

 突然、オルキデの胸から槍の穂先が生えた。長剣の剣先も生えた。それは背中からオルキデを突き破っており、オルキデがその場でアルギンに向かって水を吐いた。その水は無色透明で、アルギンの頬と胸元を濡らす。

 こぷり、水泡の音が聞こえる。オルキデの瞳が虚ろになっていく。


「うふふふふっ、オルキデ様ぁ。時間の無駄は誅罰に値しますよー?」


 聞こえたその声に顔を顰めたのはソルビット。


「オルキデ様、これは充分な背信行為です。元より、殿下は貴女の事を信頼してはいらっしゃらなかったようですが……」


 次に聞こえた声に溜息を漏らすのはフュンフ。

 アルギンの胸に倒れこむようにオルキデが来る。その体を抱き留めて。

 オルキデの背に控えていた騎士たちをかき分けて二人のヒューマンの姿が現れる。それを見た兄妹が武器を構え、その二人を睨みつけていた。


「……しょけい、………は、………きまって、いました」

「オルキデ、じっとしてろ。後から聞く」

「……ギルドの問題に、貴女を、巻き込まないことを条件に、……エイスは処刑を受け入れました。ギルドを秘密裏に解体しようとしたことを、王と王妃は許さなかった。公開処刑でなかったのは、王の恩情」


 アルギンの体を支え代わりに、ふらつく体でオルキデが立ち上がる。口許を自分で拭いて、まだ体に刃の残る状態でアルギンに背を向ける。その手は髪の中に差し入れられ、出てきた時にはほんの小さな緑色の粒があった。


「あの死に様は、貴女の為です。マスター・アルギン」

「アタシの、?」

「貴女がまだ騎士でいられるよう。王国に猜疑心を抱かぬよう。貴女が、……知らないでいられるよう。エイスは貴女を心から、家族として愛していました」


 オルキデの手の中の粒は、その口に運ばれていく。固いものを噛み砕く音が聞こえた。同時、その細い体が形を変えていく。マゼンタはまるで大樹のような姿になっていたが、オルキデのそれはまた違う。

 肩、刺さった武器を押しのけて背中、腹。そこから、花が咲いた。それは花の名に疎いアルギンでも知っている、ふくよかな花弁。アルギンの記憶との相違は、その花の色。

 蘭だ。オルキデのドレスと同じ色の蘭が、その華奢な体から咲いていた。


「マスター・アルギン、貴女が私を殺さないのでしたら、貴女の盾になることくらいは致します」

「オルキデ、お前」

「もはや後悔は、エイスとの約束を果たせなかった事だけです。……貴女に話すなと言った、と、きっと彼からあの世で怒られてしまいますね」


 綺麗、だと思った。拭いても払っても後から流れてくるオルキデの水は、他の種族にとっての血。それが尽きる時は、オルキデも死ぬだろう。


「行ってください!!!」


 その叫びに、アルギンが立ち上がる。騎士達が整列しているそちら側に行く気はしなかった。脇にある通路に向かって、最初にソルビットが駆け出した。それにつられてミュゼ、そしてスカイ、アールリト、アクエリア、その後ろでカリオンが走り出す。

 アルギンは緩慢な動作で立ち上がる。もうオルキデに顔を向ける事は無い。


「じゃあ、死んで来い」

「……承知しました、今までに全霊の感謝を。マスター・アルギン」

「要らない」


 そして、最後にアルギンが走り出す。

 その場に残ったのは、オルキデとフュンフだけだった。


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