第112話


 ミュゼが働く孤児院は、五番街の端にある貴族の私設孤児院だった所だ。だった、というのは、既に貴族は孤児院運営から手を引いており、保護人数に対して僅かな寄付金だけで今はなんとか遣り繰りしている。その孤児院は適正な定員を上回る程の孤児を引き取っており、常勤と非常勤のシスターの手も足りていない。現在ミュゼは孤児院住み込みでない非常勤のシスターとして、酒場を住処に通勤している。

 そんな孤児院は、遠くからでも解るほどに子供達の活気に溢れた声が響いていた。


「……子供達は元気だな」


 小さく漏らしたアルギンに、ミュゼは反応する。


「そーだぜ、元気だぜ。だからしけた顔見せるなよ。子供は敏感だから、そういったのに反応する子はすぐ不安定になっちまう」

「そう、だな。……出来るかな」

「出来るか、じゃなくて。やるんだよ」


 ミュゼが肘でアルギンの脇腹を小突く。両手には例の荷物を持っているのでそれが精一杯のツッコミだ。アルギンが小声で呻くが、それも聞こえない振りでスタスタ歩いて孤児院に向かう。ついていくアルギンは若干の気遅れがあった。アルギンとしても偽シスターとしての所作くらい出来る。しかし今、アルギンは素のままだ。素のままで、そして弱っている。ミュゼの先導で敷地内に入ると、外で遊んでいた子供達が一斉にミュゼの所まで走って来た。


「しすたー!」

「シスター!! お帰りなさい!!」


 孤児の中でも年齢や種族が様々な子供達。一歳と思しき幼児はミュゼの所まで走り切れず途中で転んで泣き出してしまった。

 ミュゼはそんな子供達を優しく迎え、それから転んでしまった幼児の前まで歩いていく。


「転んでしまいましたね、大丈夫ですか?」


 声に慈しみを感じさせるその様子は、いつものミュゼではなかった。開店していない酒場のフロアで煙草をふかしながらジョッキでアルコールを飲みつつギルドメンバーとカードゲームに興じるあのやさぐれミュゼはいない。慈愛に満ちた優しいシスター、ミュゼ。その変わりように、自分を棚に上げてただただ驚いた。


「おばちゃん誰?」


 そして子供達は次に棒立ちになっているアルギンを見る。七歳程度の何に包むことも無い直球の言葉にも、アルギンは特に怯んだ様子もなく答える。


「……アタシは、……シスター・ミュゼの知り合いだよ」

「シスターの?」

「おともだちなの?」

「どこからきたの?」

「ねー、あそぼー!!」

「あそんでー!」


 次から次に来る子供達からの質問や要求にアルギンがたじろぐ。これまでまともに関りがあったのは十番街の孤児院ばかりだ。弱っているアルギンとしてはその要求全てに答えるのも難しくて。


「ああ、ちょっと……ちょっと待って。アタシは、シスターの友達って訳じゃ」

「お友達ですよ」


 アルギンの言葉に、少し離れたミュゼが遮るように被せる。ミュゼは相変わらずの孤児たちに向けた笑顔だ。


「それで、今日は少しそのおばちゃんとお話があるのです。皆、まだ外で遊んでいてね。他のシスターは?」

「あっちにいるよ」

「そうですか。では、皆。あっちに行きますよ」


 一歳を抱っこしたままミュゼが進む。その後ろを子供達がぞろぞろと付いて歩き、見守りのシスターもいる遊び場に近い所でその一歳児を下ろすとその子をまた別の子が手を引いていく。子供達の注意がミュゼから離れた頃合いを見て、アルギンが肘でミュゼを小突いた。


「痛ぇ」

「誰がおばちゃんだコラ」

「何だよ事実だろ心狭いぞ。なにか、おばあちゃんって呼ばれた方がいいのか」

「シメるぞ」

「はいはい、中入りますよおばあちゃん。足元に気を付けてくださいねぇ」


 再びミュゼが先導する。施設内に入ったアルギンは、取り敢えずミュゼの後ろ膝に蹴りを入れる事にした。バランスを崩したミュゼだったが転倒は回避したようで、持っていた荷物が落ちる事も免れた。


「痛ってぇな! 何すんだよ!!」

「誰がおばあちゃんだ! まだ娘も結婚しとらんわ!!」

「あーそーですかおばあちゃん! だからって人に蹴り入れるかぁ!?」


 入り口でわーわー言い合う声を聞きつけたようで、シスターが二人小走りで走ってくる。そして、アルギンとミュゼとシスター達はその場で固まってしまった。


「……シスター・ミュゼ、それと……マスターさん……?」

「……フェヌグリーク」


 シスターの一人は、かつて酒場にも訳あって来た事がある、アルカネットの妹分であるフェヌグリーク。

 そしてもう一人は、アルギンは最近見た。


「……ラドンナ」


 茶色の波打つ髪、女性にしては高い身長。変わる事ない無表情の瞳は闇を思わせる黒。暁の人形のうちの一体。

 ラドンナは軽くシスター服のスカート部分を摘まんで、アルギンに一礼。


「当孤児院へ、ようこそいらっしゃいました」

「………。」

「アルギン様、応接室へご案内いたします。どうぞこちらへ」


 まるで感情の無い人形が案内を買って出た。その案内を受ける前に、アルギンがミュゼに向き直る。


「……ミュゼ、ラドンナの事知ってたのか」

「まぁ、な……」


 アルギンは、暁の人形がシスター服を着ていたのは知っていた。だからと、その人形達が普段何をしているかは知らなかった。まさか本当にシスターの真似事をしているなんて思っていなかった。


「私がこの孤児院に拾われた時、川の側で倒れていた私をここまで連れて来たのがシスター・ラドンナだった」

「………。」

「感情がない女だな、って思ってたけど。……酒場に行くようになって、暁の人形だって知ったよ」


 ミュゼは知っていた。しかし、アルギンが知らない事を知らなかった。アルギンは黙ったままミュゼの顔を見る。嘘を言っている顔ではないと解ったのか、軽く頷いた後にラドンナの後をついて歩く。その後ろを歩くミュゼに、フェヌグリークが戸惑った表情を向けた。


「マスターさん、どうしたんですか?」

「ん? いやなに、元気なかったから連れ出して来た……、ん、です」


 フェヌグリークもミュゼの素の顔は知っているが、そのミュゼはフェヌグリークに巣を見せる事を躊躇って遅まきながらシスターとしての口調に戻す。そんなミュゼの様子に、フェヌグリークが破顔した。


「大丈夫ですよ、シスター・ミュゼ。私は知ってるし、黙ってますから」

「……助かる。ありがと」


 二人も応接室に向かって歩き出す。ミュゼの手元の荷物はそのままだ。

 応接室に入ると、既にラドンナがお茶の用意を始めていた。あまり余裕のないこの孤児院でも来客セットはあるらしい。熱い湯をポットに注いで、それからテーブルまで運ぶ。既にアルギンはソファにどっかりと座っていた。

 フェヌグリークはまだ仕事中だったらしく、他の三人の様子を窺ってから別の部屋に引っ込んでいった。ミュゼはアルギンの向かいに座り、ラドンナはその隣に座った。


「……ラドンナ」


 アルギンが声を掛けたのは、ラドンナにだった。


「はい」


 無機質な声が、アルギンの呼ぶ声に答える。


「お前さんも、パーティーとやらに行くのか」

「………。」


 やや時間を置いてから、ラドンナが瞳を瞬かせる。


「私共は、マスターの人形であるが故に。マスターが行く、と仰られたので、御側に仕えるのみです」

「……つまりは出席するってんだろ? 回りくどいな。そんならなんで今そのマスターの側離れてシスターしてんだよ」

「私は騎士隊『月』の孤児院視察業務を遂行するための専用人形として作成されました。マスターが宮廷人形師に就任され『月』を離れ、私も役目が無くなりました。なので空いている時間を孤児院で働くことを許されました」

「……あー、はいはい、何となく解った」


 孤児院専用の人形だと語るラドンナの表情は、語る間も変わらない。顔立ちは暁の趣味か綺麗に造形されているが、それが一切変わらないとなると薄気味悪ささえ感じさせられる。ミュゼは慣れたものだが、アルギンにしては嫌な顔を隠せずにいて。

 ラドンナが紅茶を人数分淹れていく。用意されたカップは四つ、それら全てに茶を注ぎ、空席となっているアルギンの隣にも紅茶が置かれた。


「……これ、何?」


 その不思議な光景に耐えられなくなったアルギンがラドンナに聞いた。すると再びの間が開く。


「…………。シスター・フェヌグリークの分です」

「フェヌグリーク、今居ないぞ」

「………………。」


 ラドンナの動きが止まる。それから、首から上がゆっくりと周囲を見渡した。その動きには流石のミュゼでも目を丸くしている。


「……あー、もう、いい。解った。解ったから。ラドンナ、お前さんも仕事があるんじゃないのか」

「仕事。……仕事。承知しました、仕事を再開します」


 動き自体は人間がするように滑らかではあるものの、意思疎通に難がある。他の仕事に向かうラドンナを見送った二人は、その姿が消えてから顔を見合わせた。


「アレで子供の相手とか大丈夫なの?」

「大丈夫、……だと思うんだけどなぁ。でも小さい子とかはあんまり近寄らないな。大人しい子とかからは人気あるんだぜ」

「そんなものか……。裏知ってると不安しかない」


 ラドンナが淹れてくれた紅茶に口を付けるアルギン。味は可もなく不可もなく。ミュゼもミュゼで自分の分の紅茶を飲んだ。


「でも、事務仕事は確かだから助かってんだよな。私が新入りの時も嫌な顔しないで教えてくれたし」

「嫌な顔、って……したくても出来なかっただけじゃないのか」

「それ後から思った。でも傷つくからそういう事言うの止めてくれねぇ?」


 お茶を飲み始めた事で、アルギンの表情が少しずつ和らいでいく。そんなアルギンを見ながら、ミュゼもカップを傾けた。


「……そんで、パーティーとやらの話だけど。絶対出席しないといけないモンなの?」

「王妃からの直々の命令みたいだ。……行かなくていいならアタシも行きたくない」

「そんなところに私を連れて行こうとすんなよ。……でも、ま、行かなきゃいけないなら仕方ないだろ。諦めろ」

「諦めてるわい! ……でもさ、本当……誰か連れて行かなきゃアタシ……」

「………。」


 ミュゼの表情が曇る。あまりにいつもと様子が違うアルギンの姿に戸惑っているのはミュゼもらしい。アルギンとしては、この姿を見せたのがミュゼで良かったと内心で思い始めた。これが医者二人だったら余計な心配をかけたかもしれない。アルカネットなら、アルカネット自身が動揺していたかも知れない。アクエリアだったら―――まぁ、有無を言わさずパーティーに無理矢理連れて行く約束をしただろうが。

 アルギンにとってのミュゼは、今まで関わった者達と少し違う感情を抱いていた。初めて会うのにどこか懐かしく、何か縁のようなものを感じている。


「仕方ねぇなぁ、ウチのおばあちゃんはよ」

「……ミュゼ?」

「ドレスなんて持ってないから、既製品買って貰うぜ。化粧も髪もやってやるから、そのお代もきっちり払って貰うからな」

「ミュゼ!!」


 アルギンが喜びの声を上げる。おばあちゃん呼ばわりされてももう気にしていないそんなアルギンを、ミュゼがやれやれといった顔で見ていた。


「……。本当、どうしてこの女はよ………」


 ミュゼが小声で呟いた。小さな呟きは喜びで舞い上がっているアルギンの耳には届いていない。

 

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