第67話


 ―――アルギン。うん、良い名前だね


 ―――君に提案があるんだけど、どうかな?


 ―――私と、一緒に来てみないかい?




 兄の死体を側に、アルギンは同じ部屋で窓の外を眺めていた。

 日は沈み夜は更け朝になり、酒場の常連の一人が部屋に入ってきた。


「……嬢ちゃん、大丈夫か」


 前日、多くの人の手を借りた。

 アルギンの狂乱を聞きつけた者。

 酒場が開店しないことに疑問を持った者。

 そんな人達が客だった人達を呼び、酒場店内は営業していないのに人で溢れていた。

 酒場に住み込みで働いているオルキデとマゼンタは、そんな人達にお茶や軽食を振舞っている。

 店内にいる者全員が、エイスの死を悼んでいた。


 腹部に肉切り包丁で一突き。苦しんで死んだだろう割に、争った形跡も藻掻いた形跡も少ない。

 何かを盗られた形跡もなく、謎が多い死体だった。

 自殺の可能性もある、と自警団員が言ったが、その自警団員は次の瞬間アルギンに締め上げられていた。


 『兄さんが自殺なんかする訳ないだろう!! お前の頭にはパンでも詰まってるのか!?』


 そして、自警団長に言われた言葉に、アルギンが手を離す。


 『明日の食料にも困る下々のものの頭にパンが詰まっているなら、灯台下暗しってヤツですなぁ騎士様』


 舌戦はそこで終了して、それからアルギンは魂の抜けたような顔をして部屋に籠っていた。

 久々に入ったエイスの部屋は、綺麗に整頓された狭い部屋。貴重品も丁寧に隠してあって、ギルド関係の書類は棚の最奥に入っていた。

 アルギンの時と同じ失敗はすまいと、そんな意思さえ感じさせる隠し場所だった。


 エイスの死体をベッドに横たえていたが、常連がその顔を覗き見る。

 綺麗な死に顔だ、と言ったらアルギンは俯いた。


「……兄さんが、自殺なんてする訳ないんだ……」

「……そうだな」


 アルギンの小さな呟きには、肯定を以て返された。

 隠しようもない血の匂い。彼の服に染み付いた血は、脱がすことも出来ずそのままだ。


「嬢ちゃん、言いにくいんだけどな……火葬の準備が出来たそうだ」

「かそ、う」


 アルギンが立ち上がる。目に涙を溜めた、それが零れ落ちた。


「兄さんを燃やすってのか!?」

「仕方ねぇんだ、決まりなんだからよ」


 アルセンでは火葬が主だ。

 宗教上の理由では無い。冒険者も数多く訪れるこの自由国家では、土葬にするほど土地が余っている訳ではない。冒険者も骨を埋めることがあるこの国では、死者は火によって天に召される。

 この国に住むエイスとて、例外ではない。


「って……、だって、アルカネットも、まだ、仕事から帰ってない……」

「アルカネットは泊まり掛けで自警団の仕事だって、団長が言ってたじゃねぇか」

「せめて、アイツが帰ってくるまで、待って!」

「……無理だ。アルカネットは三日帰らないらしい」

「やだ………。やだ、よ」


 死体からは疫病が広まる。それはアルセンで広く知られていて、自由を謳い数多い種族を受け入れるアルセンでは疫病に敏感だ。

 アルギンの願いも虚しく、彼がエイスを抱き上げた。


「……火葬場まで、来るだろ」


 アルギンの意識は、あるのかないのか分からなくなってきている。

 それでも、アルギンはその男の背中を覚束ない足取りで追いかけた。




 やめて

 焼かないで

 兄さんを

 アタシの兄さんを、焼いたりしないで


 どんなに願っても、高い煙突の先から昇る煙は、エイスの荼毘を嫌という程解らせてくる。

 煉瓦で作られた焼却室の外で、アルギンはぼんやりと煙を眺めていた。帰ればいいのに、一緒に付いてきた常連の面々もいる。

 オルキデとマゼンタも無言でそこにいた。二人はエイスが殺された近辺の時間には、エイスからの頼まれ事で外に出ていたらしい。ギルドの事を知っていた二人の話によると、最近はギルド運営を縮小しようとしていたらしい。実際、ギルド員は国を出たり独立したりで、もう一人も残っていなかったそうだ。


「……どんなに長生きしたダークエルフでも、死ぬと灰になれるんだな」


 空を見上げると、曇天が空を覆い尽くしていた。晴れを期待した訳では無いが、重く垂れた雲はアルギンの心のようで。

 次第に、雪が降って来た。まだ冬か、とぼんやり思う。

 寒い気がしていた。薄着という程薄着でもない筈だが、冬の冷気は容赦なくアルギンの体温を奪う。


「っ……おい!!!」


 突然聞こえた怒鳴り声。


「何やってんだよアルギン!!」


 聞いたことのある声だった。

 三日は帰って来られない筈のアルカネットが息を切らせて、アルギンの前に立っている。

 けれどアルギンはそちらの方を向かず、向けず、ただ虚空を眺めているだけ。


「エイスさんが死んだなんて嘘だろ!!?」


 アルギンの胸倉を掴み上げ、取り乱したようなその叫びに、細い肩が大きく震えた。


 死んだ、という事実を受け止め切れていない。


 いつだって、彼はアルギンを優しく迎え入れてくれた人だった。


「………ぅ、あ」


 アルギンの喉が、まるで潰れてしまったかのように声が出ない。

 何を言っていいのか。何を言えるのか。アルギンもまるで今の状況が理解できていない。

 彼の声、顔、形、その全てがバラバラのジグソーパズルのピースのように砕けて、元の形があやふやな形でしか思い出せない。

 目の前のアルカネットが、酷く遠く感じる。


「……アタシだって、わかんないよ………」


 何が考えられる訳でも無い、真っ白な頭では、そう答えるので精一杯だった。


「………っ」


 アルカネットは、何か気不味いものを見たとばかりに眉を下げて、アルギンから手を離した。

 視界が白んでいく。アルカネットが向けた背が白くなる。

 アルギンが、それは雪だと気付くのは、もう少し時間が経ってから。

 彼の荼毘を遅らせるかのように、雪が強くなってきた。




「たいちょー………?」


 その日の夜、酒場にソルビットが姿を現した。

 マスターのいない酒場では、開店も出来ないし仕込みも出来ない。

 カウンターに座っていたのはアルギンとアルカネット。カウンター内にはオルキデとマゼンタが居た。


「……ソル、ビット」

「話、聞いたっす。……明日、どうするっすか。城に戻れそうっすか?」


 ソルビットの表情も浮かない。浮かないだけで、口に出した質問はあくまで事務的なものだ。

 アルギンはソルビットを見ただけで視線を逸らす。質問に答えないでいると、ソルビットがアルカネットを挟んでカウンターに座った。


「戻らなくても良いように手は回したっす。でも、急ぎの仕事だけは明日ここに持って来るっすよ」

「……。いい。アタシは、朝にでも戻るよ」


 アルギンが目の前に置かれているグラスに手を出した。しかし、それが唇に運ばれることは無い。


「……無理しないでいいっす。不安定な姿を見せるのは、皆の精神状態にも良くは無いっす」

「大丈夫、……とは、言えないけど。……何かしてないと、それこそ頭がおかしくなりそうだ」


 奥からオルキデがグラスに入った酒を持って来た。それはソルビットの前に置かれる。

 ソルビットは遠慮なしにそれに口を付ける。ただ、それと引き換えにしたのは金貨だ。


「今日の酒は、無料ただじゃ呑めねっす。しっかり給仕して貰うっすよ」


 オルキデは最初戸惑ったものの、その金貨をお代として受け取った。それからメニュー表をソルビットの前に出してくる。

 ソルビットはメニューを眺めて少し悩んで、いくつかの料理を注文した。


「……戻るって、本気か」


 アルカネットがアルギンに声を掛ける。その声はどこか心配そうで、優しいものだった。

 そんな優しさを知っていて、分かっていて、アルギンは大きく頷いた。


「アタシ一人が……育ての親死んだくらいで引きこもってらんないだろ」

「死んだくらいって……お前!」


 アルカネットが立ち上がる。アルギンはアルカネットを見ていない。

 互いに解っていた。アルギンには地位に見合った責任があるし、新米自警団のアルカネットとは比べ物にならない程の枷がある事も。同じ男を慕った二人は、その差で立場を分かたれる。

 アルギンが持つ部隊にも、大切な誰かとの別離の経験がある者だっている。その上に立つのがアルギンなのだ。


 ―――ねぇ、アルギン。私を怨んでもいいよ


 ―――君が兵として戦場に立たなければならなくなったのは、私の責任だ


「兄さんの事で立ち止まるのは、今日までだ。でないと、次に骨になるのはアタシだ」


 ―――君の未来に祝福を。……ダークエルフの私でも、祈りが神に届くかな


 エイスの声が、耳に蘇る。

 これからも生き続けるのだと思っていた。ハーフエルフの寿命がダークエルフのそれに届くかは分からなかったけど、アルギンがこの先年を取っても、彼はこの酒場のカウンターに立っているものだと信じていた。

 それが叶わなくなった今、アルギンは帰る場所を見失いかけていて。

 彼が、エイスが、彼自身が帰る場所だった。アルギンの居場所は、酒場にはない気がして。


「……お前、それで納得できるのかよ」

「納得?」


 アルカネットの言葉を鼻で笑う。


「……納得できない、って言ったら、アタシの代わりに何万の命背負って国境行ってくれる?」

「―――……!」

「失敗したら今のアタシ達と同じ思いを何十万の奴等ににさせることになる。行ってくれるのか?」


 アルギンも立ち上がる。この問答には意味がないと解っているから。

 出されたアルコールに口もつけず、アルギンが酒場を後にする。ソルビットも置いて。


「寒いな」


 外はまだ雪が降っていた。酒場の扉がアルギンの背中で閉まる。

 その雪の中、アルギンはまだ景色のように白んで痛む頭を抱え、数歩歩いた先の民家の陰で膝を抱えた。


「……納得なんて、出来る訳ないじゃんかぁ………!!」


 引き取ってくれた。

 育ててくれた。

 兄と慕った。

 実の親を亡くした自分に、血が繋がってもいないのに優しくしてくれた人だった。

 遥か過去に置いてきた胸の痛みが、今更蘇ってきてアルギンを襲った。

 今度こそ、一人になった。もう、兄はいない。


 膝を抱えて泣きじゃくるアルギンに、人影が近寄っていた。


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