第59話

 アルギンと、その意中の彼の仲が急速に縮まった。

 まだ彼は『好き』が解らない状態で、けれどアルギンには特別な『何か』を抱いている自覚はあるらしい。

 アルギンはそれでもいいからと望んで、二人は一応の『恋人』になった。

 関係の進展についての話は噂となり急激に広がった。

 顔だけは美人であったアルギンが、特定の人物の恋人になる事を嘆いた者も少なからずいた。

 見た目だけは美麗であった彼が、アルギンの恋人になったと知って悲しんだ女性達もいる。


 二人の、それ以上の進展はまだない。


 一連の騒動が終わってからすぐ、帝国との空気が更に不穏になったからだ。




「ったく、御披露目にお呼ばれが無かったからってすぐ戦争……ってなる事ぁないでしょう帝国さんよ」


 今日も朝から各隊の隊長・副隊長が集まって顔を合わせていた。

 『そう』と知れていて、こんな場で親しくする『花』と『月』の隊長ではない。しっかり席を離して会議に臨んでいる。

 のっけから愚痴を言ったのはソルビットだ。それを自分の唇に指をあてて、『静かに』の形を取ったアルギン。それくらいで静かになるソルビットでも無かったが。


「たのしーたのしー成人祝いに水差しに来たっすかね帝国さん」

「まぁ……小競り合いが続いてる相手が、呑気に成人祝いで他国の人間呼んでたりしてたら、良い気分はしないだろうね」


 ソルビットの言葉に答えたのは、『鳥』隊長のカリオンだ。彼の落ち着き払った様子は、現在の自国の情勢を以前から予想しているもののようだった。

 予想は一人一人に差はあれど、全員がしていた。こうなることくらい、簡単に想像が出来ていた。

 そして恐らく、今回の不穏な空気はただのきっかけにしか過ぎなくて、成人祝いをしてもしなくても、何か他の理由を付けて戦争を仕掛けてくるだろう事も。

 国境沿いに、向こうの兵が大量召集されていた。それに対抗して、こちらは『風』の隊を主とした部隊を展開している。『風』は諜報部隊を取り入れた隊だ。何かあれば、届く連絡は早い。


「帝国さん所も狭量っすね。皇帝ってジジイでしたっけ?」

「齢七十のヒューマンだったろう。噂では、死期が近いからそれまでに領土を広げて旅立ちたいんだとかなんとか」

「ヒエッ……。それに付き合わされてる臣民って可哀想な」

「恐怖政治があの国だからね。……政治の重要な役職も皇帝の身内で構成されてるとは聞くし、国としての機能は……もう」

「………。」

「ああ、すまない。君の事を言っているのではないよ、アールヴァリン」


 王子である『風』副隊長のアールヴァリンが黙りこくったのを見て、カリオンがすぐさまフォローを入れた。カリオンの言葉には『王子』という立場に対する毒が無い事を分かっているので、彼は直ぐに頷いて理解を示す。

 『風』隊長のエンダは苦い顔をしていた。勿論、こんな戦争まで間がないような今の状態で笑顔なんて浮かべられる訳も無いけれど。


「んじゃ、最初の布陣は俺の軍かねぇ。折角成人仕立てなんだ、アールヴァリンは置いてくぜ」


 エンダが頭の後ろで手を組んで、溜息交じりに言い放つ。

 その途端、ソルビットを含め全員が遠田を見た。その唇は引き結ばれている。


「……頼める、のかい」

「仕方ねぇだろ、あっちにいるのは大半が俺の隊の奴等だ。ドンパチ始まりゃお前らもとっとと来やがれよ」

「……で、あるなら、我等も行こう」

「お、良いのかい」

「後方支援は我らの仕事。否であれば自ら行こうなどとは言わぬ」


 後方支援として立候補したのは『月』だった。伏目がちにしている副隊長フュンフも異論は無いようで。その立候補に唯一不満があったのはアルギンだけだった。その場から立ち上がり、『月』隊長を見ている。


「……医療部隊が必要だろう、アタシらが行く」

「すぐ戦争が始まる訳じゃない。今はまだ医療部隊は必須じゃないよ」

「そーっすよ、たいちょ。なんでたいちょーは大人しく座ってなさい」


 カリオンとソルビットからの言葉に、アルギンが渋々座り直す。気持ちが曲がりなりにも通じて、やっと恋人同士と呼べる状態になったというのに、こんなままならない事があるのが許せなかった。

 彼を見ても、彼はアルギンを見ない。それは、彼の中で、今アルギンの事を考える必要が無いから。

 永遠の別れの可能性が少しでもあるのに。


「宣戦布告が無い今、大掛かりに部隊を動かす必要はないが……出発する人員を纏めておいてくれ。『風』『月』は明朝出発。それで構わないかい?」

「おー」

「……承知」


 それからも、どこか蚊帳の外のように扱われているような気さえ感じながら、アルギンはその場に座っていた。

 『鳥』『風』『月』が話し合いをする中に入っていけなかった。

 入っていけなかったのは、戦争に対しての知識や経験が足りないからではない。

 どこか、他の隊長の三人がアルギンを抜いた前提で話をしている気がしている。




「カリオン!」


 会議が終わった後、他の全員が解散した会議室で、一人残っていたカリオンの前に詰め寄った。

 カリオンとしても、何か言いたそうなアルギンの様子は知っていたから座ったまま残ってくれたようだった。ずんずんと鼻息荒く近寄ってくるアルギンに、困ったように笑いながら迎えるカリオン。その様子だけ見れば、近衛隊を纏められる器の持ち主にしては頼りなささえ感じるのに。


「どうしました、アルギンさん?」

「どうしたもこうしたも、何でアタシ達じゃなくて『月』が出るんだよ! いざ戦闘始まったら初動の医療部隊は必須だろ!」

「各隊にも医療部隊がいないわけじゃないですから……。『花』が出るには、心配な要素もありますし」

「心配って……何だよ」

「貴女が、です」


 苦笑を浮かべた顔が、真っ向から言った言葉に、アルギンが目を見開いた。


「浮ついていない、と、自信を持って言えますか?」

「……っそ、んなの……」

「私は、大丈夫だと思っています。でも、『月』が行くと言った時、貴女も手を上げましたね? 貴女が簡単に浮かれる人ではないと知っています。ですが、いつもの貴女なら恐らくあの時手を上げなかった」

「………。」

「先程も言いましたが、今医療部隊は必須では無いです。大人数を動かして相手を刺激する方がよっぽど危険だ。勿論、事が大きくなれば貴女の出陣も絶対になって来るんです」


 カリオンの声は優しかった。同世代であるアルギンを、諭すかのように言葉を選びながら語り掛ける。

 諭されてると解っていていい気はしなかった。アルギンは、席を立ったカリオンを追いかけるようにその背に付いていく。


「遠距離の攻撃は花も得意にしてる」

「『月』の魔法部隊も遠距離が得意ですね? 戦線を耐え凌ぐのは、『花』より『月』の方が得意です」

「そうじゃなくて! ……あーもう、こういう時なんて言えばいいんだよ!」

「……気持ちは分かりますが、おや」


 廊下に出るカリオンが、道の先を見て声と微笑を漏らす。

 カリオンが見たものが気になって顔を出したアルギンだが、その表情が固まった。


 『彼』がいた。『月』隊長が、一人で廊下に立っている。それはただ立っているだけでも絵になるような光景だったが、アルギンが先程まで会議室で叫んでいた内容を聞かれていたんじゃないかと思うと居心地が悪い。

 カリオンは口許に笑みを湛えながら、部屋から出てきた二人を見ている彼の隣を通り過ぎた。その時にはもう彼の視線はカリオンには無く、アルギンだけを見ている事が分かる。


「後は若い二人にお任せしようかな」

「お前さんだってそんな変わらねぇだろ!」

「じゃあ、お二人とも。私はこれで」


 朗らかな笑い声とともに、カリオンの背中が小さくなっていく。その背が向こうに消え切らないうちに、アルギンと彼の目が合った。

 いつも無表情な彼からは、考えている事があまり読み取れない。その瞳が見続けられなくて先に目を逸らしたのはアルギンだ。


「あの者に不服を言った所で、今更変わらないであろ」

「……言っとかないと、アタシが全面的に納得したみたいな形になっちゃうだろ」


 二人が話す声は、静かなものだった。会議の時のような角ばった声でもない、彼の優しい声。アルギンはそれが『自分の恋人』のものだと思うと、少しの気恥ずかしさが浮かび上がって取れない。アルギンの声はと言うと、ソルビット辺りが聞いていたら「砂糖と蜂蜜入れ過ぎた珈琲みたいなもんっすねー」とでも感想を述べるのではないだろうか。


「汝が納得していないのは全員が知っている。……今は準備期間と思え」

「……アタシと同じ状況になっても、同じ事言える?」

「言えるな。焦っているのは汝だけだ」


 咎めるだけでなく、落ち着いたテノールはいつものように涼やかだ。寡黙な彼が、アルギンに対してのみ饒舌になるのは、どうやらここ最近だけではないらしい―――というのをアルギンは先日知った。

 心配だ、とカリオンから言われた事が、今更胸の棘として疼いた。

 確かに、心が浮ついていないとはっきり言う事が出来ない。今も、彼が側にいるだけでこんなに嬉しい。アルギンはカリオンにも、彼にさえ言い当てられた気まずさから、その場で顔を覆って溜息を吐いた。


「……アルギン、疲労なら休息を。病気なら休め」

「そうじゃないよ……。もう、アタシ一人空回りしてない?」

「気付いたか? 今更気付くとは鈍いのだな?」

「それを貴方が言う!? ちょっと待ってくれない!?」


 結局、恋愛関係という状態になってからも、彼はまだ『恋愛が何か分からない』そうで。

 アルギンはそんな彼の側にいたいと思って、彼もまたアルギンと並んで行くことを選んで。

 二人は概ね祝福されていて、そんな二人は幸せそうだった。


「……我は明朝出発だ。今夜、あの酒場にでも行くか」

「いいの?」


 例え、こんな戦時中でも。


「―――汝だからな。嫌だと思っていることは、我は言わぬ」

「……嬉しい。ありがとう」


 二人はそれから自分の仕事に戻り、時間と場所を決めて落ち合う。

 仕事を先に終えたのも、先に待ち合わせ場所である酒場に到着したのも、明朝の出陣が無いアルギンが先だった。


 彼はいつもの黒い、神父のような服を纏っているもので、酒場の店内に於いて少々異質だった。

 しかし彼が頼むものはお茶などのノンアルコール。店主のエイスも分かっているかのように、グラスが空になるたびに新しい茶を持って来る。アルギンはその隣で、自慢の恋人の姿を堪能しながらアルコールを飲む。明日になれば暫く逢えなくなる愛しい人。改めて思うと、アルギンの胸に寂しさが込み上げてしまう。

 常連客には冷やかされ、エイスには生暖かい目で見られながら、ついに誰かが口にする。


「結婚しねぇのかー!」


 その言葉が店内に響いた瞬間、辺りが静まり返った。恐らく、言った本人すら言葉の不味さに気付いたのではないか。

 彼が、無言で店内を見渡した。その隣にいるアルギンは、その空気の静けさに居心地悪そうにラム酒を傾けている。

 彼が隊長を務める『月』は、平時の時でも孤児院の運営に携わったり、この国で言う所の宗教を管轄にしている。自由国家アルセンでは、基本的に宗教も自由ではあり、宗教というものよりも人の生きる力を重んじているが、そんな国でも『三神教』という宗教が根付いている。それを取り纏めるのが『月』である。

 神さえ見捨てた土地に、神への祈りが届くとは誰も思っていない。それでも、都合のいい時に祈る対象が民には必要だった。勿論、国の創世神話が神話なだけに、宗教家は政治に口を出せないが。

 ―――そして、そんな『月』の長が、彼であるのだ。これまでの『月』隊長は、隊の管轄そのままに神父であったため、神に命ごと捧げるといった意味合いで皆独身だったという。


「………。」


 彼が無言のまま店内を見渡している。やがて興味も失せたのか、先程の発言をした者を見つける前に視線を戻した。エイスと何やら視線で会話した後、アルギンに視線をやる。アルギンはその視線に気づいた様子で目を向けると、何を言うでもない二人が見つめ合う。


「……。」

「………。」

「……」

「お二人とも、黙ったまま見つめられると何かアレなんだけどね?」


 静かな空気を叩ききったのはエイスの言葉だ。その言葉が助けとなって、またちらほら店内の会話が増えていく。

 アルギンは、グラスの中に移り込んだ自分の顔を見て、考え事をしている様子。


「結婚か」


 彼が言った言葉に、グラスを空にしようと唇で傾けたアルギンが勢いよく酒を噴き出す。

 彼の口から聞く言葉は、それだけで感じる重みが変わる気がした。

 アルギンにとって、結婚なんてものは考えたことが無かった。そもそも叶うかも分からなかった恋だ、相手も相手だから恋愛のその先なんて、考える事さえ許されない気がしていた。


「興が削がれた。アルギン、出るぞ」

「ええ? ……うん、分かった」


 何か彼の気に障ったらしい。彼は自分の手持ちから二人の代金を全額払い、アルギンを待ちながらも先に酒場を出る。

 その後についていくアルギンを、酒場の面々は声を潜めて様子を窺っていた。

 扉が閉まってから、テーブルを叩く音がした。その音の主は、エイスだった。


「―――全く」


 いつもの柔和な笑顔ではない、迫力あるダークエルフの怒り顔。

 掌でテーブルを叩いた彼は、睨み付けるように店内を見渡した。


「他のお客さんに、不快になるようなヤジは飛ばさないでくれないか。酒飲みのマナーだろ」


 怒られた酔っ払い共は、静かに頭を垂れるだけである。

 その日の酒場の売り上げは、いつもより少なかったらしい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る