第42話
ミュゼが廊下に続く扉を開いた瞬間、建物内を異様な静けさが包んでいることに気付いた。
アクエリアが下に行った事に加え、この時間はいつも仕込みやらで一階からは何らかの物音はしている筈だ。ここまで静かなことは今まで無かった。
「スカイ」
ミュゼはスカイを側に来させ、自分の体に密着させた。スカイは小さく声を漏らしたが、それ以外の抵抗も反応もない。スカイはスカイなりに、なにかしらの異常を感じているようだ。
ゆっくりと廊下に出る。物音は今の所何もしない。まるでこの建物内に誰もいないかのようで。
「……変更」
ミュゼが小声で呟く。不安げなスカイの瞳がミュゼに向けられた。その顔を見て、ミュゼがスカイの頭を撫でた。身長差は頭一つ分。やはり、スカイは年齢の割に成長が遅い。
「私の部屋に行くよ。付いてきて」
「え、下に行くんじゃ……」
「なんか変だ。ちょっと私の部屋に荷物取りに行くよ」
「荷物……?」
その瞬間
「!!」
一階から、テーブルか何かがひっくり返るような音がした。同時、スカイの手を引いてミュゼが走る。
「ひぁ!?」
驚いた様子のスカイに構っていられない。階下からは複数人のうるさい足音と怒声がした。一階の階段から見あげても死角になっている位置にはいるが、急がないと闖入者が階段を上がってきたら見つかってしまう。
幸いミュゼの部屋はすぐそこだった。急ぎながらも、なるべく音を立てないようにしながら扉とその鍵を閉めた。それから、バリケード代わりに部屋の小さなテーブルを動かして出入り口を塞ぐ。ベッドまで動かそうとした時、急に扉を叩く音がした。
「っクソ、この部屋も開かねぇぞ!」
「全部ブチ破れ!!」
一度も聞いたことのない声の男達の怒声。ミュゼがベッドを急いで動かして、扉を開かないように位置付けると、部屋の中に下げていた折り畳み式の槍を手に取った。
それを直ぐに引き延ばし、長い槍に形を変える。背中にスカイを匿うように位置付いて、その槍を一度大きく振って。
「乙女の部屋がそう簡単に開く訳ねぇだろ、ばぁか」
姿が見えない扉の外の闖入者に向かって吐き捨てたミュゼが、ベッドの上にあった薄手の毛布をスカイに投げた。それを頭から被る羽目になったスカイがもがいて、やっと顔を出す。
スカイには部屋の中をまじまじと観察する余裕もない。それでもアクエリアの部屋以上に殺風景なそこは、もうこれ以上バリケードになりそうなものが無いことだけは分かった。
「『スカーレット』。安心しな、この酒場の面子は皆お前さんの味方だ。この酒場にいる間は、皆死んでもお前さんを渡したりはしない」
「い、いったい、なにが」
「さぁ。私も分かんないな。でも、この扉の向こうにいる奴らは皆敵さんっぽいことは確かだね」
扉が激しく音を鳴らす。蝶番が壊れるのも時間の問題だった。仕方なしに、とミュゼが窓の外を見る。外では物音と騒動を聞きつけた野次馬が集まっているようだ。暇人どもが、と舌打ちをしたミュゼ。
相手の行動が早すぎた。いや、こちらの行動が遅かったのかも知れない。日中こんな時間から堂々と行動を起こすとは考えなかったのが災いした。
「アクエリアさん、アクエリアさん、アクエリアさん……」
スカイは毛布を被ったまま、ガタガタと震えていた。それを見て、ミュゼの眉が下がる。こんな怖い思いをしながら生きて行かなくてはならないなど、あまりに不憫だ。
もう一度ミュゼが外を見る。すると野次馬の中に
「――――スカイ!!!」
大声で、スカイの名前を呼ぶ姿を見つけた。
「来なさい、スカイ!!」
アクエリアが、下にいた。顔に僅かな傷があるが、大した怪我には見えない。
ミュゼが、その姿を見つけて笑みを浮かべる。アクエリアも、ミュゼの姿にすぐ気付いた。
「格好いいじゃねーかよ、アクエリア!」
『来なさい』の意図には気付いている。気付いているから、格好いいと素直に思った。
まだ布団を被ったまま震えている、女の子の格好をしたままのスカイをミュゼが抱き上げる。
「わ」
と小さな声を漏らすスカイ。その体は思った以上に軽かった。そして、細かった。
しかし細さで言うとミュゼだって華奢だ。抱き上げられたスカイは、ミュゼの腕に力強さを感じていた。
「じっとしてろよ、スカイ」
「え!? ミュゼさん!!? 何するんですか!!!」
ミュゼに叫ぶその声は、これ以上ないくらいに怯えていて。
「アクエリア!!!」
ミュゼはそれを知っていながら息を吸って、大声を出して。
「受け取れ!!!!」
アクエリアが窓下に駆け寄る。
同時、ミュゼがスカイを窓の外に放り投げた。
「!!?」
スカイは、最初から最後まで何が何だか分かっていない表情のまま。
そして最後は声も出せずに、外に落ちて行った。
「―――スカイ!!!」
スカイがアクエリアの姿を捉えたのは、その時だった。
「『受け止めろ』!!!」
アクエリアが叫んだ瞬間、強い風がスカイの真下から吹き上げた。その風は毛布ごとスカイを包みこんで、地面へ向かう速度が遅くなる。
どさり、と音がした。最後はアクエリアがスカイのクッションになるように、下に回り込んで受け止めていた。
「……よかった、無事ですね、スカイ」
受け止めたスカイの姿を見て、アクエリアが笑顔を浮かべる。スカイは安堵の涙を目に一杯溜めて、声にならない声で名前を繰り返した。
「あ……く、っ、アク、エリア、さんっ……」
「逃げますよ、急ぎましょう」
そう言って立ち上がるアクエリア。その次の瞬間、アクエリアの体の直ぐそばにミュゼの槍が突き刺さった。スカイがそれに怯えた顔を見せたが、アクエリアは先程の窓を見上げる。
「―――ミュゼ、さん」
「持ってけ!!」
窓向こう、二階のミュゼは笑顔で手を振っていた。まるでそれは、『私は大丈夫だから』という言葉の代わりのようで。
ミュゼはアクエリアが丸腰なのが分かっていた。ミュゼは、そのまま窓側から姿を消す。そして、激しい物音が響き始めた。
―――丸腰なのは、ミュゼだって同じだったが。
「アクエリアさん、アクエリアさん! ミュゼさんが!!」
「……行きますよ、スカイ」
「行くって、どこへ!!」
「今は逃げます! 数が多かったんです、流石に貴方を守りながら蹴散らすのは難しい!!」
投げられた槍を折り畳み、短くしてから小脇に抱える。スカイの手を握って立ち上がらせ毛布を取り払い、そのまま振り向かずに人波を掻き分けて走り出す。
スカイは走りながら振り向いた。何やら大声を出す落ち着かない集団が、酒場の周囲で怒鳴り散らしているのが見えて怖くなって前を向いた。先導してくれるアクエリアが見えて、少しだけ安心した気持ちになる。
走った。アクエリアしか、今は信じられるものがない。アクエリアがいてくれさえすれば、スカイは前だけを見ていられる気がしていた。
酒場へ向かっているらしい自警団の腕章を付けた集団と擦れ違った。願わくばその集団が、あの酒場の面々を助けてくれるよう願いながら走り続ける。
どのくらい走ったのか、何処へ向かっているのか、スカイには分からない。地理も立地も分からないスカイには、ここが何番街かさえ不明のままだった。それでも、スカイにとって、アクエリアがいるといないとでは安心感が段違いで。
問おうにも息が切れている。それに気付いたのか、アクエリアが走る速度を緩めて建物の間にある小道へ入り込んだ。
「……大丈夫ですか、スカイ」
「は、っ、は、はい……」
スカイの喉からヒューヒューと音が聞こえる。無理をさせた、とアクエリアが僅か悔やんだが、だからといって休憩ばかりもしていられない。
スカイの背中を撫でながら、アクエリアが小道の先を見た。―――この先は行き止まり、袋小路だ。
「スカイ、まだ走れますか」
「……っ、も、う……もう、むりですぅ……」
体力も持久力もないスカイに、着慣れない女物の服でいきなり走らせる羽目になったのが悪かったか。これまでの生活環境を思うと無理もないが、年齢相応の持久力が期待できない以上、ここでやり過ごすしかない。遮蔽物の陰に体を隠しながら、スカイを座らせて落ち着かせる。『スカーレット』としての服は、着慣れていないせいもあってか少しよれてしまっている。
「……スカイ、すみません。無理をさせてしまって」
「っ……謝るのは……、僕の方です……っ」
スカイが絞り出すような声を出す。同時、その瞳に涙が浮かぶ。
アクエリアがスカイの隣に座り、大通りの様子を窺いながら自分も休憩することにした。どのみち、ここで見つかってしまうならもう走って逃げても駄目だろう。
「……落ち着くまで、話でもしましょうか」
「はな……し………?」
「まだ話していない俺の話です。……聞きますか?」
切れ切れの息で、スカイが頷く。
こんな時でも聞く気はあるんだな、とアクエリアが微笑んだ。
「一度だけ、俺も訳の分からない集団に襲われたことがありました」
「……しゅう、だん?」
「旅の最中の話でした。……知っていますか、この世には、悪い事を何もしていないのに、特定の種族に懸賞金が掛けられている国があるんですよ。それも複数ね」
「しゅぞく……? あくえりあさん、えるふでしょう……?」
「そうですね。……『今』は、そう見えますね」
意味深な笑みを浮かべるアクエリアは、スカイの知らないアクエリアのようだった。
今までこんな笑顔は見たことが無い。いつも優しい、でもどこか冷めている笑顔ばかり見ていたから。
「……アク、エリア……さん……?」
「俺はエルフです。一応ね。この尖った耳が目印です。精霊を使役できるのが特徴です。―――でも」
アクエリアが二人の間に腕をそっと出す。その腕は白い。
「エルフって、厳密に言うと種族が分かれるのも知っていますか?」
それだけ言うと、アクエリアが自分の顔の前で両手を打ち付けた。乾いた音がして、その手から突風が吹いたような感覚。スカイの髪や体を撫で付けていく。
その一瞬、スカイがアクエリアから視線を離した。突然の事に驚いて、顔ごと逸らしてしまった。
「―――スカイ」
アクエリアの声に、スカイが視線を元に戻す。
そこには、知らない男がいた。
「……俺は、ただのエルフじゃないんですよ」
背中まである長い、濃い灰色をした髪。
暗がりの中で、金に近い茶の瞳が光る。
さっきまで白く見えていた肌が、今はその影の色を吸ってしまったように浅黒く変わっていた。
「俺は、アルセン以外では『邪悪』の象徴とされている種族、ダークエルフです」
「―――……。」
「知っているのは、マスター・アルギンと、アルカネットと……、彼女と、貴方だけです」
アクエリアの一番の秘密が、スカイの眼前に晒される。
スカイは何も言えないまま、唇を震わせていた。
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