第17話

 空は晴れている。

 ユイルアルトが目を覚ました時、空はまだ暗かった。気付けばジャスミンは同じ馬車の中でもう横になっていて、外を覗くため身を起こすと、フィヴィエルが火の側で座っているのが見える。寝過ごしたか、そう思ってのそのそと起き上がって馬車から出る。


「ユイルアルトさん?」


 ユイルアルトに気付いたフィヴィエルが振り返る。彼は手に薪用の枯れ枝を二・三本握っていた。


「……火の番、交代しましょう」

「まだ早い時間ですよ」

「今寝直すと、多分起きられません」

「それでも構いませんよ、まだ道程は一日目ですから。体力は温存するべきです」


 フィヴィエルの手の枝が、火にくべられる。ぱちん、と小さく弾ける音を立てて燃えていく枝。それを見つめながら、火を挟んだフィヴィエルの正面に座るユイルアルト。

 正面から見たフィヴィエルは、確かに整った顔立ちだ。色素の薄い短髪、すっと通った鼻筋、一重で涼しげな眼、性別を一瞬惑わせる外見に、視線を下げると見える喉頭隆起。その顔立ちと雰囲気の価値は恐らく、ジャスミンやユイルアルトよりも街娘の方がよく分かるのだろう。


「……そのように睨まれても、僕はまだ休みませんよ」


 余程な顔で見ていたのか、とユイルアルトがばつの悪い顔で目を逸らす。苦笑するフィヴィエルは本当に困っていた。それでも、ユイルアルトだって譲る気はない。この意地は好意から来るものではないが。

 その様子に、フィヴィエルが破顔する。


「……ジャスミンさんも、最初寝ようとしてくれませんでした」


 表情自体は、確かに楽しそうなものという訳ではなく、ユイルアルトから見れば苦笑の延長に見えた。


「何度もお願いしたら渋々休んでくれたのですが、そんなに時間が経たないうちに貴女が起きてきたんですよ」

「……。」


 では、ジャスはまだ起きている可能性がある。

 その問いはユイルアルトが喉の奥で噛み殺した。彼女が起きていても寝ていても、せめて彼女だけは休ませたい。自分はまだ、この男に聞きたいことがあった。何故、この男が来たのか。そして、あの時何を言いかけたのかを。


「……フィヴィエルさん」

「はい」


 初めて意識的に名前を呼んだ気がする。


「今日、途中で言いかけたことの続きを聞いてもいいですか?」


 気になっていた。あの話し方だと、何処かの誰かに無理矢理騎士にされたような口振りだったから。

 騎士と言えば、アルセンでは花形の職業であると同時に、十番街やその近辺の街以外ではあまり好かれていない。騎士は城と貴族しか守らない職業だ。だから騎士のいない場所では自警団がいる。その自警団も、結局は騎士に良いように使われているような立ち位置なのだが。


「……聞いても面白い話じゃないですよ」

「構いません。気になるじゃないですか、あんなところで話を切られては」

「退屈で眠りたくなりますよ」

「丁度いいではありませんか?」


 寝かせたいのでしょ、とユイルアルトが勝ち誇ったように言った。言葉尻を捕らえた形だ。フィヴィエルがやれやれ、と言った形で首を捻る。時間から来る眠気から思考が働かないのか、気怠げな表情を見せながら、やがて口を開く。


「……僕が騎士になったのは、祖母からのツケを国に払っているからなんです」


 ツケ。

 フィヴィエルの口から出た、耳慣れた単語に思わず目を丸くする。酒場ではよく聞いた単語だが、金銭の絡みそうにない仕事にまで、それを聞くとは思っていなかった。どういうことだ、と沈黙していると、フィヴィエルがおかしそうに噴き出した。


「そんな真剣に悩まないでください。例えみたいなものですよ」

「例え……?」

「僕の祖母は、犯罪を犯したのです。祖母だけでは支払いきれない罪への対価を、母も僕も労働力として国に支払い続けている。……母は、『祖母から習った知識を元に』宮廷医師をしているんですよ」


 その言葉に、ユイルアルトの血の気がサっと引いた。


「『J'A DORE』の事は、騎士団長から聞いています。ある程度の地位になったら聞かされる、騎士の管轄外にして手出し不要の組織だと」

「……管轄外、でしたら、わざわざ私たちの荷の中身を聞く必要もなかったのでは?」


 『管轄外にしなければいけない』理由がある。それに気付かない男でもなさそうだった。


「そこは、ただ僕個人の興味です」


 フィヴィエルの瞳が、ユイルアルトを映す。

 瞳の奥のユイルアルトは強張った顔をしていた。

 彼が何故こんな事で派遣されたか、分かった気がした。その予感は、フィヴィエルの次の言葉で確信に変わる。


「この人たちが、僕の母を治してくれるのか……。僕の命を賭けてまで、連れて行く価値があるのか……。知りたくて当然だとは思いませんか?」


 彼は立てた膝に手と顎を乗せ、気怠い雰囲気を隠さない。ユイルアルトはもう一つ、目の前の彼に聞きたいことが出来た。

 喉がひどく乾いている気がした。張り付いた唇を開く時に、僅かに皮膚が裂けた痛みが走る。


「……フィヴィエルさん」


 声を絞り出すので精一杯だ。緊張した喉が、不安定に揺れた声を出す。


「あなたのお祖母さんのお名前、伺っても宜しいですか?」

「……、詳しくは知りませんが良いですか」


 こくん、一度だけ頷いた。答えが薄々分かっていても、聞かないという選択肢なんてない。フィヴィエルは、どこか必死なその様子に同じく頷いて、その名前を口にした。


「リシュー。今から行くのは、その祖母の故郷だそうです」




 道程二日目も晴れていた。今日も前日と変わらず、フィヴィエルが手綱を引いている。風も穏やかで、呑気なお散歩だったらさぞ快適な陽気だったろう。しかし、馬車の中はそんな事に構っていられない空気で満ちていた。

 ユイルアルトの目の下にはうっすらとした隈がある。それは出発前の火の見張りをしていたからなのだが、ジャスミンの目まで腫れていた。寝不足だからに他ならないその腫れは、もしかしなくてもユイルアルトとフィヴィエルの話を聞いていたからである。眠くてたまらない、と言いたそうなジャスミンの側に、ユイルアルトが近寄る。


「膝枕、して差し上げましょうか?」

「……別に大丈夫。眠れないからと言って、今日何かある訳じゃないもの」

「そうやって我慢してたら病気になるんですよ、私達が一番よく知ってるでしょう? ほら、横になって」


 ジャスミンの肩に手を置いて、半ば無理矢理といった形で横にする。膝に頭を寄せたジャスミンは、ユイルアルトが頭を撫でるのをそのままにさせていた。優しい手つきのそれは、まるで子供をあやす動きに思えてジャスミンの眉間に皺が寄る。もう子供じゃない、という反感と、その手つきが優しくて安心してしまうという感情とが入り混じって、そうこうしているうちにジャスミンの瞼が本人の意思とは関係なく勝手に閉じられる。


「……寝てしまいましたか?」


 問いかけにジャスミンの返事はない。寝ていようが起きてようが、ユイルアルトは彼女の頭を撫で続けるだけだ。柔らかく波打つ茶髪が、ユイルアルトの手の動きでふわふわと揺れる。ひとしきり撫で終えた後、手近にあった毛布を横になったままの体にそっと掛けてやる。

 『また今度ね』。

 昨日言われた言葉を思い出す。また今度、とはいつだろう。少なくとも今ではないのだろうが、二人が側にいた時間は短くないのに、まだ少ししか分かり合えていない気がしていた。ユイルアルトも自分の過去を話したとして、どこまでを言えばいいのか、受け入れて貰えるのか、不安の火が胸の中に燻っている。

 リシューの話だってそうだった。ジャスミンは、リシューが見えていなかったかも知れない。なのに、その違和を黙っていたのは何故だろう。ユイルアルトに深入りすることを恐れていからだとしたら。……ユイルアルト自身はそれを一番恐れていた。

 ユイルアルトは無意識にでも、同じ薬を扱うものとして信頼している。一番近しい存在だと思っている。彼女がそうでなかったとしたら、本当に独りになってしまう。


「ユイルアルトさん」


 フィヴィエルから声が掛かった。振り向いた彼に、自分の唇に指を置いてみせ『しー』の形を作る。ゆっくりとジャスミンの頭を下におろし、それからフィヴィエルの近くに寄る。


「何ですか?」

「もうすぐ、ヨタ村までの道で最後の村があります。補給が出来るのはそこが最後です。なにかしら必要なものがあれば、僕が補給だけしてきますが」

「……補給、ですか」


 ユイルアルトが目を細めた。そして何かを考えるように、一度だけ長く目を閉じる。


「そうですね、なにかしら布が欲しいです」

「布? どんな物でも構いませんか?」

「織りが細かいものがいいです。厚さは無くてもかまいませんが、大人が着る量に換算すると二・三人分が欲しい所ですね。あと紐」

「紐……」


 ちらり、フィヴィエルがユイルアルトとジャスミンの荷物を横目で見た。


「……あの中には無いんですか?」

「無いですね」


 ばっさり、ユイルアルトが切り捨てる。


「無いから言ってるんです。頼みましたよ。宜しくお願いします」

「……解りました」


 溜息をついたフィヴィエル。しかしその表情は笑っている。その意味が分からなくて、ユイルアルトが問いかける。


「どうして笑ってるんです?」

「え、笑ってますか?」

「はい。それはもう、気持ち悪いとさえ思いました」


 ユイルアルトの言葉の途中には『こき使われてそんなに楽しそうにしているなんて』という一文が入るはずなのだが、後から自分の失言に気付いたユイルアルトが表情を青く変えた。

 急いで取り繕おうとしたが、その考えは声を出して笑う彼の様子に霧散する。その態度が自分でも失礼と思ったのか、目元を拭う振りをするフィヴィエル。


「いえ、聞いた通りの人たちだと思って」

「……聞いた通り?」

「はい。騎士団長と、ギルドのマスターさんは昔の知り合いだそうで」


 それも初耳だった。ユイルアルトが目を丸くする。確かに、ギルドと騎士団は何かしらの関係があるらしいとは聞いていたが。


「『類は友を呼ぶ』と。歯に衣着せぬ物言いをするけれど、悪い人たちじゃない、と聞いていました」

「類友……失礼な!」

「いいなぁ。僕も、騎士なんて辞めてそちら側に行きたい。……権力から逃げられないとしても、僕は騎士なんて仕事には向いていないんです」


 その言葉にはユイルアルトも苛立ちを覚えた。この前も、ギルドメンバーの一人が自分の妹や自警団を巻き込んで色々あったのだ。そんな簡単な考えで、ホイホイ移籍されても困る。ましてや元騎士なんて。


「騎士様が就く職業ではありませんよ、こんな―――汚れ仕事」

「そうですか?」

「法に触れることばかり押し付けられるくらいなら、私だって花形の騎士の仕事に就きたかった。でも騎士になんてなれない。その逆も」


 精一杯の強がりは、フィヴィエルには見透かされている。それも分かってて、自分の意志と正反対の言葉を語った自分を鼻で笑った。


「騎士を辞めてギルドの仕事している人、いるじゃないですか」

「―――え?」


 フィヴィエルの口から出たのは、またもユイルアルトが知らない事。


「アルギン・Sサン=エステル。貴女方の『マスター』は、騎士団『花鳥風月』の『花』隊所属にして、当時の四隊長の一人でしたよ」




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