第12話

 アルカネットの槍を防いで穂先を地面に押しつけたのも。

 シスター・ミュゼの体を踏みつけて動けなくしたのも。

 青紫色の短髪、その向こうに見える濃い藍色の瞳を持った男の二撃だった。


「――っな」

「っ!!」


 アルカネットは驚きに目を瞠り


「ぐ、ううっ!」


 シスターは痛みに呻いた。

 アルカネットの槍は確かにシスターを狙っていたが、闖入者によって、その場にいた者には何が起こったか解らないほどの速さで矛先を地面に向かって叩き付けられた。ほぼ同時に、最早戦闘に耐えられないであろうシスターをその足の下に轢いて。


「……ア……ク……」

「殺す気でしたか、アルカネットさん」


 宵闇のような瞳が、苛立ちを以てアルカネットに向いた。


「俺が出るような仕事じゃ無かった筈ですよね」


 青紫の男の手には、アルカネットがシスターから奪ったものよりも長い槍が握られていた。長いが、やや細い。この槍でアルカネットの槍の穂先を逸らしたのだろう、アルカネットが理解するも、それは二人の実力の差を意味して歯噛みする。

 足下ではシスターが呻いた。腕から来る強烈な痛みに息も絶え絶えといった感じだ。


「……殺す、つもりは……なかった」

「それでこの有様ですか? 話せる状態で無いと意味が無いんですよ」


 アルカネットが戦闘状態を解除する。槍を引き、それを見て男も手持ちの槍を下げた。


「荒事に俺を出さないで欲しいものです。俺の仕事は『こっち』じゃない」


 言いながら男が、槍を反転させる。持ち手の先を、シスター・ミュゼの痛めた腕――恐らくは折れている――へ、ゆっくりと下ろしていく。力は入れていないのだろうが、シスターの表情が強張った。

 いつでも追撃を与えられる。その敵意を受けたミュゼに、痛みから来るものとは違う汗が流れるのを感じた。


「……さて、ミュゼさん……でしたっけ。この人から話は聞いてますか? 俺はアルギンさんのお使い二号です」

「……」

「すみませんが、一緒に来て頂けます? ……ご理解頂けるとこちらとしても大変助かりますが」


 痛みと、目の当たりにした男の力量に、シスターはもう逆らえない。それでもまだ動く方の手で、男の足を退かそうと力を込める。せめてもの反抗だろうが、男の足が動く事はない。


「……痛えんだよ、クソが……」

「それは失礼。で、来てくれるんですか、来ないんですか。どちらがいいですか?」

「……行かないと殺されるんだろ……?」

「さて、それは貴女の態度次第ですね」


 男はシスターの意思を表向きは尊重しているように、しかし底意地の悪い問いかけをする。その言葉遊びを聞いているのも疲れたアルカネットが声をかけた。


「……もう良いだろう、アクエリア。お前が出てきたと言う事は、マスターは相当待ちくたびれてるんだろ」

「……アク……エリア………?」


 シスターが青紫色の男の名前を反芻する。


「はい」


 呼ばれた男が返事をする。


「……どこかで、聞いた名前だ」

「そうですか」


 遠い場所を見つめるような顔で、シスターがその名を口の中で繰り返す。

 そんなシスターの両脇を担ぐようにして、男二人が運んでいく。

 泣いていたフェヌグリークも、暫くしてその後を追った。




「っあああああああああああああ!!!!!」


 絶叫が響く。


「い、っ、あ、あああああああああああ、ああああああああああああああっ!!!!!」


 その言葉にならない音を耳にしながらも、平然とした顔のままキッチンで魚を捌いているのはマゼンタとオルキデだった。

 場所は酒場J'A DORE。開店時間ももうすぐ、というのに店内ではただならぬ絶叫が谺していた。


「……全く、情けねぇなぁ本当」


 包帯を手にしたマスター・アルギン。心無しか口元が歪んでいる。

 その目の前にいるのは、先程まで殺すか死ぬかのやり取りをしていたアルカネットとシスター・ミュゼだった。二人とも暁とアクエリアにより、椅子に座ったまま羽交い締めにされていた。その状態でぐったりとしているが、どちらも痛めていた腕には固定がされている。

 この状況を、これまでとは違う意味合いで顔を青くしながら見ているフェヌグリーク。


「仕方ねぇだろ、治療だ。アルカネット、お前さんももうちょっと忍耐鍛えろ」


 手元の包帯を弄りながら、若干楽しそうに二人に語りかける。首の動きだけで暁とアクエリアに合図を送り、二人の拘束は解かれる。椅子に項垂れるような姿勢になった二人は、小さい呻きのみを漏らして身動ぎのひとつももうしない。

 二人の治療をしていたアルギンは、その際余分な力を加えていたらしい。アルカネットは折れては無かったものの遠慮の無い外傷の確認(主に傷グリグリ)、特に骨が折れてズレていたシスター・ミュゼはマスターによる手荒い整復の時の凄まじい痛みに絶叫をあげた。拷問とも思えた治療の痛みに、シスターの頬に涙の跡が見て取れた。


「で、だ」


 余力なんて言葉など最早通じない程に、満身創痍のシスター。マスターは彼女に視線を向けて、その涙の理由を嘲笑うかのように唇を歪める。


「シスター。幾つか聞きたいことがある」

「………」

「『紫花歴72年、穂積地区』。お前さんの生まれはそれで間違いないのか」


 シスターの瞳がどこか遠くを見るように、僅かに細められる。その後で力のない視線が、徐にマスターの方を向いた。


「ああ」


 ただ、短い吐息に似た音がシスターの口から漏れる。


「アルセンにそんな年号も地名もない。……本当の事を言え。でないと、その折れた骨が間接になるぞ?」

「……例え腕もぎ取られて曲芸師にブン回されても、お望みの答えを出すことは出来ねぇな……」

「無駄口叩く気力はあるんだな、安心した」


 マスターがオルキデの側に寄った。その手から優しい手つきで包丁を横取りする。魚の鱗と血が付いたままの包丁を。

 そしてそれを手にしたまま、シスターの側に歩み寄った。


「関節追加も曲芸師の余興もお気に召さないらしい。じゃあ指先から摩り下ろす? 刻んでパスタの材料に、ってのもいいかもな」

「………悪趣味……だな」

「アタシの『望む答え』とやらが、お前さんに出せるように手伝いしてやろうって言ってんだよ」


 包丁が、シスターの輪郭をなぞる。長い金の髪が撫でつけられるように動き、髪に隠された髪が現れる。

 その耳は、人間としてはまずあり得ない形をしていた。それを見たマスターが、包丁の動きを止める。

 エルフのように尖るものの、人間と同じ大きさの耳に、マスターの視線が向けられていた。


「……お前さん、この耳」

「………」

「エルフ……の、混血か」


 包丁を持っている逆の手で、マスターが自分の髪を掻き上げる。現れた混血エルフとしての尖った短めの耳、しかしシスターは一度視線を向けただけですぐ逸らしてしまった。


「同胞を血祭りにあげる気にはなれないな」

「……同胞、だと?」


 震えるシスターの声。眉を顰めたマスターに、漸くシスターの視線が向いた。その瞳には、先程受けた拷問に近い治療のせいではない涙が浮かんでいた。


「何の為に、私が、あのひとが、こんな目に」


 それは怨嗟にもなりきれない、か細い声。何かを訴えるようでありながら、それで何を訴えたいのかマスターには解らない。包丁を持つ手を下げながら、困惑を隠すように無表情を繕いながら溜息を吐く。


「次の質問だ。アタシは、……お前さんを知らない。アタシをどこで知った?」


 最初の質問に、これ以上進展が無いと踏んだマスターが話を変える。質問を受けたシスターは、もう視線を逸らす事は無かった。


「私の、育ての親」


 短く答えたシスター。


「育ての親?」

「親を戦争で亡くした私を育ててくれた……ひと」

「戦―――」


 掠れた声がマスターの口から漏れる。途端、それまで余裕ぶっていた顔から血の気が引いた。アルカネットが、その意味に気付いて先程まで自分を拘束していた暁を見やる。――暁の表情も強張っていた。

 『戦争』という言葉はマスターの心の傷に直結している。その意味を知っている暁が歩を進めて、シスターの側に寄った。


「……それは、先の大戦のことですかねぇ? 小競り合いだったらずっと続いていますから、その方のお名前を教えてくれたら助かりますが」

「……軽々しく教えるなと言われてる、あの人は秘密主義が過ぎたから」

「そんな人を育ての親に持つと大変ですねぇ。 ……戦争ですか、何歳の時のものかにもよりますが、二十年前ならファルビィティスの――」


 暁がそこまで口を滑らせて、思わず自分で口を塞ぐ。その国出身のマゼンタとオルキデの姉妹が『軽々しく祖国の名を口に出すな』と言わんばかりの視線で見ていたからだ。

 暁の失言に少しは冷静さを取り戻したのか、マスターが包丁を持つ手を上げ、軽く振って見せた。


「……尋問、今日はここまで」


 酒場の開店時間も迫っている。包丁を姉妹に返しつつ、自分も準備に取りかかるためにエプロンを手に取った。


「シスター・ミュゼ」


 エプロンを巻き付けながら、シスターに向き直るマスター・アルギン。


「アタシは、お前さんを勧誘するために連れてこさせたんだ」

「「「はぁ!?」」」


 その声はアルカネットとフェヌグリークと暁から。特にフェヌグリークはこれまでの怒濤の展開に、今にも白目を剥いて倒れそうになっている。

 シスターも、声は出なかったようだが驚きで目を見開いている。何かを言いたげな唇も開いては閉じてを繰り返してばかり。


「今日は飯食って風呂入って休め。明日、話の続きをしよう」

「え……ど、どういう風の吹き回しで……か、勧誘なんて」

「お前さんが、助けてくれたんだろ? アタシの『弟』の、『妹』。……日陰仕事も厭わない奴で、腕に覚えがある奴なら、って思って。まぁまさかそれがシスターだったなんて思わなかったが」


 親指で差したのは、アルカネット。そしてフェヌグリーク。二人が顔を見合わせて、内心複雑そうな顔をする。


「お前さんもウチで働いてくれるなら、こっちから渡す金も増えて孤児院の暮らしも一層楽になるかも……なぁ?」


 孤児院の話をされたシスターの肩がピクリと跳ねた。


「うちは金払いはいいぞ、腕に覚えがあって報告・連絡・相談が出来て外部にボロ出さなきゃそれだけで即戦力だ。秘密主義で戦うシスターなんて満点じゃねぇか」

「それでも……私は、もう、あの場所に戻るなんて」

「出来るさ」

「……アルカネット」


 思い悩むようなシスターに、アルカネットが声をかける。俯いたままのシスターがそちらを向いて、フェヌグリークも頷いた。


「皆、シスターの事が大好きです。だから」

「……でも」

「お願いです。戻ってきて下さい」


 シスターは黙り込む。その瞳に、うっすらと涙が浮かんでいた。


「……今日一晩、考えさせてくれ」


 震えた声は、それだけを告げる。

 マスターはその三人の姿を横目に、酒場仕事に戻っていった。

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