第10話
「しすたー! フェヌおねえちゃんがかえってきたよぉー!!」
孤児院の庭に子どもの声が響く。
半日行方不明だったシスター見習いが漸く帰ってきた。兄である自警団の人間に連れられて。
「おねえちゃんーっ! おかえりぃー!!」
二人の表情は浮かないものだったが、その声を聞いて漸くフェヌグリークの顔に笑みが戻る。見える子どもの姿に思い切り手を振ると、その子も振り返してくれた。
「ただいまー!!」
よく通る、フェヌグリークの声。孤児院に近寄れば近寄るだけ、フェヌグリークに気付いた子どもたちがわらわらと姿を現していた。
二人は門を潜らない。門と低い柵とを隔てた所に、子供達に近寄らないようにと立っている。
「おねえちゃん、お帰り!!」
「どこ行ってたんだよー、もー!」
「可愛い服着てるー! いいなー! いいなー!!」
「心配したんだからね!」
群がられるフェヌグリークはとても嬉しそうだ。子どもの一人と目線を合わせる。後ろに控えるアルカネットも、子どもたちに群がられ登られ、でも表情は暗かった。
「―――シスター・ミュゼは今どこにいるかな?」
フェヌグリークの唇が、とても重そうに、震える声でその名前を口にした。
問われた子どもは首を捻った。
「シスター・ミュゼ? えーとね」
その子どもが側の子どもと目を合わせる。そうしてその周囲から、少しの動揺が伝播した。子ども同士が目を合わせ、周囲をキョロキョロしている。
その様子に二人も首を捻った。その名前のシスターは常勤だ。昨日もアルカネットに紅茶を出してくれた、あのシスターなのだから。
「……昨日から、帰ってないの」
別の子どもから告げられたその事実に、アルカネットとフェヌグリークは顔を見合わせ――――走り出した。
「おいっ、シスター・ミュゼが例の犯人って、本当なのか!!」
走り出したフェヌグリークを追いながら、アルカネットが大声で聞いた。アルカネットは体力に自信がある人間だが、フェヌグリークに追いつくだけで精一杯だった。どこに向かっているかわからない、けれどついていくしかない。
「っ、……本当だよ!!」
「行方、不明がっ……! まさか、一人じゃないとはな!!」
半ば叫ぶように、フェヌグリークが答えた。恐らく全力疾走だろうに息が切れていないのは、『人間』ではないからか。
種族の特性について、どこかで冷静に考えている自分に気付きながらアルカネットも走る。しかし、アルカネットは人間なので息も切れがちになってきた。選んだ道は人通りの多い場所でないのが救いか、ただフェヌグリークの後ろについてまっすぐに走る、走る、走る。
「っ、フェヌ……! どこ、に……!!」
「あのひとは、っ」
走って、さて、間に合うのだろうか。それはフェヌグリークにも解らなかった。しかし心当たりがあるのは自分だけだ、と走り続ける。
やがて開けた場所に出た。そこは五番街の郊外に位置する、人影のない河原だった。
「……あの人も、行き場所が無いって言ってた」
途切れ途切れの息でもなんとかついて行けた。アルカネットが膝に手を置いて荒い息を繰り返しながら周囲を見渡す。
川辺なら釣りをする輩や子どもが遊んでいてもおかしくないのだが、見渡してみた所、子どもどころか誰もいない。不気味な静けさを帯びたそこに、一歩を踏み出すフェヌグリーク。
「あの人、シスター・ラドンナが一年前……この場所で見つけた行き倒れだったんだ」
「……行き倒れ?」
「名前はわかる、年は覚えてる。でも―――」
アルカネットもこの場所は知っていた。ここにある川は、王城がある十番街と繋がっている。こちらの方が下流で、まだ魚の姿がちらほら見える程度には綺麗な川だ。川岸まで近寄って、その水の流れを覗き込むフェヌグリークとアルカネット。
「『今は何年ですか』『新暦って何ですか』『何月だ』『ここは』『どこだ』―――」
「……記憶障害か?」
「……解らないの。ただ、知らない年号と、知らない場所の名前を言ってた」
「国が違うのか。どこ出身だ?」
「………それが」
「私はアルセン出身ですよ。紫花歴72年、穂積地区生まれ」
聞こえた声に、反射的に顔を上げる。
「ミョゾティス。私の父がくれたのは、そんな名前です」
反対の岸に、膝までの黒いコートを着た、長い金髪を一つに縛った女性が立っている。
―――シスター・ミュゼ。その人だ。
「……シスター・ミュゼ」
「困りますね、アルカネット様。あの物騒な事件、貴方の仕業だったのですね?」
「シスター、俺は正直……何かの間違いであればと思っていた」
「貴方が信じるのであれば、それは貴方の中では間違いです。さぁ祈りましょう、アルカネット様」
「誤魔化すな」
いつもの調子で、信神深い様子で、両手を重ねて祈る体勢を取り始めた。しかしアルカネットの言葉に、片目を開いて薄い笑みを浮かべるシスター・ミュゼ。
「……まぁ、こうなるって解ってたがねぇ」
手でコートの埃を叩くように払いながら、途端にこれまで誰の前でも一切見せなかった素を出してくる。柔和なシスターの微笑ではなく、どこか箍の外れた生き物の笑顔。
アルカネットの背筋に何かが駆け上がる。どこかで、こんな笑顔と同じものを浮かべるひとを知っている。
「自警団が犯人捕まえるんだろ、普通。それが自警団員が人殺しってどういうことだ?」
「……こっちにも事情がある。シスター・ミュゼ、一緒に来てもらおう」
「冗談言うなよ、なんで私が付いて行かなきゃならん。幾らフェヌグリークの兄貴っつっても、もう信用ならないな」
即答での拒否に、アルカネットが歯噛みする。力づくで言うことを聞かせることも出来るだろうが、対岸にいる相手を捕まえることは難しそうだった。それを解っているシスター・ミュゼはその場を動かない。
何か注意を逸らせるようなものがあれば。そう考えて思考を巡らすも、自分の獲物は投げるに適さない。
「……シスターに逢いたがっている人がいる」
「へぇ、誰?生憎私に今親はいないし、知り合いなんて孤児院以外に」
「うちのマスターだ」
「マス、……。………アルギン様、か……。」
途端に表情が変わる。苦虫を噛み潰したような顔で、アルカネットの顔を見返した。
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