第5話 旅立ち
はあ…はあ…
無我夢中で走り続けたサラ…気が付くと丘の桜の下まで走っていた。
そしてハッと我に返る。
そう、いつも眺めては心奪われる丘の桜が、ちょうど満開になっていたのである。
満月の月明かりに照らされた桜は、辺りを薄紅色に染め、静かに佇んでいる。
ピアノに弾きくれる毎日で、すっかりと桜の花が咲いている事すら気づく余裕が無かった。
「あそこから見ると、桜と月が一緒に見れて綺麗かしら?」
サラは対岸から伸びる橋を渡り、見晴らし台から桜を眺めた。
「綺麗…」
月明かりが桜をすり抜け、薄紅色から青紫色に変わり周りを照らしている。
「こんな綺麗な景色のように、上手くピアノが弾けたらなあ~」
サラは心の中で呟くと、いつも首から下げているペンダントを開き母の写真を眺めた。
ピアノが大好きだった母…
今となってはサラの方が上手いだろうが…
幼いころに色々と貰ったアドバイスが頭を巡る。
「お母さんならこういう時、どうするんだろう…」
「私もあの曲が弾けるようになりたい!!」
『神様お願い…』
ペンダントを強く握りしめると、つい心から飛び出たように言葉が出てしまった。
その時…!!
フッと…辺りが一瞬暗くなって、急に時間が止まった感じがした。
「パキーーーン!!」
鏡が割れたような音が響き渡ると、ペンダントから光が発し、桜の樹に紋章を浮かべた。
真円にYの真ん中に1本線を増やしたような紋章である。
そして泉にはサラがいる中央から小さな波紋が広がり…
次の瞬間、スゥ~っとサラの体を、優しく風が通り抜けた気がした。
何が起きたのか理解できず、呆然と立ち尽くすサラの後ろから声が聞こえる。
「俺を呼んだのは貴様か? 小娘!」
サラが慌てて振り向くと、そこには赤や金色の派手な衣装に身を包んだ、日本人らしき男が立っている。
い…いや…浮かんでいる。
歳は40才くらいだろうか?
長くボサボサの髪に細長の顔。
鋭く切れ長の目に筋肉質な体系である。
手にはあの紋章と同じ形の杖を持ち、腰には刀らしきものも携(たずさ)えている。
「あ…あなたは誰?」
小声で震えながらもサラは思い切って聞いてみた。
「俺は、時ノ神 定継(ときのかみ さだつぐ)まあ、トキと呼べばよい」
「で…用はなんだ?」
驚きのあまり放心状態のサラを見て、トキは時間を惜しむように続けた。
「おい小娘! 用があるから呼んだんだろ? 無いんだったら帰るぞ…」
激しく動揺しながらもサラは思い切って答えた…
「小娘じゃないわ、私はもう27よ!」
「それに、サラっていうちゃんとした名前があるんだからね!」
それを聞いたトキは失笑し、こう返した。
「フハハ…やっぱり小娘ではないか!」
「この桜が樹齢1000年を超えた頃から、魂を宿りすでに800年以上経ってるんだ」
「貴様、この俺様を何歳だと思ってるんだ!フハハハハ…」
「やっぱりお前は小娘だな!ワハハハ…」
今度は大きな声で高笑いすると…
「で、用は?」
急に普通の表情に戻り、真面目に聞いてきた。
つかめない性格である。
「私は…ピアノが上手になりたいの…」
チラっと上目づかいで懐疑的にトキを見たサラが言った。
「チェッ…久々に呼ばれてどんな願いかと思えば、そんなくだらん事か…」
他愛もない願いで拍子抜けした様子でトキは…
「小娘…貴様が世界で一番上手いと思っているピアニストは誰だ?」
と質問してきた。
「う~ん…分からない…私はどちらかと言うと、歌の方が好きなんだもん」
そう答えたサラを見て、面倒くさそうにトキは懐から何かを取り出した。
そしてポンと1点を押すと、そこに向かって話しかけたのである。
「世界で一番有名なピアニストは誰だ?」
「世界で一番上手いピアニストはロシアのセルゲイ・ラフマニノフだったと言われています」
と、その箱のようなものが突然喋った…
「ギョエーーー!! なにそれ!!」
目が飛び出しそうな…? いや…飛び出して驚いたサラ。
「これはなあ~未来の品物でスマホというものだ!」
「ここを押して話しかけると、未来のグーグル先生と言う方が調べて教えてくれるのさ!」
「セルゲイ・ラフマニノフって誰だろうな…こいつも調べてみるか」
ポン、ポンと2回ほど光っている所を押すと、トキはこう答えた。
「1873年生まれで、死没は1943年だな」
「詳しい事が分からない時はな、このウィキ・ペディア君に調べて貰うのさ!」
淡々とした口調で話すトキを、すでに何を言ってるのかさえ理解出来てなかったが…
「未来には凄く頭の良い人がいるのね…」
「どんな事も分かるって凄いわ!」
「私もその人たちに会ってみたいなあ~」
と言ったサラに…
「まあ、もしかしたら会えるかも知れんな…」
と濁し口調でトキが答えた。
「ケケケ…この小娘、グーグルとウィキペディアを本当に人だと思ってやがる…」
「まあサラが、2010年頃まで生きるのは無理だし、どうせ分らんだろう…」
トキは小悪魔のように心の中で笑った。
「よし、手を出せ…早速行ってみるぞ!」
サラの手を取ると杖を天にかざし…
「タイムトラベラー」と呪文を唱えた。
「ふ~ん…ありきたりの誰でも考えそうな呪文ね!」
センスのない魔法名に、サラは眉間にシワを寄せ上目遣いで言った。
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