決着

 ようやく、追い詰めた。

 しかし、きっとそれは、約束された結末だったのだろう。


 魂を削り合うようなちからのぶつけ合い。それを最後まで演じきった俺は、ほっと一息をく。


 だが、考えてみれば、これはけられない必然の帰結だった。


 なぜなら黒騎士は、俺が手に入れた蒼い炎に対抗するため、黒い炎の火力強化を余儀なくされたからである――ここが湖の上に張った氷のフィールドであるにもかかわらずだ。


 そして、とうとう限界が訪れた。

 湖に張った薄氷は、いつまでも黒炎の熱さと黒騎士の重さに耐えられない。だから、限界が訪れたその瞬間、黒騎士が足を踏み込むと同時に、奴の足場は音を立てて割れてしまったのである。


 言ってしまえば、それだけの話だ。

 その見事な足場の崩壊っぷりは、まるであらかじめ用意された罠にはまったかのようであった。


 鎧の重さにどんどん沈んでいく黒騎士。当然ながら、奴は必死で足掻あがいた。

 炎が完全に消える前になんとか這い上がろうと、全身から黒い炎を噴出する。


 だが無駄だった。


 その悪あがきは全て裏目に出て、周囲の氷をさらに融解させる結果に終わった。


 もはやさっきのような、炎の勢いを利用した脱出は不可能らしい。

 ほぼ燃料切れの黒い炎からは、自重を飛ばすほどの勢いを得られなかったようだ。


 あれだけ大勢の味方から奪った命すらとっくに使い果たし、ガス欠となった黒騎士。

 打つ手を失くした彼は、その意志に反して、憎悪に染まった途切れ途切れな命のともしび鎮火ちんかさせていく。


 断続的に燃え上がり、そして冷たい水にかき消されていく黒い炎。

 その必死で燃え上がる炎の音は、まるで黒騎士自身の叫びであるかのようだった。


 俺は蒼い炎のたてがみを揺らめかせながら、奴の姿をじっと見つめていた。


 気分はシロクマだ。

 具体的には、アザラシの首をへし折ってやろうと、氷の穴から顔を出す獲物を待ち構えるシロクマの気分だ。


 もし水の中から奴が這い上がろうものなら、再び冷たい湖の中に叩き落としてやろうと思っていた。


 だが……もはやその必要すらもなかったらしい。


「終わりだな」


 辛うじて氷のふちに手を掛けた黒騎士を見下ろしながら、俺は勝利宣言をした。


「俺の勝ちだ。敗者は大人しく、この世界からせろ」


 俺の口から飛び出したのは、自分でも引いてしまうぐらい辛辣しんらつな言葉だった。


 だが、今までの痛みや、こいつらのせいで流れた涙の量をかえりみれば……この程度の意趣返しなんか、許されてしかるべきだろう。


 なにせ、この世界はチカラこそ正義――つまり、勝者おれこそが、正義なのだから。


「…………ぜだ」


 氷のふちにしがみ付く黒騎士。その黒いかぶとの中から、くぐもった声が聞こえた。


「なんだ? 恨み言があるなら聞いてやるぞ?」


 もちろん、聞くだがな。

 そして、盛大にわらってやる。


 俺は意地悪な態度で黒騎士を挑発した。


「ナぜだ、なぜダ!? 何故なぜ私が負ケた!?」


 氷の上に乗った俺を見上げながら、黒騎士は冷たい水の中で叫ぶ。

 人間の声と、空気を震わせる炎の音。それらが混じったような聞き取りにくい声で、鎧の亡霊は問いかけてくる。


「私コそがメアリス教の聖騎士にしテ、異端審問官。正義ト秩序をつカさどる者!」


 俺はその思い上がった発言を嘲笑あざわらう。


「正義と秩序ぉ? 違うな。お前は、ただの人間。たまたまほのおを手に入れただけの、脆弱ぜいじゃくな人間だよ」


 勝った者は何を言っても許される。

 逆に敗者が何を言っても、誰も聞いてくれないだろう。


 それがこの世の真理だ。


 敗者たる黒騎士が言葉にした『正義』や『秩序』なんて、もはや存在しないに等しいのだ。


 グランツによって斬られたかぶとの割れ目から、黒い炎が揺らめく。

 面頬バイザーのせいで表情は見えないが、漏れ出た炎の動きから、こいつがショックを受けて動揺しているのが見て取れた。


「違ウッ! 私は、生まレながラにしテ使命をたまわっタ。みだらデ罪深キ者たチとは、一線ヲかくす存在!!」


「それこそ違う。お前は黒い炎におごっていただけの人間だ。お前はそれ以外の、何者でもない――お前が生まれた理由なんて無いし、特別な使命なんかも存在しない」


「高潔デあルことガ私の誇リ! 狂えル騎士のチカラっテ、あらゆル邪悪を排除シ、異教徒を粛正しゅクせいスル……英雄の、末裔マつえいなのだ――……」


 段々と語尾が弱まってくる。

 次第に黒騎士の口調には、懺悔とか後悔とか、悔しさが混ざり始めていた……ように聞こえた。


 そして、それは決して俺の勘違いではなかったらしい。


「……そうでなイならば、いっタい私ハ、なンのたメに戦っテきタ!? なんのタめニ、殺してキた……?」


 それを聞いて、俺のにやけた口元から嘲笑が消えた。




 もし奴が俺を見下して、不遜ふそん傲慢ごうまんな態度を取り続けたのなら、俺は心置きなく奴の最期を見届けただろう。


 しかし、死の間際で奴は『なんのために』と口にした。

 自分の心を殺し、他人の都合で生きてきた俺にとって――その叫びは聞き捨てられないものだった。


「……なあ。お前はなぜ、バフォメット族を殺そうとした? なんでそこまでして……ソフィアに執着した? それも、黒騎士ニブルバーグの使命ってやつだったのか?」


 つい、たずねてしまった。


 我ながら、自分の身勝手さに呆れる。

 さっきまで盛大にわらってやろうとか考えていたはずなのに。


 しかし、これ以上は――この憐れな騎士に、そんな残酷な仕打ちをするなんて、俺にはもう、できなかった。


「ナゼ……?」


 自分のことなのに、たずねられた黒騎士は困惑した声を漏らす。

 そして思い出しながら語るかのように、言葉をつむいだ。


「……アア、そうダ。私は……彼女を、救いたかった」


「彼女を、救う……?」


「彼女は、私を見テくれた、私に触れてくレた……呪いにただレた私を拒絶しナかった、私の心を救ってクれた……」


 ……もしかしなくても、『彼女』とはソフィアのことなのだろう。

 何があったかは知らないが、黒騎士は過去に、彼女の治療を受ける機会があったのかもしれない。


 つまり――いわゆるナイチンゲール効果とか、症候群シンドロームってやつだろうか。

 いや、彼女の真摯しんしな優しさに触れたのなら、あの心優しい少女を嫌いになるほうが難しい。


 たとえ本気でれてしまおうとも、それは無理のない話だろう――特に、絶望と孤独を抱えて生きてきた、俺たちみたいな人間にとって、彼女の優しさに逆らうなんてことは、不可能に近い。


 想像の域を出ないが、黒騎士もおそらく、ソフィアにれていたのではないだろうか。

 しかし、そうだと仮定すると、黒騎士のおこないは真逆であったように思える。


 だがその疑問も、続く彼の独白によって解決した。


「だかラ、私は、彼女を殺さネばなラなかッタ。彼女を救いタかった。黒い炎で、こノ世界から、女神様から逃がサなけレばと………」

「この世界から、逃がす……か」


 矛盾している。

 だが、狂っている、とは言い切れない。


 断片的にとはいえ、片翼の女神の真実を――あの蟲と人間が混じったような邪神の存在を知った今となっては、黒騎士の発想を安易に否定できなかった。


 もちろん、こいつが過去の真実を知らない可能性は高いが……それでも、信仰的に考えて、どうせバフォメット族で亜人のソフィアは地獄行きとかいう設定なのだろう。


 ならばいっそ、彼女を救うために精霊すら焼き尽くす黒い炎で魂を消滅させる――そう考えるのも、まあ納得がいく。


 意外にも俺は、黒騎士が語った理由が理解できた。

 多分それは、ずっと俺が、生きることに絶望しながら生き続けてきた経験があるからだった。


 そして、同時に俺は察する。

 こいつはおそらく、女神の教えを信じていたんじゃない。


 単に、それ以外の生き方を知らなかったのだ。

 どれだけ理不尽な教えであっても、黒騎士にとってはそれだけが唯一の真実で、世界の形だったのだ。


 黒騎士もまた、自分の意志こころを殺しながら、信仰のために生きてきたのだろう。


 そして、黒騎士という名の都合良い兵器として――奴自身は何者にもれないまま、苦しんでいたのかもしれない。


 それは、まるで――。




「ひトつだケ、教えテくレ」


 最期さいごの力を振り絞るように、黒騎士が言った。


「ハたして、私は……間違っテ、いタのだろうカ……?」


 ……それをいてくる時点で、本人の中では薄々答えにたどり着いているのだろう。

 だが、俺は思ったことをそのまま言葉にして、その質問に答えてやる。


「……この世に、絶対の正しさなんてものはない。正義とか正しさってやつは、勝者の、あるいは強者のおこないを正当化するための言い訳だ」


 黒騎士は黙ったままだ。俺は続ける。


「まあ……俺の個人的な意見を言わせてもらうならば――」


 そう。あくまで、俺の個人的な意見だ。

 絶対ではない。


 しかし、同時に普遍の真実でもあるはずだ。


「――お前は、間違っていた」


 俺は、おそらく黒い騎士が望んでいるであろう答えを言ってやった。


 ただし、補足させてもらうなら……間違っていたのは彼のおこないではない。


「本当は後悔しているんだろ? ソフィアの味方になってやれなかったことを。だからお前は、そんな質問をするんだ。」

「…………」


 黒騎士は沈黙したまましゃべらなかった。

 俺は勝手に続きを語りかける。


「誰かの正義つごうじゃなく、自分の言葉で、自分の意志で、自分がやりたいことをやらないと……そこが他人任せじゃ、善悪とか、それ以前の問題だろうさ」


 もちろん俺は、むやみやたらに他人を傷つけるべきではないと思っている。

 だが、結局それだって、俺の心の問題。


 すなわち、俺の正義つごうにすぎない。


 例えば、俺が黒騎士に敗れれば、その瞬間からこの世界では、破壊と凌辱こそが正義となったはずなのだから。


 しかし、それは未だ見ぬ邪神アリスの意思であって、黒騎士の望んだ正義ではない。

 それこそが彼のあやまちだと、俺は思っていた。


「そうさ。お前は何者でもなかった。お前は最初から最後まで、『メアリス教国の黒騎士』でしかなかった。正義とか罪で悩むのは、お前がお前になってからすべきことだったんだよ」


 とはいえ、この黒い騎士の命は、ここで終わるんだがな……あまりにも、皮肉すぎる。

 偉そうに説教している自分が、なんか妙に笑えた。


「そもそもさ、やっていることが自分の意志にすら反していたのに……それで正解なわけがない。そうだろう?」


 だからお前は間違っていた。

 言外に俺はそう言った。


 ……さて。ちゃんと伝わっただろうか?

 言いたいことを言いたい放題言った俺。今度は押し黙って黒騎士の反応を待つ。


「……そうカ」


 かぶとの下から黒騎士の声が聞こえた。

 それは、さっきまでとは打って変わって、とても穏やかな声だった。


「やはり、私は……間違っテいたのか……」


 ――よかった。


 最後に奴はそう言った……ように聞こえた。




 その瞬間、奴の黒い鎧が崩れ始めた。

 まるで形を維持できなくなったかのように、部品パーツごとバラバラになっていく。


 湖の中に沈んでいく鎧の中身は、完全に空っぽだった。


 いて言えば黒い炎が燃えていたが、それも人間の形を維持できなくなって、水の中で静かに消えていった。

 炎に映る幻影として一瞬だけ見えた黒騎士の顔は、ものが落ちたかのような、安らかな表情だった。


 そして、その表情が、俺にはなぜか勝ち誇ったかのように見えた……いや、もしかすると、奴は本当に勝利したのかもしれない。


 きっと奴は、俺に殺されることで、自分の運命に打ち勝ったのだ。


 どこまでも透明で青い水の向こう、その深い闇に呑まれて見えなくなるまで、俺は沈んでいく金剛鉄アダマンタイトの鎧を見送った。




「……やすらかに眠れ、クロード・フォン・ニブルバーグ」


 せめて貴様が愛した彼女が治めるこの国で、この美しい湖の底で、彼女の幸福を祈りながら……。




 湖底に消える黒騎士の残滓ざんしに、俺の胸は押しつぶされそうになる。


 今までずっと敵対していたが……最後に話してみて、考えを改めさせられた。

 あいつは思っていたより、ずっと良い奴だったのかもしれない。むしろ、俺と似通った存在だったのかもしれない。


 だが、これが、これこそが、自分が選んだ正義の結末だ。


 そして、これからも俺は永遠に、似たようなことを繰り返すのだろう。


 感傷的な気持ちにひたるなか、俺の傷を修復するけものの呪い。

 そして燃え上がる、押し付けられた神殺しの蒼炎――その揺らめきはまるで、「それでも生きろ」と、俺を責め立てているかのようだった。




 役目を終えた氷の闘技場が、ガラガラと音を立て倒壊する。

 俺は精霊たちに命じ、王都にかかる雪雲を晴らした。


 降り注ぐ光の筋が、人々に俺の勝利を伝えてくれる。レヴィオールの首都からは、歓声が響く。

 どうやら、あっちもつつがなく、敵兵の無力化に成功したようだ。


 この戦争は、レヴィオール王国の勝利に終わった。




 遥か遠く、レヴィオールの王都。

 彼女が居るべき世界と、俺が居べきる氷の世界。


 そこに感じるへだたりは、決して気のせいじゃないだろう。




 それでも俺はソフィアに自分が無事であることを伝えたくて、勝鬨かちどきの咆哮を上げた。


 ひと際大きく大気を震わせたけものの声は、俺が統べる冬の世界に響き渡った。




 遠く、遠く、霊峰に木霊し続けた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る