天蓋を墜とす(下)

 まるで閃光玉を投げられたモンスターみたいな気分だ……いや、“みたい”ではなく、実際にそのまんまな状況だと言える。


 強烈な光に目がくらんで、何も見えない。

 上手くいったと思ったのに、やり返されてこの有り様だ。

 しかし、俺の胸中に渦巻くのは、失敗した無念さではなく、壮絶な違和感だった。


 ――なぜ、このタイミングで閃光なんだ?

 ただの嫌がらせか? そんな余裕があるなら、むしろ回避に専念すべきだっただろうに。


 逆に必要だったと仮定しても……わざわざ閃光を放ってから転移を?

 おかしい。どう考えても、そんな時間があったとは思えないぞ。


 加速した? それとも時間停止か?

 おそらく違う。そんな便利なことができるならば、そもそも閃光だって必要ない。


 だいたい、転移する瞬間って、そんなにも見られたくないものなのだろうか――?


 その理由を考えて、俺はふと気付く。

 思い返してみれば、彼女が今まで“転移”した時、俺は毎回――。


「……もうすぐ、夜が明けますね」


 星詠みの魔女は静かに口を開いた。

 ようやく視界が戻った眼で背後を見やれば、割れた卵の殻みたいになった氷のドームの壁に星詠みの魔女が立っていた。


「しかし夜が明けても、暗雲が晴れるとは限らない。冬が終わったところで、暖かな季節が訪れる保証なんて無い」


 なんとなく、その言葉が俺にとって最終忠告のようにも聞こえた。


「それでも、貴方はまだ戦いますか? 貴方はまだ、自分で歩む未来を望みますか?」

「――もちろんだ」


 だが俺は、躊躇ためらうことなく答える。


 やっと突破口が見えたのだ。いい加減、そろそろ、終わらせよう。

 いつまでもお前と、遊んでやるわけにはいかないから。


 ――自分の意思でするのは久々だが……まあ、問題ないだろう。

 強いて問題を挙げるとするならば、だいぶ無理のある構造にならないといけないことぐらいか?

 だが生物的に多少の不具合があったところで、今は一時的な間に合わせで充分なのだ。

 やらない選択肢はない。


「心配するな。夜が明ける前には、決着がつくだろうよ!」


 俺はそれだけ言うと、空の果てに向かってえた。

 おそらくこれが、今宵精霊共に下す最後の命令。


 ――【空よ】【雲よ】【凍って】【堕ちろ】――


 俺の咆哮が冬の世界に響いて、空がひび割れる音が聞こえた。




 ――唐突だが、“杞憂きゆう”という故事がある。


 その由来は、古代中国のという国。とある男が「空や大地が崩れ落ちたらどうしよう」とひどく心配した……というくだりから始まる物語だ。


 そこから転じて、一般的に「取り越し苦労」といった意味になるのだが――少なくとも、この場においては、彼のうれいは無用な心配じゃなかったらしい。




 それはまさしく、闇色の空が落ちて来るような光景だった。

 厳密に言えば、頭上から迫って来ているのは板状の巨大な氷の塊だ。

 しかし、ただ“氷”と表現するには、あまりにもデカすぎる。この圧倒的な質量は、“氷山”とでも称するべきだろう。


 分厚い雪雲に覆われていた空。

 俺達の居る雪原の真上にだけ、ぽっかりと穴が開く。

 空を埋め尽くしていた数百トンもある分厚い水の塊が、凝固して一枚の氷山として落ちてきたのだ。


 あれが地面に到達するまで、時間はそれほどかからない。

 よく覚えていないが、フリーフォールだと確か、上空四千メートルからダイブしても一分前後しか自由落下の時間はないと聞いたことがある。

 そして雪雲とか乱層雲だとかは、それよりずっと低い位置に浮かんでいたはず。

 だから、あの氷山は――ざっと三十秒もあれば、この雪原を押しつぶすはずだ!


「ステラちゃんを倒すためとはいえ……いきなりここまでしちゃいますか、普通?」


 迫り来る空を見上げながら、驚いたような、あきれたような――そして、焦っているような表情を見せる星詠みの魔女。心なしか笑顔が引きつっているようにも見える。

 俺はその動揺した隙を見逃さない。

 彼女が立っている壁ごと崩す勢いで、視線を逸らさないように襲いかかる。


「ハッ、どうした! さっきまでのにやけたツラが消えてるぞ?」

 攻撃しながら叫ぶ俺。

 今までいいように翻弄ほんろうされた鬱憤うっぷん。それを晴らす意味もかねて、俺は挑発した。


「……すみません。いえ、ちょっと今は本気で余裕が無いので――ここからは、おふざけなしで行かせてもらいます」

 星空のようにキラキラ輝く瞳が、別の熾烈な光を宿した。

 意地でも笑顔を絶やさないつもりなのか、それともこれこそが彼女の本性なのか、星詠みの魔女は挑発に応えて不敵に微笑む。


 星詠みの魔女は珍しく、真剣に対応する姿勢だ。

 彼女の周囲に生み出された光弾はさっきまでのものより明らかに強い輝きを放っており、その動きも鋭くてがある気がした。


 もしかすると、彼女も内心では冷や汗をかいているのかもしれない。

 そう思うと自然と俺の口元は愉悦に歪み、無意識に牙をいてしまう。


 空が落ちてくるまでの、ほんの数十秒の攻防。

 その間に少し計算違いがあって、巨大な板状の氷が自重で割れてしまったわけだが……冷静に考えたら、トン単位の氷が脆そうな形状を維持したまま落ちてこられるわけがないよな。

 いずれにせよ「面による制圧で自分諸共ぶっ潰す!」という適当極まりない作戦は、あっさりと頓挫とんざした。

 しかし、降ってくる氷のブロックを回避しようと思ったら、その難易度は変わらず狂気的ルナティックだ。


 当然のごとく、星詠みの魔女は落ちてくる氷の破壊を試みながら、偶然できたわずかな隙間も目敏めざとく狙う。

 対する俺は、そんな彼女を全力で妨害する。

 安全地帯には氷の罠を。

 彼女の放つ光弾には氷柱つららの身代わりを。

 そして、視界に魔女をとらえ続け、まばたきひとつせず、絶対に逃がさない。


「ちょっと! さっきからイジワル過ぎませんか!?」


 絶えず地面から生えてくる氷のランスかわしながら、悲鳴のような声を上げる星詠みの魔女。

 いい気味だ。

 散々やられっぱなしだったが、ここに来てまさかの形勢逆転である。


 もはや彼女に振り回される必要はない。彼女のを知った今、優位なのは俺。

 あとはひたすら、かの有名な提言――「人の嫌がることを進んでしましょう」を実現するまでだ。


 そして十数秒後。ついに、その瞬間が訪れる。

 雪雲が厚さ数メートル前後まで凝縮された氷山。それが頭上すぐ近くまで迫る。


 陣取り合戦なら、雪と氷を支配する俺のほうが有利。

 安全地帯は俺が確保している。

 星詠みの魔女の立ち位置は、落氷注意の危険地帯。

 不死身の俺なら、まだどうにか耐えられる。だが、華奢な彼女では、氷山の下敷きとなればひとたまりもないだろう。


 ――そう、このまま何もしないならば。


 彼女が素直に潰されてくれるとは、初めから思っていない。

 ある意味強い信頼が、すでにそこには在った。


 そして予想通り、強烈な光。

 星詠みの魔女は閃光を弾けさせ、俺の視界を封じてくる。


 再び真っ白に染まる世界。

 俺の二つの眼球はさっきと同じように視力を失い――……。






「……へえ、そこまでしちゃいますか」


 氷の塊が降り注ぐ中、俺のすぐ後ろから星詠みの魔女の声が聞こえた。

 ほとんど俺と密着するような位置。事実、一番確実な安全地帯はここなのだから、何も不思議ではない。


「これはもう、『お見事です』としか、言いようがありませんね」


 今度は、俺の居る星詠みの魔女が、両手を軽く挙げて降参のポーズをしながら口を開いた。


「本当に、久々ですよ。自分の血を見るなんて……」


 彼女はお手上げのポーズのまま左手を返し、その甲を見せつける。

 かすかなり傷。そこからは確かに、赤い血がにじんでいた。


 怪我をしたと言っているが、手の甲をほんの少しかすっただけである。

 結局のところ、彼女は純粋な実力だけでも氷山アイスバーグ落とし・フォールしのげたようだ。

 怪我をしたほうの魔女は、自分の血を端整な舌でぺろりと舐めた。


「それがお前の能力……いや、本当のか」


 俺はから目をらさずに言った。




「驚きました?」

 後ろに居る彼女が、悪戯イタズラに成功した少女のように微笑みながらたずねる。


「ちなみに双子だとか、そんなオチじゃないですよ」

 前に居る彼女が、楽しそうに笑いながら補足する。


「ステラちゃんが知る限りだと、双子の魔女は“嵐”の姉妹、ライラちゃんとアイリスちゃんだけですね」


「ステラちゃんは生まれつき、ちょっと存在が不確定なだけなのです♪」


「それも広義の意味では魔法となりますが……あくまでもドロシーちゃんの放浪体質と似たようなものなので」


「あっ! 確かこういうのって、貴方の故郷では“シュレディンガーのネコ”って表現するのでしたっけ?」


「つまり、ステラちゃんはネコだったわけですか? にゃー、にゃー♪」


「にゃー♪ でも、なんでネコなのでしょうか? 異世界の文化って不思議ですね~」


 交互にしゃべる星詠みの魔女たち。

 で正面の魔女を見据える。

「……つまり、今まで急に消えたりしたのは、俺が見えていない場所に分身を作って、元から居たほうを消していたってわけか」

 要するに、消える前に一度増えていたのだ。そのトリックを上手くごまかして、あたかも転移したように見せかけていたのである。


 さらに、おそらく俺の目に映ってさえいなければ――例えば、雪煙や霧の中ならば、存在が不確定であるがゆえ、あらゆる攻撃を受け付けないのだろう。

 いや、この仮説が正しいとするならば、認識できていない間は存在しないのと同じだ。視認以外では、その希薄な気配を察知することすらもできないのかもしれない。

 にわかには納得できないか……そう考えれば、今夜起きた理不尽は全て説明ができた。


 分かってしまえば簡単な話だが、彼女が閃光を使用した理由は『転移する姿を見られたくなかった』のではなく、『姿を見られていると転移ができない』が正解だったのである。


「おお!? ご明察です♪」

「厳密には身を分けているわけではないので、遍在へんざいと言ったほうが正しいのでしょうか?」


 彼女たちはたいそう驚いた態度だったが、俺の考察なんて別に自慢できるものではない。

 単純な話だ。昔読んでいた某人気漫画で、たまたま似たような分身ダブル能力のキャラクターを見たことがあったから気付けた。それだけである。

 ちなみにそのキャラは容量メモリのムダ使いで、踊り狂って死んだ。


 ついでに言えば、俺はシュレディンガーのネコについて詳しいことは知らない。

 ただ『量子は数多あまたの可能性が重なり合って存在している』、『量子がどの状態にあるかは、によって決定する』と主張する量子論……それを批判するための思考実験だって、聞きかじった程度の知識があるだけ。


 そして、もちろんその意味を、俺は正しく理解できていない。

 ただ、少なくとも『見られていなければ増殖できる』なんて、そんなふざけた意味ではなかったはずだ。


「……もう察しがついていると思いますが、逆に他の観測者から視認されていると、存在が確定しちゃうのです」

「慣れてはいますが、自分が何人もいるとやっぱり落ち着きませんね。そろそろ一人に戻りたいので、いったん目を閉じてもらえませんか?」

 星詠みの魔女たちは極めて軽い調子で俺に懇願こんがんのウィンクをした。




 ――まあ、今までの俺も、充分化け物染みた存在だったと思う。だが、外見のインパクトだけなら、今の俺が絶対に最恐さいきょうなはずだ。


 目。瞳。目玉。虹彩。眼球。


 彼女たちを凝視する、無数の視線。

 進化というよりも、強引な肉体の作り変えによる星詠みの魔女への対策。


 身じろぎするたびに、不自然な場所に作られた眼球が圧迫されてゆがみ、ときには潰れる。

 呼吸をするたびに、無理やりかよわせた視神経が不自然に刺激され悲鳴を上げる。


 全身いたるところに目をもつ、不死身の化け物。

 それが今の俺だった。



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