【完結】強靭不死身の魔獣王 ～美女の愛はノーサンキュー～

最も災厄に近き獣（下）

　すでにうっすら積もり始めた雪の上に転がる、凍りついた血と肉の欠片。

　死んだ奴らがぐじゃぐじゃに混ざっていて、彼らがどこの誰で、何人死んだのかすら解らない。

　そして不幸にも、尾の届かない範囲に居た兵士たち。彼らは徐々に凍っていく自身の身体に震えていた。

　まさに凍てつく波動と言うべきか。まったく……少し本気を出しただけでこれだ。

　どうして俺はこんな脆弱（ぜいじゃく）な人間どもに、過度な忖度（そんたく）ばかりを繰り返してきたのだろう。

　ああ、今となっては過去の自分すら忌々（いまいま）しい！

　また俺の感情が高ぶり、周囲の温度が下がった。

　……おっと、いけない。無意識に力が漏（も）れていた。

　凍りついた鱗殻の隙間から、青い光が透けて見える。

　この新しく得た力には、まだ慣れていない。

　今までの漆黒の毛並みとはまた違った、深い藍色の毛皮。その下にまるで、抑えきれない魔力（チカラ）の湧く泉があるような、そんな違和感が自分の中にあった。

　確証はないが、これはおそらく肉体が生まれ変わる際に感じた、あの雪や氷が語りかけてくる不思議な感覚のせいだろう。

　あの声が聞こえた時はいよいよ自分の正気を疑ったが……その問い掛けに答えた結果、この身体は凍属性との相性がますます良くなる方向に進化した。

　まだ何も試してないし、具体的な例を挙げられないが――今の俺ならばきっと、世界の仕組みにすら干渉できるはずだ。

　ただし、どんな自然現象でも自由自在なんてことではない。雪や氷に限定すれば、という条件付きである……とはいえ、それでも本来なら、魔獣の一個体ごときが保有してよい能力ではないはずだ。

　もしかするとあれは、雪や氷の精霊といった類（たぐい）の存在だったのかもしれない。

　まあ、詳しい理屈は解らないし――実際そんなこと、今はどうでもいい。

　要は自己進化を経（へ）て、できることがまた増えた……俺にとってはそれだけで十分な話だ。

　どうやら俺は、まだまだ強くなれるらしい。

　それならば、更（さら）なる力（チカラ）を求めよう。

　力（チカラ）というものは、あり過ぎて困るなんてことは絶対に無いのだから。

　だから、もっと、もっとだ。

　あんな惨（みじ）めな思いは、もう二度としたくない。

　幸福を勝ち取るための力（チカラ）が欲しい。

　あの黒騎士すら簡単に殺せる力が、俺を不快にさせる全てを皆殺せる力が！

　俺は刹那（せつな）の衝動（しょうどう）に任せて、周囲で完全に凍りついた兵士共を大雑把に潰（つぶ）して回った。

　傍（はた）から見れば、まるで霜柱（しもばしら）を踏み潰して鬱憤（うっぷん）を晴らす子供のようだったかもしれない。実際のところは人柱（ひとばしら）なんだけどな。

　そして石畳の上に広がる、どす黒い赤色のシャーベット。

　ハハハ、これは雪融（ゆきど）けシーズンが楽しみだなあ。

　冷たい雪が降る中、俺は残虐にも、遊び半分で死体を量産していく。

　しかし、こいつらに同情なんて必要ない。

　だって見ろよ、俺の背中に刺（さ）さったままの剣や槍を！

　何本も何本も何本も！　これだけ多いと抜くことすら面倒臭い。冷静に考えてみれば、俺のほうがよっぽど可哀（かわい）そうじゃないか！？

　もし俺が不死身じゃなければ、とっくに死んでいたぞ？

　死んでいたら、こうして報復することすらもできなかった！！

　俺の憤怒と憎悪を受け止めるは、さっきまで人間だった氷像たち。俺はそいつらをどんどん叩き潰（つぶ）していく。

　しかしこの程度、俺の受けた仕打ちに比べればまだ温（ぬる）い。

　例えば俺は、黒い炎にも全身くまなく灼（や）かれた。そして、そんな俺を間抜けだと、奴らは嘲笑（あざわら）った。

　腕の中で燃え尽きた小さな幼い炭屑の感触は、永遠に俺の記憶に残るだろう。

　絶対に赦（ゆる）さない。

　それに……もし仮に、俺が死んでいたら、奴らはさぞ盛大に勝利を祝ったはずだ。

　俺の死体を晒（さら）し者にして、俺を殺したことを大いに喜んで、あたかも自分たちが高等な存在であると、傲慢（ごうまん）な勘違いしたに決まっている。

　その上で自分たちは素晴らしいのだ偉いのだと、踏み躙（にじ）った命を、夢を、未来を肴（さかな）に酒を飲んで馬鹿騒ぎするのだ！

　しょせんあいつらは畜生（にんげん）だ。

　相手を服従させること――どんな手段を使ってでも、勝って相手を叩きのめすことしか考えていない。

　奴らの本質は下等で野蛮な思考回路をした……いや、人間の皮を被った醜い獣（けだもの）なのだから！

　誰かが作り上げた平穏や幸福を踏み躙（にじ）って、ゲラゲラ笑うしかできない無能どもなのだ！

　奴らは俺の怒りに触れた理由なんて、自分たちが不死の魔獣に襲われた理由なんて、間違いなく最期まで省（かえり）みすらしないだろう。

　そして碌（ろく）な裁きも受けず、自分たちだけはのうのうと幸せな生涯を終えるのだ。

　ああ、想像しただけでなんて胸糞が悪い！　反吐（へど）が出る！！

　だから今、ここで死ね。

　未来永劫救われることなく、俺に踏み躙（にじ）られながら消えて逝（い）け。

　俺はお前達がやった同じことをやり返しているだけだ。

　悪党どもは皆殺しだ。それで何が問題ある？

　力（チカラ）こそ正義だ、俺が正義だ、裁くのは俺だ、文句は誰にも言わせない。

　奴らに救いは要らない。救いが必要なのは奴らじゃない。

　むしろ素直に死なせてやっている分、バフォメット族たちを奴隷にして奪い、犯し、辱（はずかし）めているこいつらよりも、よっぽど紳士的だ。

　下手すれば俺のほうが慈悲深くすらあるだろう。

　つまり、俺だけが残酷だと罵（ののし）られる筋合いなんて、どこにもない！

　そしてこれは、殺され続けた俺自身の恨（うら）みでもあるのだ。

　報復は果たされなければ意味が無い。

　だから、死ね、死ね、死ね――……！

　狭くなった視野の中、今の俺にはそれ以外が考えられなくなっていた。

　……大きな塊があらかた片付いたところで、俺はハッと我に返る。

　あれだけ沢山あった人の形をした塊は、すでに全部無くなっていた。

「なんて……不毛なことをやっているんだ、俺は……？」

　いや、本当になんでだろう？

　凍った死体を砕くのに、なぜか俺はひたすら夢中になっていたようだ。

　しかし、凍った死体をここまで念入りに砕く意味なんてない。どうしてこんな無駄な行動をとったのか、自分でも分からない。

　しっかり止（とど）めを刺すため？　いやいや、凍った時点で普通に死んでいるから。オーバーキルだから。

　とにかく今は、死体で遊（・）ん（・）で（・）いる場合じゃないはずだ。

　俺は頭を振って脳をリセットする。

　一体どうしたのだろうか、進化してから思考が破壊衝動とか恨み辛（つら）みへと偏（かたよ）りがちになっている気がした。

　まるで狂戦士状態（バーサク・モード）が常時発動しているような気分だ。常に意識しないと、またすぐに持って行かれるだろう。

　……まあ、別にいいか。

　実際、変に甘いことを考えるよりは都合が良いのだから。殺すべき敵を見逃すよりはずっといい。それに、気を付けてさえいれば問題ない気もする。

　自分の行動に違和感を覚えつつも、俺は次に何をすべきか考えた。

　そうだ、目的はちゃんと果たさないと。俺にはメアリス教徒を皆殺しにする使命があるのだから。

　逃げた奴らを追わなければ。

　たった数十人の悪党を殺して悦（えつ）に入っている暇（ひま）はないはずだ。

　俺は次なる獲物を求めて、慌ててその場を後にした。

　――それにしても……嗚呼（ああ）。

　胸の奥からふつふつと湧き上がる感情。

　圧倒的な暴力（チカラ）で、ムカつく奴らを好き勝手に叩きのめす、この快楽よ！！

　人間だった時代には、決して味わうことのできなかった最高の娯楽。その禁じられた愉悦（ゆえつ）に、俺はこっそりと酔（よ）いしれていた。

　知らなかった頃には、もう戻れない。

　いつの間にか憎しみと怒りの裏で溢（あふ）れ出していた暗い悦（よろこ）びの感情に、俺は自分でも気付かないまま牙を剥（む）いて嗤（わら）っていた。