第五章 魔獣が生きる永遠と少女が生きる明日

幕間 幼き初恋の記憶

 其処そこが、とても美しい景色だったことを覚えている。

 幼き日の記憶、レヴィオール王国の王都にて。オレはそこで、初めて恋という感情を知った。


 彼女と初めて出会ったのは、鏡のように美しく澄んだ湖のほとりだった。

 見渡せば、清々すがすがしい空とそびえる霊峰れいほうが混じり合う、壮大なあおい景色。

 野花の香りがにおい立つ草原の中、彼女の雪のように白い髪が風に揺らめいていた。


 だけど、当時のオレは人見知りで、年上の女の子にいきなり紹介されたのが怖くて、情けないことに兄様の背後に隠れて泣き出した。

 そんなオレに白い髪の少女――ソフィア姉ちゃんは、優しく微笑みかけながら、「いっしょにあそぼ」って声を掛けてくれたんだ。

 その日に編んでもらった花の輪のいろどりは、まだ鮮明に思い出せる。

 ちょっとだけ恥ずかしくて、そして輝かしい思い出だ。


 それからのオレは、ソフィア姉ちゃんに弟みたいに可愛がられていた。

 オレの故郷、ヘーリオス王国とレヴィオール王国は、対メアリス教国のために同盟を結んでいたから、何か祭事があればオレ達は互いの国を訪れて親交を深め合うことが多かったのだ。


 第三王子であるオレには二人の兄がいたが、姉や妹はいなかった。

 だからかもしれない。オレにとっては一緒に遊んでくれる女の子の存在がとても新鮮で、彼女が年上なこともあってか、オレは優しいソフィア姉ちゃんにとても懐いていた。

 大人たちが政治の難しい話をしている間も、オレはこっそりソフィア姉ちゃんを連れて社交パーティから抜け出すほどで、その子供だけの逢引あいびきは二人の秘密だった。

 実際には見えないところに護衛も居ただろうし、ソフィア姉ちゃんも年下の男の子の我がままに付き合ってくれていただけだろうけど……それでも、オレにとってその時間は、砂糖菓子のようにふわりと甘いひと時だった。


 やっぱりその頃には、ソフィア姉ちゃんに本気の恋をしていたのだと思う。

 でもオレたちには四つも歳の差があったから、幼いながらにオレは焦りのようなものを感じていた。

 だからオレは格好をつけたくて、ある日彼女の前で練習用の木剣をかかげてこう言ったんだ。


「ソフィア姉ちゃん。オレ、将来は立派な騎士になるよ! それで剣聖にもなって、ソフィア姉ちゃんを守ってあげるね!!」


 それは、ソフィア姉ちゃんが読んでくれた絵本の真似だった。

 今思えば、騎士や剣聖がどんな役目や立場なのか、よく理解していない子供じみた発言だった。

 だけど、そんな頭の軽い宣言をするオレに、ソフィア姉ちゃんはにっこりと微笑ほほえんでくれたんだ。

「フフ、ありがとう、アルくん。楽しみにしているね?」

 そしてオレは約束した。

 いつか必ず、ソフィア姉ちゃんを迎えに行くって。

 何も知らない子供だったオレは、大きくなった自分がソフィア姉ちゃんを迎えに行く未来を疑っていなかった。


 それからオレはますます剣の練習にのめりこんで、オレの剣術の先生でもあったじいやはなげいていた。

「ああ、まことに残念でございます。殿下には類稀たぐいまれなる弓の才能がおありになられますのに……」

 爺やはエルフ族だったからか、だいぶ弓贔屓ゆみびいきだった。けれど、今の自分をかえりみるに、オレに弓の才能があったのも本当だったらしい。

 でも、オレにとってお姫様を迎えに行くのは、どんな物語でも勇敢ゆうかんな騎士だったのだ。

 だから、武器なら剣が一番カッコイイと思っていたし、爺やには悪いけれど、弓なんて遠くから狙撃したり、矢に毒を塗ったり……どこか卑怯な武器だと思い込んでいた。


 まあ、そんなのは言い訳で、結局はソフィア姉ちゃんに相応しい騎士になりたいだけだった。

 そんなオレの単純な思惑おもわくはバレバレだったようで、爺やも真面目に騎士らしい剣の振り方や礼儀作法を教えてくれた。


 爺やが教えてくれた礼儀作法には、騎士が誓いを立てる式典の作法もあった。

 それを覚えたオレは早速、次にソフィア姉ちゃんに会った時にそれを披露ひろうした。

「われ、ソフィア・エリファス・レヴィオールの剣とならん! たとえわがいのち絶えようとも、わが忠誠は常にあなたと共に!」

「すごーい。アルくん、とってもかっこいいよ!」

 お姉ちゃんはそう言って、オレを抱きしめて褒めてくれた。

 オレはとても嬉しかった。


 その頃のオレにとって、世界の中心はソフィア姉ちゃんだった。

 直接会える機会は滅多めったに無かったけれど、会えない時期が長ければ会えた時の喜びは増大した。


 ソフィア姉ちゃんに格好良く思われたかったから、オレは騎士の剣術を学んだ。


 ソフィア姉ちゃんは花が好きだったから、オレも花を育てるが好きになった。


 ソフィア姉ちゃんは本を読むのが好きだったから、オレも勉強が嫌いじゃなくなった。


 ソフィア姉ちゃんとさえ一緒に居られれば、オレは幸せだった。


 とにかく、ほんのわずかでも、憧れのソフィア姉ちゃんと一緒に居られる時間が幸せだったんだ。




 ――何もかもが変わってしまったのは、八年前。

 メアリス教国がレヴィオール王国を攻め込んだあの日だった。

 新たに開発された大規模破壊魔術によってレヴィオール王国は壊滅。

 国王と王妃は処刑され、姫の――つまりソフィア姉ちゃんの消息は不明……その知らせを聞いたオレは、世界が真っ暗になったように感じた。


 オレは母様や兄様たちに、この国はレヴィオール王国を助けに行かないのかって尋ねた。

 もしかしたら、ソフィア姉ちゃんはまだ生きているかもしれないと、希望を捨てきれなかった。

 でも、帰ってきた答えはいずれも、オレの期待していたものではなかった。


 メアリス教国は強大だ。おまけに奴らは予想外の大規模破壊魔術も開発してしまった。

 あれほどの威力、そうそう気軽に使えるものだとは思えないが……迂闊うかつに手を出すわけにはいかない。下手に手を出しても、この国の軍事力ではそのまま返り討ちになってしまうだろう。


 それに、奴らが準備を整えたら、次はおそらく国境の山脈を越えてくる。その時は此処ここ、ヘーリオス王国も戦場となるかもしれない。

 奴らと戦争するために、ヘーリオス王国はさらなる軍隊を備えなければならないし、あの破壊魔術への抵抗手段も開発しなければならない。


 他の同盟国も似たような状況だ。

 だから……今はレヴィオール王国を助けに行くことはできないと。


 オレは泣いた。

 一晩中泣いて、夜が明け、朝になってもまだ泣いていた。

 悲しくて、何も手につかなくて、自分の部屋に閉じこもった。

 多分、これからを含めても、あれが一生で一番泣いた日々になるだろう。


 散々泣いたオレを立ち直らせたのは、上の兄様が持ってきた伝言だった。


『――ソフィア・エリファス・レヴィオールは生きています。

 でも、今の王子では届きません。

 彼女を取り戻すには、大いなる困難が待ち受けているからです。


 だから、まずは戦う力を手に入れるのです。

 地位も名誉も、全てを捨て去る覚悟があるならば、王子の願いは必ず叶います。


 時が満ちた夜、私は再び王子の前に現れて、彼女の居場所を告げましょう。

 では、その日が来るまで、ごきげんよう――』


 それは、『星詠ほしよみの魔女』からの伝言。

 彼女は突然として王の間に姿を現し、オレにこの予言を残したのだそうだ。




 魔女は基本的に、王族や貴族に関わらない。

 その気になれば国一つを相手にしても簡単に滅ぼせる彼女たちは、俗世の政治と深く関わらないよう自らをいましめている。

 もちろん例外はあるが……そんな場合でも大抵、魔女の縄張りは触れてはならない不可侵領域として扱われていた。


 魔女のおきてに関する有名な話だ。

 しかし、それにもかかわらず、『星詠ほしよみの魔女』はヘーリオス王国の城を訪れた。

 もしかすると、何か恐ろしいことの起こる前触れなのではないか――城の使用人たちはそんな噂もしていたが……オレにとってそんな事はどうでもよかった。

 ソフィア姉ちゃんが生きているかもしれない。

 その伝言は、オレにとって唯一の希望となった。


 オレは決意した。

 強くなる。何に代えても。

 そしていつか、絶対に、ソフィア姉ちゃんを助けに行く。

 オレは決意を胸に、爺やの元を訪れた。


「殿下……この爺やには分かります。本日の殿下はだいぶ精神的に参っているようです。修練はお休みにいたしましょう」

 オレを気遣って爺やは言った。

 しかしオレは、決意を曲げることなく爺やに頼んだ。


「ねえ、じい、お願いがあるんだ。オレに、弓を教えてほしい」

「殿下……?」

 突然のオレのお願いに、爺やは目を細めた。

「それは、例の予言を受けてのことにございますか?」

 オレはうなずいて肯定した。


「殿下。あの魔女の言葉を信じたところで、報われるとは限りませぬ。仮に真実だったとしても、殿下が自由に動くためには、今の身分を捨てなければなりませんし、それを陛下がお許しになるかも分かりませぬ――それでも、本当に、宜しいのですか?」

「構わない。それでいい」


 爺やはじっとのオレの目を見る。オレは爺やの目をまっすぐに見つめ返した。

 すると、爺やは観念したようにため息をいた。


「……うけたまわりました。ならば、このじいやが持つすべての技術と森の知恵を、殿下にさずけて御覧にいれましょう」

「うん、よろしく頼む」

 その日から、オレは剣の代わりに弓の稽古けいこを積むようになった。


 * * *


 あれから、八年の月日が流れた。

 一通り弓での戦い方を学んだオレは城を出て、爺やの紹介で知り合ったグランツ達の指導の下、冒険者稼業で実戦経験を積んでいた。

 あの頃より身長は伸びたが、まだまだ二回目の成長期も来ていないし、なぜか声も女の子みたいに高いままだ。

 けれどオレは、弓使いとしてかなりの実力と実績を手に入れていた。


 頬に消えない傷痕が残った時は、社交界が大騒ぎになったけど……王族の身分だって捨てる覚悟をしていたオレには関係のない話だ。

 いや、厳密なことを言えば、まだ両親はオレを息子として扱ってくれているけれど、すでにオレは王族ではない。


 全てはソフィア姉ちゃんを助けるため。

 あの日の誓いは色褪いろあせることなく、オレの胸の中で静かに燃えていた。


 そしてとうとう、運命の日がやってきた。

 星詠ほしよみの魔女が、再びオレ達の前に現れたのである。

 オレは星詠みの魔女と直接会うのは初めてだったが、彼女のほうはオレのことを知っていた。

 グランツとジーノが警戒するなか、彼女は本当に嬉しそうに、今にも歌い出しそうな様子で言った――「時は、満ちました」と。


 いわく、ソフィア姉ちゃんは出自を隠し、メアリス教国の田舎町で聖女となっていたらしい。

 でも反教皇派の計画が失敗し、ソフィア姉ちゃんは追われる身となって――今は冬の城に居ると。

 冬の城が存在するのは、冬に呪われた地。

 そこは誰も立ち入ることができないとわれている伝説の異界。

 しかし今なら――今の星のめぐりなら、オレ達も冬に呪われた地に入ることができるはずだと、星詠ほしよみの魔女は言った。


 ――目的を果たす前には大いなる困難があります。

 それでも、私のほどこす星の加護があれば、誰一人欠けることなく目的を達成できるでしょう。


 彼女はそう言い残すと、不自然に明るい笑い声だけを残し、まるで初めからそこに存在しなかったかのように姿を消した。


 オレ以外の皆はあまりにも胡散臭うさんくさい星詠みの魔女の言葉をいぶかしんでいたが、ソフィア姉ちゃんの手掛かりは彼女の言葉しかない。

 最終的にはオレに付き合ってくれる形で、皆は冬に呪われた地まで同行してくれた。


 そして、オレ達は冬の城を目指す途中で漆黒の魔獣と邂逅かいこうし――奴の前に全滅したのだった。




 暗闇の中、微睡まどろみと過去の夢。

 そこで揺蕩たゆたっていたオレの意識が、段々とはっきりしてくる。


 ……ここは、どこだ?


 オレは一体、どうなったんだ?


「…………う……うぅ」

 無意識にのどからうめき声が漏れた。


「あっ! 今、動きました――」


 誰かの声が聞こえる。


「大丈夫です。もうそろそろ、目を覚ますと思います――」


 あの頃とは違う。でも、どこか懐かしい声だ。

 まさか――そう思いながら、オレは重いまぶたを開く。


 すると、美しく成長したソフィア姉ちゃんが、オレの顔をのぞき込んでいた。



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