終わりの始まり

 平穏な日々は静かに過ぎて行きます。

 わたしがこの城に来てから、早くも十七日目が終わりました。


 夜は眠る時間まで、ベッドの上で編み物をするのが最近の日課です。

 こんなに恵まれていてよいのかと不安になってしまうほどに、穏やかな日々。

 魔獣さんの厚意には、ただ感謝しかありません。


 わたしは窓から外を眺めます。

 この地は、冬呪われた地と呼ばれる秘境。

 わたしの姿を見ているのは月と、星と、雪だけです。


 今日は、色んなことが起こった日でした。

 きっかけは、まるで夜の雪景色みたいな、白くてとっても甘いリンゴ。

 わたしが白いリンゴを「おいしい」と言った瞬間、その樹を目指す冒険に魔獣さんが誘ってくださいました。


 広大な白い世界を進むわたしたち。

 世界樹みたいに大きなリンゴの樹を見て驚いたり、野生なのに人懐こいウサギさんとお友達になったり。

 冒険の終わりには、わたしが焼いたアップルパイを皆で食べました――今日の小さな冒険は、わたしにとって大切な思い出の一つとなるでしょう。


 初めて出会った時は、わたしが魔獣さんとこんな関係になるだなんて、とても信じられなかったでしょう。

 迷い込んだ冬の城。暗闇のエントランスにたたずんていた黒い影。わたしはあの夜、魔獣さんの姿が怖くて仕方がありませんでした。


 ですが、その印象も今ではずいぶんと変わりました。

 もちろん、彼の姿が変わったという意味ではありません。

 今でも彼を知らない人たちがその姿を見れば……最初のわたしと同じように、彼を恐ろしいと思うのでしょう。

 なのに、彼がドロシー様の作業を手伝っていたり、お掃除を手伝ってくれるゴーレムさんたちを気遣きづかっていたり……そんな姿を見ているうちに、わたしの中で彼を恐ろしく思う感情は次第と無くなっていました。

 それどころか、今のわたしにとっては、魔獣さんの姿にどこか愛嬌があるように思えるほどです。

 一緒に過ごすことによって、本当の彼は親切で、優しい心の持ち主であることに、わたしは気が付いたのです。


 魔獣さんが小鳥さんたちと仲良くなるために奮闘しているのは、眺めているだけで微笑ほほえましい気持ちになります。

 ただ、小鳥さんたちは魔獣さんをとても怖がっているので、なかなか彼らはお友達になれないみたいです。

 そして最後はいつも小鳥さんたちに逃げられて、しょんぼりしている魔獣さんを見ていると……悪いとは思っているのですが、つい笑ってしまいます。


 でも、諦めちゃダメですよ。

 いつかはきっと、小鳥さんたちとも仲良くなれるはずですから――わたし達みたいに、ね?


 あっ、でも、今日のウサギさんとは、もう仲良くなったみたいです。ついさっきも、ウサギさんが魔獣さんにじゃれついて、楽しそうにしているのを見ました。

 なぜかあの子は魔獣さんを怖がっていない様子でしたし……もしかしたら、相性みたいなものがあるのかもしれません。


 ウサギさんと言えば、お城に戻った魔獣さんはさっそく庭園にあのリンゴの種を植えました。

 無事に育てば、おそらく五年後くらいには、あの白いリンゴが実るはずです。

 特にウサギさんはリンゴの種を植えた回りをグルグルと跳ねまわっていました。きっと今から楽しみで仕方がないのでしょうね。


 わたしは……どうなのでしょうか。

 もし、全てが終わったら、またこのお城に来られるでしょうか。

 庭園に実った白いリンゴの樹の下で、この城で過ごした日々の思い出を語り合える日が訪れるのでしょうか。


 この冬の城は、とても寒いですが、とても温かいです。

 わたしはいつだって、幸運に恵まれています。

 ディオン司祭も、町の皆も、ドロシー様も、魔獣さんも……わたしの出会う人たちは、誰もが素敵な方々でした。


 だからこそ、次は、わたしが戦わなければなりません。

 今もなお苦しんでいる故郷の人たちを、助けに行かなければなりません。

 わたしだけが幸せになることは、わたし自身が許せません。


 近いうちに、わたしはこの城を離れる運命にあるでしょう。

 もしもすべてが上手く行ったのなら、今度はわたしがレヴィオール王国の姫として、果たすべき役割があるのですから。


 ……でも、もう少しだけ。

 その日が訪れるまでは、このお城で……。


 冬に閉ざされた平穏。

 冬の呪いに守られた平和な時間。

 せめて明日だけでも、こんな日が続きますように――。


 優しい時間は、微睡まどろみのうちに過ぎて行きました。


 * * *


 運命の輪は回る。少女の願いを裏切って。


 神聖メアリス教国、最北端。

 名も無き小さな町の、さらに北にある森。

 早朝から何人もの神殿騎士が森の中を駆け回っていた。


 人間の生活圏では最高位の魔獣が出現する上、あまり奥へ行けば方向感覚が狂わされ二度と出て来ることができないと言い伝えられる魔の森。

 そんな危険な森の中で、彼らはとあるバフォメット族の少女を血眼ちまなこになって探している。


 少女の名はソフィア・エリファス・レヴィオール。メアリス教国が植民地支配する旧レヴィオール王家の生き残りである。

 彼女をかくまっていたのはディオン司祭だ。

 彼は下等な亜人国家の要人と繋がっていた国賊こくぞく――建前上は背信者として投獄され、今もなお異端審問という名の拷問にかけられている。


 彼女がこの森に逃げ込んだのは半月以上も前だ。

 普通に考えれば、おそらくとっくの昔に死んでいて、野生の獣の餌となっているだろう。

 しかし、その隊を指揮する黒い全身鎧の騎士――クロード・フォン・ニブルバーグはとある理由から彼女が生きていることを確信していた。


「将軍閣下、御報告致します!」

 集まった部下の一人がハキハキとした声で敬礼した。

「御命令通りの範囲をくまなく捜索致しましたが、目標の痕跡は何ひとつ発見できませんでした。なお、魔力探知での捜索も追加で行ないましたが、やはり一切の情報が得られませんでした」


 騎士として最低限の誇りからか、臆病風に吹かれた本音は上手く隠している。しかし、彼の態度からは、この危険な森の中から一刻も早く逃げ出したいという思いが感じ取れた。


「これはもう、すでに死んでいるものと判断するのが宜しいかと……」

「例え死体であっても、その場合は王家の悪魔の瞳バフォメット・アイを確保することが我々の任務だ。違ったか?」


 黒い鎧の騎士は無機質に言い放つ。かぶとで表情がうかがえない分、その言葉はさらに機械的に感じられる。

 取りつく島もない態度と、反論の余地もない正論。そして黒い騎士の威圧感に、部下の騎士は何も言えなくなってしまった。


「それに、私の暗き炎がささやいている――あの少女は、間違いなく生きていると」

「しかし将軍……」

「ここだな」

 黒い鎧の騎士はおもむろに足を止めた。


 そこはなんの変哲もない、晩秋の森の中の空間だった。

 付いて来た部下たちも、そこに何があるのか理解できなかった。

「少し下がっていろ」

 黒い騎士は部下たちに命令した。

「は、はい」

 彼らは疑問を持ちながらも命令に従った。


 周囲の者が十分に距離を取ると、黒い鎧の騎士は右手から炎を生み出す。

 それは通常の炎ではなく、黒く燃える呪いの炎。

 裏切りの騎士と呼ばれる英雄から引き継いだ、彼の背負う罪の証だ。


「我がくらき炎よ、血の盟約に従い、世界の壁を焼き払え!」


 騎士は黒い炎に命じ、その手から解き放った。

 黒い炎は空間を焼き払うように、虚空へと燃え広がる。

 炎が揺らめき、世界が歪む。

 そして炎が消えた時――彼らの目の前に広がる光景は晩秋の森ではなく、雪の積もった枯れ木の森へと変わっていた。


 たった一歩足を踏み入れるだけで、秋の風が冬の冷気に変わる。

 部下の騎士たちはその非現実的な光景に、言葉を失くしていた。

 ただ一人、炎を放った黒い騎士のみが目の前の現実を正しく認識していた。


「……見つけたぞ」


 黒い騎士の、かぶとを通してくぐもった声。それは彼にしては珍しく、狂気のような喜びに弾んでいた。

 部下たちがそんな彼の声を聞いたのは、彼らが覚えている限り初めてのことだった。


 これは、その土地の持つ魔力が局地的に極端に高い場合、あるいは周囲と比べて明らかに属性等の質が異なる場合に起こることで知られる自然現象。

 その魔力の境界が天然の結界となり、外界と隔たれた特殊な空間となることがあるという。

 こういった特殊な空間は「異界」、あるいは地形によって「迷宮ダンジョン」とも呼ばれ、大抵の場合は高位の魔獣の巣窟として恐れられていた。


 それら異界の中でも、それこそ太古の昔から語られる伝説級のものが存在する。


 例えば、ハイエルフの管理する幻妖の森の奥。

 一本の大樹が保有する膨大な魔力によって生み出された「世界樹の迷宮」。


 例えば、最果ての海のさらに向こう。

 浮遊大陸群の中央に鎮座する「龍の根城」。


 例えば、それ以上太陽が昇ることも、逆に沈むこともない。

 永遠にあかね色の空の下で生い茂る「黄昏たそがれの森」。


 そして、北の果て、永劫の冬に捕われた――。


「冬に呪われた地……!」


 その場に居た誰かが、思わず声を漏らした。


 冬に呪われた地。

 それはもっとも有名な異界の一つであると言えるだろう。


 其処そこは呪われし氷の大地。

 朽ち果てた木々は春の訪れを知らない。


 その森に住む冷たきからだの獣たち。

 彼らの飢えが満たされることはない。


 凍りついた街の跡。

 それはかつて滅びた国を儚む墓標のように。


 止むことのない吹雪の音。

 それは失われた過去に捧げる鎮魂歌レクイエムの如く。


 それは、誰もが知っているおとぎ話。あるいは、吟遊詩人の詩歌。

 間違いない。この先が、冬に呪われた地だ。

 確証はないが、誰もがそう信じて疑わなかった。

 伝説にも語られる呪われた世界への入り口。それが、騎士たちの前で開かれていたのである。


「我々の目的はこの先に居る。ここからは私一人で行こう」

 黒い騎士はなんでもないことのように、平然と異界へ一歩、その足を踏み入れた。

「将軍! それでは……!」

 部下の一人が反論しようとするが、黒い騎士より放たれた威圧は、それより先を口にすることを許さない。

「ならば貴殿らにも理解できるよう言い換えよう。お前たちはだ。此処から先、御守おもりをしながら進むのは難しいだろうな」

 それは皮肉気でもなく、ただ事実を述べるような淡々した言葉。強いて言えば、苛立ちを抑えているような口調だ。

 その言葉から、彼にとって部下など足枷に過ぎないという事実がありありと理解できた。


「死にたいならば、勝手に付いて来るがよい……お前たちにそんな殊勝な態度、期待していないがな」

 かぶとの下の表情は、きっと冷たい目をしているだろう。

 黒い騎士は身をひるがえし、魔の森の奥へ――「冬に呪われた地」と称される異界へと足を進める。


 当然ながら、誰一人彼に付いて行く者はいなかった。

 彼らだって理解しているのだ。

 英雄の末裔である黒騎士にとって、自分たちなど居ても居なくても変わらない雑兵に過ぎないのだということを。

 部下たちに見送られながら、黒い騎士の姿は枯れ木の森の向こうに消えていった


 冬に守られていたはずの聖域に、招かれざる客は足を踏み入れた。

 黒い鎧を纏う騎士。

 彼は冬の城に住む魔獣と少女にとって、あまりにも残酷な刺客であった。


 * * *


 とうとう運命が動き出す。

 黒い騎士と漆黒の魔獣は、冬に呪われた地で出会うだろう。


 彼らにハッピーエンドは有り得ない。

 全ては、星のかたる導きのままに。



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