第4話 商談直前、役割分担会議

 


 午後1時30分。


 商人が来る時間になり、一同は応接室へと集まっていた。


 今室内に居るのは、朝クレアリンゼに言われた通り、キリル、マリーシア、セシリアの3兄妹とマルクを合わせてたった4人だけだ。



 子供達3人は、客人を迎える為に上座のソファーに並んで着席している。

 その後ろにマルクが立ったまま控える形だ。


「これから来られる商人の方は、伯爵家に度々出入りしている商会の方です。もしかしたら『いつもの様にします』と説明を省いたりする事もあるかもしれませんが、疑問点はきちんと尋ねていただいて結構です」


『分からない事はそのままにしないこと』というのがオルトガン伯爵家の教育方針だ。

 貴方達はあくまでもオルトガン伯爵家の教育方針に沿った振る舞いをしたので構わない。


 そう言ったマルクに、三人は揃ってコクリと頷く。


「皆様は子供で、確かにこの家の外の常識をまだ知りません。しかしそれは決して、恥ずべきことではありません。皆様にとって何よりも恥ずべき事は、『知らない事を知ったかぶりする事』です。その事を念頭に置いて行動していただければ間違いありません」


 彼のその言葉は、裏を返せばこれから会う商人にそういう事を言われるかもしれないという事だ。

 しかし例えそう言われたとしても「常識が無い自分達が悪いのだ」等と思う必要は無い。


 そう背中を押してもらった3人は、自信ありげにまた頷く。


 マルクは絶対に、自分達を謀るような事は言わない。

 その事を、まるで確信しているかの様である。


(そんな目を向けて頂けるなんて、まったく……使用人冥利に尽きるという物です)


 瞳に灯る信頼を受けてマルクは心中でそう呟き、喜びに僅かに目を細めた。


 彼らの信頼に応えねばならない。

 そして今回、マルクは商談中に口出しできない。


 ならば助言は今しか出来ない。


「これから3つ、皆様にお話しします。今回の商談の参考にしていただければと思います」


 言いながら、子供達を見遣る。


 責任感と緊張感を孕んだ瞳を向けるキリル。

 一見優雅に見える微笑みを浮かべたマリーシア。

 これから起こる初めての出来事にワクワクを隠せない様子のセシリア。


 様子はそれぞれであるものの、皆一様にきちんとマルクの話を聞いてくれている事には変わり無い。


「まず一つ目。今回最も大切な事は『自分達の要望をきちんと相手に伝える事』です」


 彼らの視線を浴びながら、マルクはまず人差し指一本だけを立てて話し始めた。


「作ってもらう物の設計図や用途等の資料は皆様が先日書かれた物を、見易さ改善の為に書き直しこちらに用意してあります。しかし図だけでは分かりにくい所や伝えきれないニュアンスがある事が想定されます」


 マルクはそう言って、三人の前にそれぞれ書き直した用紙を渡していった。

 そして自分の手元に一束残し、後の一束を机の脇、キリルが座っている最も上座の席の机上に置く。


「それを相手に理解してもらう為に商人を呼ぶのですから、皆様が大切だと思う事はきちんと、自分達の言葉で伝える事が大切です」


 相手が来ましたらこれをお渡しください。

 添えられたその言葉にキリルは頷きながら、彼の言葉について考えた。



 確かに用意した資料だけで全てが理解出来るのなら、わざわざ此処に呼んで会話をする必要は無い。

 ただ資料を持ち帰らせればそれで終わりである。


 今回敢えて商談をする意味は、何も自分の経験値稼ぎだけでは無い。

 それだけの為に子供に時間を取らせる事を母はしない。


(おそらくお母様が今回この商談を行うと決めた理由の一つが、今正にマルクが言ったソレなんだろう)

 キリルはそう、独り言ちる。


 当初、キリルは商談相手に資料を渡し「これで出来そうか」と尋ねる予定だった。

 そしてそこで出た疑問に対して詳しく解説をすれば良いと思っていたのだが、それでは不足しそうである。

 マルクの助言に従いキリルは此処で、段取りの軌道修正を行う事に決めた。



 脳内で段取りを再検討しシミュレートし始めたキリルの中に仕事中の主人の面影を見て、マルクは打てば響く彼の柔軟さに改めて好感を持つ。


(この年でそこまで出来るとは、流石はオルトガン伯爵家の跡取りなだけはある)


 そんな風に思って微笑みながら、「次に」と言葉を続けた。


「二つ目。人の理解度には差があります。こちらが幾ら心を砕いて分かり易く説明したとしても、必ずしもきちんと相手に伝わる訳ではありません」


 中指を立てて手が2を示す様にその形を変えながら、マルクは言う。


「伝えたい事がきちんと伝わらなければ、この商談の意味がありません。ですから、相手がきちんと理解しているかを観察し、見極めなければなりません。理解度によっては一部、説明の仕方を変える必要も出てくるかもしれませんね」


 マルクのその言葉にスッと手を上げたのは、マリーシアだった。

 彼女のその行動で、マルクは一度此処で言葉を中断する。


 対してマリーシアは、キリルに向き直ってこう提案した。


「これについては私が適任だと思います。相手の心の機微を観察するのは、おそらくキリルお兄様よりも得意ですし、お兄様お一人で全てを成すのも大変でしょう。此処は役割分担をした方が良いかと思います」


 マリーシアのその言葉に、キリルはすぐに同意した。


 確かに母親譲りの周りへの洞察力を持つマリーシアに、その分野では勝てる気がしない。

 此処で下手な意地を張って全てを背負い込むのも馬鹿らしいし、そもそもこの課題は兄妹3人に対して与えられたものである。


 力を合わせて取り組まなければ意味が無い。

 マリーシアも同じ事を考えていた様で、彼女はマルクへと視線を向ける。


「今回は私達三人で商談に臨むのですから、分担する事に問題は無いのでしょう?」


 笑顔の問いかけに、マルクはにこやかに「はい」と頷いた。




 一方キリルは、マリーシアの申し出で、いつの間にか自分が必要以上に気負っていた事に気付かされていた。



 全権限の委譲。

 確かに重い責任だが、それにしても少し視野が狭くなり過ぎていた様だ。


 3人揃って一人前。

 母もそう判断しての今回なのだろう。


(そんな事は少し考えれば分かりそうなものなのに)


 キリルは思わず自身に対して苦笑した。

 そして思考がクリアになったお陰で取り戻した冷静な思考を今度はセシリアへと向ける。


「マリーシアが『商人の心の機微に気を配る係』なら、セシリアは『疑問に思った事を商人に尋ねる係』だな」


 セシリアに彼女が今時点で実現可能な、且つこの商談上でも重要な役割を与える。

 それは彼女のモチベーションの為にも、そして商談の成功の為にも必要な事だ。


「わたし、頑張る!!」


 気合十分の彼女の頭を撫でて「頼んだぞ」と言ってやる。

 するとセシリアは大きく頷いてくれた。



 こうして全体の進行兼最終決定役をキリル、商人の機微を観察し助言する役をマリーシア、商人の言葉に質問する役をセシリアという形に役割分担し、3人は初の『商人』と対峙する事になったのだった。

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