第6話 『おべんきょう』ツアー -はじめの一歩編-

 


 翌日。

 昼食を終えた後、セシリアはさっそく館内ツアーを開始した。


 目的地を決めた歩みではない。

 時間に縛られている訳でもないため、セシリアは自分の足で歩く。


 ちまちまと且つフラフラと、部屋という部屋を片っ端から覗く、セシリア。

「危険だけは無い様に」と注意しながらその後ろに続く、ポーラ。

 この館内ツアーの参加者はこの2人である。




 館内には幾つもの部屋と長い廊下がある。


 そんな広い館内で最初に彼女が気を惹かれたのは、優雅な音楽だった。

 音楽はゆっくりとした三拍子で、その音楽と共に所々で女性の声が聞こえている。


「ダンスホールの方ですね」


 ポーラがそう教えてくれた。

 彼女が差した指の先へ視線を向けると、その先にはとある扉がある。



 その扉は、開いていた。

 歩いていき中をひょいっと覗いてみると、2人分の人影がある。




 装飾の少ないドレスに身を包み音楽に合わせて真剣な表情で踊る影の主は、マリーシア。

 そして真剣な表情でダンスに取り組む彼女の隣には、セシリアが見たことのない女性が立っていた。


「彼女はマリーシアお嬢様のダンス教師ですよ。中に入ってはお邪魔になってしまいますから、此処から見るだけにしましょう」


 ポーラにそう言われて、セシリアは慌てて両手で口を押さえた。


(別にそこまでする必要は無いけど……。まぁ良いか)


『他の人に迷惑が掛かっている訳では無いから』という判断で、これについては放置する事にした。



「また左腕が下がっていますよ、きちんとホールドなさってください」

「視線は真っすぐに。姿勢が崩れてきています」

「そのままの姿勢で、はいターン」


 女性の神経質そうな硬い声が、マリーシアの一挙手一投足に対して発せられる。



 ちょっと怖そうな人だな。

 セシリアは彼女に対してそんな印象を抱いた。


 今までセシリアの周りに居る人間と言えば、家族か使用人だけである。

 両者とも貴族の子供であり、末っ子であり、幼い彼女に対してあんな風には対応しない。

 その為セシリアの目には、彼女が未知の人種として映る。


(私もいずれ、あんな感じの先生にダンスを習う事になるのだろうか)


 そう思えば、今からもう辟易としてしまう。


(……よし、今日の内は見なかったことにしよう)


 未来の事を考えていると少し陰鬱になってしまったので、この件についてはとりあえず一旦は思考をリセットする事にした。

 そして、思う。


(どちらにしろ今二人に話しかけることは出来ないし、ここ居ても仕方がないよね)


 自分にそんな言い訳をしながら、セシリアはその場を後にしたのだった。



 ***



 次に彼女が気になったのは、普段見慣れた木の扉とは違う、銀色の扉だ。


「こちらは、厨房ですね」


 ポーラがそう教えてくれると、「厨房……」とセシリアは一言呟いた。


「厨房は、食事を作る所ですよ」


 聞き慣れない言葉に戸惑っていると、ポーラがその意味を教えてくれる。


(なるほど、食事を作る場所を『厨房』と呼ぶのか)


 納得と共にその言葉の意味を脳内に保管しながら、セシリアは手を伸ばす。


 そして押して開くタイプのその扉に、ゆっくりと触れたのだった。





 押し開いた扉の先にあったのは、白と銀の世界だった。



 白い壁や床と、銀色の作業台やシンク。

 そして白い服と長い帽子を身に着けた大人達。


 飾りなど只の1つも無く、それどころかタイル張りの壁には壁紙1つ貼られてはおらず、どこまでも実用性を追求したデザインの空間がそこにはあった。

 一見すると武骨にも見えるその光景に、セシリアは大きく目を見開く。



 食事を作る場所と聞いて確かに納得はしたが、「ではそれは一体どういう景色の場所か」と言われると答えに困る。


 なぜなら此処は、本来使用人達しか出入りする必要の無い場所だ。

『厨房』という物を一度も見た事が無いのだから、想像なんて付かなくても当たり前である。


(てっきりリビングとか私室とかと同じ感じの内装だろうと思ってた)


 そう思いながら物珍しいその景色を見回していると、つい昨日母が言ってくれた言葉を不意に思い出す。


「セシリアには、きっと分からない事、知らない事がまだまだ沢山あるわ」


(確かにその通りだね)


 セシリアはこの時初めて、本当の意味で彼女の言葉の意味を理解した。




 一方、この場所が仕事場である以上、そこに使用人は存在する。

 セシリアの登場に、その場を仕切る使用人・コック達はすぐに気が付いた。


 ドアが開いたと思ったら現れた小さな女の子。

 まずその存在に気付いて「何でこんな所に子供が」と反射的に思い、しかしすぐにその正体に気付く。


 こんな場所に、こんな年齢の女の子。

 しかもあんなに仕立ての良い服を着ているとなれば、答えは一つだ。

 おそらく予め通達が出されていたお陰もあったのだろう。

 突然の貴族の登場に、しかし彼らの精神状態は思いの外穏やかだった。


「こんにちは、セシリアお嬢様。ようこそ、厨房へ」


 一人の男が、そう言いながらセシリアの所に近付いてきた。

 彼はすぐ傍までやって来ると、膝を折って目線を合わせてくれる。


「私はここの厨房を取り仕切っております、厨房長のダンと申します」

「こんにちは、ダン。厨房長……は、ここで一番えらい人っていうこと?」

「そうです」


 ダンは端的に答えながら頷いて見せる。



 ダンは、がっちりとした体格の男だった。

 日焼けをした黒い肌と、良く付いた筋肉。

 その風貌は一見すると小さな子供には怖がられてしまいそうにも見える。


 しかし思いの外爽やかな笑顔が、それを見事に中和していた。


(前にマリーお姉さまに読んでもらったお話の、くまさんみたい)


 人好きする笑顔から絵本『森のくまさん』の挿絵を連想して、そう独り言ちる。


 本物のクマだと怖いが、デフォルメしているから子供が見ても怖くない。

 彼はそんな感じだった。



 彼の笑顔に笑顔で返すと、ダンはとある提案をしてくれた。


「中をご覧になられますか?今は丁度昼食が終わったばかりで比較的暇ですし、ちょっとした案内なら私が出来ますよ」

「いいの?」

「えぇ」


 ダンはにっこりと笑ってそう言うと、立ち上がり歩き出す。

 セシリアは彼の言葉に甘える事にして、その後ろをちょっと早歩きで続く。


「今は昼食が終わった後なので、午後のティータイム用の軽食準備と、夕食の仕込みをしている所です」

「もう、夕食もつくるの?」


 厨房内を案内してくれるダンに、セシリアがちょっと驚いた様子でそう尋ねた。

 すると彼は「えぇ」と答えてくれる。


「美味しいものを皆様に召し上がっていただく為に、仕込みをしなくてはならないんですよ」

「『仕込み』ってなぁに?」

「仕込みというのは『料理をする為の下準備』と言った所ですかね」


 ダンが教えてくれた言葉の意味を聞いて、思わずキョトンとしてしまう。


 そしてゆっくり3秒、思案してから更に尋ねた。


「お料理をするっていうのは、『食事の準備をする』という意味でしょう?っていうことは、今は『食事の準備の、準備』をしているっていうこと?」


「なんか、へんな感じね」と言葉を続ければ、今度はダンがキョトンとなった。

 そして、数秒後、どうやら「確かにそう言われるとその通りだな」と思い至った様である。


「確かにそういう事になりますね。言い得て妙だ」


 彼はちょっと面白そうにして笑う。


「言い得て妙?」

「『今まで気付かなかったけど、言われてみればたしかにその通りだ』とダンさんは言いたいんですよ」


 ダンの言葉にポーラがすかさずフォローを入れてくれる。

 お陰で「なるほど」と納得する事が出来た。

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