第4話 『おべんきょう』と効率性

 


「セシリー、最近お勉強の調子はどう?」


 夕食時。

 そんな風に声を掛けられて、セシリアは今まさに頬張ろうとしていたソテーをすんでの所で止めた。


 本当は口内一杯に肉を含み、その美味しさを堪能したい。

 しかし彼女にとっては食欲よりも、家族との会話の方が優先順位は遥かに高い。

 しかも話を振ってくれたのが、最近は少し交流が減り気味になっている姉・マリーシアである。

 セシリアが答えない筈がない。


 セシリアは名残惜しそうに、ソテーの刺さったままのフォークを皿へと戻した。


「今日、文字の書き取りで、アルファベットの『おべんきょう』が終わったところ」


 セシリアが『おべんきょう』を始めてから、約1週間が経過した。


 そんな中、セシリアが今懸命に覚えているのは文字の中でも基礎中の基礎、アルファベットの書き方である。


 今まで文字を一度も書いた事の無かった4歳児が、この1週間でアルファベット26文字を全て書けるようになる。

 授業進度としては十分早い部類に入るだろう。


「そうなの? それは凄いわ!!」


 セシリアの快挙に、マリーシアはまるで自分の事の様に喜んだ。


 彼女にとってセシリアは、初めてできた下の兄妹だ。

 家族の中で初めての『自分にとって庇護すべき存在』であり慕って後ろを付いて来てくれる彼女の事が、マリーシアは可愛くて仕方が無い。


 そしてそんな彼女の頑張りが彼女の精神的な栄養にならない筈は無かった。


(セシリーも頑張っているんだから、私も頑張らないと)


 セシリアの報告により、俄然士気が上がったマリーシア。

 そんな彼女に今度はセシリアが尋ねた。


「マリーお姉さまは、『おべんきょう』はまだ『大変』?」


 心配の色を灯した瞳が、マリーシアを見据えてきていた。

 その瞳の中には不純物などまるで無い、家族を思う純粋な気持ちがあった。


(どうやら私は妹に、いつの間にか心配をかけてしまっていたようね)


 今更ながらその事を自覚して、マリーシアは心中で苦笑を浮かべた。

 そして彼女を安心させる為の笑みを満面に浮かべて口を開く。


「もう大丈夫。苦手なダンスだって、最近はコツをつかんだのよ」

「コツ?」

「そう。『美しい』ダンスは、『無駄のない』ダンスなのよ」


 最近発見したその事実をマリーシアは胸を張って発表して見せた。

 そんな彼女の言葉に、セシリアだけでは無くキリルまでもが頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。


 そんな2人に、マリーシアは言葉を続けた。


「私ね、今まではダンスってどちらかというと走ったりする事に近いと思っていたの。でも本当はね、ダンスは貴族に必要な所作の1つなのよ」


 彼女はそう言ってその言葉の意味を2人に言って聞かせた。




 ダンスに必要なのは、背筋を伸ばす事、指先を伸ばす事、視線は下に向けない事。

 その一挙手一投足は何もダンスを踊る為にあるのではない。

 第三者の目を意識し、綺麗に踊る為にあるのだ。


『誰かに見られる事』を意識して行う。

 その精神は、間違いなく「ダンスは所作の1つである」と言っている。



 流れるような所作の美しさ。

 マリーシアはそれを、母の所作を見て良く知っていた。


 フォークを持つ手つき一つ、ティーカップを持つ手つき一つ、歩き方一つ、座り方一つ。

 日常的に行われるそれらの所作が一々綺麗で、そんな母をマリーシアは尊敬していた。



「だからもう、大丈夫」


 胸を張ったマリーシアに、セシリアは酷く安心した様な笑みを浮かべた。


 マリーシアが辛そうだったら、セシリアも辛い。

 マリーシアが悲しそうだったら、セシリアも悲しい。


 だから、もう本当に大丈夫そうなマリーシアを見て、セシリアは満面の笑みで微笑んだ。



 そしてそんな二人を、クレアリンゼも嬉しそうに見つめている。


(あの子の苦戦ぶりには私も心配していたけれど、どうにか落ち着いたみたいね)


 教育方針が故に自分から口を出さなかっただけで、クレアリンゼも一人の母親だ。

 彼女が『ダンス』にてこずっている事を陰ながら心配していた。

 しかしもう大丈夫な様だ。



 マリーシアが自分の力でどうにかした事は勿論、親として誇らしい。

 でも。


(もうお互いに相手を思いやり元気づけたり、助けてあげたり出来る様になったのね。子供というのはこうやって少しずつ親の手を離れていくのでしょう)


 子供の成長を思い、何だかとても感慨深いような気持ちになる。

 しかしそんな間にも、子供達の会話は続けられている。


「そういえばセシリーが今してる『おべんきょう』は文字の書き取りだけ?」


 マリーシアとの話が一段落した頃を見計らって、今度はキリルがそう尋ねた。

 彼の言葉に、セシリアがコクリと頷く。


「文字の書き取りだけをずっとしていると、嫌になっちゃったりはしない?」

「……本当は、ちょっとだけ嫌になることもあるの。でも、『目標』のために頑張るの!」


 セシリアは両手でガッツポーズをし、フンスと鼻息荒くそう言った。

 しかしそんなセシリアに、キリルは「ストップ」と手で示す。


「そのやり方じゃぁ、今は大丈夫でもこの先一か月後、一年後には辛くなっちゃうかもしれないよ? それに、嫌だなって思いながらする『おべんきょう』は『大変』じゃない?」


 元々セシリアは、『おべんきょう』が『大変』になるのが嫌だった筈でしょ?

 これじゃ本末転倒じゃない?


 優しく諭すようにそう言えば、セシリアはハッと目を見開く。



 確かに彼の言う通り、セシリアはちょっと『大変』な思いをしている。

 それでも続けられているのは、セシリアが目標の為に根性で無理矢理『おべんきょう』を押し進めているからだ。

 キリルはそんな彼女の実態を指摘し、「そのやり方ではいずれ根性も尽きて失速するよ」と言っているのだ。




 セシリアはキリルに指摘されて初めて、その事に気が付いた。

 そして「じゃぁどうすれば……」と兄に視線で助けを求める。


 そんな末妹の途方に暮れた様な視線から逃げられる筈は無く、キリルは少し考えた後で彼女に1つ助言を贈る事にした。


「あのね、セシリー。『おべんきょう』の種類は何も1つだけじゃないんだよ。文字の書き取りの他にももっと沢山、色んな物があるんだ。だから何も1つの事だけをずっとし続ける必要は無いんだ。もしも嫌になった時は他の『おべんきょう』をすれば良いだけの話さ。現に僕やマリーは一日に幾つもの『おべんきょう』をちょっとずつやっているしね」


 キリルが優しくそう教えてやると、セシリアは「なるほど」大きく頷いた。

 一応「これで良かったか」と視線で母に判断を促せば、その視線に気付いたクレアリンゼがキリルの後に言葉を続ける。


「確かにキリルの言う通り、一日の内で様々な勉強をローテーションさせて自分が飽きてしまわない様に工夫する事は、進度の観点から見ても集中力の観点から見ても効率的に働くでしょうね」


 そうやって示された母の『合格』に、キリルは小さくホッとした。



 一方のセシリアはというと、一度視線を落として「こうりつてき……」と口の中で呟いたあと、何かを決心した様な顔をグッと上げる。


「わかった!わたし、いろんな『おべんきょう』を頑張る!!」


 こうしてセシリアは家族団らんの食卓で、色々な事にチャレンジする事を高らかに宣誓したのだった。



 セシリアのこの時の決意が、今後どのように作用していくのか。

 その事を此処にいる面々が知ることになるのは、もう少し先の話である。


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