*8* 私の使い道。
昨夜は初めて安心して眠れる屋根と壁のある宿屋に泊まったのだけれど、私はとっても寝不足気味だ。それというのも、あまりにこの国や近隣の国の情報に疎い私に、ウルリックさんが歴史のお勉強をさせてくれたから。
最初から思っていたことだけど、彼はとても面倒見が良い。基礎知識が欠片もない私に分かるように、なるべく簡単な言葉を選んで説明してくれたのだ。
ただ病院のベッドに身体を起こせている間はずっと勉強していたので、学校の成績は悪くなかったのだけど……彼の目には私がよほど心許ない人物に映っているらしい。実際に出逢いが行き倒れだからね。
結果として眠い目を擦りながら教えてもらった知識は、一夜で私を“この世界での独り立ちは無理じゃないのかな?”という現実に突き落とした。
私が転生してきたのは、エイレン大陸の端に位置するアクティア国。近隣の国もそれぞれ似た規模の小国家が乱立しているらしく焦臭い。それはもう、とっても焦臭い。
当初は近隣の小国同士の戦争であったものの、次第に宗教観を巻き込んだ戦争に発展。二大勢力の宗教戦争になり、アクティアは負けた側の宗教を信奉していたために敗戦国となった――……というのは、建前。
実際は細々とした内戦や代理戦争が横行していたせいで、元から不安の多かった国内が荒れただけというのがウルリックさんの談だ。
戦争自体は七年前に終結しているそうなのだけれど、残されたのは自然界の地場を狂わせる魔法を発動させすぎて、大地の精霊や大気の精霊がいなくなった大地。前世っぽく言うと神無月とかになるのかな。
土壌は勿論荒れていて、わかりやすく言えば、化学肥料を使い過ぎたあとの汚染地帯のようになっている。そんな土壌で作った作物の中には毒を持つものもあるそうで、食料自給率はガクンと下がってしまったのだという。
それまでも魔獣は存在していたけれど、より凶悪なものが出現するようになったのもその頃からだというから困ったもの。今までは人間相手だったのに、そこに大地の怒りを体現したような魔獣被害。
それは近隣の国々もそうらしいのだけれど、アクティアはその中でも国土の上半分は海に面した北に位置する。元来の国の場所が良くなかったのだ。そのせいで同じく戦争ばかりしていた周辺の国よりも、復興が遅れ気味なのだとか。
王様もその戦争で亡くなって、今は幼い息子さんがその地位にいるらしい。どのみち今日明日の生活を考えなきゃいけない平民の私には関係ないことだけど。
「え……あのレシピは今日売ってしまうんじゃないんですか?」
宿で蒸かしたジャガイモとパンと薄味スープという簡単な朝食をとり、さて出発しようと宿を出たところで聞かされた一日の予定に、レシピの売却が入っていなかったことに驚いて声を上げてしまう。
「当たり前だ。こんな小さい町で売ったところで大した金額にはならんことくらい、ちょっと考えれば分かるだろ。今日はひとまずこの町のギルドに依頼されてた討伐の報告に行く。次の町までの旅費くらいにはなるだろ」
昨夜の会話でてっきり今日売るものだと思っていた私は、ウルリックさんの発言に肩を落とす。調味料は砂糖でまだ小瓶の半分ほどで、胡椒に至っては底が隠れる程度。塩だけは結構上の方まで貯まっているけど、売ったところでそう値がつかないだろう。
だからこそ、少額でもレシピを売ったお金を受け取ってもらえると思ったのに……まだしばらくお世話になりっぱなしなのか。せっかく光明が見えたと思ったのにがっかりだ。
今日はこのあとに私の装備も揃えると言っていたから、てっきりそれの支払いを自分でできると思っていただけに辛い。完璧にウルリックさんのお金をさらに借りる流れだ。これだと異世界借金生活の幕開けになってしまう。
うなだれる私に「さっさと行くぞ」と声をかけてくれる彼が、今は恨めしい。そんな彼の隣に並んだり少し遅れたりしながらついて行った先は、厳つい感じの方達が吸い込まれていく如何にもな建物だ。
石造りの質実剛健といった風な建物は、小さいながらも片田舎にあるにしては立派である。感じとしてはすごく古い銀行建築みたいかな。
ぼやっとその外観を見つめていたらいつの間に建物に入っていたのか、ウルリックさんが「オマエは後ろを振り向いたらいないな」と、呆れた様子で中から手招きしていた。
建物内に入ると銀行の窓口を思わせる小窓が三つ。その向こう側に綺麗な女性が三人座っている。三つあるカウンター窓口前には、まだ朝も早い時間なのに数人の列ができていた。
聞けばここで依頼達成の報告と、証拠になるアイテムの提示。その後、証拠アイテムと報酬の交換を請け負ってくれるそうだ。
一人ずつ進む列にウルリックさんと並んで、呼ばれるのを待つ。彼は目の前にいた人が窓口に呼ばれるのを見て、服のポケットから小さな麻袋を取り出す。きっとさっき説明を受けた証拠アイテムだろう。どんなアイテムなのか興味が湧いて、麻袋からそれを取り出すウルリックさんの手許を覗き込んだ。
それは小指の先ほどから、親指の先ほどまで、色も形も大小様々な宝石だった。
「綺麗な石ですね。これが魔獣を倒した証拠になるアイテムですか?」
「ん、何だ魔石を見るのは初めてなのか」
「えぇと、実はそうです。それで初歩的なことを聞いて申し訳ないんですけど、魔石って何ですか?」
「魔石ってのは、まぁ魔獣の摂取した毒混じりの食いものには、それぞれ多かれ少なかれ魔素が含まれてる。で、腹や胃の中で固まった魔素がこうなるんだ。それで駆除した証拠に毎回魔獣を解体してこれを持って帰る。武器の加工に使えるこれを、冒険者ギルドが商工会ギルドの連中に卸すんだ」
彼の説明を受けながら小さな宝石をまじまじと見つめていたら、微かに咳払いの音が聞こえて。二人して顔を上げると、窓口のお姉さんが「兄弟仲が良いのね。でも、後ろがつかえちゃうからこっちに見せて」と笑われてしまった。
慌てる私とは違い急に無表情になったウルリックさんは、窓口のお姉さんに「魔獣の森の討伐だ」と言葉少なに伝え、お姉さんが彼の麻袋を受け取り、代わりに報酬の入った麻袋を渡してくれる。
ウルリックさんは無表情なまま受け取りのサインをしたけれど、悪筆なのか癖がひどくて読めない。ただその表情からあまり触れない方がいいと結論付けて、報酬を受け取った後は早々に窓口から離れた。
そのまま外に出ようと入口に向かう途中、横から現れた男性がウルリックさんの肩に勢いよくぶつかり、舌打ちを残して去っていく。男性と私はぶつかる前に目があった。なのに直進してきたのだから、明らかに故意だ。
こちらに転生してから初めて向けられた悪意にポカンとしていると、ぶつかられたウルリックさんが「面白い顔だな」と私を見て笑う。どう言葉を返そうか逡巡していたら、鞄の肩紐を掴まれて外まで引っ張られた。
私に建物を振り返らせない速度でズンズン歩く背中に、小走りになりながらついて行くと、何の前置きもなくウルリックさんが足を止める。
そのせいで彼の背負っているザックに顔面を突っ込ませた私を、振り返ったウルリックさんが見下ろした。
「さっきみたいなのは、俺と行動するならしょっちゅうだ。アイツら本業冒険者にしてみれば、兼業冒険者なんて邪魔者でしかないからな。食い扶持のためにやってる以上、綺麗事だけじゃどうにもならん。分かったらオマエも気にすんな」
どこか諦めたような静かな声。窓口の時みたいに無表情ではないけれど、うっすら唇の端だけ持ち上げる笑い方は何だか嫌だ。
「本業にしてみれば、魔獣が大きくなって被害が出てから討伐に出る方が実入りが良い。俺みたいにパーティーを組まないで、単独行動で仕留められるような大きさの魔獣を狩る兼業は、奴らからすれば目の上の瘤なんだよ」
目の前にいるウルリックさんの溜息のような笑いを耳にした時、瞬間的にこの人のそんな声は聞きたくないと思った。
「嫌です。ウルリックさんは悪いことをしてないのに、あんなことされて納得できるわけがありません。次に私がいる時に誰かに同じことをされたら、私が仕返ししますからね」
転生して健康体になったのだから、体当たりの一つや二つできないはずがない。むしろ恩人のためならそれぐらいしてみせる。前世も込みの人生で初めてとるファイティングポーズに、ウルリックさんが「滅茶苦茶弱そうだな」と笑って。
その後出世払いの約束を交わして、今回の報酬で色々と旅支度を新たに買い揃えた私達は、意気揚々と次の町を目指して第一の町ベナンを発った。
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