第二章

「…流石にこの天井は見飽きてしまったか…」


 ベッドの上で横たわるフリッツは宿の天井を見上げながらボヤっと呟いた。


 荷物はすでに前日まとめておいたため、時間が空いていたのである。今日は朝食が済むと同時に街を出るつもりだったのだが、うっかり寝坊してしまい朝食を逃してしまった。しょうがなくフリッツは出発を昼過ぎごろにすることにした。


(…暇だ。昼までまだ時間あるし、エリカの手伝いでもするか…)


 フリッツは軽くあくびをすると、エリカがいる食堂へ向かった。手伝えることがあれば良い暇つぶしになるが、なくてもフリッツは正直気にしないことにしていた。やることがなければ作ればいい、そう考えたのである。


 廊下から階段へ行く途中、食堂の方から会話が聞こえてきた。一つはエリカの声だったが、もう一つの声は聞き覚えがなかった。低く堂々としている男の声だが、相手が女性のせいか、言葉使いが丁寧だった。


 食堂の奥にある受付カウンターに立っている人達を見るとフリッツは固まった。


 一人はエリカだったのでどうということはなかったが、問題は他の二人だった。


 二人とも同じ服装をしていた。上は白いベストの上に水色のテイルコートと真っ白な軍手。下はオレンジ色の一本線が左右の腰から足首まで縫い込まれた水色のズボン。足には真っ黒な革製の軍靴。ズボンの革ベルトから軍刀サーベルを下げていた。テイルコートにはオレンジの袖口と襟。正面には六個の黄銅のボタンが二列、計十二個並び袖口にもボタンが一個ずつ縫われていた。頭には真黒な三角帽子をかぶっている。


(…憲兵だ。)


 一瞬だけフリッツの脳内を「逃げる」という選択肢がよぎった。


 陸軍内の役職は将兵たちの着ている服の襟や袖口の色で見分けることができる。歩兵は白、騎兵は黄、砲兵は赤、そして憲兵はオレンジ。


(落ち着け。ただの偶然かもしれない。)


 深呼吸をして少しは落ち着くことができたフリッツは、何もなかったかのように階段を降りていった。憲兵の周りではなるべく怪しまれるような行動は避けたい。とりあえず適当に選んだテーブルへと行き、近くにあった椅子に座り込むと憲兵たちとエリカの会話を盗み聞きすることにした。


 会話の途中で自分の名前が出てきた。


 エリカがその後フリッツの方を指差した。


(やっぱ軍事演習の見学なんてしない方が良かったかな?)


 とは言え、フリッツ本人は今まで何も犯罪行為をしていないので、そもそも憲兵がフリッツを探している事が妙だった。


(まさか…)


 一瞬とある赤毛の少女の顔がフリッツの脳裏をよぎった。


「失礼。」


 隣にから声をかけられた。どうやら憲兵たちに気付かれたようだ。


 フリッツは軽くため息をつくと憲兵たちの方を向いた。


「あ、はい。何でしょうか?」


 憲兵の目がテーブルに置いていた紙と鉛筆の方へ向いた。


「失礼、フリードリヒ・ベルンハルトで間違いないかな?」


 エリカが心配そうにフリッツを見ていたがフリッツ本人は気にしないことにし、落ち着いて頷いた。それを見た憲兵は予想外に安心したため息をついた。


「すまないが一緒に来てはくれないかね?とある方が会いたいそうだ。」


 再びとある赤毛の少女の顔がフリッツの脳裏をよぎった。




 フリッツは憲兵二人と共に馬車に乗ることになったが、行き先は知らされなかった。彼には手錠をかけられるなどの罪人扱いはされてなく、フリッツは何のために連行されているのかわからずにいた。


(もしかしてあいつと何か関係があるのでは。)


 もちろん「あいつ」とは赤毛の少女、アンナのことである。


 数分後、馬車は街を抜け北へと向かった。周りには畑が広がり、それを農奴が耕していた。泥まみれの服を着ながら重労働を行う農奴たちの姿にフリッツは無意識に舌打ちをした。隣に座っていた憲兵はそれ聞き逃さなかったが、フリッツを睨み付ける以外は何もしなかった。


(そんな目で見るなって。)


 憲兵の反応を見るなりフリッツは軽くため息をついた。


 北へ向かうこと約三十分、ようやく馬車が目的地に到着した。


 石造りの三階建ての館がそこにそびえ立ち、高さ一ルーテ(3.766メートル )の壁が約一平方マイル(2.59平方キロメートル)の敷地を覆っていた。敷地内の所々から煙が上がっており、度々銃声も聞こえた。館の窓からは廊下を行き来する兵隊たちの姿も見えた。


(隣りの憲兵たちと似た軍服だな。昨日の軍事演習ではこの軍服は見かけなかったから正規軍ではないはず。)


 正規軍ではないにしてはよほど資金があるように見えた。それは軍服を見ただけですぐわかることだ。


(貴族の私兵か…傭兵部隊か…)


 馬車を降りるとフリッツは憲兵たちに連れられ館の中へと入って行った。


 館の中は豪華な外見に比べると頗る地味だった。過去には絵画などが飾られていただろう廊下の壁には掲示板らしきものが多数掛かっていた。


(兵はみんなお辞儀などの代わりに敬礼しているな。本来なら後一世紀ぐらいたたないと流行しないはずなのに…)


 廊下を進んで行くとフリッツ一同は目の前の突き当りを右に曲がり更に進んで行った。奥にはドアがあり、その左右に斧槍ハルバードを持った衛兵らしき人達が立っていた。ドアの向こう側からは聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「第二大隊ツェー中隊の医療物資がまだ届いていません。どういうことですか?」


「はっ!道路渋滞に巻き込まれ到着が数日遅れるとの報告を受けています。おそらく三日後には到着するかと。」


「わかりました。当分の間は連隊本部の物資をC中隊にも分けましょう。本部の分はまだ在庫があります。三日後に到着予定の医療物資は直接本部行きにします。」


「御意!」


「第四大隊用の宿舎の建設は終わりましたか?」


「はっ!すでに新兵たちの入居も開始しております。」


「よろしい。諸侯たちに動きはありませんか?」


「今のところ何もありません。」


 その間、フリッツと一緒にいた憲兵の一人が、ドアの隣にいた衛兵に話しかけていた。


 一瞬衛兵がフリッツの方に視線を向けた後、彼はドアを軽くノックした。


「どうした?」


 ドアの向こう側から男の声が返事をした。


「はっ!憲兵隊が例の人物をお連れしたようです。」


(「例の人物」で伝わるのか?)


 衛兵の言い回しに少し疑問をもったフリッツだったが、数秒後にドアが開いたためどうやら伝わったようだ。部屋からは士官や下士官が十名ほど廊下へと出て来た。フリッツの方に一瞬だけ視線を向けた者は数人いたが、フリッツは気にしないことに。


「入れ!」


 アンナの命令と同時にフリッツは憲兵たちと共に部屋のへと足を踏み入れた。


 部屋は約十二畳の広さで、壁には絵画などの代わりに地図がいくつも貼ってあり、中にはブロイデンヴィーユ公国の地図に加え神聖ルーベシュタート帝国や大陸全土の地図もあった。入口から見て左側の壁際には木製の櫃が置いてあり、向かい側の壁際には箪笥のようなものが。櫃の上の壁にある窓から外の日差しが差し込んでくる。部屋の奥には山積みの書類が置いてある机、その後ろには軍服に身を纏ったアンナが座っていた。


 彼女の隣にはどこかで見たことがあるような四十路男が立っていた。平民などが着ていそうなシャツとズボンに加え軍靴をはいていた男の顔には短めの髭が目立つ。


 この男の名はルドルフ・ローゼンベルグ。首都で小さな宿を経営している。


 つまりエリカの物知り親父である。


 フリッツの隣に立っていた憲兵の一人が踵を鳴らしながらアンナに向かって敬礼をした。


「姫殿下、フリードリヒ・ベルンハルト氏を連れてまいりました!」


 それを聞いたアンナはからかうような笑顔をフリッツに向けた。


「ご苦労さまです。二人とも下がっていいですよ。」


「はっ!失礼いたします。」




 気が付けば部屋に残っていたのはフリッツ、アンナ、ルドルフの三人のみとなっていた。


「おいフリッツ君、姫様の目の前にいるのだから跪かんかい。無礼だろう。」


「いいのですよ、ローゼンベルグ中佐。あたしは肩苦しいことは好みません。あなたもそうでしょ、旅人さん?」


(…「姫様」ねぇ…それにしても、あの親父いつから将校になったんだ?)


 エリカの父が何故ここにいるのかは少しばかり気になったが、フリッツはそれ以上に知りたいことがあった。何故今日ここに呼ばれたかである。


 アンナはかぶっていた三角帽子を机の上に置いた。


「改めて自己紹介をしたいと思います。あたしはアンナ・ソフィア・フォン・ブロイデンヴィーユ、ブロイデンヴィーユ公国の第一王女です。となりのローゼンベルグ中佐のことはもうご存知でしょうね?」


「はい、良くも悪くも存じております。それより本題の方は…?」


 アンナはフリッツの答えに対して少し笑った。


「うんうん、フリッツが相手なら話しが早く終わりそうで助かります。」


(なんか嫌な予感が…)


 先程まで微笑んでいたアンナの顔が急に真面目な表情へと姿を変えた。


「質問に答えてくれますか?」


「…はい。」


「フリッツ、あなたは死んだ経験はありますか?」


「…!」


(なぜばれた⁉)


 一瞬パニックに陥ったフリッツだったが、ルドルフの知らないふりをする顔を見るとなんとなく答えにたどり着いた。


(あの親父…)


 フリッツは軽く溜息をつきジト目をルドルフに向けた。


「…経験があるとしたら、どうします?」


「安心して。吊るしたりはしないから。」


 答えたのはアンナである。


「…本当ですか?」


「神に誓って。」


「…」


(…少しは信用できそうだ…)


 フリッツは恐る恐る頷くとアンナは深く溜息をつき安心た表情を浮かべた。しかし、次に発言したのはアンナではなくルドルフの方だった。


「よくそう簡単に信用できるな。」


 フリッツはもう一度ルドルフにジト目を向けた。


「いくら王族が相手とは言え人の個人情報を暴露した裏切り者には言われたくありません。」


 ルドルフは何か言い返してやりたいように見えたが、アンナが隣でクスクス笑っていたのでひとまず黙っておくことに。


「中佐、少しの間席を外してくれますか?今からフリッツに色々問いたいのですが、今回のような情報流出は避けたいと思います。特に個人情報なども含まれると思いますし…。」


 ルドルフはアンナの頼みに対し何らかの文句を言いたそうに見えたが、相手が相手であるためそうも行かなかった。


「…御意…」


 少々残念そうな顔をしながらルドルフは退出し、部屋にはアンナとフリッツの二人のみとなった。状況を確認したアンナは机の引き出しから紙、羽根ペン、それとインクを取り出し机の上に置いた。


「それでは面接を始めましょうか。」


(ノリノリだな…)


 アンナはペン先をインクにつけると視線をフリッツに戻した。


「前世ではどんな仕事を?」


「…歴史の先生をしていました。」


「ふむふむ。軍事に関する知識はそこから得たと。」


「そういうことですね。」


「前世の世界と現世の世界との科学技術の差は?」


「約四世紀分ですね。この世界には妙に進んでいる技術もありますけど。」


「再現は可能ですか?」


「自分一人では無理です。概念そのものなどは提供できますが。」


「それはそうでしょうね…」


 アンナは一瞬手を止め書き留めたノートを一度読み返す。どうやらフリッツの答えに納得しているよう。


「最後に聞くけど、あなたは今のブロイデンヴィーユ、いや、神聖ルーベシュタート帝国をどう思います?」


「…。」


(厄介な質問を聞いてきたな。正直に自分の意見を言うべきか…それとも貴族たちは王族が好みそうな発言をするか…)


「…どうかしました、フリッツ?」


(…しょうがない。正直に話すか。)


 フリッツは一度軽く溜息をすると視線をアンナに向けた。


「単刀直入に申し上げます。」


「どうぞ。」


「神聖ルーベシュタート帝国の時代は終わりました。」




「中佐殿、姫様とあの旅人は一体なんの話をしているのでしょうか?」


 ルドルフが不機嫌そうに部屋の外で待っているとフリッツを護衛して来た憲兵の一人が訪ねた。


「…正直わからん。前にもこうして直々に面接官の役目を引き受けてはいたが、私がこのように退室させられるのは初めてだ。」


(大体、姫様とフリッツが初めて出会ったのはちょうど先日のこと。これほど早く興味を持つこと自体が珍しい。)


 とは言え、ルドルフにとってこれは後ほどフリッツから聞き出せばすむことである。今は我慢して待つことにした。




「『神聖ルーベシュタート帝国の時代は終わった』と。どうしてそう思うのですか?」


 興味津々に聞くアンナ。反応から察するにフリッツの答えはアンナにとってはいい意味で予想外だったようだ。


「声に出さなければいけませんか?」


「ああ、もちろん。」


「では申し上げます。少々長くなりますが。」


 軽くため息をしたフリッツは考えをまとめると遠慮なく自分の考えを語り始めた。


「…自分はこの十年間大陸の国々を旅していました。民から吸い上げた富で豪華な宮殿や城を手に入れた貴族や国王たち。神の言葉を語りながら自らその言葉を無視し、女を抱きながら金持ち面をする聖職者たち。お国のためだといい兵士たちを無駄死にさせながら豪邸でのんびり紅茶でも飲んでいる政治家たち。自分は旅の道中このようなものを全て見て来ました。このような不正は断じて見逃せません。しかし、内政改革をルーベシュタートで成功させることができたとしても現状維持を望む周辺国家に踏みつぶされてしまいます。


 前世の自分は歴史の先生をやっていました。前世の一万二千年以上の歴史の中、滅びの道を歩まずにすんだ国は一つもありませんでした。人間に不老不死が不可能のように、国にもまたいずれ死が訪れます。神聖ルーベシュタート帝国はもう八百年以上も一部の貴族や小国家が民を搾取する形で続いてきました。そろそろ幕が下りてもおかしくないでしょう。」


「なるほど…で、どうすればいいと思います?」


 アンナがフリッツの説明を聞くとそう言った。


(…不敵な笑みだ。怖い怖い。)


 自分も同じような悪役らしき微笑みを浮かべていたにもかかわらず、フリッツはそう思った。


「姫様はもうお察しのようですが?」


「あたしとフリッツの考えが一致するか確認したいだけです。」


「では遠慮なく申し上げます。」


 フリッツは壁に貼ってあった大陸の地図に視線を向けた。


「西にはネウストリア第二帝国。南にはオストマルク王国。どちらも我々の繁栄を望ましく思わないでしょう。これら敵対勢力に立ち向かう方法は一つしかありません。」


 フリッツは視線をアンナの方に戻した。


「神聖ルーベシュタート帝国を解消し、新たな統一国家の設立です。それもルーベシュタートのような貴族どもの園遊会場ではなく、どこの誰でも認めざるを得ない国家を。そしてもちろん、その新国家の中枢はここ、ブロイデンヴィーユです。」




「…終わりました。」


 執務室のドアが開くと、中から満足そうな顔をしたアンナと新しくサーベルを腰に下げたフリッツが現れた。


「ローゼンベルグ中佐、お待たせしました。今からあたしはと第一連隊の視察に向かいますが、一緒に来てくれます?」


 アンナの質問を聞いたルドルフは目を丸くしていた。


「わ、わかりました。行きましょう。」


 ルドルフの表情を見たアンナは笑いをこらえると裏口の方へ足を運んだ。


「おい、フリッツ…」


「後にしてください、中佐殿。」


 いきなり佐官なったことに疑問を持っていたルドルフに対し、フリッツはそう答えた。無論、現時点では他に優先しなければならないことがあったからである。


「歩きながらになりますが、今からフリッツに我々の現状を教えたいと思います。ローゼンベルグ中佐、手伝ってくれますか?」


「御意、姫様。」


 アンナの頼みにそう答えたルドルフはカバンからなにやらノートのような物を取り出した。しかしフリッツがその物体の正体を聞く間も無くアンナが現状報告を始める。


「今年中に公国を二分する内戦が起こると思われます。原因は山ほどありますが、最終的な引き金となるのは農業のうぎょう改革かいかく法案ほうあん所得税しょとくぜい法案ほうあんの二つでしょう。」


「その二つの法案は公国議会の目を通ったのですか?」


「いいえ、正確な内容がまだ決まっていません。目安としては来月から始まる会計年度までには完成させたいところね。完成次第弟に議会へ提出させるつもりです。」


「…弟?」


「あたし、女ですから…」


「ああ、なるほど。」


「話をもとに戻します。公国議会の議員の大半は上級貴族たちです。所得税法案はともかく、農奴解放を目的とした農業革命案も奴らは嫌がるでしょう。下級貴族たちが味方についたとしても、議会内での政治権力は高が知れている。」


「法案が通るとは思えません。」


「別にそれでもいいのです。近年作物の収穫が異常な寒さのせいで困っているのにもかかわらず、貴族たちはいつもと同じ量の年貢を集めています。結果民は餓え、貴族たちへの反感が高まっているでしょう。」


「そこで王家が貯蔵していた年貢の一部を民に返した…と。」


「あら、知っていたのですか?」


「旅の道中で聴きました。噂話だと思っていましたが。」


「結果、人民放棄が起きた場合、その鉾先ほこさきは王家ではなく貴族たちへ向けられます。議会へ提案する法案も似たような効果を狙っています。」


 アンナの説明を聞いたフリッツは一瞬黙り込んだ。


(最終目的は権力と資金の入手、それと政敵の合法的な粛清か。忠実でいれば徐々に権力と財産が削られ、反旗を翻せば速粛清の対象になる。貴族たちが少しばかり残念に思えてくるな…)


 思わずニヤニヤしていたフリッツを見たアンナとルドルフは少々引いてしまった。


(フッ。面白い。)


 気が付けば三人は館の裏口から高い壁に囲まれた広い敷地へ出ていた。敷地内には無数のテントと小屋が並び、数多くの兵士たちが日々の職務に励んでいた。ある者は武器の手入れを、ある者は訓練を、ある者は運動をと、民兵部隊とは思えないほどの努力が見られた。


 アンナに気付いた兵士たちが敬礼する間、フリッツは話を進める。


「現在の戦力は?」


「それについては私が説明しよう。」


 返事をしたのはルドルフである。


「現在首都ノルドハーヴェンに駐屯している部隊は姫様率いる第一王立ラントヴェーア師団第一連隊。それに加えて第二王子ヘルムート様直属の第四竜騎兵旅団と都内の憲兵隊が味方してくれる。第一王立ラントヴェーア師団の第二連隊は南西部の鉱山地帯に近いアイゼンベルグに駐屯、第三連隊はアイゼンベルグと首都の間の村々に忍ばせている。しかも憲兵のふりをしてだ。」


「…という事は、現在の戦力は民兵一個師団と竜騎兵一個旅団。憲兵隊も合わせると二万前後ですか…」


 フリッツがそう呟くとアンナは軽くため息をついた。


「二万人も集めたところでこちらが不利なのは変わりません。大貴族どもと兄上の戦力は恐らく五万から十万。正規軍や傭兵部隊などを足してしまったら軽く三十万は超えます。『兵は量より質』と言いたいところですけど、最終定期には人間同士の戦い。いくら訓練を積んだ兵士でも疲れる時は疲れます。」


(『兄上』? 第一王子のことか。)


「兵が不十分ならば火力で補えばいい。とは言え実行するのは少々難しいと思いますが…。」


 フリッツの発言に興味を持ったアンナであった。


「…何か考えがあるのですか?」


「後ほどお伝えします。それより…」


 フリッツはアンナ配下の兵たちの装備が気になったのか、兵士たちの訓練する姿を興味津々に見ていた。


(将校以外の兵士たちの武装は燧発式すいはつしきマスケット銃と銃剣か。野砲も数問あるようだし、想定される敵の装備を考えると火力的には多分大丈夫だろう。技術的には恐らくこれが限界だろうし。と言うより…)


「よく二万人も集められましたね。いくら第一王女様でもこれほどの人数とその分の装備を集めるのは困難だったでしょう。財政的にこまらないのですか?」


 そう尋ねたフリッツに対してアンナは少々恥ずかしそうな笑いをした。


「予算ギリギリって感じかしら。一般兵と一部の将校たちの給料がただですから、その分のお金を装備や補給に回しているだけです。」


「…一般兵の給料は無いのですか?」


 信じ難いことを聞いてしまったフリッツであった。


「ちょ、ちょっと、そんな怖い顔しないでください。ちゃんとした理由があるのですから。」


 必死に説明しようとするアンナであった。


「この部隊、公式には民兵部隊だけど、書類上は懲罰部隊なのです。あ、でも安心してください。兵たちの大半はただの債務者です。給料が出ない代わりに食事、医療、宿泊などは無料で提供されることになっています。借金返済のついでに英雄になれる、と皆納得しています。兵たちの契約期間は四年。期間後は退役するも良し、軍にい続けるも良し。退役すれば普通に年金は出ますし、退役しなければ正規軍の一般兵同様給料が出ます。」


「…つまり四年以内に内戦の勃発と決着をつけなければ財政的に苦しむ、という事ですね?」


 フリッツの問いを聞いたアンナはニヤリと笑った。


「察しが早くて助かります。」




 三人がたどり着いた先は敷地内の一角で、珍しく私服や囚人服を着た人たちが集まっていた。大半は二十代から三十代後半の男性だったが、所々十代の少年、五十代の老人、そして女性の姿も見かけた。各々は軍服姿の兵士たちに誘導され宿舎代わりの小屋へと入って行く。


「これは…?」


 思わずフリッツは呟いた。


「新しく到着した第四大隊の新兵たちです。」


 そう答えたのは真面目な表情を浮かべていたアンナだった。


「フリッツ、一個大隊分の新兵を一人前の兵士に育て上げるにはどれぐらいかかると思います?」


「…四ヶ月ぐらいでしょうか。」


「三ヶ月でできます?」


「…状況はそれほど深刻なのですか?」


 フリッツの問いに対するアンナとルドルフの無言が全てを物語っていた。それに気付いたフリッツは深く溜息をついた。


「…わかりました。やりましょう。」


「ありがとうございます。では…」


 アンナは鋭い視線をフリッツに向けた。


「フリードリヒ・ベルンハルト少佐、卿に第一王立ラントヴェーア師団、第一連隊、第四大隊の指揮官を命ずる。武装、軍服、部隊名などの詳細は卿に任せる。必要な物資などはローゼンベルグ中佐が調達してくれよう。三ヶ月以内に実戦投入の準備を完了せよ。」


「御意!」


 フリッツは踵をならすとアンナに敬礼した。


「何か質問は?」


「一つだけ確認したい事が。部隊編成、装備、訓練方法などは全て自分の独断に委ねられるということで間違いありませんか?」


「ええ。好きにしていいですよ。」


「わかりました。では好きにさせて頂きます。正規軍をも凌ぐ部隊を作ってご覧に入れましょう。」




 聖暦一六三八年四月四日。ブロイデンヴィーユ公国軍少佐フリードリヒ・ベルンハルトは初の軍務についた。彼がこれから育てる部隊は後に多大なる戦果を挙げるのだが、それはまだ先の話である。

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軍靴と恋の物語 ー A Story of Love and the Sounds of War ー カール・アーティー @karl_arty

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