第23話Δ 輪廻の先に望むもの


 千羽が達海の待つ家に帰ってきたのは、宣言通り時計が頂点で重なる前だった。


「おかえり」


「・・・うん、ただいま」


 千羽は何もなかったように装い、部屋の部屋の奥へと消えていく。できるだけ、その表情を達海に悟られないようにして。

 その違和感に気づくことのなかった達海は、千羽の姿が角に隠れていくのを目で追い、完全に隠れるとまた一息ついた。


 それからほどなくして千羽が出てくる。どうやら着替えたようで、先ほどのスーツとは一転、崩した様子だった。


「もう今日はいいのか?」


「うん。今日はもう何もないよ」


「そうか。・・・」


 それ以上の言葉がお互いでなかった。

 互いに詮索などしあっているわけではない。単純な話、達海も千羽も緊張していたのだった。

 

 若干勢いが混じっていた昨日とは異なり、今は互いが冷静な思考で動いている。そうなると、同じ年齢の男女が同じ屋根の下というこのケースが異質なものに捉えられるのだ。


「あ、あの、昼食、すぐ作るね」


「あ、ああ。お願いする」


 そして互いに顔を合わせることもなく、また俯く。

 そんな停滞した状況に耐えきれなかったのは達海の方だった。達海は勇気を振り絞って千羽に話かける。


「なあ、千羽。ちょっと聞いていいか?」


「うん、いいけど・・・」


「今日読んだ本の話なんだけどさ」


「分かった。聞くよ」


 達海が話を持ち上げると千羽は表情を瞬く間に変えた。それが何を意味していたのか達海は知る由もなかったが、構わず続ける。


「『輪廻と伝承の世界』、だったか。あの本を読んだんだけど・・・」


「・・・!」


 達海がそのタイトルを口にすると、千羽は先ほどより更に表情を険しくした。


「その本、手を出してほしくないところから取った?」


「いや、結構離れてた。それが、どうかしたか?」


「・・・ううん、なんでもない」


 とはいうものの、何か訳ありげに目をそらす千羽を達海は不思議に思った。しかしそれを追求することはせず、達海は内容の話をすることにした。


「この本、千羽も目を通してたりするのか?」


「え? ああ、うん。結構ページ数も少ないし、今までで10回くらいは繰り返してるかな」


「結構な次元だな・・・」


「読書家なら、よく読む本はもっと繰り返すよ」


「そうなのか・・・」


 読書に縁遠い達海にとって、少々頭の痛い話だった。


「それで? あの本を読んで、藍瀬君は何を思ったの?」


 千羽が問いかける。達海は自分なりの意見をはっきりと語ることにした。


「はっきり言って、大前提の過程が馬鹿げていると思った」


「それは、どうして?」


「どうしてって・・・、なんて言うかなぁ。多分、実感がわかない、っていうのが大前提なんだと思う。何度も世界が滅びて、再生して・・・、それを見届けた人間が、どれだけいるんだろうって話だ」


「確かに一理あるわね・・・」


 千羽が神妙な顔つきで頷く。


「けど、その上で思うところもあったんだ」


 その過程が、前提が馬鹿げたものであると踏んだ上での自身の感想を、達海は口にする。


「知能を経験として積み重ねることで成長できる人間と言う生物が、自然現象のために絶滅した自然動物のように何度も滅亡するのか、って思うんだ。だから、もしこの論が本当のものであるなら」


「分かった。そこまででいい。・・・それ以上は、ちょっと聞きたくない」


 千羽は明らかな拒絶の表情を見せ、達海の意見を遠ざけた。


「・・・悪い、変なこと口走ったな」


「ううん、いいの。私の配慮が足りなかっただけだから。・・・ねえ、藍瀬君」


「?」


「いつかした質問、してもいいかな?」


「え・・・いいけど」


 それがどんな内容だったか覚えてなかった達海は、とりあえず『いいよ』とだけ答えた。

 それを受け取り、千羽は一切の迷いを捨てた瞳で達海に問いかける。


「私たち人間は、なに不自由のない、贅沢な暮らしを送ってると私は思うんだ。・・・私たちだけが、こんな暮らしを送ってていいのかな?」


 それは、いつかの図書館での言葉。

 能力なんて自分には関係のないものだと思っていたころの、ささやかな記憶、言葉だった。


 あの時、自分はどうやって答えただろうか。達海は思い出そうと試みる。

 しかし、何も思い浮かばない。それほど、自分という人間が空っぽな器で生きていたのだと達海は思った。


 そこで、達海は諦めて、今自分がどう思っているかを考えることにした。


 能力者として目覚めて、友人である弥一も、目の前にいる千羽も能力者で。

 学校という当たり前の場所を奪われて、そんな自分が今、何を思っているのか。


 そして、先ほど目を通した文章への思いが混じった言葉を、達海は伝える。


「贅沢な暮らしに辿り着いたのは、人間の進化の先にある賜物だ。・・・だからきっと、それを否定したら人間の歩みは間違いだったという事になる」


「・・・」


「でも、だからといってそれだけが正しいわけじゃないとは思う。その発展の中で、幾多の犠牲を生んで、いつかその思いやりや優しさも忘れるようになったのなら・・・、人間は、その咎を受けなきゃならない。それは俺も、お前も」


「それは、どうやって受けるの?」


「さあなぁ・・・。なんせ、世の常として人が人を裁くわけだけど、何せこの場合人間というひとくくりが犯人になっちまうからな。裁く相手がいないことにはどうしようもないか」


 達海の理論を受けて、千羽は小さな声で呟いた。


「・・・世界ごと終わらせる、なんてことをしたら、それは咎を受けることになるのかな?」


「それはどうだろうな。咎どころか、全てが無くなったんじゃこれまで歩んできた道のりも全部パーだ」


「・・・でも、輪廻の定理が正しいなら・・・。いや、なんでもない」


「なんだよ・・・。でも、なんだろうな。人間は罪の意識や、目先の功利だけを意識して生きてるなんてことはないはずだと思う。俺はそう思うんだ」


「・・・そっか。それが藍瀬君の答えなんだ」


 千羽が羨望のまなざしで達海を見つめる。達海はぶんぶんと手を横に振って、その感情を否定した。


「答えなんて大層なもんじゃない。・・・まだまだ何も知らないから、こんなことが言えるんだ。多分、千羽は答えを持ってるんだと思う。けど俺は、まだそのラインに立ててないから」


 自重でも謙遜でもなく、達海はそう言った。

 卑屈になっているわけでもない。ただ、知らない、のだ。


「じゃあ、まだまだ勉強しないとだね」


「ああ。許される限りはここで結構頑張ってみようかなって思う」


 千羽がようやく表情を崩す。つられて達海も笑みを漏らした。

 そこに、雪解けのようなものを感じた気になりながら。




---


~side C~


 藍瀬君が口にした、『輪廻と伝承の世界』というタイトル。

 あの本は、お父様が著したものだ。お父様が世界を見て、学んで、推測して、自分で書き記した、世界の真理。


 きっと、藍瀬君はそれに気づかなかったのだろうけど。


 あの本の中身は間違いじゃないと、私は信じてる。


 だから途中で、藍瀬君の言葉を遮ってしまった。なんて言われるのか分からなかったから。それが、たまらなく怖かったから。

 けれど、そうするのはきっと間違いじゃなかったって今も思ってる。中身の否定という面だけじゃない。


 ・・・あの本の行きつく先の答えは『コア』だ。話を深めれば深めるほど、世界の真理や組織間抗争の真実に近づいていく。

 

 その道に藍瀬君がたどり着いてしまったら、私がここに彼を呼んだ意味が失われてしまう。


 ・・・私は、藍瀬君のことを守りたいから。だから、世界が終わることと彼を結び付けたくない。


 彼の知らないところで、私は私の、琴那の悲願を成就しなければならない。


 ・・・なんで、そんな難しい選択肢を選んだんだろうね。


 その理由は簡単。

 私はきっと、藍瀬君のこと、好きになってたんだ。


 ずっと遠くから眺めているだけで、会話もほとんどすることもなくて、それでも優しくしてくれた彼のことを、私はいつの間にか・・・。


 だから、こうして、隔離するように、自分のものにするように、その手を引いて・・・。


 ああ、なんて・・・。

 

 なんて、邪魔な感情なんだろう。


 こんなはずじゃない。こんなことで歩みを止めてはいけない。

 終わりゆく世界に感情はいらない。


 ・・・ごめんね、藍瀬君。

 

 こんな私のわがままにどうか・・・。



 どうか、最後まで付き合って。



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