第19話Δ あなただけを守る羽


 それから数十分後、達海は琴那宅の前に来ていた。

 結局、あの場、あの時、千羽の提案を断ることが出来ずに、達海はついて行くという道を選んだ。それしか方法がないと割り切ったのだ。


 そして案内された建物は、白飾には珍しい、洋風の大きな二階建ての建物だった。レンガ造りで、壁に蔦を生やしているが別段古びているというわけでもなく、生活感もにじみ出ている、そんな建物である。


「白飾にもこんな建物があったんだな・・・。・・・これが、お前の家なのか? 千羽」


「一応・・・ね」


 千羽の返答は、どこか歯切れが悪かった。しかし、達海はそんなことを気にする余裕もなかった。


「というか、いいのか? 家っていうなら、両親とかもいるはずじゃ・・・」


「大丈夫。・・・お父さんは、基本こっちには帰ってこないから」


「そうか」


 随分と仕事熱心な父親なんだなと達海は心の隅で思う。

 能力者の父親である以上、なにか裏があるのかもしれないと警戒を行いながら。



 千羽は重たく閉ざされたドアを開ける。ギィと重たい音を立てて開いた扉の先は、どこか懐かしい感じが漂っていた。

 それはまるで、アガートラムのような雰囲気で・・・。


「なんか、なつかしいな」


「なにが?」


「へっ? ・・・いや、何でもない」


 思っていたことがどうやら口から零れていたようで、達海は急いで口をふさいだ。その様子に千羽はプッと笑いだす。それほどまでには、まだ余裕があるようだった。


「適当に腰かけててよ。お茶くらい出すから」


 達海は案内された先のソファに腰かける。その間に千羽はキッチンの奥の方へと消えていった。

 一人になって、改めて達海は部屋の中をぐるっと見回してみた。


 特別何もない、普通の部屋だった。若干家具や装飾に特異性を感じたものの、何か不思議に思うことはなかった。


 ただ一つ、圧倒的に書物の量が多い事を除いて。


「はい。紅茶でよかったかな?」


 千羽が紅茶の乗ったトレーを持ってくる。そこからティーカップを受け取り、達海は一たびそれを口にした。

 熱すぎず、冷めているわけでもない熱が喉元を通り過ぎると、達海の中で発生していた熱が少しずつ逃げていった。一連の騒動での焦りや動揺も、同時にどこか流れていく。


 そうして達海はようやく、平常の心を取り戻した。

 今、千羽の家にいることが、単純に友達の家にいることのように思える位には。


 瞳の色を見てか、千羽もそれを分かっていたようだった。


「落ち着いた?」


「・・・まあ、それなりに」


 抱えていた悩みがすべて解決したわけではないが、それをある程度区切り、整理できるほどには、達海は落ち着きを取り戻していた。

 だからこそ、今になって質問が飛ぶ。


「でもなんで、私の家に、なんて言い出したんだ? それに俺ほら、・・・一応、年頃の男の子、だし?」


「うーん、そうなんだけど・・・ね」


 千羽は目をそらす。そこに別段羞恥や気まずさのようなものがにじんでいたわけではなかったが、その行動をどこか達海は不審に思った。


「千羽?」


「まあ、なんていうかな。・・・私のわがままだよ」


「わがまま?」


「・・・あれだけ危険な状況。これから先、どうなるかも分からない。・・・私ね、藍瀬君に傷ついてほしくないの。だから、なんだろう。・・・こんな強引なことしてでも、藍瀬君のこと、守りたかったんだ」


 伏し目がちに、しかし逃げずに千羽は自分の思っていることを曝け出す。その言葉に、態度に、達海は嫌悪を抱くことはなかった。

 むしろ、嬉しいと思った。無価値になりかけていた自分にまだ、そんな感情を抱いてくれる人間がいるのだ、と。


 無論、それが恋だとはてんで思わなかったが。


「・・・優しいんだな、千羽は」


「独善的な行為なのに?」


 一連の行動をとった自分がだいぶショックだったようで、千羽は後ろ向きな姿勢を示した。

 しかし、そんなことは無いと達海は否定する。


「自分を守ってくれようとする人間がいる。・・・それだけで人間ありがたみを感じれるんだよ。最も、己を過信して、いつでも自衛できると思い込んでいる一部の人間を除けば、な」


「・・・そう。それならいいんだ」


 千羽は少し控えめに笑んだ。つられるように達海も微笑む。


「しかし、やっぱり千羽の家ってだけあって、沢山本があるな」


「これらは私のじゃないよ。殆どお父さんのもの。・・・そして、これらに触れて、私は私になったんだ」


 感慨深そうに千羽が呟く。

 達海は立ち上がって、一冊適当に本を抜き取った。そして、目線をタイトルの部分へ動かす。


「『進化論』・・・って、なんだこれ」


「その本は、あまり触れないでほしいな」


「えっ、ああ、悪い」


 遠くからする千羽の声を受けて、達海は急いで手に取った本を元に戻した。そしてその後、自分の行動がいかに非常識だったかを達海は思い知った。


「悪い。・・・最初に聞くべきだったな」


「ううん。大概の本は自由に読んでもらっていいの。・・・ただ、あの本は、私のお父さんのお気に入りのものなの。・・・だから、ね」


「分かった。注意するよ。・・・でも、進化論ってなんなんだろうな」


 達海の率直な疑問に、千羽はとぎれとぎれに答える。


「私も読んでみたんだけど・・・、いまいち、分からなくて・・・。お父さん、そういうものの研究ばっかりしてたから、多分分かるんだと思うけど」


「学者なのか?」


「ううん。趣味程度だと思う」


「その割には結構な数の書類があるな」


「私もそう思う」


 結局のところ、千羽自身も自分の父親についてあまりしらないでいるようだと達海は思い込んだ。

 そして、ふとした瞬間、先ほどまでの光景が瞬間にしてフラッシュバックした。同時に発生した頭痛に達海は頭を押さえる。


「っ・・・!」


「どうしたの?」


「いや、なんでもない・・・。ただ、さっきのことを思い出しただけで」


「それ、なんでもなくないよ。・・・やっぱりそろそろ、考えなくちゃいけないよね、今後の事」


 ここが潮時だと、千羽は自身が持っていたティーカップを机に置いて、達海の元まで歩み寄った。


「・・・さっきの提案なんだけどね、続きがあるんだ」


「え?」


 てっきり、一旦ここに身を寄せるとだけ思い込んでいた達海は完全に不意打ちを喰らい、間抜けた声を出した。


「・・・藍瀬君、当分の間、うちで過ごさない?」


「・・・!? は?」


 ずっとうろたえたままの達海を置き去りにして、千羽は続ける。


「少なくとも、ここなら安全と言い切れるんだ。白学から結構距離もあるし。・・・どうせもう、あそこには行けない。この際、距離なんて関係ないけどね」


「待ってくれ、理解が追い付かない。・・・それに、何回も言うけど俺は男なんだぞ? 特別家族でもなんでもない、ただの他人。・・・そんなやつを受け入れていいのか?」


「私は本気だよ。理由は言ったよね。・・・あなたを守りたいの、藍瀬君」


 千羽は自分の翼を広げ、達海を包み、守ると目の前で誓った。

 その視線に嘘はなかった。それ以上に、他意もないように見える。


 達海は一度唾を飲みこんで、震える口先で確認する。


「・・・本当に、信じていいんだな?」


「うん。・・・あとね、もう一つお願い。ここにいることはできるだけ内緒にしててほしいの」


「どうして?」


「色々と面倒なことになるかもしれないから。・・・そんなの、嫌でしょ?」


 脅しのような千羽の言葉。あまり強気にでた言葉ではなかったが、達海はその言葉で硬直してしまった。

 慌てて千羽は言葉を付け足す。


「ああ、もちろん、安否の連絡くらいはかまわないよ。親御さん、心配させちゃダメだし。・・・でも、これだけは守ってほしいかな」


「・・・。・・・分かった」


 熟考の末、達海はその提案を受けることにした。

 何よりも、今は確かな安寧が欲しかった。きっとこの場所が、祖の安寧になると信じて、達海は千羽の提案に首を縦に振ったのだった。




---


~Side C~


 本当に、一瞬の出来事だった。

 何が起こったのか、誰が起こしたのか、私は全くそれを理解できていない。

 

 けれど、この先は本当に地獄が待っている。それだけはすぐに分かった。

 だから、私は咄嗟に彼の手を引いた。

 

 藍瀬君。・・・あなたは、きっと私に何かを見せてくれる。


 当然、この言葉は言葉に出来ない。

 けれど、思いを託すことは出来る。だから、私はあなたを守る。


 ・・・いつか世界の終わる、その日まで。




---



 彼が席を立ち、携帯端末に手をかけたころ、私の携帯端末にも連絡が入ってくる。

 ポケットの中でバイブレーションを起こす端末を片手に持ち、通話主を確認。


 ディスプレイには、『武居』との表記があった。


(武居から・・・? お父様に、何かあったの・・・?)

 

 背筋に嫌な冷や汗が走る。私は恐る恐るその通話を取った。


「武居、どうかしたのかしら?」


『千羽さん! ・・・いいですか、落ち着いて聞いてください』

 

 武居は上ずる声を落ち着かせ、冷静沈着に、残酷な真実を唐突に述べた。






『千羽さん・・・。・・・お父様、瞬水様が・・・亡くなられました』




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