第31話γ 信念、砕かれて
~side M~
つくづく弱い人間だ。
正義のために人の命を奪うことに、なにをためらうことがあるのか?
人間とは、相互理解の不可能な生物。対立の先には暴力が、暴力の先には絶命が待つ。ならば、それは仕方のないこと。
あいつは、そうしてその場に立ち尽くした。一人走る私の背を追ってくることはない。
つまりは、その程度の正義、その程度の人間だったということなのだろう。
けれど、その姿を置き去りにしたとき。
ほんの少しだけ、心の奥がチクリと痛んだ。
---
それから私は、定時までの任務を終え、本部へと帰投した。
秋の冷気を跳ね返すコンクリートの廊下を歩くと、たまたま顔を出していたのであろう、黒谷さんに出くわした。
「お疲れ様です」
「うむ。...ところで、藍瀬君の姿が見えないが...」
悪気なく出されるその名前に私は一瞬固まる。しかし、気が付けば口はおのずと動いていた。
「...任務中に、行方不明に。...連絡も取れていない状況です」
「行方不明...? どういうことだ」
黒谷さんは口の端を少し動かし、表情を歪ませた。
言って私は、やってしまったと後悔する。この街の、ましてや裏組織の情報網や監視体制は優秀である。そう偽って、長く持つはずもない。
にもかかわらず、私はそうした嘘を口にしてしまった。
引き下がるにも引き下がれない私は、調子を合わせてつづけた。
「昨日の戦闘で隊列が分断され、そこから音信不通。...ですが、遺体もなかったです」
「存命で行方不明という判断かね? ...しかしそれは、場合として裏切りの可能性もある。ソティラスのスパイやもしれんな」
「...その可能性は、ありますね」
嘘を怪しまれないように、そのセリフに波長を合わせる。
実際のところ、私にはあいつがスパイの様には微塵も思えなかった。
殺すのをためらう動機が、同じ組織の人間だからという線が考えれないわけではない。しかし、あいつが言うに人を殺した、という事実は間違いない。
単に越えたくない一線を越えてしまった、という可能性が高いというわけだ。
「とにかく、君は今後も任務にあたってくれ。...情報が入り次第伝えるとするが、できれば君の方でも探しておいてくれ。...彼は、そう簡単には手放せない人材だからな」
「...はい、分かりました」
そのまま軽く会釈をして、黒谷さんの元を立ち去る。その後は誰に会うこともなく、私は自分に与えられた部屋へ休養のために戻った。
ドアの先に広がる無機質な空間に身をゆだね、私は天井を見上げる。
「...ダメだ。...まだ、足りない」
仰向けになって天に手を伸ばすと、私用の携帯端末が音を鳴らした。
起き上がってディスプレイに表記された名前を確認する。
が、私に個人的な用がある人間はそうはいない。ディスプレイには一番かかわりを持っている父の名前が明記されていた。
一つ息を飲んで、そのコールを受け取る。
「はい、美雨です」
『...近況報告を頼む。そちらは今、どうなっている?』
「相変わらず諸所で戦闘が続いてます。...どころか、状況はあまりよくないと言えます」
『本部の発表通りか...。チッ...、厄介な連中だ』
心の底から不機嫌が伝わるほどの舌打ちが電話越しに聞こえた。
『ああ、そうだ。お前に先に言っておいた方がいいと思うことがあってな』
「?」
『今、小塚がこちらの支部へ来ている』
「一誠さんが?」
『海外の情勢を自分でチェックに来たそうだ。あいつの能力は範囲に限度があるからな。そうするのは妥当なことなんだが...』
「けど、白飾以外のコアは起動していないはず...。ですよね?」
『そこは間違いない。...が、その上であいつは白飾のことについて言及していた。それを先にお前に伝えようと思ってな』
父の声音は、いつもより遥かに厳しかった。おそらく、向こうも向こうであまり良い状況とは言えないのだろう。
そんな声を片耳で受けつつ、私は続きを乞った。
「一誠さんは、どのように」
『...臨戦レベルの引上げだ』
「臨戦レベルの...」
ガルディアには臨戦レベルという制度が設けられている。現在のレベルは4。少なくとも、良好と言える状況ではない。
それが5に引き上げられるということはつまり、そういうことだ。
【災厄レベルの戦い】
それが、もうじき訪れるということを指していた。
『コアが白飾のみ起動しているということはつまり、ほかに未稼働のコアが存在している街に重点を置く意味はないということだ。...おそらく、連中はほとんどの戦力を白飾に集めるだろう』
「...それは」
下手を打てば、手遅れの状況となる。世界から人間が消えることになってしまう。
私は、起き上がって近くにかけてあった雪輪を片手に持った。
『...いいか。連中は紛れもない悪だ。今更対話も理解も必要ない。...見つけ次第、片っ端から討て。...氷川に継がれし正義を遂行しろ』
「...分かってます」
そう、私は氷川の人間。人類の明日を守護する役目の持ち主。明日を迎えるために、今日を血で濡らす一族。
そこに私情の一つも挟めない。ただ正義を遂行するのみ。
それを間違いなどと、誰にも言わせない。
『臨戦レベルが上がったら本格的な組織戦闘が始まるだろう。...が、人的不利は間違いなくこっちだ。できれば今のうちに数を減らした方がいい。...できるな?』
「やります」
『...最悪の場合、事前にコアを砕くという選択肢もあるが...それはないと思え。とにかく、今お前にできることは限られている。...だからこそ、出来ることを全うしろ』
「了解です」
通話はプツリと切れる。そして、私は休むはずだった体を起こして雪輪を片手にドアを開ける。
命令は出ていないが、今はそんなことを言っている暇ではない。片付けれる数は片付けておくべきなのだ。
そうして、大きな一歩を踏み出す。
その瞬間、私の心臓の右部をナイフで刺されたような鋭い痛みが襲った。
「...!!」
痛みに耐えきれず、うずくまって患部を抑える。しかし、そこは赤い血を流すこともなく、腫れていることもなかった。
「...時間は、あまりないのかもしれないな。...行かなければ」
時間がないのなら、なおのこと急がなければならない。
私は全速力で施設を駆け抜け、朝方の白飾へと繰り出した。
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駆け巡るように市内を循環する。
朝になったとはいえ裏路地の人通りは相も変わらず少なく、だからこそすれ違う人間一人一人に集中を割くことが出来た。
一般人に紛れた能力者がいない街ではない。油断が出来ない状況であることはとうに理解していた。
大通りに面している裏路地からさらに足を進め、廃ビルの多い開発廃棄エリアのほうまでたどり着くと、人の気配はほとんどしなくなった。
「...というより、朝からここに足を運ぶ用事がないと言えばそうか...。...他を当たろうか」
これ以上先に進んでも何かあるわけではない。
私が踵を返したその時、ふわりと白い羽が空から降り始めた。
「白い...羽? 鳥か...? ...いや、違う」
こんな薄く汚れ、穢れた場所に、純白な羽をもった鳥など現れはしない。
類は友を呼ぶように、堕ちた場所に現れるのは堕ちた者だけ。
だからきっと、私の背後には...!
急いで振り向き、雪輪を鞘から抜き出す。振り返った先には、背中から羽を生やした女が立っていた。
私は、その姿を知っていた。
一時同じ場所にいた人間。さほど面識はないものの、名前ははっきりと覚えていた。
「琴那千羽...!」
「白学の教室ぶりかしら? 氷川美雨さん」
名前を呼んだ私は、一週間ほど前に本部がソティラス内で動乱が発生し、リーダーである琴那瞬水が殺害されたことについての報告を受けたことを思い出した。
ソティラスには十傑と言う世襲制のようなものがある。
であれば、目の前にいる琴那は間違いなく...
私は、雪輪を握りなおした。
「ソティラスのリーダーが、わざわざ何の用だ」
「それはこちらのセリフ。私に戦闘の意志はないわ。少なくとも、あなたが私を殺そうとしない限りね」
「何を...、ふざけているのか!」
「ふざけてなどないわ」
琴那はきっぱりと言い張り、手を下ろしてただまっすぐ私の目を見つめた。
「私は戦いなど望んでいない。戦わずして、人間を抹消することが私の本懐。そうしたら、誰も苦しまないでしょう?」
「けれど、結局人類の消滅という結果にたどりつくことに変わりはない!」
「ええそうよ。変わらないわ。...けれどね、その間に生じる不幸や嘆きは減るわ」
「それに何の意味があるというんだ」
「...記憶が、残るわ」
「記憶だと...? そんなでたらめ」
否定を試みるが、そこから先は上手く言葉にできなかった。
言ってることが、完全に間違いではないと思えてしまったのだ。
私たちの立場からでも、似たようなことが言える。もし、明日を守るために、今日を血で濡らしたとして、それが知られてしまえば、人々は血塗られた今日の先にある明日を欲しがるのだろうか?
...命あるからこそ
「...やめろ!!」
感じたことない気持ちの悪さが、私の胸内をむしばんでいく。私の正義は、間違いなく揺らぎかけていた。
本当に、これが正しいのか。私が今刀をもってここに立っていることは正しいのか。ガルディアと言う組織は...
「やめろ...やめろ...やめろ...!」
がむしゃらに頭を振って、雑念を振り払う。私は、私のまま、氷川のままでなければならない。
「お前たちは間違っている!」
「間違う? 何を? 間違い続けているのは、私、あなたをふくめた人間でしょう?」
「それ以上言うな!!」
気が付けば、私はやみくもに琴那に向かって突っ込んでいた。
しかし、冷静さの微塵もない状態で目の前の敵を討てるはずもなく、雪輪は琴那の背中から伸びた純白の羽にはたかれ、回転しながら宙へ待った。
「あっ...」
数秒して、カランと地面についた雪輪が音を立てる。
それと同時に、私の胸は形状を針のように変化させた琴那の羽で貫かれていた。
たちまち羽が体から抜けると、私は均衡感覚を無くし、吹き出す鮮血とともに、前のめりに倒れた。
「...馬鹿な人。自分が本当に戦う理由も知らないで」
「...私は...まだ...戦える...!」
それでも力を失いつつある体を這わせ、懸命に琴那の足にしがみつこうとする。近くに潜んでいる死への恐怖など、毛頭なかった。
しかし、代わりに体はどんどん鈍くなっていく。しまいには、出撃直前に体が感じた痛みが再び心臓の横を襲った。
「くっ...ああ!!」
痛い。体から血と熱が抜け、貫かれた部分はなおもキリキリと痛み続ける。
「まだ...私は...正義の...ために...!」
「...驚いた。まだそんなことを言ってるのね」
琴那は呆れたようにため息をつき、つかつかと私の元へ近寄ってきた。そして距離がなくなるなり、腰にかざしてあったナイフを動けずにいる私の首元へ翳した。
「...あなたの正義は、間違いよ。大間違い。筋も通ってないし、正しさの何もない。...だからね、もう、楽にしてあげる。そうした方が、きっとみんな幸せになれるから」
「間違い...? そん...な」
その言葉と同時に、ナイフは一度上に振り上げられる。
けれど、私はもう動けなかった。それは体の衰弱的意味ではなく、戦意喪失が原因で。
私の正義が間違っている。
なら...私はなんで生きてるのか?
...ああ、そうか。全部間違いだったんだ。ここまで血を流してきたことも、人を殺めてきたことも、全て全て。
「...」
私は目を閉じて、目の前の死を待った。
しかしその時、一際強い風が吹いたことだけは、おぼえていた。
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