第四章γ 迷い、信念、その先の世界で
第25話γ 混沌の入り口
次に達海が目覚めたのは、ガルディアに所属すると誓った次の日のことだった。
起き上がって体を確認してみると、深くまで追っていたはずの傷はかなり癒えていた。少なくとも、行動に支障が出ないほどには。
「目が覚めたか」
起き上がると、すぐそこに昨日のように美雨が立っていた。その服装から、昨日も戦闘に出ていたと想像するのは容易なことだった。
「...昨晩も、出てたのか?」
「当然だ。それが唯一、私にできることだからな」
「唯一って...」
「...私は、特別脳が冴えわたってるわけでもない。誰かに命令を出せる身分でもない。ただの一端の兵士に過ぎないからな」
少しばかり弱気なそのセリフに、達海は少々驚いた。しかし、それでも自分にできることを肯定すると言わんばかりに美雨はつづけた。
「だから、私にできることは戦い続けることだけだ。...それで誰かが幸せになるなら、私はそれでいい」
「それは同時に、誰かを不幸せにすることだけど...な」
「...」
達海の言葉に思うところがあったのか、美雨は黙り込んだ。鬼気迫る形相を受けて、達海は怒られるだろうと身構える。
しかし、想像に反して、美雨は無感情なままに言葉を連ねた。
「...公共の福祉、というものがこの世にはある」
「...ああ。ある」
「多数決の原理において、少数派の意見は尊重しろ、なんて言葉をよく聞く」
「ああ、聞くな...」
「けれど結局は、多くの数を占める考えを持つ人間が優先される世界なんだ。それが分からないお前じゃないだろう」
「それは...確かにそうだけど」
美雨は達海に近づき、冷たい手でそのあごをくいっと上に上げた。
「...いいか。みんな仲良く幸せなんて世界はない。絶対にだ。...それでも、多くの人間が幸せになる道があるというなら、それを選ぶのが当然だろう」
「...ああ」
「分かったなら野暮な話はするな。私たちは、より多くの人間の幸せのために生きてるんだ」
美雨は達海から離れて、近くに置いていた自分の刀をひょいと持ち上げて、思い出したように達海に声を掛けた。
「おい、これから本部へ行くぞ」
「ガルディアの?」
「ああ。改めて紹介しなければいけないものや、これからの話があるからな。うだうだ話してる暇はない。とっとと行くぞ」
そう言って美雨はドアノブに手をかける。
その姿がドアの向こうに行く前に、達海は届かぬであろう声の大きさで呟いた。
「...さっきのさ」
「なんだ」
「より多くの人間の幸せに、俺や美雨の幸せは入ってるのか?」
「...それは、終わってから結果の出るものだ。行くぞ」
これ以上は取り持たないと言わんばかりに、美雨は扉を強く締めた。
(...分かってはいたけど)
それでも心のわだかまりが消えないまま、達海も同じ扉を開けた。
---
ガルディアの本部は、外から見るにはあまり大きなものではなかった。
代わりに地下に伸ばしているとの説明で、達海は納得がいった。
その冷たい廊下を進んで、ひときわ大きな部屋へ向かう。
会議室と書かれているプレートの下のドアを開けると、円形に並べられた机がたたずむ中に、一人の男性が立っていた。
「黒谷さん」
「改めて、だな。藍瀬君」
黒谷の声音は、昨日耳にしたものよりもはるかに冷たく、重たいものだった。場所が場所であることを、達海はここにきて理解する。
「...君は、入隊の道を選んだ、ということでいいかね?」
「...そうです」
少し貯めこんで、達海は答えた。
「...そうか。ようこそ、とは言わないぞ」
「構いません。...きっと、そういう場所ではないと思います」
これから戦いに出る、地獄へ向かう人にようこそという人がどこにいるのだろうか?
おそらくそれは、言いたくもないし、言われたくもない言葉。
分かっていたから、達海はそう返せた。
「...黒谷さん。とりあえず、先に初期説明をしたほうがいいのでは?」
あまり進まない展開に少しイラついたのか、声を高くして美雨が横から口をはさんだ。
「...まあ、そうだな。と言っても、それをするのは私ではないだろう。一応、名目上のリーダーは私ではあるが、今の私は第一線を退いている。なので、ここからは任せるぞ」
黒谷が告げると、奥の扉が開いて、達海の知る、一人の女性が入ってきた。
少しばかり驚いて、達海はその名前をこぼす。
「会長...」
「久しぶりね藍瀬君。...再開が、戦場で、敵としてではなくてよかったわ」
「お疲れ様です、副総監」
「副総監...会長が?」
「ええ、そうよ」
零は感情の一切のない瞳で達海を見つめた。
その視線の前に、達海はただ固まる。
「...さて、私がここに来たのは指示を受けたから。野暮話は後でするとして、まずはこの組織がどういうものか、あなたに伝えるわ。適当に座って頂戴」
零の指示を受けて、達海は近くにあった椅子に腰かけた。一つ飛ばしで、美雨が座る。
場が落ち着いたところで、零は誰の目も見ずに語りだした。
「...簡単なことは聞いてると思うけど、私たちガルディアの行動する意図は、私たちの明日のために、コアを守ることにあるわ。そして、コアを失えば、人間は消滅する」
「そこは聞きました」
「そう。じゃあ、そこからの話ね。...コアについての説明をしたほうがいいかしら?」
「お願いします」
達海が素直に答えると、零は空間投影装置にスイッチを入れる。そこに浮かび上がるものを指し示しながら、零は説明を始めた。
「コアは、私たち白飾市民が概念的に利用しているものよ。例えば今こうやって使っている空間投影技術。これも、コアあって生まれたものと言っても過言じゃないわ」
「...待ってください。コアって、どういう形状なんですか?」
「一応、固形で存在しているわ。ただ、コアが起動すると街に粒子のようにあふれるようになる。それを私たちは利用しているってわけ」
「そんな技術が...」
「あるみたいよ。もっとも、それは私たちの代より一つ二つ上の世代の話だけれどね」
つまり、白飾の発展は、直にコアの影響を受けているからということだった。
しかし、それをおおらかに口にはできない。達海は、白飾が閉鎖的な町である意味をようやく理解した。
「...話を戻すわ。それで、そのコアは技術のためのエネルギーと同時に、あるものも放出してるの。何か分かる?」
「何かって...」
「能力だ」
隣に座っている美雨は瞑目したまま達海に口添えをした。
「そう。起動しているコアは人に能力を与えるの。白飾に能力者がいるのは、そのせいね。...まあ、例外もあるのだけど」
零は、横目でちらりと美雨を見た。美雨は合わせるように、そこから視線を逸らす。
「?」
「なんでもないわ。脱線しまくりね。真面目にしましょう」
零は一度咳ばらいをして、何事もなかったかのように続けた。
「そんなコアな訳だけれども、完全無欠にして万全のものではないわ。使用するに至って、デメリットはある」
「膨張、ですか?」
「そう。そこらへんは説明が通っていると思うけど改めて言っておくわ。コアは、私たちが利用するにつれて次第に膨張していく。そして、それが自然に崩壊を迎えたとき...」
「人間は消滅する...」
「そう。コアが壊れた、その余波でね」
零は両手の指先をくっつけて、人差し指をくるくる回しながら、息を吐くようにその答えを口にした。
けれどここで、達海の中に疑問が生じる。
「...でも、自然に崩壊するんじゃ、他人関係なくいずれ人間は消滅するんじゃ...?」
「そうね。結論から言うと、そうなるわ。人間は、必ず滅亡の道をたどる。けど、もう止められないわ。仕方のないことよ。それに、それはおそらく私たちが生きている時間では起こらない。だから私たちは守る義務があるの」
「義務...か」
言えば、当然のように思える。
自分たちだけがコアにただ頼りながら、後先考えずに使う、なんてことをしたら、のちの世は自然と短くなってしまう。
自分だけよければいい、などと言う考えは、この組織には存在しなかった。
明日を守る。けれどそれは、自分たちの生きる明日だけを守るのではない。
終わりを迎えるその日まで、誰かが生きる明日を守る。つまり、そういうことだった。
「守る義務がある中で、障害が現れたら、あなたはどうする?」
零は、考え込んでいる達海を待たずに唐突に問題を告げた。
一瞬悩んで、達海はそれが何を意味しているのかを理解した。白飾に存在する、もう一つの能力者組織のことを。
「...ソティラス」
「そう。彼らは、今存在する人類の滅亡を望んでいるわ。自分たちごと、ね」
「どうして...?」
「さあ、分からないし、分かりたくもないわ。...けどきっと、失望してるのでしょうね。人間に」
零は残念そうに呟いた。その上で、今度は芯の通った言葉を紡ぐ。
「私たちはただ守るために戦ってるの。...向かってくる相手がいるから、ね。犠牲も問わない。代わりに命を奪うことも躊躇わない。そんな戦いをしながら」
「なるほど...」
「でもね」
零は、それまでの無表情を崩して、一際強い意志を据えた目で達海と美雨を見た。
「この戦いは...守るだけじゃ、もう駄目だと思うの。私の主観だけれどもね。...なんど叩いても起き上がってくる人間を、ただ機械のように同じペースで叩いても意味がないのと一緒。...理解を示さない人間に、ゆだねるべき対話もないわ」
「つまり、それは全面的に戦いを仕掛ける、ってことですか?」
美雨の質問に対し、零は神妙な顔で頷いた。
「最近になって、ただガルディアの人間を殺しにかかる向こうの人間が増えてきているわ。それはきっと、本来の目的とは程遠い、意味のない殺し合いのようなもの。...けれど、それが生まれるということは、そうするべき時が来てるのではないかという告げのようなものじゃないかと、私は思ってるわ」
「戦争...ですよね?」
「ええ。...もはや、コアと言う枠組みに留まらないわ。二つの組織の溝は」
零は思い出したように使用済みの空間投影システムの電源を切って、達海らに背を向けた。
「...説明は以上よ。何か質問は?」
「いえ、特に...。あ、いえ、あります。これから俺は、なにをすればいいんですか?」
「それは行動的なところね。...そうね。氷川のパートナーにあたって頂戴」
「パートナー?」
達海が聞き返すと、隣にいる美雨が若干不服そうに説明を付け足した。
「本来この組織はツーマンセルでの行動が基本になってる。が、私は海外支部からつい最近来たばかりでそれがいない。そこに入れということだ」
「は、はぁ...」
「以上よ。行動権は氷川にあるわ。あとはそっちから適宜聞いて頂戴」
零は結局、そのまま顔を見せずに部屋から退出した。部屋にはただ達海と美雨のみ残されている。
「...」
複雑な感情が混ざって、達海は言葉を失った。
ためらいがあるわけではないが、なにを言っていいのか分からない。
そんな達海の手を引くように、美雨は強い言葉で達海の手を取った。
「そういうわけだ。...こうなってしまった以上、これからよろしく頼む」
「...こちらこそ」
達海は、何も考えずにその手を取った。
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