第23話γ 脆弱な正義


 目覚めた場所がどこは知らない。

 しかし、そこが地獄ではないことだけが、達海が唯一分かった場所だった。


 ふかふかの布団に、自分の身体が収まっている。

 穴が穿たれたはずの自分の身体は、包帯で丁寧に処置が施されてあることに気づいた。


 そうして、ストーブの薪がぱちぱちと音を立てているので、完全に目を覚ます。

 そこは、少し古風な部屋だった。


 部屋の隅にストーブが置いてあり、天井からぶら下げられた電球がしっかりと明かりづいている。

 

 驚いて達海があたりを見回すと、一人の初老の男性が風流を感じれる椅子に腰かけていた。

 達海は、その人を知っていた。



「黒谷...さん?」


「目覚めたかね」


 黒谷は読んでいた本をぱたんと閉じて、達海が寝ているベッドのそばまで近寄った。


「かなり深い傷だったが、意外と早い回復だな。正直、驚いたぞ」


「は、はぁ...? ...それより、今何時ですか? あと、ここって...」


「今は18時だ。あと、ここはアガートラムの裏部屋、と言えば伝わるかな?」



 言われて、達海は窓の外を見てみた。

 秋の更けの六時は完全に冬のそれと一緒で、外はどこまでも広がる暗闇に覆われていた。


 しかし、と達海は思う。

 最後の記憶は、狼樹と対峙した時。それは昨日の21時頃の話だったはず。

 では、今日の日付はどうなっているのだろうか。



「黒谷さん...俺がここに運ばれたのって、いつですか?」


「昨日の夜だ。安心したまえ、一日以上日は超えてない」


 そう告げられた言葉に、達海はひとまず安心した。安心して、気が緩んだところで、傷を負った部分の周りに激痛が走る。



「がっ...!!」


 手で押さえて、また痛みが走る。痛みを伴う悪循環に、達海はのたうち回った。



「あっ...ぐぅ...!!」


 歯を食いしばって、何とか痛みに耐える。やがてその痛みが治まったところで、黒谷は先ほどよりわずかに低い声音で達海に釘を刺した。


「...君はまだ怪我を負ってる身だ。戦い慣れもしてないだろう。しばらくは安静にしろ。それが私に言えることだ」


「は...、はい...。...あれ、待ってください」


 今の発言に、達海は気になるところがあった。


 戦い慣れ。


 なぜ、黒谷は戦いがこの街で起こっていることを知っているのだろうか?

 推測を交えて、達海は恐る恐る黒谷に尋ねる。



「...まさか、黒谷さんって...組織の、人間ですか?」


「...ふむ、驚いた。...誰から聞いた?」


 黒谷は先ほどまでの物腰柔らかいたたずまいの一切を捨て、達海に鋭い視線を向ける。言葉につまる達海だったが、言葉をうまく紡ぎながら答える。少々の嘘を交えて。


「友人に...この間...組織抗争について聞いて...それで...」


「...なるほどな。まあ、ノラを放置していた私たちの責任でもあるか」


 黒谷はあきらめたように一度息を吐いて、改めて達海に視線をやった。



「...私がなぜ、君を助けたか分かるかね?」


「分かりません...。第一、俺はあそこで死んでたはずなのに...。いったい誰がここまで運んだんですか?」


 達海は、昨日の死にかけて後の記憶が一切なかった。それは、他意の影響か、自分自身の影響か知らないが。

 黒谷は目をそらす。


「...まあ、後でここに来るだろう。その時にしっかり話すといい」


「はぁ...。...それより、話の続き、いいんですか?」


「おぉ、そうだったな」


 黒谷は少し前の話を掘り下げる。



「私が君を助けた理由。それは、君が能力者だからだ」


「...」


 分かってはいた。ここに、この時間に、黒谷がいることが、自分が能力者でいることがとうにバレている何よりの証拠だということは。

 それでも、はっきりと口に出されて言われるのとそうでないのでは、明らかに抱える重みが違った。



 動揺する達海をよそに、黒谷は続ける。


「君がノラの能力者であることはとうに割れていた。が、私たちも暇でなくてな。ノラとの面談、対峙、そう言ったものを後回しにしてしまっていた。そうして増えたノラの一人が君だよ」


「...それが、俺を助けた理由ですか?」


「正確には違うな。簡単に言えば、君がノラであるからこそ、助けたのだ。ここに呼ぶことで、逃げもできない状態での話し合いができる。...意にそぐわなければ、こちらの判断でここで君を殺すこともできる」


「...」


 黒谷の目は笑っていない。きっと、殺すという脅し文句でさえ、本当なのかもしれないと達海は冷や汗を流す。

 しかし、手負いの達海にできることはなかった。


 黒谷は少々威圧気味だった態度を戻すように、息を一つ吐き出した。


「...なんて、殺すとまでは言わない。何せ、ここは私個人の拠点だ。血で汚したくはないからな」


「そうですか」


「それに、私はそれこそ君の処置こそしたが、君自身を助けたわけじゃない。話をするなら、君を助けた人間、本人とするべきだ。...まあ、来るにはもう少し時間がかかるだろう。ここでゆっくり待つとしようじゃないか」


 言って黒谷は、先ほどまで座っていた椅子にもう一度深く腰掛けた。合わせるように、達海も上半身だけ上げる。




「さて...、こうして時間が取れたわけだ。君のことについてもう少し聞かせてもらおうか」


「俺の事って...例えば何ですか」


「そうだな...。まあ、君の能力についての話とかいかがかな?」



 黒谷は少しおどけるように質問を投げかける。この相手に言ったところで減るものでもないと、達海はおとなしく乗っかることにした。



「...重力操作、って言えば分かりますかね」


「...タイプは、Aか?」


「えっ」


「いや、何でもない」


 黒谷は一瞬怪訝な顔を浮かべたが、やがて忘れてくれというようにその表情を戻した。


「他に重力操作がどんなものかは知らないですけど、少なくとも俺のは単純な重力負荷の変動です。下限、上限はどこまでか俺自身も把握はしていませんが...。体全身、手足の先までなら働かせることは出来ます」


「Bか。なるほど」


 黒谷は納得いったのか、うんうんと頷いた。


「ところで、さっき言ったAってなんなんですか...?」


「簡単に言えば、同じ重力操作という名前でありながら、効果が違うといった感じのものだ。Aは重力が働く方向を変える。Bは重力そのものを変える。そう言った違いだな」


「そうですか」


 割とためになるような、ならないような話に達海は困惑しつつも、一応相槌を打っておいた。



「ところで、話を変えてもいいかな?」


「どうぞ」


「君は、この世界の裏を知った。能力者がいることも、それゆえに、戦いがあることも。...いつか零が君に聞いたはずだ。そんな世界で君はどうするかと。今一度、私から問おう。この世界を見た、君の感想を」


 

 黒谷が言った言葉に一つ二つ達海は突っかかりを覚えたが、この際関係ないと、先に質問への回答をした。


「前は...ただ傍観者でいようと思ってました。能力を得た自分ですけど、特別それで何かをしようと思ったことはなかったんです。むしろ、それで命を狙われるならかえって使わない方がいいのでは、とも」


「けど君は、夜に、怪我を負って、ここに運ばれた...」


「この間の爆破事件があって、自分はこのまま何もしないままでいいのか? って思ったんです。特別意識があったわけじゃないんですけどね。能力を持ってる自分である以上、これは目を背けることが出来ないことなんじゃないかって」


「なるほどな。...それで、どういう考えに元づいて、ノラの分際でありながら行動を?」



 それを言われると、達海は少しばかり返答に困った。

 正義のヒーローになりたいわけではない。誰かを傷つけたいわけでもない。


 それでも能力者として、組織に入っていないとはいえ戦場に出る理由とはおそらく...。



「自分の目で間違いを探して、自分だけの正義のために生きたいと思ったんです。それが多分俺の行動真理...ですかね」


「なるほど。...それは組織では達成できないものかね?」


「分かりません。なんせ与したことがないんで。...けど、そうですね。ある程度の強制力も、多少は必要なのかもしれません」


「随分と、まとまった意見だな。...もっとも、外皮から固めただけで、内側が融解してそうな意見だが」


 黒谷は後は興味ないと言わんばかりに手元の本をたたんで立ち上がった。



「もうじき君宛の客が来る。そういったのは、そこではっきりと話すがいいさ」


「黒谷さんはどこに行かれるんですか?」


「明日の仕込みさ。なんせ私も、一喫茶店のオーナーだからな。手は抜いてられんよ」


 黒谷はふっと短く笑って、くるりと背中を達海に向けた。

 そのまま表情を見せないまま、達海に言葉だけ残す。



「...正義、か。似たようなことを言う知り合いがいてな。割と思い当たる節がある。...その上で、だ。自分の正義を掲げるなら、折れるなよ」


「えっ...」


「じゃあな」


 達海の返しを待たず、黒谷はそそくさとその部屋から退出してしまった。

 そうして達海一人残された中で、時計の音がむなしく響く。



 達海は、自分の傷跡に目をやった。

 この傷は、自分の弱さの証。



(何もできてなかったんだ...俺は)



 だからこそ、強くなりたい。それは、誰でもなく、自分自身のために。



 そうしてこぶしを握った時、再びドアが開いた。入ってきた人物は違ったが。

 達海はそちらに目を向け、やがて姿を確認するなり驚嘆の声を漏らす。





「氷川...」


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