第27話β 隣合う背中
それから日が開けて以降も、達海は諜報部員として白学に赴いた。
それでも、変化は目に見えていた。もう、純情な気持ちは達海には残っていなかった。
最も、達海自身が、その現実を受け止めれるようになっていたが。
次第に弥一と陽菜との距離も遠くなっていた。とはいえ、決して話さないなどそういうわけでもなく、ただただ達海は上辺でうまく乗りこなすようになっていた。
もともと、それは達海が毛嫌いしていた行為だった。
けれど、任務のためとなっては仕方がない。達海も、そう割り切っていた。
何度も授業中に零に呼び出されたりもした。そのほとんどは野暮用だったわけだが、零の直属の部下というのもあって、達海は変に反論は出来なかった。
そうするうちに、今度は学校への愛着、日常への望郷の念が無くなっていった。
自分から望み、通っていたはずの学校は、任務に必要な建物と化していった。
達海は、どんどん自分が狂っていく感覚に陥った。ひょっとして、自分はもう人間ではないのではと錯覚したりもした。
それでも、零のために。
その念のおかげで、達海はいまだに平気を保てていた。
そうして、達海が零のために生きることを誓って、一週間が過ぎようとしていた。
---
それは、突然だった。
達海はまた、いつものごとく授業中にひそかに呼び出された。尻のポケットに入っている通信機が、音を鳴らさないように達海を呼び出している。
(...またか)
達海は、慣れた口調で授業単に退室を申し出た。
「すいません...具合が悪いので保健室に行っていいですか?」
「なんだお前...またか。...まあいい」
教師ももう慣れたようで、あきらめきって言葉だけでそう答えた。
けれど、慣れてない人間は当然、このクラスにいた。
「たーくん...」
陽菜の小さなつぶやきが、達海の耳を打った。
(...聞くな。聞いてしまったら動けなくなる。...言葉だけ。言葉だけで)
「...大丈夫、だと思う」
「...うん」
陽菜を諭して、教室から出る。クラスからの視線がなくなったところで、達海は玄関口へと駆けていった。
あたりに誰もいないことを確認して、通信機を取る。
「...今回はどうしました?」
『藍瀬! すまんが今からこの指定した座標へ向かってくれ!』
通話の相手は獅童だった。本来なら零からの連絡がほとんどなため、その緊急性を孕んだ言葉を、達海は容易に信用出来た。
獅童から端末に座標が送られる。それを見て、達海は足を動かしつつ、獅童に問った。
「任務内容を教えてくれ」
『簡単に言えば戦闘だ! 零が大人数に囲まれてる...!』
その単純な指示内容に、達海は一気に背筋を凍らせた。それと同時に、なぜそうなったのか、という、不自然な怒りが湧いてきた。
「...どうして、そんな状況に...。しかも、日中だぞ? 基本、戦闘行動は夜に限るんじゃなかったのか」
『先日の一件があって以降、だんだんと日中戦闘が増えてきてたんだ。...それを危惧して、お前以外のところで護衛をつけてたんだけどな』
「やられたのか?」
『...3人つけて、2人は死亡が確認できている。残り1人もそうはもたない...、といったところだ』
「...っ!」
どこか、達海は苛立ちを抑えられなかった。
そればかりか、その苛立ちは次第に強さを増していった。
「くそっ! そんな危険があるなら、なんで最初から俺をつけないんだよ! あの人は!」
信頼されてないのかと思うと、悔しくて仕方がなかった。
『分からない。...けど、こうなったことの責任は当然、俺にもある。帰ったら存分罵ってくれ』
「生きて帰る保証もできない戦闘状態でか?」
『お前は死ぬつもりなのか?』
怒り任せに獅童に達海は当たっていたが、そう返されたことで少しばかり頭が冴えた。自分の言ってることの弱さが理解できる。
「そうじゃないけど...。...あぁ、くそ! 何分で着く!?」
『こっちにあるお前の身体能力のデータと距離を合わせて推測する。...三分くらいだろうな、この距離だと』
「持ちそうか? 向こうは」
『零の事だ。そうそうはやられないと思う。...が、ゆっくりはできないだろうな』
「分かったよ! ...帰ったら、しっかり話を聞かせてもらうからな!」
捨て台詞を吐いて、達海は一目散に零のいる場所を目指す。
どんな敵が待ち受けているのだろうか。どんな光景がそこにあるのだろうか。
そんなことは、意外にも気にならなかった。
(あんだけ大口たたいてんだ、こっちは。...どんな状況だろうと、誰が敵であろうと、俺は零を守る!)
その信念だけで達海はよかった。
余計なことを考えたら、進むべき足が止まることはもう散々学んでいた。
だからこそ、一切の雑念を捨てる。
そうして、ただひたすら駆ける。能力の使用も慣れてきたのか、足回りはかなり軽く動いた。
そうして獅童との通信から3分も経たないうちに、達海の目は零の姿を確認した。
「会長!」
零は、しっかり背筋を張ったまま立っていた。その堂々たる振る舞いは、ひとたび達海を安心させた。
そして、改めて周りの光景に目がいく。
そこは、地獄と呼ぶにふさわしい景色があった。
あたりには血の海。10近くの死骸。銃の煙臭さや、金属の摩擦により発生した匂い。
人が人を殺す現場を見たことのある達海からしても、この光景はなかなかにショッキングだった。
それでも、驚いたことに足は竦まなかった。
それよりもやるべきことがある。それだけで、達海は異常な思考でいれた。
死体が、気にならなかった。
(...状況を整理しようか)
達海は、すぅぅと脳内が冷めていく感覚に見舞われた。それがゾーンだと気づくに、時間はかからなかった。
(中央の一人が零。あたりに人がいないということは、おそらく護衛は全員...。それ以外で視認できる人間は3...いや、一人瀕死だな。2と仮定して俺があそこの場に入れば2-2...。それなら...何とかなるよな)
一瞬で脳内思考をまとめて、達海は零のもとへ駆け寄る。
零はというと、達海がここに来ることを考えていなかったのか、達海に気づくなり驚いたように目を見開いて、似合わない声で叫んだ。
「藍瀬君!? どうしてここに!」
「獅童に呼ばれたんですよ!」
「あのバカ...! 私がなんでこうしたのかも知らないで!」
「とにかく、文句は後で! 戦えますか?」
「当たり前じゃない! 舐めないで!!」
達海は零の思惑を知らなかった。そして、合流して今なお知らないままでいる。
けれど、今はおしゃべりする暇などない。それに、知らない方が今は戦いやすかった。
そうした中、先ほどは見れない角度で達海は零の身体を見た。
すると、正面から見た下腹部あたりに、零は傷を負っていた。その傷が深いのか浅いのかは達海は確認できなかったが、それでも怪我をしているという事実だけは確認できた。
そのせいか、戦えると豪語した零は、達海からの信用を得ることは出来なかった。
「怪我してるじゃないですか!」
「だから何っていうの...!」
「それで戦えるんですか!?」
「できる出来ないの問題じゃないのよ! ...来るわ!!」
零の号令は嘘ではなく、達海の目の前にたちまち一人の男が現れた。
刃渡り30センチほどのナイフをもち、軽快なステップで達海の前に躍り出るなり、その刃を横に払った。
「くそっ!」
状態をくの字に曲げてナイフを交わし、達海はカウンターとばかりに足払いをする。
しかし、リーチというものはどうにもならず、その攻撃はあっさりと躱され、男は一度間合いを取るように後ろへと下がった。
その一瞬で、達海は再び脳内思考の整理を始める。幸い、ゾーンはまだ切れていないようで、あっさりとその状態に入ることが出来た。
(能力は不明、今の一瞬を見るなり無能力の線は捨てきれないが...だからといって油断はできない。それと、あと一人のほうがかなり遠くに位置付けてるな...。所持するものが銃だということも念頭に入れておかないとな...。とにかく、今俺が打てる最善手は、会長に攻撃を集中させないこと。そのためには...!)
達海は、男との間合いを確認して、囲まれてもいないのに零の背中に自分の背中を合わせるように立った。
ナイフの男のターゲットが自分にあることを利用した、というわけだ。
そうすれば、零は目の前で遠くに張っている敵を、達海自身はナイフの男を、と分散して戦えると考えた。
「会長、背中頼みます...!」
「...そうね。こうなったら仕方がないわ。達海、そっちは任せるわ。...今の状態的に、能力は出来てあと一回。ガード頼むわ」
「おおせの通りに!!」
達海はそのまま、ナイフの男との距離を詰める。
相手はナイフ。何も武器を持たない達海はさすがに不利というものがった。
それでも、達海は体に走る重力を軽くし、その距離を詰める。
「邪魔すんな!」
そのまま男に拳が届く距離まで詰めると、怒号とともに達海は手刀を放った。
当然、見え見えなその攻撃は相手に躱される。
すぐさま、相手のターンとばかりにナイフが素早く、何度も振られる。
縦に、横に。
達海は、その攻撃をうまくかわしながら、相手の体に隙が出来るのを待った。
当然、後ろで戦っているはずの零のことは気になったが、それ以上に自分を守らなければ零に攻撃が及ぶことを達海は忘れていなかった。
だからこそ、自分に振られるすべての攻撃を避けて、相手の意識を自分に集中させる。達海は、ただそればかりを行っていた。
(ゾーン...も、まだ切れてないよな)
達海は、目の前の攻撃の一振り一振りが止まって見えていた。きっと、それはゾーンによる集中状態なのだろうと仮定して、信じて、達海は躱す。躱す。
すると、背後から銃声が聞こえた。先ほどの過程通り、もう一人の敵は銃を所持していたわけだった。
その音は、先日どこかで聞いたようなピストルの音よりもはるかに重たかった。おそらく、軽い武器ではないのだろう。
(くそっ...! そろそろ一撃を浴びせないと...!)
次第に達海の中で焦りが生じる。ゾーンも次第に切れてきたのか、ナイフの動きに目が追い付かなくなる。
そうして、それまでより早く振られた一撃が、瞬く間に達海の胸元を切り裂く。
「っ!!?」
一瞬、何が起こったのか達海は気づかなかった。しかし、数秒して胸元から熱い何かが流れる感覚と、胸周囲の筋肉が熱を帯びる感覚で、攻撃を食らったということを理解した。
理解した瞬間、鋭い痛みが達海を襲った。
「~~~!!」
達海は声にならない声を上げるが、大声で叫ぶことだけはなんとか避けた。
目はつぶらなかった。つぶれなかった。
つぶってしまえば、次の一撃で間違いなく殺されることを、切れかけのゾーンで達海は瞬時に察した。
そうしてつぶらなかった達海の瞳は、男の次の攻撃をちゃんと捉えていた。
今度は、斬り、ではなく、突き、だった。
相手を突くという攻撃は、殺傷能力が斬ることより高い分、生まれる隙が大きい。
だからこそ、相手はひるんだ一瞬を狙いたかったのだろう。
(突き...!? ...そうか! そうかそうか! それなら...!!)
瞬間、やっと達海の脳内に勝利のビジョンが見えた。
(動いてくれよ...体!!)
男の腕が斬撃を浴びせられた部分に到達する直前、達海は状態を捻って、その腕を済んでのところで躱した。
傷を負った部分がさらに開き、一層血が噴き出す。痛みも強くなる。
それでも達海は気にも留めず、相手の攻撃を躱しきった。
そうして初めて、そこに達海が喉から手が出るほど欲しがった『隙』が生まれた。
「しまった...!」
男は自分の失態に気づき、小さくつぶやく。そのセリフに達海は少しばかり笑みを浮かべて、右の腕を痛くなるほどまで握りしめた。
そこにこれまで体験したこともないような重力を込める。自分の体重より遥かに重く、重く...。
1トン...10トン...
「100っ...!! 受け取れっ!!!」
達海の右腕は、躱しきれなかった男の背中に直撃する。
骨を砕く音、内臓が破裂する音が達海の耳を打つ。
骨を砕く感触、内臓をつぶす感触が、達海の右腕に伝わる。
その一撃は、目の前の人間一人を殺すに十分な一撃だった。
轟音とともに、男は前のめりに倒れ、そのままピクリとも動かなくなった。
「あっ...」
そうして、それまで無我夢中だった達海は我に返り、ようやく自分の行った行為に気づく。
その時、達海は自分の手で。自分の拳で、初めて人を殺したのだった。
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