第21話β 守護者の務め
翌日、達海は指定された通りアガートラムへ向かった。
その名前を聞いて、なにも思い当たらない達海ではなかったが、深くは考えまいと、そこから先は無心でいることにした。
けれど、その場所に近づくにつれ、だんだんと思わされる。
ソティラスのリーダーは...。
「来たわね、藍瀬君」
店のすぐ近くまで行くと、零が腕を組んだ状態で立っていた。ずっと待っていたのだろうか。
改めて時計を確認してみるが、約束の時間にはまだ少し早い。
「早いですね」
「早いに越したことはないからよ。...それじゃ、さっさと行こうかしら」
特にそれ以上話すこともなく、二人して店内へ入る。
本来男女二人で喫茶店というこういう場面であれば、デートのようなものであるが、この世界にはそんな甘ったるいものはどうやらないみたいだ。
カランコロンと音を鳴らしてドアを開けると、一人の初老の男性がカウンター越しに見えた。グラスを拭いてるのは黒谷さんだった。
「いらっしゃい。お客さんかな?」
「今日は休みになってるはずでしょ」
「ふむ...まあな」
冗談めかした言葉を言った黒谷に対して、零はあまりにもそっけない態度を見せた。
なんだかんだ、零のこういうところをみるのは達海は初めてだった。
腐れ精神とは言え、ここまでのものは見たことがない。
「まあ、座ってくれ。休みとは言え、コーヒーの一杯は出すさ。ちょっと待ってくれ」
黒谷がそう言って、ほどなくして三人分のコーヒーが乗ったプレートが運ばれてきた。
黒谷が着席し、達海が一口コーヒーをすすったところで黒谷は口を開いた。
「あらためて、だな。藍瀬君」
「...やっぱり俺の名前って、知れちゃってますか」
達海は苦笑いを浮かべるしかなかった。
努力したことが、何一つ報われてないとなるともはや笑うしかなかった。
「そこはどうでもいい。...それより本件についてだが」
黒谷はいつものような温厚さをひそめ、いたって真面目に、言葉を淡々と紡いだ。
「私がガルディア、リーダーの黒谷だ」
「やっぱり、そうですか」
前もってそうだと地味に考えていたため、驚くことではなかった。
「君が組織に入るに至った経緯や、君が何を思っているのかは昨日零から聞いたよ。...そこで、君に私が命令を下すというわけだ、本来は、私はそんな職ではないけどもね」
「じゃあ、普段って誰が指示とか出しているんです?」
「基本は零になる。彼女は今若くして副指令のポジションについているからな。第一線を退いた私からすれば、彼女がリーダーみたいなものだ」
黒谷は、いつのまにかフラッとどこかに消えていった零の名前を挙げた。こんなに堂々と言われていたら、きっとその場にいたら零は赤面していただろうけど。
「...だが、君に至っては特例だ。零に判断をさせるのもありだったが、一度、私がこの目で見ておきたかった。...ふむ。まだ目に迷いがあるか」
「...」
それは違うと否定はしなかった。
確かに大方意志は決まっているが、どこかまだためらいはある。迷いがある。それを解消する方法を、達海は知らなかった。
「なに、そんな人間に積極的に戦いに行けとは言わないさ。...少なくとも、覚悟を決めるまでは」
黒谷の目が若干鋭くなる。その声音からも、本気という度合いが伝わった。
この言い回しだと、ずっと覚悟がなければ戦いに出ることはないという解釈ができるが、きっとそんなことをしていたら、先に自身が死んでしまうだろう。
いずれにせよ、どこかで腹はくくらなければいけないし、どこかで誰かと戦わなければいけないのだ。黒谷が提示したのは、それまでの猶予と言ったところだろうか。
「聞くところによると、君の能力は重力操作、みたいじゃないか。どこまでできるか、教えてくれるか?」
「能力でできる範囲ですか?」
「そうだ」
「...そうですね。すべては俺も把握してませんが...自分にかかる重力を任意で変えれる、というのが現状分かっている能力です。身体強化、とはいきませんが、そんな感じです」
「なるほどな。...なら、私が出す命令も零が出したものと同じになるだろう」
「日常を生きろ、ってやつですか?」
黒谷は、然りと言わんばかりに頷いた。
「...昨日のことだが、組織の重要なポストの人間が殺害されたのだ」
「開坂さん...ですか?」
達海が聞き覚えのある名前をとっさに呟くと、黒谷は少し驚いた瞳をした。
「...知っていたのかね?」
「いえ、昨日獅童が受けていた連絡からですが...」
「あぁ、そういうことか。...まあいい。問題はそこではないのだ」
黒谷は話を整理するために、いったん落ち着こうとコーヒーを一口口の中に入れた。液体は喉を通り、代わりに言葉が出てくる。
「おそらく、それで我がガルティアとソティラスの間で本格的な戦争が始まる。...大げさに言わずとも、世界の命運をかけた戦いになるだろう。そのために、戦える人間は基本前線に送らなければならなくなる。...そうすれば、手薄になるポジションは分かるな?」
「諜報、ですね」
「そういうことだ」
その丁寧な説明のおかげにより、達海は自分に課せられた使命を理解するのに苦労を強いられなかった。
達海のほんのわずかな表情変化に気づいて、黒谷は言葉をつづける。
「君の能力は、使用の仕方次第でどうとでもなる。...その中で、身軽さ、というものを考えた結果、当面はこの方針でいくことにした。組織に入ったことを知られてない、という前提条件も相まると、やはりこうなるだろう」
「そうですか。...それで、具体的に俺は何をすればいいんですか? ここまで抽象的なことしか言われてなくて...」
日常を生きろ。諜報部員。
聞けばそれはほとんど抽象的な説明に過ぎない。
結局のところ自分が何をすればいいのか、達海はまだ知らないのだ。
黒谷は真剣さ残る目のまま答えた。
「日中はあまりやることがないだろうな。白学が始まるのなら、当面の間は戻ってもらっても構わない。向こうも公の場では変に手出しはしないだろうからな。...いや、前例はあるか...。まあ、いずれにせよ、学校に対してはそういった考えでいい」
「他に仕事があるんですか?」
「簡単に言えばソティラスのメンバーの偵察。動きの確認、逐次報告と言ったところだろうか。不穏な動きは全てチェックしてもらわないと困るな」
「それは夜...なんですかね?」
達海は恐る恐る聞いてみた。
それが夜となると、あちこちで戦闘が起こってる中での任務となる。
必然的に、自分の身の危険も高まるわけだ。
しかし、当意即妙と言わんばかりに黒谷は答えた。
「当たり前だ。多少のイレギュラーはあるかもしれないが、この街での戦闘は基本夜となっている。日中偵察したところで、たいがいは動いていないだろう。現に私がそうなのだから」
「ああ、そういえば...」
そこで達海は、黒谷の表向きの顔が喫茶店のマスターだということを思い出した。
前に一度来ている身分な以上、それは簡単に納得できる。
「喫茶店はいい。情報を抜き出すに適しているからな」
「日中、ここにきてそんな無責任に言いふらす輩っていたりするんですか?」
「無能力者や一般構成員あたりなら時々あるが...まあ、数少ないケースだな。だがそれでも、その表情や、雰囲気を考えれば、情報を抜き出すのは苦ではない」
そこで達海は改めて黒谷のすごさを知る。
そんな小さなことから、全てわかるのだ。生きてきた長さが本格的に違う。
そうこうしているうちに、どこからともなく零が帰ってきた。
「会長、どちらへ行ってたんですか?」
「私にも仕事があるのよ。とりあえず、開坂がやられたことで出る影響のコントロール。今後の事態を読んで、先に手を打たないと...。一誠にもそろそろ帰ってきてもらわないとね...」
「会長?」
最初の方こそ達海の疑問への答えとなっていたが、後半は全くと言っていいほど話が繋がっていなかった。一人でぶつぶつと呟くような零の言葉の意味を、達海は今一つ理解できていない。
「...あ、悪いわね。...仕事よ仕事。こうしている時間ももったいないわ。話が住んだならとっとと帰るわよ」
零はおもむろに立ち上がり、達海の腕をつかむ。
そのあまりな急な行動に、達海も黒谷も声を上げた。
「会長! いったん落ち着きましょう」
「...焦りは禁物だぞ。零」
「...そう、ですね。すいません」
上司である黒谷からの言葉というのもあってか、零はおとなしく椅子に座りなおした。しかし、一喝したものの、黒谷の表情は特別怒り混じりではなかった。どこか余裕のある表情で、零に語り掛ける。
「周りはお前の指示を欲しがってるだろう。...けれどな、当のお前が不安定だと、それが直接下に響くことになるぞ」
「...はい」
「だからこそだ。いったん落ち着け。自分の中で冷静でいるつもりでも、行動はそう言ってないぞ。とりあえずコーヒーでも飲みたまえ」
「...私、苦いのダメなんですけど」
「ならミルク位持ってくるさ。すこし待ってろ」
そうして黒谷は厨房の奥に消える。
達海はというと、声を掛けずにはいられなかった。
「...苦いの、ダメなんですね...」
「うっさいわね。コーヒーがブラックだろうとそうでなかろうと、大人になることに変わりなんてないわ」
「まあ、言えばそうですけど...」
少し恥ずかしそうな顔を浮かべている零を見て、不覚にも達海は安心してしまった。
やはり、人間なのだ。
どこまでも非情な機械にはなりきれない。
「...それより、任務内容は聞いたわね」
「はい。はっきりと」
自分に課せられた使命が軽いモノとは思っていない達海は、すぐさま気持ちを切り替え、表情から笑いを消した。
それが零にも伝わったのか、お咎めはなかった。
「どこをどうしてほしいか、とかは私や獅童から連絡を出すわ。その度たびに逐次報告を頂戴。それがあなたの仕事。いい?」
「了解です」
達海が威勢のいい返事を一つ返すと、零はようやく軽く微笑んで言った。
「守るわよ、この世界を。命に代えても」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます