第45話α(2) 優しい右手、強かな左手、繋がれて、もう一度
目の前に立っている桐は、ひどく傷だらけの身体だった。
片方の目は戦闘でやられたのか、斜めがけになるように包帯が巻かれており、その傷は新しいのか巻かれた包帯はどす黒い血で滲んでいた。
左手の指が二三本無くなっていた。それも、長さが不均等になるように。必死の抵抗で噛みつかれ、食いちぎられたのだろう。
それでも、桐は平然として立っていた。
痛いはずなのに、痛くないよと呟くように、凛として立っていた。
桐の姿を視認して、たちまち舞はへたりと座り込んだ。
動乱する心の中が抑えきれないのだろう。達海は残酷なその光景にそっと目をつぶった。
なんにせよ、これ以降は達海に言うことはもうないのだ。
全て、桐の口から伝えなければ、前にも後ろにも進まない。
「...ずっと、夢を見てました」
桐は、誰かに向けて語りだしたが、瞑目したその先の光景を達海は見ようとしない。
ただ耳を傾けて、その真実を。
「先輩と、舞と、三人で過ごす夢です。...すごく、幸せでした。幸せすぎて、自分が死にかけってことに気づかなかったみたいです。私」
その口ぶりからするに、桐は怒っているように達海は思わなかった。
それでも、今は口を出す時ではない。
「...けど、夢の中の先輩と舞は、現実の、私の知ってる二人とは違いました。...二人、とっても仲よさそうでした。それも、私が分からない感情で動いているようで。あぁ、これが好きになるってことなんだなって、思っちゃうくらいに」
「桐...ちゃん...」
桐の言ってることは、夢でもなんでもなかった。
実際、舞と達海は、桐の知らないところで密度の濃い時間を送っていたのだから。
それを最後まで桐に隠し通そうとしていた。
けれど、それが逆効果だったら、いよいよ弁明のしようがない。
とうとう、達海は目を開けた。
もう、目をそらすことは出来ないラインまできていたのだから。
桐は誰の反応も待たずに次へと進む。
「けど、それはきっと、夢じゃない。先輩は舞のことが好きで、舞は先輩のことが好き。なんか、今の二人を見てて、そんなこと思います。...どうですか? 先輩」
「...悪い、桐。...ずっと、隠すように生きてて」
否定はしなかった。
事実、好きの気持ちに間違いはなかったのだから。
桐は、申し訳そうな表情を浮かべる達海に一度軽く微笑んで、舞の方を向いた。
「...舞。私、怒ってるように見えますか?」
「え?」
「見えますか?」
桐の表情は、なににも染まってなかった。
ただ機械のように、事実確認を行うばかり。
その裏側があることを達海は察したが、親友の空間に入り込むことは出来ないと、無言を貫くことにした。
このまま返答に困るままの舞を見たくはなかったが。
それ以上に、進展がないままで終わることの方が嫌だった。
「...分からない。...ごめん、桐ちゃん」
「謝らないで。...さっきの話、はじめて聞いた。私の両親の話」
「......」
「だから、なに? って、思っちゃった」
「え?」
桐のあっけない一言に、舞は目を丸くする。
「...今でも、あの時のことを思い出して、寝れなくなる時はあるよ。...けど、それってもう、体が変に覚えちゃってるだけ。あの時に戻りたいとか、そんな気持ち、もうないんだよ、私には」
「そん...な...」
「なんでか分かる?」
「えっ...」
優しく、けれど強く舞をけん制する言葉の一つ一つ。
それを聞いて、達海は思う。
風音 桐という人間は、自分の思っているより遥かに強くなっていた、と。
「舞と過ごしていることが、楽しいと思ってからずっと、私は今しか見てないよ。...だから、舞が私の親が死んだ直接的な理由だとしても、私は怒らないし、舞にも謝ってほしくない。だから...」
桐は座り込んでいる舞に少しずつ近づく。
一歩、また一歩。
その距離は縮んで。
「笑ってよ。...ね?」
桐は、舞の頬を優しく手で触れた。
「あ...ああ...」
そして、とめどなく涙が舞の頬を流れる。
それは、これまでの何よりも大きく、輝いていた涙だった。
その涙にこもっていた感情はなんだろうか。
それでもなお続く後悔だろうか、許されたことへの喜びだろうか。
いずれにせよ、それは誰も知るところではなかった。
少しばかりもらい泣きを達海はしながら、ただ桐と舞の二人を眺めていた。
見れば、桐も少し泣いている。場にやられたのだろうか。
(少し前までは、これが逆だったんだよな...なんて)
少しおどけて、達海は笑って見せた。
十分休んだためか、体を動かすには問題ないくらいには回復していた。
足に力を入れて達海は立ち上がる。
いろいろあったためか、もう達海は能力の使い方すら忘れていた。
けれど、もうそれでよかった。
自分には、これ以上戦う理由はないのだから。
目の前に舞がいて、桐がいて。
願っていた光景が、もう一度かなった。
それだけで、達海は幸せだった。
「桐、体の方は大丈夫なのか? それに...新しいけがもいっぱい...」
「大丈夫、とはくくれないですけどね。...まあ、平気です。結構深かいみたいですが、こうできる位には大丈夫ですよ」
そういうなり、桐は思い切り舞に抱き着いた。
「ちょっ...桐ちゃん!?」
「いいでしょ? これくらいさせて。...もっと、ぎゅーってしたい」
「...もう」
舞は抵抗することを諦めたのか、桐に思いのまま抱き着かれていた。その表情から察するに、まあ、まんざらではないのだろう。
「oh...」
健全な男の子には、いささか刺激的な現場だった。
そんな中で、しみじみと達海は思う。
(...結構、久しぶりだな。こうやって、心の底から笑えるのは)
戦いから身を引いたこともあるかもしれない。
けれど、今は歩いてきた人生のいつよりも笑える気がした。
(こんなに気持ちよくいれるんだ。ずっと笑っていよう)
「先輩? 何ニヤニヤしてるんですか?」
「えっ」
「ちょっと達海...」
いつの間にか、あばんちゅーるも終わっていたみたいで、女子二名からもれなく冷たい視線を達海は浴びていた。
苦し紛れに、少し声を張り上げる。
「んんっ!! てか、てかさ! いつから舞、口調変えたの!?」
「あぁ、そういえば気になってました」
こればかりは桐も疑問だったようで、うまく話に乗っかった。
「えっ? あー...」
舞は、自分の実年齢が桐より一つ上であることを桐に伝えていないことを思い出した。
ここまで縁を戻せた現在、大して気にすることでもなかったが、それでも舞は返答に困った。
けれど、やはりちゃんと答えた。
「...私、桐ちゃんより、本当は年齢が一つ上で...だから...実際達海とは同年代なわけで...」
「なるほど。舞お姉ちゃんでしたか」
「そりゃいいな!!」
「やめて...」
舞は赤面してうつむいた。なかなかお姉ちゃんと言われるのは恥ずかしいのだろう。
そうして、三人でまた笑う。
年齢の差など、どうでもよかった。
ここにいる三人の関係に変わりはない。
ずっと、こうしてユニゾンのままで...。
(俺は...これを望んでたんだな)
もう、このまま死んでもいいくらいには、達海は幸せを感じていた。
だからこそ、気づかない。
この世の終わりに。
ふと、桐が切なげな表情を浮かべた。
それが気になって、達海はすぐさま聞いてみる。
「どしたんだ? 桐」
「...二人に、お伝えしなければならないことが」
「...何? まさか...」
舞は先に勘づいたようで、言葉を失った。
そして、桐はそれを確定させるように言葉にした。
「...作戦が、本日をもって終了しました」
「...あっ、それって...」
そうして、ようやく戌亥との会話を達海は思い出した。
今日が天王山。
この戦いで、人間の存滅が決まると。
そしてそれは、滅の方に軍配が上がったということだった。
叶えたい野望を叶えたはずなのに、桐と舞の顔はやはり暗かった。
もちろん、達海もそうだった。
手元に幸せがありながら、それを手放さなければならないときが、刻一刻と近づいてきている。
覚悟はしていたものの、やはり辛いものだった。
「...なんか、呆気ないですね。自分たちが戦ってきた理由って、こんな呆気ない幕切れを迎えるためって考えると、ちょっとむなしいです」
ぽっと呟く桐に、二人はうんと頷くしかできなかった。
けれど、なにも胸中は後悔で埋め尽くされていたわけでもなかった。
だからこそ、達海は少し強がりながら口にしてみる。
「けど、いいんじゃねえの? ...俺、やりたいこと叶ったんだ。ここで消えても...多分、悔いはない」
「...そうだね。私も、そう思う」
達海と舞の願いは一つだった。
『もう一度、三人で笑い合いたい』
そして、それは目のまで叶っている。
狂っていた歯車は全て合わさり、最後のピースも現れ、はめられたのだから。
桐も、どこか満足していることがあるのか、ふっと鼻で息をして、同じように呟いた。
「そうですね。...消える時、三人でなら、って、ずっと思ってました。このまま消えるなら、いいんじゃないですかね?」
「だろ?」
今度は、顔を合わせて笑った。
達海は、改めて桐に聞いてみる。
「なあ、桐。改めて聞いていいか?」
「? なんです?」
「桐のやりたいことって...なんだ?」
「そうですね...」
桐は、今はもう迷いがないのか、指のなくなった左手を胸の前に当て、舞の前に立ってちゃんと言葉にした。
「私のやりたいことは、やりたかったことは...舞への、恩返しです」
「え?」
急に桐にそう言われた舞は、目に見えて焦りだした。
心の用意が出来ていないのだろう。目のやり場にも困っている様子だった。
が、所かまわず桐は続ける。
「ずっと一人だった空間に、舞が入ってきてくれました。そして、その輪はまた大きくなりました。舞のおかげです」
「そんな...私、なにも...」
桐は首をフルフルと横に振った。
「心細かったんだよ? 得体のしれない組織に一人きり。...けど、その孤独も空虚も、全部舞が埋めてくれた。苦しい状況を作った原因がだれか、なんてどうでもいい。私は、舞を好きになれて、よかったと思ってる」
「...桐...ちゃん...」
涙は先ほど流し切ったはずだったが、それでも舞は涙を流した。
本当は、泣き虫な性格だったのかもしれない。
なら舞は、今は素直な自分であれているのだろう。
達海は、それが少し嬉しく思えた。
「だからさ、舞。...今度は、舞の気持ちを吐き出してほしい。...舞は、ずっと私のためにって生きてきたから。...せめて最後くらい、自分のために生きてほしい」
「...うん。分かった」
親友の頼みは断れないと、舞は涙をぬぐって改めて達海の前に立った。
そうして、達海に乞う。
「...改めて、達海。...あの時受け取らなかった感謝の言葉、送ってほしい」
「ああ、そんな約束、してたな。...なんか、この場で言うのも恥ずかしいけど」
「今が然るべきとき、だから」
「...だよな。しょうがない」
達海は、一つ息をついて、本心を述べた。
あの日、伝えると約束したはずの、大事な言葉を。
今、伝える。
「...俺さ、ずっと何のために生きればいいか分からなかった。ただ街の一部として生きて、それに死ぬ、そんなもんで人生は終わると思ってた。...けど、舞に会って、桐に会って、俺の人生は変わった。...笑える話だよな、そんな人間がいつの間にか命を賭けて人間の存亡のために戦ってるんだ」
もちろん、それが幸せだったとは言い切れない。
何度も痛い思いと、悔しい思いを繰り返してきた。
けれど、最後まで迷わなかったのはきっと...。
「きっと、同じように戦いに巻き込まれる可能性は、二人に出会わなくてもあったかもしれない。...けど、二人がいてくれたから、俺は最後まで戦えた。...強くなりたいって頑張ってた時、一つ一つ舞の言葉が俺に響いたのは、今でも忘れてない」
「何か言ったかな...」
「分からなくていい。全部上げたらキリなんてないし。...だから、ありがとう。...俺は、幸せを今掴んでる」
幸せになるのに、時間の長さなど関係ない。
今、この場にあるものが幸せだ。
ちっぽけだろうと、短かろうと。
誰にも文句は言わせない、三人だけの幸せ。
それを今、分かち合ってる。
それが出来ている理由はきっと...。
舞が、いてくれたから。
「...はい、これが俺の伝えたかった言葉。...物足りない?」
「全然。...聞けて良かった」
「そうか」
舞は、涼し気な顔で微笑む。
今までは冷たいものだと思ってたそれが、今ではとても暖かく思えた。
(ああ、やっぱり俺は、舞が好きなんだな)
少しだけ達海は微笑んで、改めて桐と舞の顔を眺めてみた。
どこにも曇りのないその表情が、全て不幸は終わったのだと告げているように思えた。
そうしたさなか、舞が達海に声を掛けた。
「...そういえば、達海」
「ん?」
「私ね...分かった。私は、達海の彼女にはなれない」
「......え?」
急なその発言に、達海は雷に打たれたように固まった。
舞は、笑ったまま続ける。
「桐ちゃんに、自分のやりたいこと叶えてって言われたけどさ...私、やっぱり桐ちゃんのことを幸せにしたい。...だから、私が達海と結ばれちゃったら、きっと桐ちゃん、悲しいと思うんだ」
「別にそんなこと言いませんよ」
「って、桐ちゃんは言うけどね、私は知ってる。きっと寂しくなる。そんな思い、桐ちゃんにはさせたくない。私のやりたいことは、最後まで桐ちゃんを幸せにすることだから」
「...なんだよ、しょうがねえな」
達海は、軽く笑い飛ばして、体から毒気を抜いて、舞に微笑みかけた。
「そうだよな。ずっと、舞は桐のことが好きなんだ。それを邪魔しちゃ、悪いよな」
いつか舞の桐に対する愛情を、重すぎる愛なんて言ったことを達海は思い出していた。
重すぎる愛。
(そんなもの...あるわけないよな)
「...けど、当然、私は達海のことも好きだから。...だから、三人でいたい。それで...だめかな?」
「結構。...もう、時間もないし、早いところ一緒になった方がいい」
桐の先ほどの発言からするに、残された猶予もあまりない。
確認のため桐の方を達海が向くと、桐はただ瞑目して一度首を縦に振った。
そして、桐は目を開ける。
「...それじゃ、先輩。舞。ちょっとこっち来てください」
「え?」
「ああ、いいけど...?」
何も分からない二人は、桐の言葉のままに向かい合って立たされた。
「それで、これから...?」
達海がそう尋ねると、桐はおもむろに達海の両手と舞の両手を取って、自分の目の前でつながせた。
その上に、桐自身の小さな右手を乗せる。
「えっと...桐ちゃん?」
「これが、私の最後にやりたかったことです。私が舞が幸せになることを望めば、舞は先輩と恋人になれますよね?」
「あっ...」
「舞と恋人になってください、先輩」
「...当然」
達海が自信満々に答えると、桐は嬉し気に微笑んで、改めて舞の方を向きなおした。
「舞」
「...こうなっちゃ、断る理由なんてないしね」
舞は仕方がなさそうに笑って、達海の顔に目を合わせた。
「...というわけで、よろしくお願いします」
「お、おう...」
「ところで二人は、キスとかしたこと...」
桐がそう呟くと、舞と達海はそろって顔を赤らめ、固まった。
経験あり。数分前である。
「あ、えーっと...」
「あれは...入るのかな?」
「まあ、俺からやったし...」
完全にいい答えなど浮かばなかった。
けれど、その未熟さがどこか心地よくて、やはり達海は笑った。
その瞬間、あたりが一斉に光りだした。
まるで、人を粒子レベルで分解するみたいに。
暖かい光が、三人を包んだ。
「...あ」
「時間、ですね」
「あーあ、ここまでかぁ」
三者三様、胸中を言葉にする。
けれど、そこに後悔の文字はなかった。
「...どうなるんだろうね?」
「死んだ後のことは死んでからじゃないと分からないっていうだろ。あれと一緒だろ。...けど、まあ、大丈夫だろう」
「ですね。なんせ三人一緒ですし。...きっと、どこへ飛ばされようと、三人一緒ですよ」
「そっか、それなら嬉しい」
もう、足の方は光に感覚を奪われていた。
だから、まだ間に合ううちにと三人は横一列に並んで手をつないだ。
いつかの祭りの日みたいに。
いつかの祭りの想い出の場所と同じ場所で。
「...行こうか」
「はい」
「うん、行こう」
すっと目を閉じた瞬間、三人の体は世界から跡形もなく消え去った。
---
ここには、幸せの記憶のみが残る。
幸せに長さなど関係ない。
満たされたその人生の最後に、誰も文句は言わないだろう。
ここには、幸せの記憶のみが生きている。
願わくば、新たに生まれる生命に、この記憶が引き継がれることを。
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