第五章α(2) 共に歩く、向かい風の果て (舞√)

第37話α(2) 回りだす運命



「...分かった」


 言葉だけ、舞にそう伝える。

 けれど、達海は舞の言葉にどこか納得がいかないままでいた。


(あの語り草...間違いなく、自分を犠牲にするつもりだよな)


(...そんなの、黙っていられるわけないだろ...!)


 そうは言いつつも、達海は桐も助けたかった。

 結局のところ、全てにおいて強欲だったのだ。



 桐も助ける。舞も助ける。

 それでもって、ソティラスの野望は成し遂げる。



(これが、今俺がここにいる理由だよな...!)



「...桐を、運べばいいんだな?」


「お願いします。ほら! 急いで!」


 達海は舞にせかされ、桐を背中に背負った。

 血がだいぶなくなっている桐の体は、恐ろしいほど軽い。


「準備できましたか? ここは私が足止めをします。...できるだけ早く、桐ちゃんを」


「分かってる」



 その時の舞の背中ほど、達海は大きく感じたものはなかった。

 けれど、心のうち、どこかで思う。



 背負いすぎだと。

 

 どうして、一人ですべてを片付けようとするのだろうか。達海はそれが気になって仕方がない。

 きっとそれは、信頼されてないから、というわけではなかった。


 おそらく、舞はもっと大きな...



「先輩!」


「っ!! 悪い!!」


 考える暇がないのは達海も分かっていた。

 だからこそ、今は全力で走る。

 

 自分が受けた傷のことなど、とうに忘れていた。



「行かせるか!!」


 達海の逃亡が目に入ったのか獅童が猛追し始める。しかし、その足取りは途中で止まった。


「これほどの...麻痺は...!」


「私も、S型の端くれ。...簡単には、死にませんよ」



 獅童が足止めをされている間に、達海はどんどん加速していった。

 桐の胸元から流れる血など、もう気にもならないままで。


 速く離れて、早く戻って。

 この別れが舞の最後にならないように、達海は今を全力で駆けた。



 そうして、舞から見た達海の背は、どんどん遠くなっていった。

 一瞬振り返った達海に顔を見られないようにして、舞はほんの小さな声で呟いた。




「...私だって、先輩のことが...」


 その声は、誰の耳にも届くことなく、風に消えた。

 ある一人の人物を除いて。




---


 達海は、舞を欺くために、家のある方角へ懸命に走った。

 しかし、追跡の気配が無くなったその瞬間、即座に踵を返し、向かう方面を変え、急いで走り出した。



 結局のところ、達海は、舞の命令に逆らった。

 そうまでする理由はただ一つ。


 舞を助けたいと思う気持ちが、溢れてやまなかったのだ。

 

 桐のことが気になっていると豪語しておきながら。

 達海は、舞のことも同じように気になっていたのだ。



(...いや、それ以上かもしれないな)


 

 桐を背負った達海は、戌亥のいるはずの事務所にたどり着いた。

 いつもはにこやかなフロントの女性も、傷だらけの達海と、それ以上に重症な桐の姿を見て血相を変える。



「え...!? どうされたんですか...!!?」


「戦闘があって...! それで...! それで、戌亥さんは!?」


「戌亥さんは今いらっしゃらないですが...」


「くそっ! こんな時に!!」



 戌亥に桐を預けるなど、簡単そうで甘い判断だったと達海は悔やんだ。

 しかし、こうして悩んでいる間に、時間は刻一刻と過ぎていく。



 達海は舞のことが、ずっと気になって仕方がなかった。

 一人で戦わせていることへの罪悪感。心配。

 舞の気持ち。


 いらだちが募って、仕方がない。

 無力な自分に、うまくいかない現実に。


 


 だからこそ、達海は一度息を吸って、落ち着いた。

 落ち着いて、冷静に考える。今から自分が、やろうとしていることを。


 そうして、見えた。




(...桐には、辛い目を見させるかもしれない。...けど、これがきっと、可能性が高い。...三人でいられる可能性が)


「...分かりました。今、手が空いている方はいますか?」


「え、ええと...」


「いや、空いてなくてもいいです。...この子の事、よろしくお願いします」


「え、ちょっと!」



 そうして、達海はフロントの女性に桐を無理やり預けて、急いで舞が戦っている場所へと戻った。


 足を速く回す。それを何度も繰り返す。能力を使える限り使って、自分の出せる最速のスピードで、達海はただ走った。


 背中の痛みも、もうない。



(早く...! もっと早く...!)



 ただ焦燥のみに駆られ、達海は走り続ける。

 そうして、その体は、先ほどの戦場へと舞い戻った。



 血なまぐさい、地獄のような戦場に。



「舞!!」


 達海は、視界に移った舞に向けて思い切り叫んだ。

 しかし、舞からの返事はない。どうやら聞こえていないようだった。


 その時舞は、獅童と正面から対峙していた。なんとか零を退けたものの、まだ強敵を残していたのだ。


 そのまま時間が止まっているかのように、二人の間は膠着状態にあった。


 お互い傷だらけで、かろうじて立っている程度だろうか。

 おそらく次の一発が最後になるだろうということは、能力を使っている道中で軽くゾーンに入った達海の脳がいち早く読み取った。


 

 だからこそ、舞にその最後の一撃が入ることだけは、何としても避けなければならない。

 達海は、その間に割って入ろうとした。


 その距離、およそ10メートルほど。


 

 達海が一歩蹴りだした瞬間、獅童が舞に向かってとびかかった。

 その蒼炎が揺らめく。明確な殺意をもって。



「これで...終わりだ!!」


「!!」


 舞は急いでよけようとするが、疲労のたまった足がうまく動かずに、その場で膝から崩れ落ちた。


「...あ」


 全ての望みが立たれたような、絶望の表情を舞は浮かべる。

 心まで砕けたのか、舞はうつむいた。



(くそっ!! とどけ!! 届けええええ!!!!)



 達海は体からすべての力を振り絞った。そうして...




 獅童の蒼炎を纏った手刀が舞の体を貫く前に、達海は舞を守る体勢に入った。



「えっ...? せん...ぱい?」


「なっ!? 藍瀬!!!」


「...ぉぉぉおらぁああああああ!!!」



 達海は獅童の体を掴もうとして、今度こそその腕を掴んだ。獅童の実態に触れた。

 もっている腕の感触は、人間の腕のそれだった。


 達海は思い切り自分の体に体重をかけ、獅童をそのまま一本背負いで投げ飛ばす。

 獅童は、強い衝撃とともにその体をアスファルトの地面に打ち付けられた。


「がっ...はっ...!」


 数秒して、獅童の身体中の傷跡から血が一斉に流れ出す。能力でうまくつくろっていたのかどうか達海は知らなかったが、それがほどけたみたいだった。



 獅童の身体から蒼炎が消え、見慣れた獅童の実体を、達海は改めて目視できた。



「...獅童」


 そう呟く達海の脳は冴え、恐ろしいほどに感情が冷めていた。

 目の前の人間は、もう達海の敵に成り下がったただの人間だった。

 ましてや、危うく自分の守りたい存在を殺すところだった人間。



 それにかける情も、かける言葉もいらなかった。

 ともに過ごした短い時間、思い出。


 それが、霞かかって、達海の脳から消え去った。



「...俺の...負け...か......。...いいぜ...殺せよ...」


「...ああ」



 あれだけ殺すことをためらった達海だったが、今の達海の精神状態において、それをためらうような気持ちはなかった。

 もう、いっぱしの戦士と化していたのだ。


 達海は、腰に携えた短剣をさやから抜き出した。

 そのままそれを獅童の心臓に当てようとして...



「先輩! 待ってください!!」


 舞の叫び声で、その手は直前でかろうじて止まった。



「...あ」


 そうして、達海はようやく、自分が何をしようとしているのかを認識した。

 ここで獅童を殺してしまえば、自分はもう、超えた一線から戻れなくなる。



(...そうだ。俺は獅童に、何も奪われてない...じゃないか)


 見る限り、桐も生きている。舞も傷だらけだが、ギリギリのところで命に別状はないラインである。


 それなのに、自分が一方的に相手を殺すという行動に走っていいのだろうか。


 相手が敵だから、ただそれだけの理由で。

 積み重ねてきた信念を、破っていいのだろうか。


 短剣を持つ達海の手は急に震えだした。

 それを見て、獅童は少しかすれた笑い声と、ため息をついた。



「...はぁ、甘い。...なんで、俺を殺さないんだ」


「それは...」


 舞に止められたからだろうか。

 けれど、それすら確証が持てなかった。


 さっきまで冷静で入れたはずの達海は、いつの間にか平常心を失いかけていた。



 その間に舞がふらふらと立ち上がり、獅童に告げた。



「...先輩には、殺させません。...そういうのは、私たちの仕事ですから」


「なんだ。そういうことか。...じゃ、さっさと殺せよ。どうせ俺は...お役御免だ」


「ですが」



 舞は、獅童の言葉を遮った。


「...あなた、もう、動けないですよね?」


「...はっ、気づか...れるか」


「私と同じ、それ以上の出血量に肺に急な衝撃。おそらくもうそんなに血が回ってないはずです。おそらく、つぶれてるんじゃないですか? 肺が。だから...まあ、ほっといても死ぬということです」


「正解、だ。...あーあ、殺される方が...楽に死ねたと...思うんだけどな」



 獅童は、らしくない口調で笑った。

 自分の命の果てがそこにあるにもかかわらず、笑った。


 達海は、それが理解できなかった。



「...なぁ、獅童。...俺、間違えてんのか?」


 達海は、それが聞いてはいけないことだと分かっていながら、口にした。

 獅童はそれに対し、少しだけ目を丸くして、すぐに毒を吐くように答えた。



「ばーか。...みんな間違ってるさ。この世界は...みんな」


「獅童...」


「だから...まあ、俺は死ぬ。...死んで、その結末を...見ようじゃないか」


 そう口にしたところで、獅童はかなりの量を吐血した。

 口元の血をぬぐう力もないのだろう。口から垂れた血をそのままにして。



「...行けよ。...敵に看取られるとか...ごめんなんだよ...」


「...ああそうか。分かった」



 達海は、獅童から目をそらして、それっきり合わせないようにした。

 そして、舞の手を引く。握った先の舞の手は、おそろしいほど力がこもってなかった。


 とりあえず、獅童の視界に自分らが映らない場所まで、二人は移動した。

 そうして、達海は舞に確認を入れてみる。



「舞、歩けるか?」


「大丈...あれ...?」


 大丈夫と答えようとした舞だったが、また膝から崩れてしまった。


「おいおい、無理すんな...って」



 結局、舞の方も血がなくなっているのだろうと達海は思って、膝から救い上げて、抱えようとする。


 しかし、その手を舞は払った。



「え?」


 目の前で起こったことが理解できない達海は素っ頓狂な声を上げる。

 しかし、それ以上に驚いた反応を見せていたのは、舞自身だった。



「あれ...? なんで...」


「まあいい、もっかい」


「はい...。...?」


 今度こそ達海は舞の体を持ったが、それでも舞は何かが納得いかないような感情に支配されていた。



 そうして、謎の悪寒が二人を包む。






 まるでそれは、また新たな戦いが生まれる予兆のようで。

 ビルの谷を吹き抜ける風が、低い声で二人の運命をあざ笑った。

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