第20話α 進み出す覚悟
「...それで、いいんですか?」
達海がそう言った矢先、どこか驚きと鋭さを秘めた舞の声が達海の耳を打った。
「あなたがこの道を歩くということは、そんなに簡単なことじゃないですよ?」
「分かってる」
「失敗すれば世界レベルの大罪人です」
「だろうな」
「目的の達成のためなら、人の命も軽いですよ?」
「...その現場を、何度も見てきた」
「...おそらく、あなたの友人にはもう二度と会えませんよ?」
そう言われると、さすがの達海も悩んだ。
腹をくくったものの、弥一や陽菜のことを考えると、この質問に、うんとすぐには言えなかった。
しかしそれでも信念は揺るがなかった。
「俺の選んだ道だ。...進むさ」
「...分かりました。それが先輩の覚悟なら、私たちにそれを止める権利はありません。いいですよね? 桐ちゃん」
「構いません」
桐は遠く奥底まで透き通った目で答えた。
「では明日、私たちの本部に行きましょう」
「登録とかが必要なのか?」
「というより血印ですね。加入の証はそれくらいします」
桐はしれっとおぞましい言葉を言い放った。
血印なんていつの時代の話だろうかと言いたくなる。
「血で何をするんだ?」
「触れた血の持ち主を調査できる能力者がいるんですよ。逃亡防止とかに有効といったところでしょうか」
「必要なのか? その能力」
達海が思った疑問を軽々しく口にすると、舞はギロッと達海を睨んだ。
「...いいですか? 能力者は必ずしも攻撃向きの能力だったりとかはしないんですよ? それでも中途半端に能力を手に入れてしまい、意に沿わない形でソティラスに入った人もいます。...そんな軽口、たたかない方がいいですよ」
「...はい」
恐ろしい形相で詰められた達海は肩をすくめて返事をした。
さすがにあの発言は軽口過ぎたみたいだ。
「...まあ、分かればいいです。...というわけで桐ちゃん、これからどうしましょうか?」
「え? ああ、うん」
ぼーっとしていた桐は舞の声で意識を引き戻された。
「これから...。まず、学校はもう行けないよね」
「残念だけど、間違いないかな。あそこまで派手な騒動で数週間は学校は休みになるだろうし、行ったところでおそらくガルディアの能力者が目をぎらつかせてるはず...。私たち自体が結構目を付けられる存在なだけに...さすがに」
「だよね...」
桐はえらく沈んだような雰囲気を体全体で表した。舞もそれにかける言葉がないのか、ただ黙ってみているだけだった。
「...学校、楽しかったんだけどな」
そう呟いた桐の一言が、達海の胸を突き刺した。
桐だけじゃない。
自分ももう学校には戻れないんだ。
(これが...日常を失うってことか)
胸の内がだんだんと悲しくなってきたが、達海はこれ以上桐の気分を沈めまいと何も言わないでいた。
「...桐ちゃん。嘆いても変わりませんよ」
「...うん、わかってる。これからのことは、とりあえず明日戌亥さんのところに行って聞いてみよう」
「本部寄るついでだからそうなりますね。それでいきましょう。いいですよね? 藍瀬さん」
「え? ああ、いいけど...」
達海が会話に入るスキもなく、気が付けば会話は丸く収まっていた。
改めて状況が落ち着く。
達海は部屋にかけてある時計に目をやった。
7:00。
達海はおもむろに立ち上がった。
「先輩、どうしたんですか?」
「さっきの話的に、明日から動くようになると思うから、最後に行っておかないといけない場所があるんだよ」
「さっきも言いましたが、友人とかには会えませんよ。藍瀬さん」
「分かってる。...でも、今の俺には、一つだけ所属している社会的集団があるんだよ」
達海がここまで育ったのは一人の力じゃない。
それをちゃんと分かってるからこそ、達海には一度帰らなければならない場所があった。
別離と感謝の言葉を伝えるために。
「...親元、ですか」
「...ああ」
達海は力強く頷いた。
しかし、舞は達海と対照的に首をぶんぶんと横に振った。
「だめです。...というより、別れをしようと思えば思うほど、離別とはつらくなるものですよ?」
「...分かってる。...だけどさ、ちゃんと割り切って進まないと、結局は意味がないんだ」
「...はぁ。分かりました。私が監視しておきますので、藍瀬さんは一旦帰っても...」
「あのさ、舞」
舞の言葉途中で、桐が恐る恐る声を上げた。
「それ...私についていかせてもらってもいいかな?」
「構いませんが...。特別桐ちゃんが行く必要も」
「ううん。ある。今先輩が踏み出そうとしてる道は、私が手を引いてしまったから。せめてその見届けくらい、私にさせてほしい」
「桐ちゃん...」
その強い意志に太刀打ちできなくなったのか、舞はあきらめたように息をついてokサインを出した。
「まあ、この時間です。動き出す連中は動き始めるかもしれません。護衛の意味でも、桐ちゃんの方が適任でしょう」
「ありがとう、舞」
「というわけで藍瀬さん。行くならさっさと行ってください。私は夕食でも作って待ってますので」
そう言って舞は先に立ち上がり、壁に掛けてあったエプロンを取って颯爽とキッチンの方へ消えて行ってしまった。
「...よし、行こうか」
「はい」
その姿が見えなくなったところで、達海と桐も夜の白飾へと踏み出した。
---
種を明かされて初めて歩く夜の白飾はどこか新鮮で、けれど寂しかった。
一歩、また一歩歩く度、自分がいたはずの日常から遠ざかる音がする。
けれど、達海の心は揺るがなかった。
急な話で、迷いもするだろう。
あんな一瞬で決意が固まるなんて誰も思っていない。達海自身も。
けれど、もう振り向かないようにと決めて前だけ向いて歩く。
振り返った方が何十倍もつらいのだから。
「...本当によかったんですか? 先輩」
大通り沿いの公園を過ぎたあたりで、申し訳なさそうに桐が口を開いた。
「ん? なにがだ」
「その...先輩には日常に帰る権利が譲渡されてたんです。それを蹴ってまで私たちの組織に入るなんて」
「...そりゃあな、何も考えなかったわけじゃない」
好奇心で入るほど達海は馬鹿でもないし、スパイ行為をするほど度胸もなかった。
それなのに、なぜ入ったのか、と。
それは、自分の意志で人を滅ぼそうとする行為なのに。
「...俺さ、将来、なりたい自分を考えたことなんて一度もなかったんだ。何も考えないまま、ただ発展したこの街のシステムにあやかって日常を送ってた。...けどそれ、違う気がするんだ」
「どういうことですか?」
「結局俺は、何かのために動くってこと、そんな出来てなかった気がするんだ。だから、この道を選んだ。...初めて、俺が自分で選んだ道かもしれない」
「でもそれは、この道じゃなくても...」
「...正直怖いよ。何に巻き込まれるか分からないし。...けど、さっき言ったことだけが理由じゃないんだ」
「え?」
いつからだろうか。
達海は勝手に、桐に微かな恋心を抱いていた。
もちろん、何かを一緒にできるほどまだ仲睦まじい訳ではない。
けれど。
「今日さ、俺のことを見つけて、助けに来てくれただろ。...あの時さ、思ったんだ。俺は桐の力になりたいって」
「それだけの事でですか?」
「...いいや。今日の事だけじゃない。俺は、桐の生きる日常に溶け込みたかったんだ。もっと、もっと深くまで」
(これまでの桐にとって、俺はどう映っていただろうか)
(きっと、ただの少し仲の良い先輩としか映ってなかったのかもしれない)
(けど俺は、それ以上のものが欲しかった)
「...私、そういうのよくわからなくて...」
恋、というものは口にするより遥かに難しい。
少なくとも今の桐は、それを全く分かっていなかった。
多分、半端な言葉じゃ伝わらない。
そう察した達海は、まっすぐに気持ちをぶつけることにした。
「要するにさ、俺、桐の隣にいたいんだ。ただ、それだけ」
「隣に...、ですか?」
「そ。...恋人なんて呼べる代物じゃなくてもいい。ボディーガードのような存在でもいい。俺は、桐の隣で、桐を守りたい。...きっと、今のままじゃ頼りないけど。でも、そう思ったんだ」
言ってて赤面しそうになる達海だったが、それでも変わらない決意はあった。
達海は口にしてようやく再認識する。これが自分の本心なんだと。
「...なるほど。分かりました」
桐は少し前に出たかと思うと、達海の前を通せんぼする形で立ちふさがった。
身長差がある分、桐は少し上目遣いで、でも意の籠った目で達海に言った。
「...私は、恋とかそういうの、分かりません。それに、先輩に守られるほど、弱い人間でもありません」
「...なんとなく、そういうのは分かってた」
「けど」
「?」
「先輩が隣にいてくれると、たぶん心強く感じると思います、私は。...だからその、お願いします」
そう言って桐はぺこりと頭を下げた。
それは、不器用なりの桐の答えだった。
それが十分に伝わったのか、達海はニッと笑った。
「...ああ、よろしく」
そうこうしているうちに、達海のマンションの前についた。
新たな拠点となるであろう桐の家と、達海の家はさほど離れてなかった。
エレベーターで一気に8階まであがる。達海の家はそこにあった。
家には電気がついていなかった。きっと、もう親は寝ているのだろうと達海は察した。
むしろそれはありがたかった。
「...じゃあ桐、ここで待っててくれ」
「いいですけど...どれくらいで帰ってきますか?」
「そんなにかからないよ。...10分でいい」
「そうですか」
桐が無表情のまま了承したと頷いたのを確認して、達海は少し重たい家のドアを開けた。
案の定、家の中には明かりがともっていなかった。
寝静まった家の静けさは、どこかさきほどまで歩いていた外の静けさに似ている。
達海はそのままリビングまで歩いていき、近くにあった紙とペンを手に持った。
その紙を机上に広げ、言葉を書き連ねる。
~~~
『両親へ』
この度、私、藍瀬 達海は旅に出ることにしました。
いつ帰ってくるかも分かりません。もう帰らないかもしれません。
それでも、ここまで育てていただいたことに感謝を込めて、この紙を残します。
この街は独特で、それゆえに二人と過ごした時間は少なかったです。特別語れる思い出も、少ないかもしれません。
それでも、私が感じてる確かな愛情は、ちゃんと二人から頂いたものです。
だから、ここに記します。
「ありがとう」
...ちゃんと口で伝えれないのが少し残念です。
もし、私がいなくなったことを弥一や陽菜が知ろうとしてきたらこう返してあげてください。
『達海なら旅に出た。ありがとうと言い残して』と。
では...お元気で。
さようなら。
藍瀬 達海
~~~
ペンが走るたびに、達海の頬には幾粒の涙が流れていた。
別れは決意しても、そのつらさはやはり確かなものだった。
達海は、その涙をあえて拭かないで置いた。時折嗚咽混じりになるが、親に気づかれまいと必死に押さえつけた。
書き終わるころには、涙はもう流れなくなった。
おそらく、完全に流し切ったのだろう。達海はそう思ってリビングを後にした。
そのまま玄関へ一歩、また一歩と歩いていく。
そのドアを開ければ、自分の戻るべき場所だった『藍瀬家』はなくなる。
けれど、達海は躊躇わなかった。
涙とともに後悔をそこに残して。
達海は、そのドアを開けた。
(...行こう)
そこに広がるのは、無情に暗闇な夜の白飾だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます