第9話 喫茶アガートラム


 達海が体育の時間に負った怪我は、放課後になるまでにはすっかり治っていた。

 そんなわけで、先週の木曜日に生徒会を手伝えなかった分、今日こそはと思って、達海は獅童に声をかけにいった。



「獅童、今日何か手伝うことあるか?」


「おぉ、藍瀬か。そうだな...。外に出る用事はないが、校内で少しばかり仕事があるな。手伝ってくれるのか?」


「おうともさ。こないだ出来なかったからな」


「ありがたいんだが...。お前、怪我のほうは大丈夫なのか? 五限の時捻挫したって聞いたが...」


「ああ、あれ? 治ったよ。今はもうなんとも」


 そういって変に力を入れないように、達海はぴょんぴょんとその場で二回はねてみせた。


 養護の先生である朱鷺沢が言っていたとおり、一時間分安静にしていれば痛みが引いたのだ。あの発言が出鱈目に思っていた分、少しピンと来ないが。



「そうか。...それじゃあとりあえず、生徒会室向かうか」


「ほいよ」




 そうして獅童と二人で並んで生徒会室を目指す。

 その道中、まだ制服のままの桐と舞に遭遇した。



「げっ」


「出会って第一声がげってなんだよ、白嶺」



 達海を見るなり、舞は気まずそうに声を上げた。


「あっ、先輩。お疲れ様です」


「おう。珍しいな、この時間まだ部活に行ってないなんて」


「まあ、ちょっと色々やってたんです」


「色々?」


「色々です」



 にこやかに桐が答えるため、達海はそれを追及することが出来ずにいた。


「まあ、そんなわけですから、私たちはこれから部活です。さっさとどいてくれませんか?」


「白嶺さ、俺に親でも殺されたの...?」



 舞の達海への当たりはいつも通り強いままだ。



「というわけで部活行きますよ桐ちゃん。遅れると連絡済とはいえ、遅れすぎると部長に怒られますから」


 そう言って、舞は桐の腕を掴んでずるずると引きずりながら廊下を進んでいった。


(お母さんかよ...)



「じゃ、じゃあ先輩、これで私は失礼します...舞ー! 引っ張らないでー!」


「お、おう...。部活頑張れよ」



 達海がそう声をかける頃には、もう桐と舞は遠く廊下の端まで進んでいた。はたしてその声は届いたんだろうか。その真偽は知らない。



「...んじゃ、俺らも行きますか。足止めて悪かったな、獅童」


「...」



 獅童はだんまりを決めたまま、一向に身体を動かそうとしなかった。どこか一点をずっと眺めている。


「...獅童さん?」


「...はっ! どうした?」


「行こうぜ」


「ああ、そうするか」



 そうして再び生徒会室へ歩き出す。しかし、その間の獅童の顔が一向に厳しかったのが、達海はずっと気になったままだった。






 生徒会室前に着き、達海はドアを開ける。



「あら、珍しい。自分から来てくれるなんて」


 生徒会室には、零しかいなかった。ただ一人、会長席でくつろいでいる。



「...あれ、仕事ないんですか?」


「今日はさほどないわよ。この部屋に誰もいないのは、いた人数を総動員して仕事に当たらせてるからね」


「外勤ですか?」


「校内だけれどね」



 零は一向に動く気配がない。

 達海には、それがあまりにも不気味に思えていた。



「というか、直接話せるチャンスだと思うんで言っておきます。会長って、なんで働かないのに会長なんて職についてるんですか?」


「...ほう? 私にそれを聞くの?」



 零は挑発気味ににやりと笑った。達海はゴクリとつばを飲み込む。



「そんなもの、大人にいい顔してたら勝手に推薦されたからに決まってるじゃない」


「...は?」


 その理由のあまりの薄さに、達海は思わず声を失っていた。

 そのリアクションに零も困ったのか、少し焦ったように話し始めた。


「いや、言ったとおりなのだけれど。授業やテスト、それなりにそつなくこなしていたら勝手に推薦されていただけ。でも、乗ってしまった船は下りられないじゃない」


「はぁ...まぁ、そうですけど。でもそれだけなら、いくらか真面目に仕事をしてもいいじゃないすか」


「嫌よ。人間、誰だって楽して生きたいもの。変に力使っちゃって、それで疲れちゃ大ばか者だわ?」


「会長らしくない台詞どうも...」



 とにかく、零に何を言っても聞かないだろうと達海はそう察した。


「というわけで、早速各教室にこの紙がちゃんと掲示されているか見てきてくれるかしら」


 零は手元にある資料一枚を持ち上げ、ぺらぺらと振った。

 達海は零に近づき、それを受け取る。



「この紙が、ですね?」


「そう。教室の後ろに掲示するよう伝達してあるから。出来てないところは直しておいて」


「はぁ...分かりました」


「それが終わったら勝手に帰っていいわよ」


「じゃ、そうします」


 特に否定する理由も無い達海は、その言葉に従うべく、生徒会室を退室した。




--- 


~Side G~



「...いいのか? 零。この場で藍瀬に問いただすこともできただろうに」


「時期尚早。彼はまだぬかるみに一歩足を踏み入れてしまったというところ。無理にこちらに引っ張るのは愚作よ」


「...上の考え的に、あまり能力者をノラの状態で置いておきたくはないはずだろ?」


「それはそうだけれど、あの程度である彼一人こちらに引き入れたところで戦力にはならないわ。それよりも、この間依頼しておいた他のノラの調査、終わってるかしら」


「...6割は。...ただ、その中で気になる人物がいくらか」


 獅童はかばんからクリップで留められた書類の束を零に手渡した。


「ふぅん...? ノラにもグループがあるかも、と。...警戒はしておいたほうがいいかもしれないわね」



 受け取った紙を一度眺めて、零は目の前のテーブルにそれを投げた。

 そのまま先ほどのように妖しい笑みを浮かべた。



「さて...そろそろ全面戦争かしらね」




---



 翌日になった。

 ここ最近は自分の能力が制御不可能になっていること以外は、対した問題もなく、達海も大分日常に戻ってきたと思えるようになっていた。


 しかし、明らかに弥一や陽菜と帰る日が減ってきているのもまた事実だと、達海は頭を悩ましていた。


 たまには、ということで、昼食時に話を切り出してみた。



「なあ、弥一、陽菜。最近俺付き合い悪くなってることないか?」


「んー? 私は別にそんなこと思ってないけどなぁ。確かに一緒に帰れる日は減った気がするかもしれないけど...」



 陽菜は気にしてないように口にするが、その台詞の最後の部分が達海の一番気にしていることに触れていることを知らなかった。


「なに? また何か考えてんの? ネガキャンよくないよ?」


「嫌でも思ってしまうんだよ、性格の都合上」



 達海は従来より、あまり精神が強いとは言えない人間なのだ。

 それにより、時折こうやってネガティブになることがあるのだ。


 弥一は、また始まったよとため息をついて達海に声をかけた。



「別に俺らはなんとも思ってねーよ。たかが数日帰れないだけで崩れる人間関係じゃないことくらい、お前も分かってるだろ」


「まあ、な...」


「ならほら、いちいちネガティブになるな。そういう時はあれだぜ? どこか遊びに行く器量くらい持ち合わせてくるところだぜ?」


「遊び、か」



(そういえば最近は、そうやって寄り道して帰ることもなくなっていたからな...)


 達海がそう考えてると、はいはい! とここぞとばかりに陽菜が手を上げた。



「じゃあさじゃあさ、私、ちょっと行きたい店があるんだけど、放課後ついて来てくれるかな? ちょうどいい機会だし」


「...だってよ、達海。どうする?」


「...よし、行くか!」


「そう来なくっちゃな。...さ、昼飯食うぞ。冷めちゃ旨さも半減だ」



 達海は陽菜と弥一に内心感謝しつつ、放課後を待つことにした。








 そんな風に期待を膨らませて待っていると、あっという間に放課後はやってきた。


 達海、弥一、陽菜の三人は下りのロープウェイに乗る。ここから街までのくだりはおおよそ10分くらいだ。


「ところで聞いてなかったんだけど、陽菜の行きたがってる店ってどういう店なんだ?」


「喫茶店だよ。あまり目立つところにないからタウンページに取り上げられたりしないんだけど、行った人の口コミ評価は高いよ。前々から気になってたの」


「ふーん...? なるほど」



 思い返してみれば、そういう店に行ったことはなかったなと達海は考えていた。

 達海はそもそも中学の頃まではあまり遊びに行くことはなかったし、高校に入ってからも街遊びはさほどだった。



 弥一は先ほどの陽菜の話を聞いて、何かを思い出したのかポンと手を叩いた。


「ああ、思い出した。アガートラムか」


「正解」


「なんだ? そこまで有名なのか?」



陽菜も弥一も知っておきながら自分だけ知らないというのは、達海にとってくやしいことだった。



「うちの母親がスーパー勤務なんだけどよ、そこのオーナーがよく買い物に来るらしいんだ」


「えらく身近な話だな」


「ま、喫茶店も客商売だし、何か物を出すところだしな。買い物に来るくらいは普通のことだろ」


「なるほど。...あ、ついたぞ」



 ロープウェイが止まった分の衝撃で、達海たちは下車のタイミングが来たと教えられた。



 三人はロープウェイ停車場から離れ、市街地のほうへ向け歩き出した。



「それで? アガートラム? はここから何分くらいなんだ?」


 達海がそう尋ねると、陽菜は腕上の装置からナビを起動させた。

 少々荒い粒子で、この街のマップが投影される。



「えっと...そう遠くないよ。歩いて10分。...ただ、割と路地裏のほうだから、ちょっと気をつけなきゃね」



 陽菜のその言葉で、達海は先日の襲撃のことのフラッシュバックをおこした。


(...そうか、路地裏なのか。...気をつけないとな)


 幸い、まだまだ明るい。きっと大丈夫だろうと達海はおろしかけた頭をまた持ち上げた。



「ま、まだこの時間だ。気にすることはないだろうよ」


「そうだね」


「...ただ達海、帰る時間は間違えるなよ」


「分かってるって」



 渋い顔をしている弥一に向けて達海は笑ってみせた。

 ほんとは、自分が一番それを怖がっていることを分かっていながら。




 そこから数分歩くと、小洒落た外見の建物の前についた。

 陽菜の腕上のナビが示す限り、ここで間違いないだろう。



「じゃあ、入るか」


 達海はそうとだけ言って、ドアに力を入れた。

 

 カランコロンと音を立てて、ドアは開く。

 すると奥のほうから、店主らしき男性が達海たちの前に現れた。



「おや。いらっしゃい、喫茶アガートラムへ」

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