第4話『春の夜に悲鳴が響く』
夕食後。
俺は自分の部屋に戻り、今日の授業で出され、明日の授業で提出する数学Ⅱの課題プリントを取り組むことに。授業の復習をするのにもちょうどいい。
サクラは理系科目がそこまで得意な方じゃないから、課題は大丈夫かな? そう思ったけど、彼女はマスバーガーで友達と一緒に勉強もしていたっけ。その友達の中にはクラスメイトもいたし、このプリントも取り組んだと思われる。
そのサクラは今、いつも通り1人で一番風呂に入っている。
ちなみに、恋人になったので、昨日はひさしぶりにサクラと一緒に入浴した。夕ご飯を食べた後に、俺から「今日はどうしようか」と問いかけると、サクラは顔を赤くし、
「きょ、今日は1人で入りたい気分かな!」
と言われてしまったのだ。俺と入浴しているときは、気持ち良さそうにしていることはもちろんあったけど、恥ずかしがったり、緊張したりしているときもあって。お風呂なんだから、ゆっくりとリラックスしたいよな。
個人的には、少しずつでもいいので、これからはサクラと一緒にお風呂に入る日が増えるといいなと思っている。
「よし、これで終わり」
量は多めだったけど、今日までの授業の内容だったので30分ほどで終わった。
他の教科の課題をする前にちょっと休憩するか。夕食後に淹れたブラックコーヒーを飲み、部屋の中をぼーっと見渡す。
「……うん?」
ベッドの近くにある窓の外側に、結構大きなクモがくっついている。外側だし、何もしないでおこう。
今の時期は晴れている日を中心に、昼間は結構温かくなる。これからしばらくの間は虫と遭遇することになりそうだ。小さい頃から、家の庭やこもれび公園、親戚の家で虫に触れてきたので、今みたいに見つけても驚くことはない。
ちなみに、3歳年上で大学生の
「サクラはこの3年で少しは虫への耐性がついたのかな」
以前は虫がかなり苦手だった。家で遊んだり、お泊まり会をしたりしたときにゴキブリやクモを見つけたら、高確率で悲鳴を上げていたし。和奏姉さんと一緒にいるときは、2人で俺にしがみつくこともあったな。
もし、昔のままだったら、今後は虫撃退のためにサクラから幾度となく助けを求められそうだ。
昔のことを思い出していたら、休憩始めてから数分ほど経っていた。疲れも取れたし、そろそろ勉強を再開するか。
コミュニケーション英語の課題プリントを取り組み始めて、序盤の問題を解き終わったときだった。
『ひゃああああっ!』
サクラの部屋から彼女の悲鳴が聞こえたぞ! 何があったんだ!
俺は急いで部屋を出て、サクラの部屋の扉にノックしようとしたときだった。
「助けてええっ!」
中から勢いよく扉が開き、寝間着姿のサクラが俺にぎゅっと抱きついてきたのだ。そんな彼女の両目には涙が浮かんでいる。
「文香ちゃん、どうかしたかい?」
サクラの悲鳴は1階まで届いていたようで、父さんが2階に上がってきた。いつもは落ち着いて微笑む父さんも心配そうな様子でサクラを見る。
「サクラ、どうしたんだ?」
「……ゴ、ゴキブリが出まして。昔からずっと苦手で。今年入ってからは見るのが初めてだったので、大きな声が出てしまいました。ご迷惑をおかけました……」
サクラは申し訳なさそうに、弱々しい声でそう言った。今もサクラのゴキブリ嫌いは健在だったか。ゴキブリと遭遇したのが相当ショックだったのだろう。
「怖かったんだな。ただ、サクラにケガとかが無くて良かったよ。俺がゴキブリを退治するから安心しろ」
「大輝は虫が平気だもんな。後は任せるよ。何かあったら父さんに言いなさい」
「分かった」
「本当にすみません……」
「気にしないで」
そう言って、父さんは普段の穏やかな笑みを浮かべ、1階へと降りていった。
よし、じゃあ……まずはサクラの部屋に入って、ゴキブリを見つけなきゃいけないけど、
「サクラ。離してくれないとゴキブリ退治ができないんだけど」
依然として、サクラは俺のことをぎゅっと抱きしめているのだ。お風呂を上がってからそこまで時間が経っていないからか、シャンプーやボディーソープなどの甘い匂いが普段よりも強く香ってくる。ぎゅっと抱きしめているからか、柔らかさも感じる。
サクラはゆっくりと俺のことを見上げてくる。
「……離したくない。怖かったんだもん」
とても甘い声でそう言ってくるサクラ。凄く可愛いじゃないか。このままサクラと抱きしめ合うのもいいかなと思うけど、それじゃゴキブリは退治できない。我慢我慢。
「気持ちは分かった。じゃあ、俺の後ろにいろ。それなら、何とか退治できると思うから」
「……うん」
そう言うと、サクラは俺への抱擁を解き、俺の背後に立つ。そして、俺の着ているパーカーの裾をぎゅっと掴んだ。これなら大丈夫かな。
「サクラ。部屋のどのあたりにいたんだ?」
「……本棚近くの壁」
「本棚近くだな」
ゆっくりとサクラの部屋の中に入り、本棚の方を見ると――。
「あっ、いた」
「ひぃっ!」
怖いのか、サクラは俺の背中にピッタリとくっつく。
本棚近くの天井付近にゴキブリが1匹。ヤツがサクラをここまで怖がらせたかと思うと殺したくなるけど、ヤツにも命がある。生きている状態で外へ出すのが一番だろう。
「ダ、ダイちゃん。これ……捕まえるときに」
サクラはティッシュを2枚渡してくれた。素手でも捕まえられるけど、ここは有り難く使わせてもらおう。
「ありがとう。今から捕まえて外に出すから、離れてもらっていいか? ヤツが移動するかもしれないし、あと網戸の状態でいいから、窓を開けておいて」
「うん」
小さな声で返事をすると、サクラはベッドの近くにある窓を網戸の状態で開ける。よし、これで大丈夫だな。
右手にティッシュを乗せて、ゴキブリが逃げてしまわないように俺はそっと近づく。
「それっ」
右手を伸ばし、俺はゴキブリをしっかりとキャッチ。その瞬間にサクラが「おおっ!」と声を上げた。
サクラが開けてくれた窓からゴキブリを投げ落とし、素早く窓を閉めた。
「これで大丈夫かな」
「ダイちゃんありがとう!」
さっきと同じように、サクラは俺をぎゅっと抱きしめてくるけど、さっきと違ってとても喜んだ様子だ。そんな彼女の頭を左手で優しく撫でる。
「ダイちゃんは昔から変わらず虫に強いね」
「庭や公園で虫に触れてきたからな。サクラのゴキブリ嫌いも変わらないな」
「うん、大嫌い。あと、ゴキブリほどじゃないけどクモも嫌い」
「……そうか」
俺の部屋の窓にくっついていたあの大きなクモを見たら、さっきみたいな悲鳴を上げてしまいそうだ。
「まあ、家で見つけたときは俺が退治するから安心して」
「うん、頼りにしてる。あと……まだ部屋にゴキブリがいるかもしれないから、今日はダイちゃんの部屋で一緒に寝たい」
「もちろんいいよ」
よく、1匹見つけたら他にも何十匹いるって言うしな。100匹いるって書いてあるネット記事もあるほどだ。あと、一度遭遇すると、またすぐに遭遇してしまうんじゃないかと怖くなるのかも。
「あと、何度にゴキブリをホイホイするやつとか、設置型の毒餌があったはずだ。それを部屋の中に置くか」
「……お願いします」
それから、納戸からゴキブリを捕獲するものと、設置型の毒餌を持ってきて、サクラの部屋に置いていく。とりあえず、サクラの部屋のゴキブリ対策はこれで大丈夫だろう。
サクラと一緒に俺の部屋に戻り、ゴキブリを退治してくれたお礼に、サクラからコミュニケーション英語などの課題を教えてもらった。俺の予想通り、サクラは今日の授業で出た課題をマスバーガーにいるときに、友達と一緒に片付けたそうだ。サクラのおかげで、俺も今日出た課題を全て終わらせられた。
お風呂に入ったら結構眠くなってきた。なので、今日は普段よりも早めの時間に、サクラと一緒に寝ることに。
「サクラ。落ちないように壁側で寝な」
「うんっ」
サクラは先に俺のベッドに入り、壁側で横になる。その後に、俺もベッドに入って仰向けの状態になると、彼女は俺の腕をぎゅっと握りしめてきた。そんな彼女はとても嬉しそうで。
「ゴキブリを退治したときのダイちゃん、凄くかっこよかったよ」
「ゴキブリやクモを退治するのは慣れてるけど、かっこいいって言われると嬉しいな」
「本当にかっこよかった。……ありがとう」
サクラは嬉しそうな表情のまま俺に顔を近づけ、俺と唇を重ねる。ふとんがかけられ、サクラの温もりやボディーソープなどの甘い匂いをはっきりと感じるから、帰る途中でキスしたときよりも何倍にもドキドキする。
サクラも同じような気持ちなのか、舌を俺の口の中に入れてきて、俺の舌にゆっくりと絡ませてくる。
「んっ……」
たまに漏れるサクラの甘い声もあって、心臓の鼓動が激しくなり、全身の熱も強くなっていく。
やがて、サクラから唇を離す。今のキスに満足したのか、サクラは幸せそうな笑みを浮かべて俺を見つめてくる。
「とても幸せなキスでした。いい夢が見られそうだよ」
「見られるといいな」
「うんっ。……じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
ちゅっ、と俺から軽くキスすると、サクラは目を閉じた。ベッドのふかふかさや温かさが気持ちいいのか、サクラは程なくして可愛らしい寝息を立て始める。
さっきの舌を絡ませたキスでかなりドキドキしたし、今も……寝間着の隙間からデコルテがチラッと見えてそそられる。昨日、お風呂に入ったときのサクラの妖艶な姿を思い出す。
サクラと恋人になり、早くも何度もキスするようになっている。
だけど、サクラとはもっと先のことをしてみたいと気持ちがあって。ただ、事が事だけに、サクラの気持ちをちゃんと考えないといけない。
「おやすみ」
さっきの舌を絡めたキスの余韻が残る中、俺も眠りにつくのであった。
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