第41話『後輩の兄』

 放課後。

 今日は午後7時までマスバーガーでバイトがある。そして、杏奈の指導をしたり、面倒を見たりするため、これからしばらくの間は基本的に杏奈と一緒にバイトする。ちなみに、羽柴もパールヨタカでバイトがあるそうだ。

 昨日と同じく、昇降口を出るまでに部活のあるサクラ、一紗、小泉さんと別れる。


「今日も校門近くまで部活や同好会勧誘の奴らがいるのかよ……」


 はあっ……と、羽柴は不機嫌そうにため息をつく。


「今日も正面突破で行くぞ、速水!」

「ああ」


 俺は羽柴と一緒に、勧誘チラシを持った生徒達のエリアに正面から突っ込んでいく。

 昨日と同様に、多くの生徒達から部活や同好会の勧誘をされる。勧誘期間も終わりに近づいてきたからか、昨日よりも必死さを感じられる。


「すみません。俺達これからバイトがあるんで」

「お前ら! ここで脚を止めたことが原因でバイトに遅れたら、その責任取ってくれるんだろうな! 俺達はこれから仕事なんだ! お前らとは――」

「そこまでにするんだ、羽柴」


 毎日、放課後になると、ここで勧誘の嵐に遭うことに羽柴は苛立っているのかもしれない。

 ただ、羽柴が大きな声で強い言葉を放ったことが功を奏したようで、今日はあまり勧誘を受けずに、校門の近くまで辿り着けた。


「凄い声を上げていましたね、羽柴先輩」


 校門のところには既に杏奈の姿が。ふふっ、と上品に笑うと、杏奈は俺達に向かって軽く頭を下げる。


「聞こえていたのか。毎日、ああいう勧誘に遭っているから、ちょっと我慢できなくなっちまってさ」

「そうでしたか。あたしも、これからバイトだって言って切り抜けました。今日はそこまで勧誘されませんでしたね」

「そうか。それじゃ、俺は自転車取ってくる」

「ああ。杏奈とここで待ってるよ」


 俺がそう言うと、羽柴は駐輪場の方へ向かっていった。


「そういえば、杏奈は徒歩で通学なのか?」

「はい。家からここまで10分ちょっとで着きますね。近いのっていいですよね。先月、ここを卒業した兄も言っていました」

「お兄さんはここの卒業生だったんだ。近いのがいいのは凄く分かるよ」


 寝坊してしまっても、走れば朝礼までに間に合うから。あと、電車通学の友人が「満員電車に乗るのは疲れる」と聞いたとき、徒歩で通える高校に進学できて良かったと思った。

 あと、先月に卒業したってことは、杏奈のお兄さんと俺は2学年差か。ということは、去年だけ通う時期が重なっていたのか。1年の頃の教室は、3年生の教室とは違う棟にある。四鷹高校の制服姿の金髪男子は……羽柴しか思いつかねえ。会ったことがない可能性の方が高い。あったとしても、マスバーガーで接客したことくらいだろう。


「登下校はいつも駅の構内を通るので、マスバーガーは通学路の途中にあるんです」

「そうなのか。じゃあ、立地的にも最適なわけだ」

「はい」

「2人ともお待たせ。マスバーガーまで一緒に行くか」

「ああ」


 杏奈と羽柴と一緒に俺はマスバーガーに向かう。

 これからしばらくの間、放課後にシフトが入っている日はこれが日常になるのだろう。こうなるとは、1年生の修了式の日には想像できなかったな。

 春の日差しを浴びる中で歩き、体が熱くなり始めたときに、マスバーガー四鷹南口店に到着した。羽柴とはここで別れて、俺は杏奈と一緒に従業員用の出入り口からお店の中に入る。


「やあ、大輝君、杏奈君。一緒に来たんだね」


 スタッフルームに行くと、萩原店長がコーヒーを飲んでゆっくりとしていた。


「こんにちは。放課後にシフトが入っているときは、大輝先輩と一緒に来ることにしているんです」

「なるほど。今日も大輝君と一緒に仕事を頑張って。大輝君に遠慮なく頼ってくれ」

「はい!」

「大輝君も杏奈君に色々なことを教えて、時にはサポートしてほしい」

「分かりました。杏奈、今日はまだ2回目。ここの制服に着替えたら、まずはここで接客するときの言葉遣いとかの復習をしようか。その後にカウンターに出て接客をしていこう。何か疑問があったら、いつでも質問してほしい」

「分かりました!」


 元気のあるいい返事だ。

 シフト表を確認すると、百花さんは昼過ぎからシフトが入っていて、あと1時間くらいで終わるのか。

 マスバーガーの制服に着替えた後、スタッフルームでマニュアルを使って言葉遣いなどの復習をしていく。

 日曜日に接客をたくさんしたからなのか、杏奈は結構覚えておりスラスラと言えている。この前もメモを取っていたし、家で復習していたのだろうか。俺が新人の頃は忘れて言葉に詰まってしまったり、噛んでしまったりすることもあった。俺よりも遥かにポテンシャルのある子だと思う。俺が指導係はすぐに終わりそうだ。


「うん、よく覚えているね。じゃあ、カウンターに行って今日も接客してみようか。今までに何度もお客さんとして来ているから分かっているかもしれないけど、今の時間帯は学校帰りの子とかが結構来るんだ」

「そうでしたね。放課後にここに来ると、制服姿の人がたくさんいたのを覚えてます」

「そうか。たくさん来るけど、1組ずつ落ち着いて接客していけば大丈夫だよ。俺も側にいるし」

「分かりました。よろしくお願いします、先輩」

「うん。じゃあ、カウンターに行こう」


 杏奈と一緒にカウンターへと向かう。いつも通り、制服姿の子を中心に若いお客さんが多いな。


「杏奈ちゃん、大輝君、お疲れ様」

「お疲れ様です、百花さん」

「お疲れ様です、百花先輩」

「今日も杏奈ちゃん頑張ってね! 大輝君もちゃんと面倒見たり、指導したりしていってね」


 1時間くらいでも百花さんがカウンターにいてくれると安心だ。

 今日は空いていた百花さんの隣のレジを使うことに。

 接客のお手本として2組ほど俺が接客をし、杏奈と交代。彼女のすぐ後ろに立って接客の様子を見守ることに。


「店内でお召し上がりですか?」


「ドリンクはアイスコーヒーですね。ガムシロップとミルクはお付けしますか?」


「こちらのセットにするとお得になりますが」


 今日がバイト2回目とは思えないほどに接客が上手だ。快活な性格であることや、ここの常連客なのが大きいのかな。

 次々に来るお客さんに、杏奈は明るい笑顔で接していく。『研修中』のバッジをつけているからか、頑張ってねという言葉をいただくこともある。

 ピークを過ぎて来店するお客さんの数が落ち着き始めた頃だった。


『いらっしゃいませ』

「……頑張っているな、杏奈」


 杏奈にそんな言葉をかけるのは、ジャケット姿の金髪の若い男性。メガネをかけている。この特徴は……もしかして。


「お、お兄ちゃん!」


 やっぱり、杏奈のお兄さんだったか。

 メガネをかけているけれど、結構なイケメンだと分かる。メガネを外して羽柴と並ばせたら兄弟だと間違える人もいそうだ。


「入口のところから接客している姿を見ていたけど、ちゃんとやっているじゃないか。安心した」

「すぐ近くに大輝先輩がいるからだよ。大輝先輩、こちらがあたしの兄です」

「そうなんだ。初めまして、速水大輝といいます。四鷹高校に通う2年です」

「妹の杏奈がお世話になっています。小鳥遊勇希ゆうきです、初めまして。東都科学大学の1年だ。杏奈から聞いているかもしれないけど、四鷹高校のOBなんだ」

「OBだったことについては、さっき杏奈から聞きました。ただ、部活や委員会に入っていないので、今日まで全然知りませんでした。ここで接客したかもしれませんけど」


 正直に言うと、小鳥遊先輩は「ははっ」と爽やかに笑う。その笑顔は羽柴と重なる部分がある。


「俺、高校ではサッカー部に入っていてさ。去年も何度か、引退するまでに部活の奴らと一緒にここへ来たことあるよ。速水君に接客してもらったこともある。杏奈がここの常連で、速水っていうかっこいい店員がいる話を聞いていたから、顔を覚えていたよ」

「お、お兄ちゃんっ!」


 大きめの声を上げると、杏奈は今までの中で一番と言っていいほどに顔を赤くする。恥ずかしいのか俺のことをチラチラと見てくる。


「ご家族にも話していたんだね」

「まあ、大輝先輩とは何度も話していましたからね。食事の話題にさせてもらうこともありました。そうしたら、母がさっそくお店に行きましたね。先輩のことをかっこよくて素敵だと言っていましたよ」

「そ、そうだったんだね」


 こういう類いの話を聞くと、ちょっと有名人になった気分だ。

 小鳥遊先輩だけじゃなくて、お母様にも接客していたのか。杏奈のお母様はやっぱり金髪なんだろうな。そういえば去年、とても可愛らしい金髪の女性を接客した気がする。


「初バイトの日曜日に、様子を見に行こうと思ったのだが、大学のサッカーサークルの集まりがあって行けなかったんだ。それで、今日来たんだよ」

「そういえば、土曜日はサークルを休もうか悩んでいたよね」

「杏奈にとって初めての労働だからな。どういう感じが気になって。……俺から見たらよくやっていると思うけど、速水君から見て杏奈はどうだ?」

「よくやっていますよ。2度目のバイトとは思えないほどです」

「そうか。学校でも先輩だから、バイト以外のことでも力になってくれると嬉しい。速水君なら大丈夫だと信じているんだ。これからも妹のことをよろしくお願いします」


 小鳥遊先輩は俺に向かってしっかりと頭を下げる。ここまでするなんて、本当に妹想いのお兄さんだな。あと、男の俺にこんなことを言うとは。そんなにも、杏奈が俺のことをたくさん話していたのだろうか。


「もちろんです。こちらこそよろしくお願いします」

「よろしくお願いしますね、先輩。……ここはお店だから接客するね。店内で召し上がりますか? お持ち帰りですか?」

「おおっ、杏奈が接客している……」


 小鳥遊先輩……感動しているように見える。その様子を見て、去年、俺が初めて和奏姉さんに接客したときのことを思い出した。これが普通のリアクションなのだろうか?


「ど・ち・ら・で・す・か?」

「あっ、持ち帰りで。この後、サークルの集まりがあるからさ。それまでは友達と大学で課題やるつもりなんだ」

「そうなんだ。お持ち帰りですね。ご注文は何になさいますか?」

「じゃあ、アイスコーヒーの……杏奈が初めて接客してくれているからLサイズで」

「アイスコーヒーのLサイズですね。ガムシロップとミルクはいりますか?」

「両方1つずつくれ。以上で」

「確認いたします。アイスコーヒーのLサイズ、ガムシロップとミルクを1つずつですね」

「ああ」

「360円になります」


 杏奈は小鳥遊先輩から代金を受け取ると、注文されたLサイズのアイスコーヒーを用意していく。その様子を先輩がじっと見ている。

 杏奈に接客されたことに感動したり、初バイトの日にあるサークルを休もうかどうか悩んだり……シスコンの気がありそうだな。和奏姉さんや一紗もそうだけど、俺の周りには弟や妹好きの人が多くない? 俺も妹がいたらシスコンになっていたのかな?


「お待たせしました。アイスコーヒーのLサイズになります」


 杏奈はアイスコーヒーとガムシロップ、ミルクの入った紙の手提げを小鳥遊先輩に渡す。先輩はいい笑みを浮かべている。


「ありがとう。じゃあ、残りのバイト頑張れよ。速水君も」

「ありがとうございます。またお越しくださいませ」

「またね、お兄ちゃん」

「おう」


 小鳥遊先輩は爽やかな笑顔を浮かべながら手を振って、お店を後にした。


「まったく、お兄ちゃんったら」


 そう呟くけど、杏奈の顔には笑みが浮かんでいた。

 お兄さんが来たことで元気をもらえたのだろうか。その後も、杏奈は笑顔を絶やすことなく接客するのであった。

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