第34話『始まりの雨』

 4月13日、月曜日。

 今日からまた一週間が始まる。新年度になってから、月曜日から授業があるのは今週が初めて。なので、いつもより新しい一週間の幕が開ける雰囲気が強い。

 また、今日は起きたときから雨が降っている。夕方まで降り続くそうだ。雨が降ったのは春休み中の雷雨以来かな。雨は嫌いじゃないし、ひさしぶりに聞く雨音が心地いい。


「いってきます」

「いってきまーす」

「いってらっしゃい、大輝、文香ちゃん」


 今日もサクラと一緒に、高校に向かって歩き始める。

 家の中で一緒にいる時間を過ごしているときはもちろんだけど、こうして一緒に玄関を出るのも、サクラと同居していることを実感できる。幸せだなぁ。このことにも段々と慣れてくるだろうけど、幸せに思える気持ちはいつまでも持っていたい。


「4月も半ばになったけど、雨が降ると寒いね」

「そうだな。陽差しがあるかどうかで結構違うよな」


 最近は晴れる日が多く、陽差しに当たると暑いと思うほどだった。なので、この肌寒さは季節が冬へ逆戻りしたかのように思わせる。はあっ、とため息をつくサクラの吐息は若干白い。


「昔ほどじゃないけど、月曜日ってあんまり好きじゃないな。ダイちゃんと一緒に登校したり、学校で友達に会えたりするのはいいんだけど、授業がね……」

「休み明けって気持ち的に沈むよな」


 休日はゆっくりと起きることが多いから、早く起きて学校に行くのが辛い。高校生になってからは、バイトがあると休日でも早めに起きるからまだしも、中学生までは月曜日の朝は辛かったな。サクラと距離ができてしまった直後は特に。

 大学生になったら、月曜日の1限には講義を入れないようにしよう。でも、そういう時間帯に限って、必修科目がありそうで怖い。

 社会人になったら……考えないでおこう。

 そういえば、父さんは月曜日の朝でも元気がないことは全然ないな。今朝も普通だった。あれは性格なのか。それとも、社会人生活の積み重ねによるものなのか。


「でも、今週は金曜日が健康診断で授業がないんだ。だから、実質木曜日までだな」

「あぁ、確かに!」


 ぱあっ、とサクラは明るい笑顔を見せる。今週の週末は実質3連休みたいなもんだからな。俺も気持ちが明るくなってきたぞ。

 しかし、サクラの笑顔はすぐに消え、ため息をつく。


「ど、どうしたんだ?」

「……健康診断。2年生でもきっと採血があるんでしょ? 私、予防接種はまだしも、採血は苦手。去年は採血したときに気分悪くなったし……」

「そ、そうか」


 そういえば、去年の健康診断……青白い顔をしたサクラが友達に支えられながら帰っていく姿を見たな。

 中1まで、インフルエンザの予防接種をサクラと一緒に受けることが多かった。小さい頃、サクラが注射されるときは涙を浮かべ、俺や和奏姉さんの手を握っていたな。

 あと、採血といえば、羽柴もかなり苦手だったな。出席番号が俺の一つ前だし、あいつは体をガクガク震わせていたから、あいつの体を押さえて採血させた思い出がある。

 ちなみに、俺は採血には特に恐怖を感じない。注射針を刺されると痛いけど、それは予防接種のときと変わらないし。


「ねえ、ダイちゃん。採血って1年生だけで、2年生と3年生はないってパターンはない? 血の状態なんて、1年や2年くらいじゃ全然変わらないでしょ?」


 俺に救いを求めるような視線を送るサクラ。本当に採血が嫌なんだな。


「父さんも毎年、会社での健康診断を受けているよ。確か、法律で年に1度、定期的に健康診断を受けるように義務づけられていた気がする。だから、高校生でも1年に1度くらいは採血した方がいいんじゃないか」

「……確かに、うちのお父さんも年に1度、健康診断を受けていた気がする。あと、そのときは腕に貼ってある絆創膏を剥がしていたような」

「そうか。……あと、記憶が正しければ、和奏姉さんは2年生のときも3年生のときも、採血されるとゴールデンウィークが近づくとか言っていたな。姉さんとは3学年しか違わないし、きっと俺達もあるんじゃないか」

「……だよねぇ」


 はああっ……とサクラは深―いため息をつく。もしかしたら、今週は採血が終わるまでテンション低めかもしれないな。

 しかし、何を思ったのかサクラは俺に笑顔を見せてくれる。


「ごめんね。月曜日の朝からこんなにため息ついちゃって。話題を変えよう」

「そ、そうだな。……あ、雨はひさしぶりだよな。春休みの雷雨以来か。学校のある日だと、1ヶ月ぶりくらいじゃないか?」

「そうだね。学年末試験が終わった直後の頃だったと思う。そのときはダイちゃんの家に住まないかって勧められたときだったかな。そのときは、まさか、今の時期にダイちゃんと楽しく登校しているとは思わなかったよ。もちろん、一緒に住んで、仲直りしたいとは思っていたけどね」

「ははっ、そうか」


 修了式の日まで、サクラが俺の家で一緒に住むことを知らなかった。だから、こういう時間を送れるようになるとは想像もしなかったな。


「そういえば、小学生の頃はたまに、帰るときに相合い傘をしていたよね。私が傘を忘れちゃって」

「午後から雨を降った日に何度もあったな」

「ダイちゃんはちゃんと折りたたみ傘を持っていたもんね。和奏ちゃんと一緒に相合い傘したときもあったし、3人で相合い傘したときもあったよね」

「あったなぁ」


 和奏姉さんが小学生のときは、3人で相合い傘をしたことがあったな。狭すぎて誰かが普通に濡れる羽目になったけど。


「ね、ねえ。ダイちゃん」


 俺の名を呼ぶと、サクラはその場で立ち止まる。薄暗いけど、彼女の頬がほんのりと赤くなっているのが分かった。


「サクラ、どうした? 顔がちょっと赤いから、熱っぽいのか? 今日になって急に肌寒くなったし。昨日はサクラもバイトしたからさ」


 春休み中、サクラは季節外れの雪が降った翌日に風邪を引いた。そのときは、雪が降るほどの寒さになったことや、引っ越し作業や新しい環境での生活での疲れが溜まっていたことが原因と思われる。あのときは雪遊びで盛り上がったし。


「ううん、体調は大丈夫だよ。ひ、ひさしぶりに相合い傘しない? もちろん、ダイちゃんさえ良ければだけど。私は部活があるから、今日は一緒に帰れないし。ダイちゃんバイトないから、もし待ってくれていたとしても、夕方には雨が止んじゃうかもだし」


 俺をチラチラ見ながらそう言ってくるサクラ。色々と理由を付けるってことは、俺と相合い傘をしたい気持ちが強いのかもしれない。それを言ってしまったら、さらに顔が赤くなって、本当に体調が悪くなってしまうかもしれないので言わないけど。


「いいよ。相合い傘するか。……昔みたいに、俺の傘に入るか?」

「……うん!」


 嬉しそうな笑顔を浮かべ、サクラは首肯する。自分の傘を閉じると、俺の傘の中に入ってくる。そのことでサクラの甘い匂いがふんわりと香る。周りにちらほらと人は見えるけど、傘の中はプライベートな空間に思える。

 サクラが傘のネームバンドを止めたのを確認し、俺達は再び学校に向かって歩き始める。


「何か、長い傘を持っているのに、ダイちゃんと相合い傘をしていると変な感じがする。相合い傘っていつ以来かな? 中学に入ってからはあったっけ?」

「どうだったかなぁ。ランドセルを背負ったサクラが、俺の傘の中に入ってくる記憶が強いからさ」

「小学生のときはたくさん忘れていたもんね」


 数え切れないほどにサクラとは相合い傘をしたけど、それは嫌じゃなかった。特に彼女に好意を抱いていると分かってからは。

 そんな思い出を振り返っていると、傘の柄を掴んでいる左手から温もりを感じる。そちらを見ると、サクラが俺の左手に手を添えていたのだ。


「……ど、どうして掴むんだ?」

「へっ? ええと……傘に半分入れさせてもらっているから、傘を持つのをお手伝いしようかなって。でも、高さ的にちょうどいいのがダイちゃんの手で。こ、これじゃ一緒に持っているって言わないよね!」


 あははっ、と声に出して笑うサクラ。そんな彼女の顔はさっきよりも赤くなっている。サクラの想いが分かって、左手に感じる温もりが強くなった気がする。


「俺は持っている感じがするけどな。それに、今日は肌寒いから、サクラの手の温かさがちょうどいい。持ち続けると疲れるけど、疲れが取れていく感じもするし。だから、傘持ちのお手伝いになっているよ。ありがとう」

「……そ、それは良かったです」


 なぜか敬語で話すと、サクラは「えへへっ」と照れくさそうに笑う。

 こうしていると、これからたまにはこういう感じで登校することもあるのかなって思う。今のままだと分からないけど、もし恋人になれたらその可能性は高くなりそうだ。

 気付けば、四鷹高校の校舎が見えてきた。俺達の周りには学校に向かって歩く生徒が何人も。


「あれ、カップルかな?」

「いいねぇ」


 といった声が聞こえてくる。周りを見てみると、相合い傘をするカップルや、相合い傘はしていないけど手を繋いでいるカップルもいる。俺達とは限らないようだ。


「だ、誰のことをカップルって言っているのかな? もしかして、私達かな? 一緒の傘に入っているし、ダイちゃんの手を掴んでいるし、私は長い傘を持っているし……」

「カップルに見られている可能性はあるだろうな」

「やっぱりあるよね」


 そうだよね、と呟くサクラの赤い顔には笑みが。第1教室棟に到着して俺が傘を閉じても、その赤みや笑みは残っていたのであった。

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