第31話『歓迎会-前編-』

「このアパートだよ」


 マスバーガー四鷹駅南口店を出発してから20分ほど。

 俺達は百花さんの自宅があるアパートの前に辿り着いた。淡い桃色の外観が特徴的だ。全部で……10部屋あるのか。アパートの側面にアパート名と思われる文字が描かれた看板が飾られている。描かれている文字は『ローゼムサシ』。そのままだな。

 ちなみに、ここまで20分ずっと歩いたのではなく、百花さんの自宅近くにあるスーパーでお菓子や飲み物を買ったのだ。今日からバイトを始めた杏奈の歓迎会なので、代金は先輩である百花さんと俺が支払った。その際に杏奈からお礼を言われたときが、今日の中で最も先輩になったと実感できた。


「桃色でとても可愛らしい外観ですね!」

「興奮しているわね、文香さん。桃色が大好きだものね」

「このアパートでしたか。友達の家へ遊びに行くときにこのアパートを見ますね。何度か、若い女性が出入りするところを見たことがあります」

「ここは女子大生や独身の若い女性社会人向けのアパートなの。あたしの通っている日本芸術大学はここから徒歩2分だし、東都科学大学も7、8分くらいのところにあるからね」


 近辺に大学が2つあり、最寄り駅の四鷹駅まで女性でも10分あれば辿り着ける距離にある。だから、若い女性向けのアパートがここに造られるのも納得かな。淡い桃色の可愛らしい外観はそれが理由なのかもしれない。

 百花さんの案内で、彼女の住んでいる201号室へ向かう。

 階段を上がったところから見える景色は、地上よりも少し広い。この地域にはあまり足を運んだことがないから、ちょっとした旅行気分を味わえている。


「さあ、どうぞ」

『お邪魔します』


 俺達は百花さんの自宅に入る。

 女性の部屋に入ったことはあるけど、和奏姉さん以外の一人暮らしの女性の自宅に入るのはこれが初めて。だから、ちょっと緊張する。俺は女性4人についていく形で、百花さんの部屋に足を踏み入れた。


「素敵……」


 サクラがそんな声を漏らす。

 広さは俺やサクラの部屋よりも少し狭いくらいだろうか。一人暮らしをするには十分な広さなのかなと思う。

 部屋の中を見渡すと、落ち着いていて温かな雰囲気が感じられる。白や暖色系の家具やシーツが多いからだろうか。ほんのり甘い匂いが感じられる。それは元々部屋にある匂いなのか。それとも、近くにいる4人の女性から感じられるものなのかは定かではない。どちらにせよ、俺にとっては落ち着けるいい匂いだ。

 壁には額縁に入った絵画や、人気の百合アニメのポスターも飾られている。これだけで、百花さんらしい部屋だなと思える。


「テーブルの周りにでも適当に座って。でも、5人か。あたしがベッドか椅子に座ればいいのかな」

「その必要はありませんよ、合田さん。大輝君、そこに座ってくれる? 両脚とも立て膝にしてくれるかしら」

「ああ、分かった」


 お菓子や飲み物の入ったレジ袋をテーブルに置き、俺は一紗の指示通りに両脚を立て膝の形で座った。


「こんな感じでいいか?」

「ええ。それで、私が……」


 そう言うと、一紗は持っていた紺色のトートバッグを部屋の端に置き、一紗は俺の両脚の間に座り、背中を俺の前面にくっつけてきた。その瞬間に一紗の甘い匂いがふんわりと香ってくる。


「あぁ……素晴らしい座り心地だわ。大輝君の温もりや匂いを感じられるから、史上最高の背もたれね!」


 普段よりも高い声でそう言うと、一紗は顔だけ俺の方に振り返ってくる。そんな彼女は幸せそうな笑顔を浮かべている。そのことにドキッとしてしまう。一紗はこれがやりたくて、俺に立て膝の姿勢で座ってくれと言ったのか。

 周りを見てみると、サクラはほんのりと頬を赤くし、杏奈は苦笑い、百花さんは普段の明るい笑みを浮かべながら俺達を見ている。


「か、一紗ちゃん……」

「まあ、大輝先輩に座るのを指示した時点で、何となく想像できましたけどね」

「あははっ。そういう座り方をするなんて。もしかして、一紗ちゃんは大輝君のことが好きなのかな?」

「はいっ! 告白してフラれましたけど!」

「元気にそう言えるとは。一紗ちゃんは強いね」

「フラれても大輝君とはお友達になれましたからね。それに、彼は誰とも付き合っていませんし」


 ふふっ、と一紗は上品に笑う。百花さんの言う通り、一紗は強かな女性だと思う。フラれたとはいえ、俺に好きな気持ちを伝えているからだろうか。


「大輝君、体もそっちに向けようか? 大輝君なら私の胸を――」

「はーい、一紗ちゃん。そこに座って幸せな気持ちは分かるけど、これで終わりね。私と隣同士に座ろうね」

「えぇ~」

「そんなにくっついていたら、ダイちゃんがお菓子を食べたり、飲み物を飲んだりしづらいと思うよ」

「文香先輩の言う通りかと」

「……確かにそうね。大輝君、ありがとう。幸せなひとときだったわ」

「ど、どうも」


 サクラに差し出された左手を掴み、一紗はゆっくりと立ち上がる。初めて来た場所でもこういうことができるなんて。本当に一紗は強いと思うよ。

 サクラの言ったとおり、俺の右斜め前にサクラと一紗が隣同士に座る。ちなみに、一紗が俺の近くにいる。左斜め前に杏奈、テーブルを挟んで向かい合う形で百花さんが座る。

 袋からお菓子や飲み物を出す。こうしてテーブルに広げてみると、結構な量のお菓子を買ったな。一度にこんなに食えるのかと思ったけど、この4人がいれば大丈夫そうかな。大食いで甘いもの好きの一紗がいるし。それに、杏奈もマスバーガーでは、アップルパイやタピオカドリンクを頼むこともあったし。

 スーパーで選んだ飲み物を百花さんが渡していく。ちなみに、俺はボトル缶のブラックコーヒー。


「全員、飲み物を持ったね。これは杏奈ちゃんの歓迎会だし、乾杯の音頭を取った方がいいかな」

「あってもいいんじゃないでしょうか」

「……やってみる? 大輝君。杏奈ちゃんの指導係なんだし」

「俺がですか? まあ、こういうことは全然経験がないので、上手くできるかどうかは分かりませんが……やってみます」


 俺はボトル缶のコーヒーを持って、ゆっくりと立ち上がる。だからか、4人は俺に向かって拍手を送ってくれる。主役は杏奈なので、何だか申し訳ない気分。

 ただ、やってみるとは言ったものの、いい言葉が全然思いつかない。この前のお花見で母さんが音頭をとっていたけど。さて、どうしたものか。勢いで立っちゃったけど、何も言わずに座るのはかっこ悪い。


「……あ、杏奈。今日の初バイトお疲れ様でした」

「お疲れ様です、大輝先輩」

「今まではお客さんとしてだったけど、これからは同じ従業員としてよろしく。百花さんや俺達と一緒に頑張っていこうね」

「はい!」

「これから杏奈の歓迎会を始めます。それではみなさんご一緒に! 乾杯!」

『かんぱーい!』


 4人は元気よくそう言ってくれた。勢いでやったけど、どうやら、いい乾杯の音頭をとることができたようだ。

 持っているコーヒーのボトル缶を、杏奈達の持っているボトルや缶に当ててコーヒーをゴクゴクと飲む。


「あぁ、一仕事終えた後のコーヒーは美味い」

「お疲れ様、大輝君。いい音頭だったわ」

「そうだったね。お花見のときの優子さんの音頭も良かったし。これは遺伝なのかな?」

「お母様譲りなのね」


 そう話しながら、サクラと一紗はクッキーをつまむ。

 乾杯の音頭に遺伝ってあるのか? あと、父さんに似ていると言われたことは何度もあるけど、母さんの方はあんまり言われたことないな。


「いい乾杯の音頭でした、大輝先輩」

「主役にそう言ってもらえて良かったよ。ただ、俺の歓迎会のとき、百花さんは乾杯の音頭ってとりましたっけ? これからよろしくって言って、グラスを軽く当てただけだった気がしましたけど」

「2人きりだったし、場所も喫茶店だったからね。今回はあたしの家だし、5人もいるから音頭をとった方が面白いかなって思ったの。いやぁ、いい音頭だったよ、大輝君」

「ありがとうございます」


 百花さんは満足げな様子でえびせんべいを食べる。歓迎会を企画したのは百花さんだし、会場も百花さんの自宅だし、百花さんが一番の先輩だから彼女が音頭をとっても良かった気がするけど……まあいいか。指導係は俺だし、これからバイトで一番関わるのは俺になるだろうから。


「杏奈も遠慮せずにお菓子食べてね」

「はい! いただきます。じゃあ、まずはあたしが選んだいちごマシュマロを……」


 そう言って、杏奈はいちごマシュマロを一つ食べる。口に入れて一度噛んだ瞬間に、杏奈はとても可愛らしい顔を浮かべる。


「うん、美味しい!」

「美味しいよな、それ。カゴに入れたのは杏奈だったんだね」

「そうです。このいちごマシュマロは小さい頃からよく食べていて。先輩はそのチョコレートマシュマロを手に取っていましたよね」

「ああ。俺もマシュマロが結構好きでさ。特にこのチョコレートマシュマロは小さい頃から好きで」

「そうなんですね。あたしもたまにチョコマシュマロ食べますよ。美味しいですよね」

「美味いよなぁ。こっちも遠慮なく食べてね」

「はい。では、さっそく」


 俺は杏奈と一緒にチョコレートマシュマロを食べる。あぁ、マシュマロ甘いなぁ。チョコレートソースがほんのりと苦いのもたまらない。バイトの疲れが抜けていく。


「美味しい」

「美味しいですね。……本当に好きなんですね、大輝先輩。いい笑顔を浮かべて」


 ふふっ、と杏奈は楽しげに笑う。好きなものや美味しいものを食べたら、自然と笑顔になると思うんだけどな。


「そういえば、この前遊んだときも、大輝君はチョコレートマシュマロを買っていたわね」

「ダイちゃんは昔からマシュマロ好きだからね。私は甘いもの全般好きだけど、マシュマロだけはダイちゃんに敵わないよ」

「そうなのね」


 一紗はチョコレートマシュマロを一つ食べる。すると、一紗はとても柔らかな笑顔を見せるように。


「大輝君が好きだって分かったからか、今までのマシュマロの中で一番美味しいわ」

「もう大げさなんだから、一紗ちゃんは。……私も食べようっと」

「あたしはチョコといちごを一度に食べるよ!」

「あたしも小さい頃にそれやりました、百花先輩。真似します」


 杏奈と百花さんは、いちごマシュマロとチョコレートマシュマロを一度に食べる。いちごとチョコの混ざった味が好みなのか、2人とも凄く嬉しそう。百花さんが右手を挙げると、杏奈とハイタッチした。可愛いバイトの先輩と後輩だなぁ。

 それにしても、マシュマロでここまで話が盛り上がるとは。マシュマロは正義ってことでいいか。

 そういえば、俺、今までマシュマロを何個食べてきただろう。小さい頃にサクラ達と遊んだときも定期的に食べていたし、中学以降は試験勉強や受験勉強の休憩のときに食べることもあったから。コーヒーにも合うし。……4桁は食ってるかな。

 俺は杏奈の選んだいちごマシュマロを一つ食べる。いちごソースの甘酸っぱさがちょうどいい。親しみのある味には安心感がある。そんなことを思いながら、もう一度、いちごマシュマロの袋に手を伸ばすのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る