第19話『初週の終わり』
午後の授業になると、一紗はいつも通りの雰囲気に戻る。時々、一紗と目が合うと美しい笑顔を見せてくれ、何度か小さく手を挙げるときもあって。そんな一紗を見て安心した。
放課後。
これからバイトがあるとはいえ、今週の学校生活が終わった開放感に浸っている。明日はサクラと2人きりでお出かけするからだろうか。
今日も羽柴と一緒に下校。ただ、今日は羽柴もタピオカドリンク店でのバイトがあるため、マスバーガーの前で彼と別れた。
そういえば、彼のバイトしているお店は最近あまり行っていなかったな。サクラは甘いもの好きだから、明日のお出かけ中に行ってみるのも良さそうだ。
従業員用の入口からマスバーガーに入る。
スタッフルームに行くと、今日も萩原店長がホットコーヒーを飲んでいた。思えば、今日のように放課後になってすぐに出勤すると、店長がスタッフルームで休憩していることが多い。午後3時台に休憩しようと決めているのかな?
「学校お疲れ様、大輝君。今日もよろしく」
「はい、よろしくお願いします。すぐに着替えて、ホールへ行きますね」
「ああ、頼むよ」
ふっ、と店長は笑う。左手を腰に当てながらコーヒーを飲む姿は何ともダンディズム。ホールで飲んで味わい深い声で一言「美味い」と言えば、コーヒーや紅茶の注文が増えるんじゃないでしょうか。
ロッカールームでお店の制服に着替え、ホールへと向かう。その途中で、スタッフルームに貼ってあるシフト表を見ると、百花さんは午前中からお昼過ぎまでシフトが入っていたようだ。金曜日だしサークルの呑み会でもあるのかな。
フロアに到着し、カウンターに行くとそれまで接客をしていたベテランの女性の先輩と交代する。
平日の夕方なのもあり、制服姿の若い人中心に多く来店される。もちろん、その中には四鷹高校の生徒もいて。
ただ、常連の小鳥遊さんは来店していない。今まで2日連続で来ることはそこまで多くなかったけど。ただ来ないだけなのか。それとも友達に誘われて、どこか部活や同好会を見学しているのかな。
ほぼ絶え間なくお客様が来るので、時間の進みが早い。一段落したときには、午後5時半過ぎになっていた。
「少し落ち着いたな、速水」
「そうですね」
隣のカウンターに立っている男性の先輩クルーにそう言われる。
金曜日で今週の学校生活や仕事が終わった人が多いのか、心なしか昨日よりもテーブル席に座っているお客さん達の表情が明るい。いいですよね、金曜日って。
「いやぁ、今年も春がやってきたねぇ」
ホールに現れると、萩原店長は微笑みながらそんなことを言ってきた。春がやってきたってどういうことだ? 春休みが終わって、制服姿の子がたくさん来店するようになったからなのかな。
店長が現れたことで、年代問わず一部の女性客から黄色い声が。店長は「ははっ」と笑い、軽く頭を下げた。手まで振っちゃって。これじゃまるでアイドルじゃないか。
「大輝君。今日はまだ一度も休憩を取っていないだろう。休憩に入りなさい」
「分かりました。では、休憩に入ります」
俺はスタッフルームに戻り、アイスコーヒーを飲みながら休憩をする。
一紗……いや、朝生美紗さんの作品『間の僕ら。』をスマホで読む。中盤になり、ラブコメのラブの要素が強くなってきて、より面白くなってきた。読みやすい文章だし、このままだと休憩時間なのを忘れてしまいそうだ。なので、1話だけ読む。
「小説を書けるとはなぁ。凄い」
この前、サクラと羽柴と朗読した『白濁エスプレッソ』も、何だかんだ惹き込まれる内容だったし。印象的な台詞もあった。物語を思い浮かべて、それを文字に書き起こせるのはとても凄いと思うよ。人気のある作品を書ける人はなおさら。いつか、一紗は商業デビューできるんじゃないか?
アイスコーヒーを飲みきった俺は、再びホールに戻り、カウンターでの接客の仕事を行う。
午後6時を過ぎて、スーツ姿やオフィスカジュアルな服装の人も来店してくる。北口の方を中心に四鷹駅の周りにはオフィスビルがいくつもあるから、恐らく仕事帰りなのだろう。そんな中、
「来たわよ。お疲れ様、大輝君」
「お疲れ様、ダイちゃん」
部活帰りのサクラと一紗が来店する。好きな人と友人が来てくれると嬉しいものだ。途中、休憩を挟んだものの、これまでのバイトの疲れが飛んでいく。
「いらっしゃいませ。帰りが一緒になったのか?」
「昇降口で一紗ちゃんと会ってね。ダイちゃんは7時までバイトしているって話したら、顔を出そうって話になって」
「大輝君の顔をまた見れば、今週の学校生活が気持ち良く締められると思って」
「ははっ、そっか。バイト中に2人が来てくれて嬉しいぞ。店内でお召し上がりですか?」
「持ち帰りで」
「私はダイちゃんの顔を見たかっただけだから」
店員としては何か注文してくれると嬉しいけど、個人的には俺の顔が見たいだけでここに来てくれたのはとても嬉しい。
「では、一紗。ご注文をどうぞ」
「アイスティーのSサイズを一つお願いします。シロップを一つ付けてください」
「アイスティーのSサイズですね。そういえば、一紗って紅茶を飲むことが多いよな。コーヒーって飲まないのか?」
「コーヒーはあまり得意じゃないの。せいぜいカフェオレくらいね」
「そうなんだ。何だか意外だね」
俺も同感だ。一紗のような人は、コーヒー好きで、特にブラックを好んで飲むイメージがあったから。
こほん、と一紗は可愛く咳払いをすると、真剣な表情になって俺を見てくる。
「あと、もう一つ注文したいものがあるの」
「何でしょう?」
「大輝君をお持ち帰り。それか、大輝君にお持ち帰りされる」
「……は?」
真面目そうな様子からは想像もできないような変な注文をされたので、思わず間の抜けた声が出てしまう。
「ここに来るまでの間、文香さんに週末はどう過ごすのか訊いたら、明日、2人きりでおでかけをするって聞いて。ひさしぶりのお出かけらしいから、私はこっそりついていくつもりはないわ。玉子焼き作りの練習もするし。だから、せいぜい今夜は大輝君をお持ち帰りするか、お持ち帰りされるかしたいなって思って。明日は学校ないし……」
えへへっ、厭らしさも感じられるような声で笑う一紗。お店でこういうことを言えるなんて。そんな彼女の横で苦笑いをするサクラ。
そういえば、明日はサクラと2人で出かけることを、両親以外には誰にも言ってなかったな。一紗のことだから、明日はこっそりと俺達の様子を見ていそうな気がするが……友人の言葉を信じよう。
「それで、いくら出せばお持ち帰りできるのかしら?」
「マスバーガーではそんな商品は扱っていません」
「……そうなの。残念ね」
はあっ、と残念そうにため息をつく一紗。そういう反応をするってことは、割と本気でお持ち帰りかお持ち帰りされるのを望んでいたようだ。いつか本当にそんなことになってしまいそうで怖い。
「あと、日曜日はシフトが入っていると文香さんから聞いたわ」
「ああ。午前9時から午後2時までだったかな。もし良かったら来てくれ」
「分かったわ。たまに、休日は喫茶店で小説を執筆することもあるの。窓側のカウンター席なんて執筆環境に良さそう」
「かっこいいね、一紗ちゃん」
「まさに小説家って感じだな」
「アマチュアだけれどね。……今日はアイスティーだけにするわ」
「かしこまりました」
一紗から代金を受け取り、彼女の注文したアイスティーのSサイズを用意する。
アイスティーとガムシロップを渡すと、一紗は入口近くのゴミ箱のところでシロップ入りのアイスティーを作る。
「あと30分くらいで終わるみたいだから、ダイちゃんのことを待ってるね。近くのお店に行って時間潰したりして」
「分かった。じゃあ、午後7時過ぎに従業員用の出入口のところで」
「うんっ。じゃあ、最後まで頑張ってね」
サクラはそう言うと俺に小さく手を振って、一紗と一緒にお店を後にする。
1年生のときも、部活帰りに手芸部の友人と一緒に来てくれたことはあったけど、俺のバイトが終わるまで待ってくれることは一度もなかった。だから、とても嬉しいし、残りのバイトもやる気になる。
ただ、楽しいことが待っていると分かった途端、この残り30分がとても長く感じた。
午後7時過ぎ。
バイトが終わり、従業員用の出入口から外に出る。陽もすっかりと暮れたからか空気が肌寒いな。
「ダイちゃん、お疲れ様」
「お疲れ様、大輝君」
そこにはサクラと一紗の姿があった。予定がなく、サクラと話していると楽しいからと一緒に待ってくれていたそうだ。2人でお互いに入っている部活の話などをしていたとか。
あと、サクラはたまに一紗の買ったアイスティーを分けてもらったそうで。百花さんが聞いたら興奮しそうな内容だ。
一紗を四鷹駅の改札口まで送り、俺とサクラは帰路に就く。この時間、駅から少し歩いて住宅街に入ると、人通りは一気に少なくなる。
「あっという間に高2最初の1週間が終わったね」
「そうだな。授業は木曜日からだったし。でも、振り返ると……盛りだくさんな1週間だった気がする」
「……確かに。一紗ちゃんと同じクラスになったのが、今週の月曜日だとは思えないくらい。もっと前な気がするよ」
「例の事件からも1週間経っていないもんな」
それだけ、高校2年生になってからの学校の日々が濃い証拠なのだろう。
一紗に告白され、一緒に1日遊び、マスバーガーで俺のバイトの様子を見守られ、俺の家に来てベッドを堪能され、玉子焼きになれなかった炒り卵を食べ……思い返すと色々なことがあった。一紗がいなければ、ここまで濃厚な時間は過ごさなかったかもしれない。
「今週の一紗ちゃんのことを思い出していたでしょ」
「今の話の流れだとな。彼女のおかげで一日一日が濃厚だ」
「そうだね。私もダイちゃん達と同じクラスになれて嬉しかったけど、一紗ちゃんが同じクラスじゃなかったらこんなに楽しくなかったかも」
「さっそく仲良くなったもんな」
「うん!」
サクラは可愛らしい笑顔を浮かべ、しっかりと首肯する。さっき、出入口から出たときにもサクラと一紗は楽しそうに喋っていたからな。小泉さんと同じく一紗は高校でできた親友の1人へとなるだろう。
「話は変わるけど、明日はお出かけだね。バイトの方は大丈夫そう?」
「ああ、大丈夫だと思う。店長に明日はサクラと出かけるって言ったら、楽しんできてねって言われたから」
「そっか。良かった」
俺も良かったよ。サクラとお出かけできるのはもちろんのこと、彼女から罰を受けずに済んで。針10本飲む罰ではなくなったけど、彼女はどんな罰を与えようとしたのだろう。怖いから、それは訊かないでおくか。
「ねえ、ダイちゃん。2人で駅周辺に遊びに行くのは結構あったけど、それって中1までだったじゃない。ひさしぶりだし、どっかで待ち合わせる?」
「それがいいな」
昔だったらともかく、今の俺達がどこかで待ち合わせて出かけると、それってデートみたいだな。
「どこにしよっか? 昔はダイちゃんの家の前とか、こもれび公園とか、マンションのエントランス前とかだったよね」
「その3つのどこかだったよな。一緒に住んでいるから逆に難しいなぁ。……じゃあ、サクラの部屋の前にするか?」
「あははっ!」
パッと思いついた俺の提案がツボにハマったのか、サクラは大笑い。笑い声って結構響くんだなぁ。周りに全然人がいなくて良かった。
「ごめんごめん。あまりにも近くてつい」
「サクラに笑いを提供できて何よりだ」
「でも、家の中で待ち合わせるのって、一緒に住んでいる私達らしくていいな。結構好きかも」
俺のことじゃないけど、笑顔で好きだって言われるとドキッとする。そのことで、さっきまで感じていた肌寒さはどこかへ吹っ飛んでいき、体がポカポカしてきた。
「じゃあ、私の部屋の前で待ち合わせしようか」
「分かった」
まさか、ふと思いついた案が採用されるとは。ただ、サクラの言う通り、一緒に住んでいるからこその待ち合わせ場所って感じがしていいな。
高校2年生の最初の一週間はとてもいい時間になった。サクラ達と2年連続で同じクラスになって、一紗とも仲良くできそうで。いいスタートが切れたと思う。そう思っていると、サクラと住んでいる自宅が見えてきたのであった。
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