幕間
45話 男の過去。刻まれた記憶。
月光が蒼く照らす瓦礫の室内は静寂に包まれていた。
ランプの灯は油を失い黒く焦げ芯が燻る。照らすべき部屋のなかは瓦礫に埋もれ、夜風が冷たく吹き込んできていた。
「なぜ……貴方がそこまでしなければなんねえんだべ?」
一人の男が理解が出来ないと、壁を背もたれに座り込む女性を責める。彼は頭を左右に大きく振り、そのまま両手で頭を抱えてしまった。その際に男の体から金属の音が発せられた。
そう―――男は、魔動人形だった。
「分からないべ、俺には分からないべよ」
魔導人形は女性の前でひざを折り床を激しくたたく。石床を叩いた彼の拳が床の液体を飛散させ、彼の拳にぬるりと液体が纏まり付いた。
赤黒くぬめる血。これは彼女の体から流れ出たもの。
そんな彼の苦悩を女性は優しく包むように微笑み、そして諭すように言う。
「ペルン。君は優しい。そんな君だからこそ、私の系譜に招いたのだ」
「貴方は死ぬべきではないべっ!聖霊など、いくらでも代わりはいるてぇのに」
「代わりなどいないよ、ペルン。この子は私の一部……いや私の未来そのものなんだ」
女性の胸に抱かれているのは少女のカタチを成した聖霊。その少女は一糸まとわぬ姿で穏やかに息を繰り返し眠っていた。彼女の体は白い肌にうっすらと赤みがさしており、傷は一つもない。
「それは、聖霊の
ペルンと呼ばれた魔動人形は、必死に彼女の言葉を理解しようともがく。その女性は両手で抱く少女を見てから、ペルンを見つめ返した。
「最初はそうだった。聖霊の愛子を召喚し、育成することに興味はあったよ。それが私の使命でもあったし、存在理由でもあったからね。でも、知っているだろう?私は以前の私ではなくなってしまったし、双子の聖女の一人でもある。だから・・・いや、違うな。理由付けはいくらでも見出せる。私がこの子を大切に思う気持ちに理由など必要ないのだ」
彼女は言葉を一つ一つ確認するように、そして自分の気持ちを再確認するように話していた。その女性は手の甲で少女のふっくらとした頬を柔らかくなぞる。少女の寝息が女性の耳に届き、それだけで落涙するほど幸せな気持ちで満たされていく。「私はこの子を救えた。何よりも愛しいココを救うことが出来たのだ」胸中が光で満たされていく。今まで生きてきたなかで喜びを感じた事は数限りなくある。だけど、そんなものが色あせるほどの感情に身が包まれている。
「そうか。これが幸せなのだ」
「―――どういうことだべよ?」
魔導人形は理解を求め、そして理解できないことに愕然とする。彼女は微笑んでいた。それは魔動人形が初めて目にした表情であり、女性と少女のきずなの強さを如実に表しているものだった。それほどまでに彼女の気持ちは強く、深かったのだ。
魔導人形であるペルンは自らの系譜の主である女性と同じ想いを抱くことが出来ないことに、顔を上げることが出来なかった。体が石のように固く閉ざされてしまっている。それでもなお声をふり絞り、主人に届くように言うのだ。
「貴方は生きるべきだ。それがこの世界に残された貴方の役目であるんだべよ」
「ふふ。ペルン、痛いところを突くのだな。だが、そんな役目など、もうどうでも良いのだ。この子が生きる事。それが私の全てであり、未来であり、幸せなのだ。だから、ペルン。君には面倒をかけてしまうな。これは私の君に対する我がままだ。どうか、この子が一人で歩けるようになるまで目をかけてやって欲しい」
女性はそう言うとペルンに目で合図を送り、両手に抱きしめている少女を持ち上げる。ペルンは慌てて女性に駆け寄り、その少女を胸に抱いた。少女を男に託した女性は、その生命力は既に大半が失われており呼吸さえもが途絶えようとしていた。だが、最後の気力を振り絞る。
「この子に私の全てを与えよう。全ての知識、全ての魔法を授けよう。願わくば、ココの生きる支えとなることを。そして、未来を目指し夢を叶えるための糧とならんことを望む」
力強い眼差しで女性はココに語りかけ、よろよろと立ち上がる。彼女の胸には大穴が穿たれており、そこから血が流れ出ていた。いや、既に流れる血も終わりかけている。
「俺には分からないべ。貴方の心臓をこの子に与えるほどの理由があるんだべかよ、いくらその理由を探しても、なんも見つからなねえべ。それは、俺が人形だからか?」
「ペルン。君にも分かる時が訪れるよ。君自身の未来とも呼べるかけがえのないものが、君を満たすだろう。だから、ペルン。自分を責めるべきではない。これは私の我がままというやつさ」
そう笑いかける彼女の幸せな顔がペルンの瞳に焼きつく。彼女―――ユングフラウ・ニ―ベルは彼女の知識と魔法をココに継承させるための魔法を編む。そして、魔法が発動する中でペルンに告げる。
「この魔法が終われば私は死ぬ。そして、私の死を起因として消滅の魔法が発動するだろう。それは我が身とこの一帯を焼き尽くす。我が身の消滅こそが奴らの目から君たちを逃す唯一の方法。私が出来る主人としての最後の務めだ。ペルン、本当にすまなかったな。私のような主に従ってくれて……ずっと戦いから逃れる日々だった。君には好きな農作業もさせてやることも出来ぬままだったよ。だが、楽しかった。君と一緒に過ごせた時ほど私の人生が輝いた瞬間はなかったのだから」
「……俺はずっと、貴方と共にっ」
ペルンの両手に抱くココの胸に魔法陣が現れ、ユングフラウ・ニ―ベルの全てがココに承継されていく。その知識と魔法は温かな光となって少女のなかに注がれていった。
ユングフラウの真っ白になった手がペルンの頬を撫でた。その手がとても冷たかったことにペルンの心が割れるほどに震える。それでも、彼女の瞳はとても優しく彼を見つめていた。
「ここでお別れだ。私の人生に輝きを与えてくれた君が幸せでありますように……ありがとう、ペルン」
と彼女の最後の言葉が耳の奥に響く。
(ああ、そうか。これは夢だべよ)
その光景を遠くから見ているペルンは呟いた。
(あれから、一体何年が経ったんだべかー。何千年か・・・何万年か・・・)
ペルンは微睡んでいく景色を眺め、そして目を伏せた。彼は未だにあのときの主人が言った理由には辿り着けていない。ココの独り立ちができるまで見守る、その約束をペルンはずっと果たし続けている。
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