22話 美しき世界。


 突如として、ノインは目が覚める。


 生臭い息と獰猛な唸り声がノインの寝ぼけた頭を瞬時に覚醒させていく。その眼前には飛び掛かる寸前の魔獣・鋸牙狼イバラ―――上顎犬歯が鋸のようにギザギザに発達した犬型の鋸牙狼―――がいた。その裂けた口からは垂れ流されている涎と真っ赤な口腔がノインの視界全体を埋め尽くす。


「っ!?」


 咄嗟に鉄杖を横にして鋸牙狼の口に挟み込んでその噛みつきを間一髪で防ぎ切る。3匹の鋸牙狼うちの一匹が攻撃を仕掛けてきたようだ。いつの間にか鋸牙狼が距離を詰めて、ノインの周囲を取り囲むように攻撃の機会を伺っている。


 しかし、包囲網は完成されていない。ノインは自分の位置を素早く確認する。どうやら隘路をすでに通り過ぎてしまっていたようだ。彼は魔獣との間合いを測りながら背負っている背嚢を襲い掛かってきた鋸牙狼の頭上に投げ放つ。鋸牙狼は予想通りに背嚢に目を奪われていた。そのわずかな時間にノインは隘路に引き返し、身構える。


「仕切り直しです」


 小型の鋸牙狼に指示を出しているリーダー格がノインとの距離を一定に保ったまま近づこうとはしてこない。ノインは、隘路の入り口に陣取り牽制役2匹と入口付近での攻防を続けていた。すると、突如としてエーテルの波が渦巻きちりちりとした感触を頬に受けたのだ。その感触が刺してくる方向に目を向けると、大型の魔獣の周りにエーテルが濃密に渦を巻いていた。


 これは魔術の始動。その構成された制御式は複合制御式Ⅰ式。


 ノインは制御式を展開している鋸牙狼のリーダーの位置を確認する。隘路の入口から遠い場所で慎重にノインを見定めていた。

 それならばと、牽制役の魔獣を先に片付けようと決めた。案の定、魔獣のリーダーの魔術攻撃に合わせて牽制役の鋸牙狼がノインとの距離を開けようと身を退いていく。が、魔獣の引き下がる瞬間を突いて、ノインは鉄の棒でその魔獣の脚を折り藻掻く魔獣を隘路のなかに引き摺り入れる。


 ノインより実存強度0.073も低ければ、相手の防御を紙のように切り裂いて手足を折ることは容易だった。


「その複合制御式魔術の威力。同種の魔獣なら耐性効果で十分に防御可能だと思いま―――」ノインの言葉が終わるのを待たずに、空間を焦がす雷撃が隘路目指して貫いてくる。

 すかさずノインは脚を折った魔獣を盾にして、なおかつ自らも魔術に対する防御を形成した。魔獣を盾にしているのだから防御は可能だろう、と思う。


 ノインを狙った雷撃は小型の鋸牙狼を焼いたが、確かに彼の身には届くことはなかった。ただ、雷撃の衝撃波で隘路の左右の岸壁が削れて、頭上から無数の岩片が降り注ぎノインの体表を切り裂いて、血がこぼれる。


「人形体の防御力では、魔術攻撃に対して1回の防御を行うのが限界のようですね」


 魔術を放ったリーダー格は再び雷撃を放つ準備をしている。ノインのエーテルが底を尽きかけていることを見破っているのだろう。手下の魔獣が牽制のための噛みつきを再開してきている。それを鉄杖で振り払い、リーダー格に構成されていく制御式を確認した。

 その制御式に流れるエーテル量は先ほどよりも遥かに大きい。それに対して自分は保有エーテルも殆どなく、しかも実存強度でも劣っていた。


 魔獣の殺意はさらなる高まりを見せている。その姿にノインは見入った。


「体を通して見る世界は本当に素晴らしいです。そして、殺意がこんなにも美しく輝くものだったなんて僕は知りませんでした」


 魔獣たちの相手を食い殺さんとする殺意がノインに突き刺さり、まるで肌を焼くようだ。


 ノインは歓喜に打ち震えた。


 そもそも生まれたばかりのノインは戦闘訓練などしたことがない。まして作戦を組み立てるという発想すらない。ただ、敵陣に向かって飛び込み魔獣から包囲される最悪の結果を招いた状況の中でノインは歓喜のただ中にいた。魔獣から魂を食い破られるほどの獰猛な殺意こそがノインには美しかったのだ。


 ノインは先ほど倒した黒こげの魔獣に目を向けた。その魔獣の首筋―――頸椎にエーテル結晶が蓄積されているはず。彼は牽制役の魔獣の攻撃の間隙をついて魔獣の死体からエーテルを手刀で取り出し、砕く。


「エーテル結晶石を砕けば、その者の糧となる・・・でしたね」

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