第64話 月の涙と花の終焉
「どうしてあなたが僕らの敵になるの?」
宗像壱貴、その名前は神棚に飾られるほどに高貴であり、神聖なもの。
彼の強さにあやかり、無事に任務から戻ってこれますようにと手を合わせるのが宗像の黄泉使いの当たり前の習慣となってしまうほどの鬼神的強さを誇った伝説の黄泉使い。
「まぁ、その名前は奪い取ったものか。 ここまで突き抜けられると、もう何が何だかわからないな」
砂利を拾い上げて、奏太の顔へと向かって投げ捨てると同時に、静音を援護するように、僕も盈月扇を使って戦線に立った。
耳元で卑怯だなぁと静音が笑って言った。僕はそれを横目でにらんだ。
いつものように、静音が攻め込み、僕が防御する。
連携に互いの意思の疎通など必要ない。それでも、この男の動きにはついていくのにめいいっぱいだ。どこかで何とかして崩さなければ一方的にやりこめられるのがオチだ。
「あなたは宗像槍の基本は自分が作ったと言ったでしょう? だったら、最終奥義の花の宴もできるはず。 使えるのならやってみれば良いのに!」
珍しく静音が敵を挑発している。
静音は僕同様に心底やばいと思っている。だから、わずかな隙でも欲しくてそうしているのだ。彼女にしては卑怯なやり口だ。だが、どうせならもっと陰湿にやるべきだろうと僕はため息をついた。
「糸がないからできない……とか? あぁ、選ばれしではないから仕方ないよね」
僕の発言は見事にその挑発を後押しすることに成功したらしい。
性格が悪いのは自覚しているし、思考のいやらしさなら静音より僕の方が上手だ。
奏太の目に怒りの色がまじまじとみてとれる。
最終の型を作り上げたのは間違いなくこの目の前にいる男だ。
無論、彼はそれを行使できるから型をあみだしたはず。
「糸をつむげる素質をなくしたということかな?」
追い打ちをかけた僕のこの台詞は彼の目を血走らせた。
僕の頬に激痛が走り、はらりと眼帯の紐がきれてしまった。
ゆっくりと左の瞼を持ち上げて、僕は口元を笑みで満たした。
頬だけでは済まなかったようで、左のこめかみからも生温かいものが流れおちてきた。遅れて痛みが来るあたりで、やや深い傷だと認識した。
「宗像壱貴、いや、奏太。 いいや、違うな。 あなたの本当の名前は?」
それを知ってどうするというのだというように奏太がふっと笑んだ。
「僕はあなたが何者でも構わないけれど、女王様は違うと思うから」
奏太がわずかに瞠目して、すぐに舌打ちをした。
「願わくば、あなたは女王様とは向かい合いたくなかったはずだよね? でも、残念ながら、この現状ではもうあなたの戻れる場所はない。 あなたは女王様に徹底的に敵として認知されただろうしね」
彼は真に宗像志貴を討つ気はなかったはずなのだ。
むしろ、護っていくことに前向きだった。それを方向転換せざるを得なくなった理由は僕の存在だ。
「お前は何者か、名乗る責任がある」
こいつが敵に回った事実で一番傷つくのは女王様だからだ。
「奏太なんて名前を口にしたら許さない。 ……言い訳などしてみろ、僕がお前を地獄に突き落としてやるからな!」
女王様が朔以外にそばに寄せる誰よりも近い家族は奏太なのだと、祖父からきいていた。
「家族なんて二度と口にするなよ……」
僕の憤りはそのまま荒くれた動きにかわる。
泰介から体術ができることを示すなと言われていたが、解禁だ。
体術の訓練は奏太の前でしたことがなかったから、彼の目が驚きにかわった。
僕の蹴りを腕で受け止めていた彼の美しい眉がゆっくりとひそめられる。
「まるで一心そのものか……。 まだ若いが、なかなかに嫌になるな」
黙れよと僕は身体を近づけ、拳をくりだす。それを嫌うように後方へ退いた奏太の足の動きに静音が舌打ちした。僕と同じことに気が付いたらしい。
離れようと静音が口にして、僕は身をひるがえした。直後、爆風が吹き荒れる。
静音が砂煙の向こうから突き出された拳を薙ぎ払い、僕に脇へとまわれと視線を動かした。かがんで、足元をすくうようにけり上げてみるが、ひらりとかわされてしまう。攻撃している時間が圧倒的に多いのはこちらなのに、奴はほぼ無傷で、傷が増えていくのは僕らばかりだ。
仕留めるための闘いなら僕らの攻撃は幾度繰り出しても価値はないだろう。
だけど、足止めをしておくためだけの闘いであれば大金星のはずだ。
「名前、当ててみようか?」
ふいに足をとめた静音の言葉に奏太の眉が顰められた。
肩で息をしている静音が槍の切っ先を彼に向けた。
「宗像の基礎をなした人物は宗像壱貴ではない。 それよりもはるかに昔にいたその男は王族でも直系でもない」
黙れよと静音の喉元に手を伸ばした奏太のわずかに隙ができた瞬間を見逃すまいと、奏太のわき腹に僕はようやく蹴りを一発撃ちこむことができた。
彼の琴線が何に触れるのかはわからないが、『本当の名前』と『過去』には異様な殺気を博す。
「復讐などというチープな目的で血系異端を排除してきたわけじゃないとでも言いたげだよね」
僕と静音はぱっと身をよじって後方へ飛び退った。こいつにはこいつなりのルールがある。だから、彼独特の理について刺激すれば良いのかもしれない。
「天月眼、血系異端、神器。 どれに一番ご興味がおありですか?」
僕はゆっくりと奏太を見据えて、問うた。
「これほどまでに強いあなたなのに、どうして宗像に不遇な時代があったのかがわからない。 宗像を護り、永続させるのがあなたの意志であり、目的のはず。 そうであったにもかかわらず、夜が生まれるほどの苦難を与え、僕の両親たちですら力尽きそうになるほどの不遇の時間があった理由は?」
目の前にいる男は宗像の永続性に拘っているというわりに、自らの手で幾度も宗像を危機にさらしてしまっている。
「ただそこにいるだけが役割だったのに、それを辞した理由は?」
蒼の王号はたゆたう者という意味で、時間を制御できるが、血族には干渉してはならないという縛りがあった。
だが、彼は今、こうして、僕たちに確実に干渉できている。
時間の制御を放棄しなければ、彼はこうしてここに現れることすらできないだろう。王号を放棄してまで、何がしたい。そこが一番つかめない。
「あなたの行動がちぐはぐな理由をそろそろ話したらどう?」
宗像の血を護りたい。彼の理念はそれだけのはずだ。
何故、これほどまでにこだわるというのか。
静音とのつばぜり合いをしながら、奏太がぎろりとこちらを見た。
「お前にはわからない」
ようやく本音が零れ落ちた。これが奏太の本当の言葉だ。
なるほど、どうやら僕と彼は種類で分類されると同じに当たるらしい。
「お前ごときが護りきれるはずがないんだ」
「当然だろう? 僕なら、こんな無駄なことはしないからな」
奏太のこの言葉に僕は間髪入れずに答える。
恐ろしいまでに凝視してくる奏太の目に、僕は苦笑する。
できる、できないという以前に、僕はしない。
一人の肩に何もかもがのしかかっているのに、皆が平和で笑うのが良いというのは何かがおかしいと思うからだ。
「宗像が滅ぶぞ?」
奏太の抑揚のない言葉に僕はそうかもしれないと同意した。
「お前、自分が何を言っているのか、わかっているのか?」
「僕をたきつけているつもりなら、無駄だよ。 僕はあなたのようなやり口で護ろうとは一切思わないのだから」
「お前のために多くが滅ぶ。 お前は正真正銘の血を枯らす者になる」
これだから、真面目は困ると思った僕は悪者だ。
かつては立派すぎる人物だったのだろうが、その強すぎる想いは性質をかえると、狂気となる。
「あなたの理念は実にすばらしいと思うし、身の犠牲には同情する。 だが、一人でも命を奪ってしまったのなら、その正しさは悪だ」
多くを護るために犠牲をしいた段階で、こいつに正道はない。
「宗像万葉」
静音が彼の名前を口にした。
はじまりの黄泉使い達よりさらに古くから居る男の名前だと彼女は補足してくれた。
「はじまりの黄泉使いといえば、全員が鬼衆をはるかにしのぐという無双の時代にもういたというの?」
「宗像万葉はそのはじまりの黄泉使い達よりはるかに強かった男」
「そのわりに名前に聞き覚えがないというのはどういうこと?」
「ご本人にきいてみないとそれはわからない。 ただ、はじまりの黄泉使い以前にもういたんだから、神器にも恐ろしく詳しいとは思うよ」
「なるほど、どうりでこの度は知らぬ存ぜぬできなかったわけだ」
僕はにやりと笑んだ。
それがいたく気に入らなかった彼は僕を攻撃対象に選んだが、即座に静音に阻まれる。女に護ってもらうとはなという奏太の男尊女卑の差別発言に僕は軽く舌を出した。
「あなたにとって僕は最も危険。 生かしておくべきか悩んだ結果、アウト判定にした理由は僕が血系異端であることが理由ではないはずだ。 これから先に、僕が神器をどうするか、あなたは先読みしてしまったからだろう?」
「いいや、お前が血系異端だからだ!」
「そう言えば女王様が理解しやすいものな。 だけど、そもそも、血系異端は排除されるべき存在じゃない。 それもわかっていて、歴史を捏造し、あえてその歴史を肯定する古文書を残した。 理屈をおおいにこねくりまわし、長い時間をかけて特殊な規定を血に残し、宗像を変えてしまいかねない者を芽が小さいうちにつんできたんだろう? 血系異端はいるだけで神器を手にしてしまう。 何の理屈もなく、まるで空気を吸うようにだ! あなたが最も恐れているのは『月の神器』が欠けてしまうことだ」
違うと奏太が激高した。取り繕うことができないほどの怒りが爆発していた。
「当たりか」
僕と静音はほぼ同時に息をはいた。
日本神話から連なる歴史の中に鏡と勾玉、そして、剣は3種の神器として登場する。
八咫鏡、天叢雲剣、八尺瓊勾玉は、日本神話において、天孫降臨の際に天照大神が瓊瓊杵尊に授けた三種類の宝物だ。
太陽の元にあるこの3種の神器とは異なって、夜を護る世界には月の元にある重要な神器がある。
『月の涙』と呼ばれる2種陰陽の勾玉と『月の花』と呼ばれる神鏡がそれだ。
ことに月の涙は手にしたものの善悪を問わず、その効力を発揮してしまうため、陰陽の二つの継承者は厳密に選出され、そろってくれるなと言わんばかりに同時期にそろうことすらない。陰陽そろわねば意味をなさないというのに、まるで、そろうことを嫌がるように継承者を選択するのだ。
もう一つの神鏡『月の花』は手にした者の善悪を問うため、効力を発揮するための条件が複雑であり、明鏡止水の言葉の如くの主を選出するため通称『理の玉座』と呼ばれている。継承者の手から離れた段階で姿を消す難儀な代物であり、選ばれなかった者には触れることもかなわない。
そして、夜を護る世界にはもう一つ剣にあたるものが実は存在している。
それが、『月の雷』、通称『千年王の糸』だ。しかしながら、これもまた、使い手そのものを手に入れて制御していく必要がある。
継承者以外が手に入れるのならば、まずは勾玉で次いで鏡と剣という順序となるのは道理だ。勾玉は手にしてしまえばどうとでもなるが、鏡と剣はそれを扱う継承者を丸ごと手にして制御する必要があるのだから難易度は跳ね上がる。
月の涙は静音が、月の花は僕が、月の雷は女王が持っている。
白川静音、宗像貴一、宗像志貴の3名の内、一番容易いのはおそらく僕だ。
だけれど、僕を制御することは夜を身に宿した僕ごと飲み込んでしまうと同意で、リスクが大きすぎると判断しているはずだ。
女王の制御は僕を取り込むよりリスクは少ないが、女王を制御するに至るまでのプロセスが恐ろしいほどにハードルが高い。
静音が持っている月の涙を手に入れるのが一番良いという思考になるだろうが、厄介なのは静音がその勾玉を無限にある時間の中に隠してしまうことだ。だから、僕を狙い、僕をたてに彼女に心理的なゆさぶりをかけることしかできなくなる。
目の前で槍を振り回して、奏太に一歩も譲らない静音を目にして、僕は唇を引き結んだ。
ただ持っているだけでは、その効力が勝手に発動することはないが、神器は行使しようとすればその反動は大きく、術者の魂を蝕む。
月の涙の『陽』の勾玉は静音が行使しようとしない限り、彼女を守護する。
幾度も幾度も、奏太の刃が彼女の肩あたりを捉えているのに、刃がすべり逃げるのはその証ともいえる。かすり傷程度ですんでいるのはこの勾玉のアドバンテージだ。
だけれど、それは奏太にも言えることだ。静音の刃が奏太をとらえきれないのは彼が持っているということを意味していた。
月の涙の『陰』の勾玉を彼が持っている。おそらく、陰の勾玉を持っていた継承者は僕と同じことをしようとして失敗したのだろう。安易に想像できてしまう。
黒い勾玉の色だったはずだと、僕はゆっくりと息を吐いた。
「黒は僕の専売特許みたいなものだからなぁ。 さて、どうしようか」
古からこれらを受け継いできたから宗像は黄泉使いの名門であり続けることができた。冥府をも黙らせるほどの血族として認定されてきたのはこの強烈な神器があってこそだったのだろう。
神器を失えば、宗像は緩やかな滅びへと向かうかもしれない。それがわかっているのに、僕は今からそれを葬ることに躊躇がない。
血系異端は血を枯らすと奏太は表現していた。まったくもって、その通りだ。
奏太は宗像が滅ぶことを極端に嫌がる。僕のやろうとしていることの方が後世に悪と評価されそうだ。
「でも、誰かがこれをすべきだ。 それほどまでに神聖なものであるのなら、手に触れることができるような形で存在しちゃいけない」
三つの神器は誰彼構わず手にすることはおろか、本来であれば、見ることすら許されないものでもある。
聖なるものは俗人が触れる、見ることによって俗に染まるのであって、聖域を守ることこそ神聖さを守ることを意味するからだ。
清浄を意味する『清』と穢れを意味する『次』を厳密に区別し、継承者は穢れた状態にならないように細心の注意を払わねばならない。
だから、剣を扱う女王は『清』を保つ必要があるために戦線には立てない性質となってしまう。女王自身が穢れに弱いのではなく、『次』と認定されてしまわないように、魂が心身に警告を送り、穢れから遠ざけられるのだ。
それは鏡を扱う僕も同じ。ただ、僕は夜を飲み込んでいる。これは完全に『次』の状態のはずなのに、鏡は僕を器にした。これこそが天月眼のなせる業かもしれない。
「僕が間違ったのは……静音に月の涙を手渡してしまったことだった」
自嘲気味に笑うと同時にぽろりと涙が零れ落ちた。
今頃、思い出した。
幼い日、高熱を出した僕の左手には勾玉があった。それを見た母は絶叫して、すぐに僕を抱き上げて王樹の泉へ連れて行ってくれた。王樹の前でその勾玉をすぐに手放せと母に言われたけれど、勾玉はどうあっても僕の手から離れない。まるで勾玉が僕に捨てられないようにとくっついているようだった。
母が意を決して勾玉に触れた指先は一瞬にして赤くただれた。さらに、それだけでは済まず、その場で母は昏倒した。
僕と母を探していた父が慌ててかけつけて、母を抱き起したけれど、母は血を吐くだけで意識が戻ることはなかった。
僕も高熱でふわふわして、その場でまっすぐ立っていられずに倒れこんでしまった。
父はすぐに時生おじさんを呼んで、すぐにかけつけてきた時生おじさんが僕を抱きあげてくれた。
『貴一、この勾玉、誰にならあげても良いと思うかい?』
時生おじさんに問われて、僕は朦朧としながら、本当に綺麗な勾玉だったから、静音にあげたいと答えてしまった。
時生おじさんはわずかに動揺した表情をしたけれど、すぐにわかったと答えてくれた。しばらくして、静音のお母さんが静音を僕のそばに連れてきてくれた。
『しずね、きれいだからあげるよ』
『ありがとう』
小さかった静音はうれしそうに勾玉を受け取ってくれた。
僕はそれがうれしくて、何だかすごくほっとして眠りに落ちた。
これが何を意味するかもわからなかった僕が静音を護り手にしてしまった瞬間だったのだ。
勾玉の継承者は僕で、僕は神鏡の継承者でもあったから一つの身に二つはさすがに厳しく、身体が悲鳴をあげていたのだろう。だから、僕の魂は僕を護るために、勾玉の護り手として静音を選択させたのだ。
手で目を覆うとさらに涙がこぼれおちる。
僕が静音に渡さなければ、静音は巻き込まれずに済んだはずだ。
考えてみれば、時生おじさんが静音と僕を一緒に稽古させるようになったのはあれからだ。
『一人一人が強くなることは必要だけど、二人で一緒にいることで最強の方がずっと良いだろう?』
時生おじさんが僕と静音にそう何度も言ってくれていた意味が今わかった。
僕と静音は個々で闘うよりも連携して闘う方が慣れている。
阿吽の呼吸と言う奴で、僕らにはサインも何もいらない。
だから、僕がやろうとすることはもうわかっているはずだ。
時間稼ぎが成立したら、僕は穢れに染まる選択をする。
それが運命だと思った。
盈月に命じて、僕の身体の前に砂埃を起こさせ、姿を隠した。
数秒で構わない。
盈月がぱっと姿を変えて、白銀の杭にかわる。それをさっと胸元に隠した。
意図するところをよく理解してくれていると思うとうれしかった。
月の神器には強度の順位がある。
勾玉は鏡に弱く、鏡は剣に弱く、剣は勾玉に弱い。
母が勾玉に触れた瞬間に昏倒した理由は母が剣の継承者であるからだ。
勾玉は剣を破壊できる。
奏太の手に勾玉が渡ることはそれだけで宗像の支配が完了する。
月の涙がそろえば、女王を支配できる構図が出来上がるからだ。
「それだけは阻止する」
どちらかを砕けばもう月の涙は機能しない神器となる。
陰陽は二つで一つ、一つ欠ければもうお終いという意味だ。
二個あることが幸いすることもある。
まるで壊し方を示すように二個存在しているのではないかと思ってしまう。
奏太の勾玉を破壊するのは今の僕の実力では難しい。だから、破壊する方は決まっていた。
「涙は花に散り、花は雷に散る」
そのための僕のこの天月眼だったのだろう。
僕が今思い描いている程度の思考なら、おそらく、時生おじさんなら読んでいるはずだ。
だから、母が僕にかけてくれたように、僕は母にかける。
「貴一、大好きだよ」
突然、脈絡もなく静音がつぶやいた。
「言われなくてもわかってるよ、そんなこと」
僕がそう言うと、彼女はにやりと笑んだ。
「私のだ」
「あ~うん、その意味はよくわからないけど、とりあえず承知しました」
むうっと頬を膨らませている静音の横顔を見ると、何だかホッとする。
「同じことを考えているって、すごいな」
彼女の首から肩にわずかだが黒い紋様がのぞいていた。
僕も静音同様に僕自身の身体に仕込みをすることにした。
「静音、ごめんね」
僕の方をみた静音が仕方ないなぁと悪戯っぽく笑った。
「こんなことを引き受けられるのは私くらいっしょ!」
静音が僕の肩に手を置いたかと思うと、器用に手前に引いて、奏太の攻撃を槍で受けてくれた。
なるほど、僕程度では察知できないほどのスピードになったというわけか。
奏太にここまでのギアチェンジされてしまうと、もう、僕らには手がない。
じりじりと押され、長い髪も羽織もざんばらになってしまう。
僕も静音も血を失いすぎるほどに傷だらけも良いところだ。
これが奏太の本気のスピード。
楼蘭や一心でも敗れてしまうかもしれないと奥歯をかみしめた。
もう限界だ。ここがデッドライン。
ギアチェンジされて10分もたっていない。でも肉体の疲労は数時間闘ったよりひどい。
「静音!」
ついに倒れこんだ静音に振り下ろされる刃を僕が彼女の槍を拾い上げて受けた。
僕には静音ほどの戦闘能力はない。力負けして、刃が右の肩へとくいこんでくる。
静音の襟首を僕はもう片方の手で引きずりながら、退くしかない。
右肩をあえて放棄した。深くえぐられたとしても、僕は静音の身体を後方へ退く。
「よく……もった方だと褒めてもらわなくちゃ……」
この僕の言葉に奏太の気配がわずかに変わった気がした。
僕らに最初から勝ち切るつもりはない。
「奇門遁甲……、時盤召喚」
僕らは二人で一つの陣を持っている。時生おじさんが生み出してくれた特殊な陣であるから、僕らでないとしかけられない。
僕らを中心に円が描かれていく。
8方位それぞれの天盤・地盤・九星・八門・九宮・八神の6つの星があり、吉凶を映し出す。
これの使用目的には球官、求安、求財、求知、求情、求勝、求信、求寿、求道と続き、求秘がある。
「求秘!」
求秘とは秘匿、隠匿、物事の終結を意味し、それを可能とする吉方位を示せと命じることに他ならない。
僕らのこの陣のもっとも特殊なポイントは、その吉方位を自分たちのいる中央に置き換えることにある。
僕は渾身の力を込めて、奏太の槍の切っ先を跳ね返した。
隠せと命じたこの奇門遁甲を応用した特殊な陣は僕らの姿を覆い隠す。
「勝ちにつなぐ……、お前の負けだ」
僕が『鏡を破壊しろ』と発信したメッセージの真の意味を女王がどう解釈してくれたかに勝負がかかっている。
でも、僕も静音も、女王が気が付かなくとも、絶対に気が付いてくれる人物を一人知っている。宗像時生、僕らのはじめてのお師匠様だ。
「ようやく……来てくれたか」
轟音が響き渡り、左前方に土煙が巻き上がった。
人の気配が近づいてくる。
砂埃のベールの向こう側に黒と紅の長羽織の裾が見えた。
僕はぐったりしている静音を抱き起した。
「月の涙を出して」
耳元でつぶやくと、うっすらと目をあけた静音が小さくうなずいて、手のひらを広げた。
「ありがとう、静音。 僕を信じて……」
静音の手のひらに白色の勾玉が現れた。そして、僕はそれを手に取り、胸元から取り出した白銀の杭で打ち付けた。
一度では破壊しきれず、二度、三度と打ち付けたところで、パリンと小さな音をたてて陽の月の涙は破壊された。それと同時に、悲鳴をあげた静音の身体が力を失った。黒い煙がまるで生きているように勾玉から立ち上っていく。神器を破壊したことで彼女が身に受ける穢れのすべてを僕がとっさにすべて飲み込んだ。
黒い穢れが身体の中で暴れるから、あまりに苦しくて、ぽとり、ぽとりと血の涙がこぼれおちる。
意識のない静音の鼓動はかなり弱いが、息もしている。
「これで正真正銘、丸裸だな」
攻撃の要である静音が倒れた以上、僕にはもう武器がない。
陣が破れていくまでもう数秒もないことは明らかだ。
すぐそばに奏太がいるはずだ。
この僕の身体にある神鏡を奪われるのだけは避けなくてはならない。
「母さん!」
僕は背に鈍い痛みを感じた。視線をさげるときっちりと左胸を貫いてくれていることを確認した。僕の体の中で鏡が割れる音がする。
これで良いんだと、僕は静音を抱きしめたまま、瞼を閉じる。
縛陣と聞きなれた男性の声が遠くに聞こえる。
流石だ、読んでくれている。
僕と静音の身体をあいつに渡してはいけない。
ホッとして息を吐くと、抵抗できないほどの眠気に襲われた。
神器を二つも破壊したのだから、僕たちが無傷でいられるはずはない。
「勝って……お願い」
何だろう、このふわふわした感じ。
僕は意識を手放す前に、必死にもちあげた瞼。視界の端が赤くにじんでいるが、黒と紅の長羽織が揺れている。
背にある朔月の輪の中にある梅の花の紋が見える。
黒の長い髪が揺れて美しい。
僕たちと奏太の間に立ってくれているのは母さんだ。
「勝って」
僕のこの声は届いているのだろうか。
絆の神様達、どうか、静音だけは助けてください。
僕がすべての罪も穢れを背負うから、どうか、お願いします。
天月眼、最後の最後に僕の願いを叶えてみせろ。
静音の命だけは絶対に奪うな。
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