第3話 至宝オッドアイ
霧というか靄というか。水分は感じるのだがどうにも煙のようにも思えた。
視界を奪われたら、僕の唯一無二の武器を使用することができない。
まるでそれをわかっているかのような状況になっている。
その上、白銀の毛並みをしている大狐の光はそれはもうはっきりとくっきりと見えており、的がそこにあるのだと示してしまっている。煙の中でLEDライトが光っているようなものだ。
わざとかじゃないのかと小言を口にした僕の方へゆるりと首を持ち上げると、望はけけけと奇妙な笑い声をあげた。
「ここに足止めしたいと願ったのは君でしょうが?」
確かに僕はそうは思ってはいたがこれはやりすぎだ。
女王と比べると、僕の戦力などないに等しい。
望がここにいるぞと示すことで王はここにいると多少の数をおびき寄せるのは作戦としては正しいけれども、悪目立ちしすぎだ。
女王であればあっという間に片付けてしまうかもしれないが僕では無理だ。
「女王であれば朝飯前だったかもしらんけど、僕ではちょっと無理ねとか思ったりしないわけ?」
「度胸のないことだね。 なら、これならどう?」
僕の心を読んだ大狐はくるりと回ると、大柄の青年へとかわる。
後頭部高くで黒髪を一つに束ね、首元には赤子の握りこぶしほどの炎の色をした大きな勾玉を一つぶら下げている。
整った醤油顔。切れ長の目、薄く整った唇。
これはとっても見たことのある男の特徴だ。
このわざとらしい笑みと飄々とした態度もいつも通り。
宗像奏太、彼ではないか。
僕との身長差20㎝、嫌みなほどに見下ろすその顔は出雲で僕とじいちゃんの身の回りの世話をしてくれていた男だ。そして、僕のもう一人の師匠でもある。
母はそれを知っていたのか、わずかに振り返ると苦笑いだ。
母にも聞きたいことが山のようにあったが、それどころではないことも理解していたので、無駄なやりとりに気を割くことはやめにした。
「やめておく」
「諦めがはやいこと」
「やりとりをするだけ無駄だってよくわかってるからね」
これはもうきっとじいちゃんもグルだろうし、やりあうだけ僕に分がない。
じいちゃんと奏太のニコニコ二人組がいかに凶悪であるかはよくわかっている。
「貴一、目はどう?」
奏太が僕の目を覗き込むようにみる。
ついさっきから、右目の奥がほんの少しだけうずいている。それが意味するところを奏太は聞いているのだ。
「来ると思う」
そうかと一つうなずいて、奏太は自分の背にかばうように僕を後方へさげた。
そして、後ろ手にいつものサインだ。
指1本は手出し無用、つまりは戦闘不要。
指2本は緊急待機、つまり、緊急事態に備えて臨戦態勢をとれ。
指3本は戦闘開始、つまり、全力で討って出る。
指4本は制御待機、つまり、禁じ手を使う準備をとって備えよ。
指5本は撤退、つまり、何があっても逃げきれ。
これは出雲の黄泉の鬼達が使うサインでもある。
奏太のサインは指3本。
戦闘開始するぞという意思表示だ。
僕は右目に入っているカラーコンタクトをはずした。もったいないがワンデイなのでぽいっと捨てた。別に僕は目が悪いわけじゃないからどうということはない。
僕はオッドアイというかわった目の色なのだそうだ。
日本人では1万人に1人だそうで、左目が焦げ茶色に対し、右目は琥珀色をしている。それが僕は小さいころから嫌で仕方なかった。外に出ようとしない僕のために母が生み出した策がカラーコンタクトだった。かくして、僕のオッドアイはカラーコンタクトで封印されるようになった。
「少し急いで」
奏太は軽く振り返った。僕はそれに静かにうなずいた。
首からぶら下げていたお守り袋の中に常に入れている鋼の塊を僕はとりだしてみる。それは黒鋼でできた楕円の塊。これが眼帯になるなんて、今、考えてみたらこれを差し出してきた奏太が普通の人間であるはずなんかなかったなと苦笑い。
黒鋼を右目にあてると、それが一気に眼帯へとかわる。
何がどうなってというのはよくわからないけれど、この眼帯は思いっきり走り回っても一切外れることはない。
顔の一部になってしまったような感覚になるので、重さを感じることもない。
痛みはどうかという奏太の問いに僕は大丈夫だと首を振る。
特出すべき黄泉使いとしての才能は僕にはない。だが、僕には僕にしかできないことがあるのだと、じいちゃんに教えてもらった。
僕の目は時を超える。
時にそれが制御がきかなくなり、僕は自分自身がいつの時代の何を見ているのかがわからなくなるから、こうして抑制する。
「母さん、2分後に頭上だ!」
母さんがそれにうなずくと、頭上に開くであろう黄泉と現世をつなぐ穴を封じる方陣を組み立てていく。
視野は半分。でも、覆われた暗闇の中にある目が別のビジョンをみている。
左の目がとらえているのが現在、右はのべつまくなし過去、未来をみせる。
これに慣れるまでに僕は10年かかった。
左右の目でみているものがまるで違うというのは気持ち悪くて、気持ち悪くて仕方がなかった。僕はまず黄泉使いの技量を磨くよりも、これの制御を習得しないといけなかった。幼馴染の誰より僕の技量が劣ることとなったのはこれのせいだ。
「コントロールしてやる」
右目を一度ぐっと閉じて力を入れる。僕はもう振り回されないはずだ。
呪われているとはもう思わない。
憐れんでみても碌なことなどない。
姉の悠貴が僕に言ってくれた言葉をこんな時にふと思い出した。
『その目さ、めちゃくちゃきれいだよ』
右目が大嫌いだった僕は姉のこの言葉に救われた。
姉は黄泉使いの技量なら私が身に着けるから問題ないのだとにっこりと笑ってくれた。
姉の師匠は当代きっての元締めであり、宗像本家の当主である宗像公介だ。
じいちゃんの双子の兄、僕の大叔父。
豪快な人で、僕は出稽古に行くたびに投げ飛ばされてばかりだ。
だが、姉は違う。若いのに、その大叔父から10本に1本はとるときいた。
姉は常に僕の前を行く。
前に進んで、前に進んで、僕を引きずり上げようとしてくれる。
でも、もうそろそろ護ってもらってばかりじゃ、悔しいだけだ。
だから、僕は姉が当主となったらそれを絶対に護るんだと心に決めていた。
僕はまだそれができるほどに強くはないかと、自嘲気味な笑いが無意識に零れ落ちた。
「ほれ、くるぞ!」
奏太の声で僕ははっとした。この右目を使うと僕はどうしても現実から逃避してしまう癖がある。
「視界を奪われていたら、確実なものを把握できないよ」
「それが狙いなんでしょ」
「知られているってことだよね」
「厄介なほどに知られている」
奏太の表情にいつも通りの余裕がない。
「悪鬼が敵ではないんだね」
奏太がわずかに眉根を寄せて、うなった。
よくよく考えてみたら悪鬼がこれほどまでに周到に動けるはずがない。
悪鬼の統率などとれるはずがない。だから、悪鬼のその特性を生かして利用している奴がいる。
黄泉を自由に行き来し、現世にもコンタクトできる奴らがいるとしたら、それはもう一つしかない。
大人たちはこれに気が付いた。だから、反撃ののろしをあげることにしたのだろう。だが、奴らが一枚上手だった。
「どうやって女王と朔を?」
「わからないからこんなことになっている」
「でも、僕たちが闘えるってことは女王は大丈夫だね」
「貴一?」
「こちらは一枚岩だけど、あちらは一枚岩じゃないかもしれないね」
「何が見えている?」
この右目に見えているのは青々と茂った大樹だけ。
これは僕がみようとしたビジョンじゃない。つまり、誰かが意図して僕に見せている。
「朔の見たものが見えているのか?」
奏太の声がほんの少し震えている。その奏太の声が今は邪魔だ。
集中したい。少し静かにしてくれと手で制す。
僕には音は届かない。だけど、ビジョンなら。
見ろ、僕ならできるはずだ。
指先がみえる。誰の指だ。
女性ではないそれは赤くぬめった液体にまみれている。人差し指が大樹を指す。
「わかってるんだって!」
僕は苛立った。そこにいるのはわかってる。だから、そこがどこなんだ。
ハンドサインのように指先が動く。
「2、4?」
指2本は緊急待機、指4本は制御待機。
何が言いたい。
緊急事態だということはもう見たらわかる。禁じ手を使う準備をしろということだろうか。
その時だった。
背後で人が倒れた音がして、僕の見ていたビジョンは完全に途切れた。
「咲貴!」
奏太が母の体を抱き起している。
急いでかけつけてみると、母には傷がない。息もしている。
だが、眠っている。
「嘘だろう。 このタイミングで?」
僕はあてにしていた戦力を失った。
悪鬼はすぐそこだ。
「僕がやるしかない」
僕が黄泉使いとして単独で戦闘するのはほぼはじめてだ。
じいちゃんとの稽古を思い出せ。
「まずは十種神宝」
ここには姉さんも雅もいない。
母さんを護るには僕がやるしかないんだ。
「瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品々物比礼」
頼む、僕の中の炎を呼び覚ましてくれと、願い続けた。
「布瑠の言霊よ、僕の宗像の血を呼び覚ませ!」
僕だって宗像なんだ、きっとできる。
「できる!」
奏太の言葉が耳に届き、ひとつうなずいた。
「一二三四五六七八九十! 布留部、由良由良止布留部!」
指先を歯できずつけた。その血のにじむ指先に息を吹きかけ、ポンと左腕をつかむ。左腕を中心に紅色の光を発する文字が自分の体を這うように広がっていく。
「暗き闇を照らす尊き月よ、汝の光を吾の血潮に呼び覚ますことを許したまえ!」
頭がくらくらする。お酒なんて飲んだことがないのに、酔っぱらうってこんな感じかもしれないと思うほどに千鳥足になりそうだ。
闇色をした硬質の針金のような長い髪が体動に合わせて揺れ、頬を打った。
「どうして?」
僕はあわてて、髪をさわる。恐ろしく長く伸びている髪。
それも烏の濡れ羽色、こんなに濃い色の髪ではないはずなのに。
瞠目せざるを得ない。どうしてこんなことになっているんだ。
「貴一、よけろ!」
奏太の声に僕のすぐ右横からとびかかってきた悪鬼に目をやる。
僕は僕が思うよりも早く、体が動いた。
指先で悪鬼の額をトンとつく。
何をしているんだという顔をした奏太に、僕自身もよくわからないと首を傾げた。
だが、次の瞬間。悪鬼が紅蓮の炎に一気に包まれた。
僕はあわてて足を引いた。奏太が僕の方を呆然として見ている。
「何をした?」
奏太が険しい表情で僕を見てくる。
知るかよと次々とくる悪鬼の体の部分に指をトンとつけていく。
母に渡された長刀ははるか15メートル先に見える。武器がないんだから仕方ないだろう。
さりとて、恐ろしく体が軽い。バク転でもできてしまう感じがする。
『汝ら永訣の鳥となれ』
僕の右目に文字が浮かび上がる。どう読むんだろう。
ビジョンだけでは無理だ。だって、こんなに難しい漢字を知らない。
「ナンジラ、エイケツノトリトナレだ!」
僕の心を読んだ奏太が読み方を教えてくれた。
なるほど、右目がそういうものを見せるのならやってみよう。
「なんじら、えいけつの鳥となれ!」
轟音が響き、地中から恐ろしいほどの炎が立ち上る。
爆風に僕自身、立っていることもできず地面に尻もちをついた。
靄は完全に吹き飛ばされ、そこに見えたものに絶句だ。
まるで爆弾が投下された後のように地面が大きくえぐられ、そこに悪鬼は1匹もいなかった。
「なんだこれ……」
宗像本邸の美しかった中庭は僕が盛大に破壊してしまったようだ。
それも何もかもを焼き尽くして灰すら残さないほどのさら地にしてしまった。
奏太の方に目をやると、ため息交じりにやりすぎだと言われた。
そして、ふうと息を吐くと長かった髪は通常通りに戻っていた。
「仮面も武器もなしでこれをやってのけたことは口外無用だよ」
奏太が母を抱き上げながら僕に言った。
僕は言われるまで気づいていなかった。僕は黄泉使いの仮面を使うこともせず、武器を使用することもせずに動いてしまった。今頃、冷や汗だ。
「幸運なことにみていたのは僕だけ。 次はだめだからね」
僕は静かにうなずくしかできなかった。
母さんを護らなくちゃと思って必死だったから実のところ自分が何をしたのかよくわからない。
「貴一!」
向こう側からかけてくるのは姉の悠貴と雅だ。二人とも無事だったか。
その姿を見ると今更ながら腰が抜けた。
「あんたが無事でよかった!」
必死にかけてくる姉の目に涙がある。
姉は何があっても人前で泣くような人じゃない。何かがおかしい。
「どうしたの?」
僕は這う這うの体でゆっくりと立ち上がった。ことのほか、僕の体はこたえているらしく筋肉という筋肉が悲鳴をあげそうだ。
「父さんが眠ったまま起きないの!」
悠貴の言葉に僕ははっとして奏太の方を振り返った。
「母さんもだ」
背筋をつめたいものが滑り落ちていった。
何がどうなっているんだ。
「姉さん、大叔父さんとじいちゃんに連絡!」
ひょっとしたら、黄泉使いの大人全員がこれを食らっているかもしれない。
僕はわけもなくそう思った。
そして、それが確信に変わることになる。
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